聖女の私が追放されたらお父さんも一緒についてきちゃいました。
「ううう、ううっ、うぅー」
「だからもう泣かないでよ。うっとうしいなあ」
「でもおお、ごべん、ごべんねえええエイダちゃああああん……」
気持ちはわかる。わかるよ。でもなあ。
「いい加減うるさい、お父さん」
「ごえんあさぁぁあああいいい……」
毛布にくるまってだんご虫になった彼をぺいっと叩き、嗚咽に震えるのを見守る。変化がなかったので、もう見捨てちゃってバルコニーに出ます。
ふうう。夜風が気持ちいい。
バルコニーには先客がいました。
「あ、陛下。申し訳ございません、気づきませんで」
「いいよお。お父さんどんな感じぃ?」
「あんな感じです」
と部屋の中を指さす。豪華な天蓋つき寝台の上、鼻水すする音を響かせて振動するだんご虫がひとつ。
「アッハッハッハッハッハ! 根源精霊が! ヒトなんかに見捨てられた程度でこのていたらく! ナハハハハハハゲェッホゴホッゴホッゲホ」
……妖魔ってムセるんだ。
私はため息つきつつ、与えられた絹のハンカチを陛下に差し出すのでした。
話はちょっとさかのぼります。そう、三日くらい前に。
ライナーン王国は世界を創造したという伝説の根源精霊を祀る国家であり、現王家は六百年ほど続いておりました。
長い治世の中、不思議と戦乱も飢饉も諸国ほどのひどい被害をもたらさず、神々に愛されし国であるという誇りが王族貴族平民すべての人々の胸にある、そんな国でした。
聖宮パテイオンは王都ミュリンのほぼ中央にあります。建国王と根源精霊と天の女神様の大理石の像があって、見上げていると首が痛くなるほど巨大なドーム状の祈禱所があります。
毎日たくさんの参詣客が国じゅうから参詣にやってきて、国いちばんの僧侶と尼僧がそれに応え、そして王家の方々が年に一度の収穫祭を開催する。
聖宮は、国の信仰のよりどころです。
さて、聖宮には建国当初から続く伝統があって、それが聖女の存在です。
建国王様と一緒に妖魔の王を討伐した初代聖女様は、残念ながら最後の戦いでお亡くなりになりました。
しかしお仲間の大魔導士さまが、聖女様に対し死んだその日に生まれ変わるという秘術をお使いになりました。
建国王様は国じゅうから聖女様が死んだ日に生まれた女児を集めました。
そして聖女様の持ち物とどうでもいいものをずらっと並べ、女児もずらっと並べてはいはいさせました。そして、聖女様の形見であるロッドに最初に触れた子こそ聖女様の生まれ変わりであると宣言なさったのです。
「この子は聖女の生まれ変わり。そして我が守護者である精霊を受け継ぐ者である!」
と。
以来、聖女の伝統は六百年間絶えることなく受け継がれてきました。
先代の聖女が亡くなると、その日のうちに女児を産んだ母親は恐怖するといいます。
なぜって、そりゃ娘が聖宮に仕えることになるのは名誉ですけれども、それは母子の永久の別れを意味しますから。
聖女と定められた女児は赤ん坊のうちに家族から引き離され、聖宮の奥深くで尼僧たちに傅かれ育てられます。人々の前に姿を現すのは、年に一度の収穫祭のときだけ。
収穫祭で国王陛下の額にずっしりと実った麦穂を押し当て、祝福とすること。
言ってしまえば聖女のお仕事とはこれだけなのです。
それ以外の日々は、毎日祈祷に明け暮れています。お昼寝つきの。……えへ。
そんな私、エイダは聖女です。親の顔も知らない、孤児みたいなもんです。
「お父さん泣き止んだ?――んああまだ泣いてる。もう」
彼がまだぽろぽろ涙を流していますので、膝に乗り上げて拭いてあげます。
「しっかりしてよね」
と言っても頷くばかり、わかってるんだかいないんだか。
「いいなあー、娘にこんな優しくしてもらうなんて。僕なんか消えろ不潔な物体近づくなとか言われるんだよお」
「……そ、れは。グズッ、アストロン、君が、ヒック。息子が百八十二人で娘が三百人以上、お嫁さんが百人で愛人が数えきれないくらいいる、うう、情けない妖魔だからだと思うよお」
お父さんは言い終えると、再び鼻を鳴らして机に突っ伏してしました。
「でもそんな情けない妖魔王でも、自分の国に見捨てられたりはしないんだ。うわーん!」
「きいいいいいいい」
自分の口から金切り声が出ました。
