1 再会
すっかり忘れてしまった。いや、忘れようとしていた。
でも忘れきれなくて、“彼”がそんな存在なんて信じたくなくて。
「これ……どういうことなの……」
目の前の光景に唖然とした。
魔王城が破壊され、住民である魔族や悪魔の姿すらない。
崩壊してから何十年というレベルじゃない。
何千何万年も経っているんじゃないかと思わせるほど、朽ち果てていた。
魔王は、とっくに倒されたのだろうか。
(そんな話、聞いた覚えがない……)
つい最近まで、魔王軍が攻めてきて国一つが滅んだという情報があった。魔王城がこんな有様なら国なんて滅んでいないし、すぐ各国にその情報が出回っていたはず……
王太子の婚約者のだけあって、ウルドに公務を強引に押し付けられていたおかげでつい最近までの情報を持っていたクロアは、この現状と情報の不一致に戸惑うしか無かった。
一体ここで、何があったのか。そんな疑問しかなかった。
……しかし、ここで悶々としていても何も変わらないだろう。
「っ……仕方ない。怖いけど、行ってみましょうか」
杖しかないけど、と言いつつクロアは誰もいない、廃墟同然の魔王城へ入っていった。
入っていくにしても出入り口は破壊されていて、中も元がどんな構造になっていたのかが分からないほどに瓦礫で埋め尽くされ、上階には行けなかった。その上階ですらところどころ破壊されていて、天井が崩れて空が見えていた。
その瓦礫に混じって……血痕のような黒いシミがちらほらあった。
これ以上の言葉が出ないほどの惨状に、クロアは血の気が引いていくのを感じた。
同族殺しか、別の勇者一行がやったのか。
どちらにしても、気分のいいものではなかった。
「どこか、入れる場所は……」
真相を探りたい反面、雲行きが怪しいので雨風を凌げるところが欲しい。魔王城がこんな有様では、凌げるところはなさそうだが……
どこかないかな……、そう考えながらクロアは探索を続ける。
そうしていると、魔王城の奥深いところに両開きの扉が見えた。
「これ……」
どうしてここだけ無傷?
クロアは扉を見て、そう思った。
この扉、異様なほど傷ついていないのだ。
上階ですら破壊し尽くされ、巨大だったであろう魔王城が半壊するほどの惨状だ。そんな中で、この扉だけ無傷でいられるわけがない。
まるで、ここだけ切り離されたような状態だった。
怪しさしかない扉を前に、クロアはこの扉の先へ進むことにした。
開くかどうかなんて分からないが、こんなところで立ち往生したところで助けなんてこないのだ。進むしかない。
そうして扉を押すように――開けた。
重そうな見た目とは裏腹に、扉はすんなりと開いた。クロアはそれに驚きつつ、扉の先を見た。
それは、光の差さない、地下へ続く階段があった。
闇の底。深淵へと続いているような暗さだった。
「ひぇ……こ、こっわ……」
そんなことを言いつつ、ゆっくりゆっくり降りていく。階段自体もなんだか湿っている。
滑って転がり落ちてしまうと、本格的にここから出られなくなりそうだ。
そーっとそーっと、降りていくと、ようやく最奥まで辿り着く。
しかしそこにも、正面の扉と同じような造りであるものの、より大きく頑丈な扉があった。
(こういうの、見たことある……王宮の地下もこんな感じだったっけ……)
王宮の重要書類や宝物庫など、絶対に取られてはならないモノはこうやって地下で管理するのだ。
魔王城にも同じようなものがあったのは驚いたが、お金などには興味はなさそうだったはず……
だとすると、この中にあるのは……