めんどくせええええええええ。
「聖女ちゃん、どうどう。どうどうーう」
「妖魔王様楽しんでますね?」
「うん」
「イイイイイイイイイイイイ」
「はいはい」
まるっきり暴れ馬を宥めるように肩を抑えられ、そうするとただの人間と妖魔、力ではかないっこありません。私は上等なソファの上に押さえつけられ荒く息をするだけになりました。
「落ち着きました! お放しください」
「けっこう楽しいなあ、コレ」
「すいませんでした。放してください」
「はあい」
ふうう。妖魔の国の空気は、甘く澄み切っていて心地よい。深呼吸するとほっとします。
「そんで、君たちこれからどうすんの?」
妖魔の王、アストロン陛下は首を傾げます。がたいのいい成人男性の姿を取っているのにどこかしら色気のある、かわいらしい仕草なのはさすがだと思います。
「父が――いえ、彼がこの様子では私もどうにも動けませんから。しばらくご厄介になってもよろしいでしょうか?」
「いいよお。土地も時間も余りまくってるから。遠慮なく居座りなー。なんならうちの子になる?」
魔力? 妖力? よくわがんにゃい、人間には過ぎたる力を流し込まれて同族化するか? というお誘いです。
「謹んで辞退させていただきます」
「ちぇ。君ガリュシュオンに似てるよ」
と、彼を指さす妖魔王。
「嘘でしょ……」
「似てる似てる。ソックリだ。やっぱり育てた奴に似るんだねえ、人間。愛しいねえ」
「妖魔の方々にとっては餌ですもんねえ」
「最近の若いのは面倒がって動物や魔物ばっかり食べてるよ。君ら、ちょっと殺しすぎるとすぐ徒党を組んで討伐にくるんだもん」
「そうなのですか。じゃあ政策は正解だったということになるのでしょうか」
「政策?」
「諸国に倣って徴兵制を敷き、常備軍でもって国を守り産業を守り栄えさせ……という方針になったんです。先代国王陛下のあたりから」
と言ってから、あのバカ王子の父親に陛下なんてつけなけりゃよかったな、と思いました。
またうーうー言い始めた彼の背中を撫でつつ、その隣でお菓子を失礼いたします。おいしい、けどよく考えたらこれ人間が食べて大丈夫なやつかな。
「さすがに食べたら身体に悪影響なものは出さないよー」
と妖魔王陛下はくすくす笑います。そんなに顔に出ていたんでしょうか。
顔をぺたぺた触っていますと、深いため息をつきながら彼が身を起こします。
「……あ。まだ胸が痛い」
「さする?」
「ううん、いい」
「それで?」
妖魔王アストロンが顎をしゃくりました。
「結局、まだ聞けてなかったね。そこの根源精霊がそんな不安定化した理由はなんだったの?」
私は彼を見、まなざしに許可を得て語り出します。といっても、ほんとにこっちも混乱してて……いうことなんてほんとに少しだけ。
「三日前のことですが、突然王太子殿下が聖宮においでになりまして。先触れも何もなく、なんと自前の兵士を引き連れておいでで」
「ほう」
「うううー、俺がだめな精霊だから……」
「そしてこうおっしゃいました。『今までよくも予算を食い潰してくれたな。これからこのライナーン王国は近代化して大きく発展しなければならないのに、時代錯誤な名誉職にくれてやる予算はもはやないのだっ』」
「そ、そんなふんぞり返ってなかったよ、さすがのあの子もさあ」
彼を無視して続けます。
「『おお、聖女め! 僧侶はわかるし尼僧もわかる、だがこんなわけわからん奴が我が国を食い物にするとはー。なんだ? 精霊を宿している? そんな伝説が言い訳になると思うか。追放だっ!』と。私は説明しようとしたのです。私とお父さんは一心同体だから、私はともかくお父さんが国から消えるのはまずいですよって。でも……」
腕っぷしではかなわなかった、ということなのでした。
お父さんは聖女以外の前では実体化できません。建国王様との取り決めらしいです。
「それでうちの国との国境にいたのか。なにごとかと思ったよ」
「【魔の森】の非戦闘協定を破ってしまい、申し訳ございませんでした」
「いいけどねえ。辺境伯家は僕の奥さんの実家だし」
「五番目の」
と、彼はぼそっと教えてくれます。人間臭い、ジト目です。
「そりゃあなんというか……。ううーん、人間って代替わりが速いから忘れるのも早いもんねえ」