――ごくり。思わず唾を飲み込んだ。
人間の感覚で王宮と比較してはいけない。
廃墟化したとはいえども、ここは魔王城なのだ。何か別の、人間が扱ってはいけないモノなどあってもおかしくない。
だが、もう、後には引けない。
「……行こう」
覚悟を決めて、クロアはこの巨大な扉を、開けた。
――ガコンッ
派手に音が鳴った。
扉を開けたその先のものを見て……絶句した。
部屋の中は広々と作られていた。真っ暗な部屋なのに壁や柱、天井に埋め込まれた見たことのない宝石が輝いて、より部屋の内装が見やすくなっている。
しかし、問題なのはその部屋の中心。
「な、何、これ……」
そこには――黒い、棺桶の形をした、繭のようなモノがあった。
ソレは人並みのサイズで、天井、壁、柱に吊るされるように宙に浮いている。祭壇のような台の先にあるソレはまだ生きているらしく、どくんどくんと脈打っている。
不気味なソレから漂う異質な気配。本能的に怖くなってしまう。ここにいてはいけない。そう直感で感じる。
……けれども、クロアは。
ソレにどういうわけか『覚え』があって。
そして、『懐かしい』と感じていて。
いつの間にか、ソレに触れた。
それも、繭の中心――最も脈打っているところを不用心に触れてしまっていた。
しまった! そう思い、咄嗟にソレから手を離そうとしたが。
にゅるり、と。
ソレ、から出てきた“手”に掴まれた。
「~~~~~~~~‼︎⁉︎⁇」
声にもならない悲鳴を上げた。
意味の分からない不気味なモノだけでも恐怖を煽られるというのに、そんなモノからいきなり“手”が出てきて掴まれれば、誰だって恐怖が限界突破して悲鳴を上げるのは当たり前である。
“手”を引き剥がそうとするが、その“手”の力が強すぎて引き剥がすことすら出来ない。
その“手”すら、クロアには見覚えがあった。
どうしてだろうか。
恐怖の中、どうしてそんなことを考えてしまうのかが分からない。
「――ぁ、あ――」
ソレから、声がした。男の声だった。
声が出ないのか、掠れたような、そんな感じだった。
でも、どこかそれは、苦しそうで……悲しそうだった。
「っ……」
掴んでいる“手”に、優しく包み込むように握り返す。
「……大丈夫。私は、ここにいるよ。迎えに行くって、言ったでしょ……」
ふと、自然とその言葉が出た。
ものの、すぐにその言葉に疑問を覚えた。
(あれ、なんで……私、この言葉を……)
前にもそんな言葉を、誰かに言ったような気がする。それが一体、誰だったのか。そのヒトも、祖父と同じぐらい大切なヒトだったはず。どうして覚えていないのか。
どんな種族だったとしても、心に誓ったほどの相手だったはず――
そうこう考えていると……いつの間にか、“両手”でクロアの顔を包み込むように出てきて。“両手”に続くように、“顔”も出てきて――
――気づいた時には、クロアはソレから出てきた“美男”と口付けをしていた。
後ろで、ガシャンッ‼︎ と何かが壊れる音がしていたが、それが気にもならない。
一瞬か、永遠か。
それだけ長い時間が過ぎ去ったような間が空いて、ようやく近かった顔が離れた。
「――‼︎⁉︎??‼︎⁉︎⁇」
遅れて状況が飲み込めたクロアは、顔面から火が出るほど赤面して視線をずらした。
内心、パニック状態だった。
なんで? どうして⁇ このヒトは誰⁉︎ などなど……
俯いて赤面する顔を抑えて、クロアはなんとかこの変な気持ちを落ち着かせようとしていると……
「……ああ……ようやく会えた」
と。
男の口から、懐かしい声がした。
(……え?)