「うん……」
人間あらざる男ふたりは額を抑えて呻きました。
「ま、まあでも、『年一でしか働いてないくせに聖宮のスペース圧迫するなよ』は正論だと思いましたよ。実際、お父さんに勉強教わって本読んでお庭の手入れして迷い込んでくる鳥に餌撒いて、あとはぶらぶらしてる毎日でしたし」
と私は差し出口。二人は揃って首を横に振ります。
「それはクライスが最後に望みはある? ってきいたらマールが子孫には毎日お昼寝しててほしい、わたしは働きづめの一生だったから、って答えたからだよ」
「建国王様と初代聖女様がですか? 初耳です」
「僕ら妖魔は死んだら別の肉体で再生するからねえ。クライスに殺された妖魔王は何を隠そう僕の前世だよーん」
「お父さんこれ私聞かなかったことにするから」
「そうしなさい。エイダちゃんは人間のまま死んでほしい……いらんこと覚えないで」
彼は私の髪をそうっと撫でました。
これまでの聖女様たちにそうしてきたように。
聖女は選び抜かれた尼僧たちに傅かれ、聖宮の奥深くで隠されて育てられますが、彼女たちのやりようは到底人間を育てるものではなく、冷たい。
たぶん、六百年の間に誰かが意図的にやり方を変えたのだと思います――憐れんだ彼が、女児の前に姿を現すことを見越して。
「俺がさあ……」
ぐったり背もたれに深くもたれかかって、彼は話し始めました。
根源精霊らしくない、いえ、他の二体の根源精霊など知らないのですが、六百年の間に磨かれた人間らしい、そう、女の子たちのお父さんらしい弱り果てた仕草で前髪をかきあげます。
「俺がクライスに力を貸したのは、俺たちが創造したこの世界を壊しかねないくらい前世の君が強かったからなんだよ、アストロン」
「へーえ。そりゃ光栄だ」
「人間族を選んだのもそのとき一番強かったエルフ族が西の果てに逃げていっちゃって、代わりにだったし……。そんでクライスがさ、死に際にさ、『子孫を見守ってやって。でもお前は姿を現さないで。神視点で人生に口出しされ続けるの、けっこうしんどいから』って言って死んでさ」
「んああ」
私は頑張ってそれ以上の声を出さないようにします。
そ、そんな感じの人だったんだ建国王様。ちょっぴり憧れてたのに、建国王様と初代聖女様のラブロマンス……。
「だってこの世界は俺たちが作ったんだからさあ、そんでもう覚えてないくらいの年月守護してきたんだからさあ、魔族くらいのことで壊れてほしくなかったんだよねえ」
「わかるうー。僕もこの国けっこう愛着湧いちゃって、もしヒトとか魔物とかが攻めてきたら全力出して迎撃しちゃーう」
んあー、聞いてない。聞こえない。
私、けっこう人間よりの思考回路だったんだ……そりゃそうか、お父さん頑張って人間の女の子として育ててくれたもんなあ。
「でもさあ、クライスの子孫たちがどんどん増えていくのは嬉しかったんだよ。マールの生まれ変わりだって言ってぜんぜん生まれ変わりじゃない女の子を監禁するのも、国には世俗権力を持たない象徴が必要だからって言われたらまあ、そうなのかなあと思ったし」
がーん。
待ってやっぱり聖女って聖女じゃなかったんだ……。そんなことだろうと思ってたけど……。
「でもあんな、女の子の赤ちゃんをほったらかすようなやり方に突然制度を変えたのはひどいと思った! 思わず実体化しちゃったもん。クライスは子孫の前に現れるな、って言ったんであって、聖女の地位にいる女の子の前に現れるなとは言わなかったもんね」
いいや。もうこの際全部聞いちゃえ。
私は何食わぬ聖女ヅラでお茶を啜りつつとんでもない会話を聞きます。
それにしてもこの二人、二人だけで会話を始めると私の存在すぐ忘れます。
神々が祭壇の前に跪く信徒のことなど見えていて見えていないように。
はるか昔、精霊も妖魔もみんな神様の一員だとされていた時代の伝統が、人間以外の種族にはまだ受け継がれているのです。
「でもねっ。もう俺はふっきれた。最近のあの子たちは……ライナーン王国の人たちは!」
おっ。
お父さんがぐっと拳を握ったので、私は身構えます。
なんだなんだ、何言い出すんだろう。ときどき、いやだいたいいつも、ズレてて突拍子もないからなあ、根源精霊。
「もう俺の加護もクライスの築いた王国の基礎も必要としていないんだって、わかったから!」
「わー、わー」
妖魔王陛下は拍手します。
私は頭を抱えます。
(あーあ、やっちゃった……)
終わったわ、ライナーン王国。さようなら故郷。せめて実の家族は生き残ってほしい。
ライナーン王国の建国王クライスは精霊と契約し、未知の力でもって妖魔の王を打ち倒し世界を平和に導きました。以来六百年。国は不思議な力で守られたかのように平和に存続しました。
それもこれも、根源精霊たるお父さんが聖宮の内側にふよふよ漂って、まどろんでいたからです。根源精霊は安定と調和の力を持っていますから。
聖女は……私たちは。うう、認めるのは辛いですが、おまけです。
お父さんがこの国に目を向けるための依代、とでもいうべきでしょうか。
聖宮が人々が信仰を再確認するよりどころであったのと同じに。
ほんとに大事なのはお父さんでした。根源精霊。建国王クライスの盟友。人間が大好きな優しい精霊。
「俺は悟った。決心したんだ。子供たちがいらないって言っているのに、いつまでも居座るのはだめだよね。ええっと、老兵は去りゆくのみ、って言うんだ。こういうの。……でもエイダはもらっちゃっていいかなあ? いいよねえ? 俺がいないと生きられない子だし」
「いーんじゃないのおー? だって王子サマがその子を追放したんだろ? 魔物がうようよいる国境の森に放置するなんて、死んでくれっていうようなもんじゃない。もらっちゃえもらっちゃえ」
「だよね。よし、エイダちゃんはもらっちゃう。それでいいかい?――いやだったらライナーン王国に、うう、俺はいやだけど戻してあげるよ」
「あの、ちょっと待ってお父さん」
「うん」
「『俺がいないと生きられない』?」
「あれ? 知らなかった?」
お父さんは照れ臭そうに頬をかきます。えへ、みたいな顔で。
「代々の聖女は俺が直に育ててるから、どんどん人外化していってるんだよー」
「ちなみに魂は全部同じだぞ。妖魔にゃわかるがヒトにはわからんか。記憶が受け継がれない種族ってのは不便だなあ」
「君は――君たちは確かに最初は誰でもない、象徴そのものの不幸な女の子だったけれど。もうほとんど聖宮に固定された存在だったからねえ。せめて俺と一緒にいなきゃ死んじゃうよ」
お父さんは私の顔色を見て、優しく言いました。
「俺のこと嫌いになった? 怖くなった? ごめんね、エイダちゃん。俺のこと見るのがいやなら、君が死ぬまで実体化しないから……」
「いいえ、いいえ!」
私は叫びます。
「そんなことは。決して。お父さんは――私のお父さんだから。ちょっとびっくりしただけ」
「そう? よかった」
お父さんは微笑み、妖魔王はうんうん頷きます。なにやら感動している雰囲気ですが、ああもう、わかんない。人外の考えることはさあ。
「さあて」
お父さんは立ち上がりました。
「泣いたらすっきりした。しばらく妖魔の国の観光でもしよっか。エイダちゃん行きたいとこある?」
私は大きく、深呼吸をひとつ。うん、空気がいい。甘い。
そういえば聖宮の外の空気を吸ったこと、生まれてすぐ以来ないんでした。
私は微笑み、立ち上がって彼の手を取ります。
外ではしらじらと日が差し始めていました。
「お父さんが行きたいとこでいいよ」
「わかった。俺のオススメを巡ろう――アストロン、また来るよ。どうもありがとう」
「おーう。二人で仲よくなあ」
妖魔の王はからから笑います。
私たちは空に飛びました。お父さんは実体化を解いて、私の肉体に混じります。
あ。
ずっと聖宮で感じていた、安心感。一体感。守られているという感覚。
これが聖女であるということでしょうか?
建国王様もこんな気持ちだったんでしょうか?
わからないけれど。
「どこいくの、お父さん?」
「まずは根源にとろけよう、エイダ。俺たちが生まれてきたところへ。そして景色の綺麗な、うん、君の心を安らげてくれるようなところへいこうねえ」
心からの喜びが沸き上がり、私は遠慮なく笑いました。聖宮の中では考えられないことでした。
風が、頬を切るようで。太陽に染め上げられていく妖魔の国と、【魔の森】が綺麗で。
滅びていく故郷に未練がない自分のことが少し怖いなあ、と私は思いました。