一瞬で気持ちが落ち着いて、勢いよく顔を上げた。
そして、目の前の“美男”と目を合わせる形となった。
遥か見上げることになるだろう長身。その上で均整が取れた体格は、まるで『人体』というものの黄金率だ。
宵闇を溶かし全ての闇を凝縮したような、そして全ての闇を撃ち祓うような、足元まである長い白黒の髪。麗貌には、造形上なんの欠点も見つけられないほど整っている。
切れ長で、涼やかで、そして地獄の底めいた――黒の中で静かに、燃えるように輝く深紅の瞳。
そして二本の鮮やかな紫色をした、鬼のような角があった。先端が毛に覆われたような、陽炎のように揺れつつも実体として存在している尻尾は鞭のように長い。
種族上、絶対にありえない形をした二枚の翼は、黒から白へなるようにグラデーションがかった色合いをしている。着用しているそれは、金色の刺繍が映えるように施された、貴族の正装のような、死神のローブのような、神官が着用するような質素な衣服に近しいモノだった……が、そんな高級な服が、ところどころボロボロになっている。
その姿は――多少の違いはあれど――正しく『魔王』アルシエルであり。
「……うそ」
クロアの、古い記憶の中で、“誰か”の姿が重なった。
「久しぶり――クロちゃん」
ずっと昔に……祖父が亡くなって以降、一緒に話したり、遊んでくれた、悪魔と。
「……しーちゃん?」
クロアは、当時のあだ名で呼んでみる。
……これが、夢でないようにと祈って。死んだ先の、幻でないようにと。
ふふ、と。男が笑った。
「そうだぞ。そのしーちゃんだよー。クロちゃん」
そう言って、男――アルシエルはふんわりと笑みを浮かべて、クロアを“あの時”と同じように、自分の力で潰さないようにと、優しく抱き寄せてくれて……
その今の姿と、声と、言葉に、抑えきれないほどの感情を感じた。
大好きな祖父が亡くなってからの十二年間。
そしてしーちゃんこと、アルシエルと突然別れてからの十年間。
ずっと実の親に蔑まされ、時には暴力も振るわれて。
妹は時折優しくしてきたものの……挙げ句の果てにはその王太子を略奪され、濡れ衣を着せられるその日まで。
ずっと、ずっと、ずっと。この地獄のような日々に耐えてきた。
大好きな祖父との約束のために。別れてしまった彼と、いずれまた会えると信じて。
言い渡されてからは、本当に心が壊れかけた。誰も信じられなくなって、誰も信じたくなくて、あの国から逃げるようにここに辿り着いて……
予想だにしない形で、アルシエルと再会できた。
彼がまさか魔王だったことに驚きを隠せないし、どうして根城である魔王城がこんな有様になっているのか、なんでここにいるのか、いろいろと疑問が多い。
でも、今はそんなの、どうでもいい。
「うっ、ひっぐ……」
久しく感じた、懐かしくも暖かい言葉に涙が溢れて……この温もりに埋もれていたくて、ぎゅっと抱きしめ返した。
そのまま、涙は止まることなく流れ続けた。大泣きだった。声も殺しきれずに、わんわん泣いた。
クロアがそうして泣いている間、アルシエルはずっと抱きしめて頭を撫でてくれた。
不安とか、絶望とか、恐怖とか、そういった気持ちが消えていく。
やっぱりこれは……夢じゃないんだと。
現実なんだと。
そう実感した瞬間だった。
十年ぶりに感じた優しさに、閉ざしていた感情が一気に溢れて止まらなかった。
「うぅ……ずっど、ずっど……」
「うん」
「ずっと、ずっとぉ……ひぐっ、会いたかった……」
「うん。私も、会いたかった」
「ぐすっ……うぅ……でも、迎えにッ……きてくれる、って……ずぴっ、信じて……待ってたのぉ……」
「うん」
「でも、でもぉ……会心、じだって、思っでだ……カーラに、カーラにッ……う、裏切られて……ひっぐ」
「落ち着いてクロちゃん。深呼吸、深呼吸だ……」
時間はたっぷりあるんだ。
ゆっくりでいい。
今までの辛さも、苦しみも、痛みも、憎悪も、絶望も……全部吐き出せ。
そうして、クロアは大切なヒトの腕の中で、本当の意味で泣いた。
きらりと手が光る。
「ねーねー、しーちゃん」
「ん? なんだい?」
「この魔法ってどうやって大きくできるの?」
「ああ、これは流石に難しいか……だがこうすれば……」
「わっ! 大きくなった!」
「な。工夫次第で魔法は大きくなるんだ」
「わーい! しーちゃんすごーい! ありがとー!」
「はは。ほら、朝食はまだだろう? そろそろご飯にしよう」
「はーい!」
焼ける音。
椅子を引く音。
カチャカチャと食器具を分ける音。
魔法で作られた水の音。
朝の鳥の囀りが聞こえる。
窓から差し込む朝日が、希望の光のように、とても明るかった。
「今日はどうしようか?」
「んー、お父様もお母様も、カーラといつも一緒だし……今日は日帰りでどこかいくって」
「そうか。クロちゃん一人で留守番か」
「うん」
「……全く……」
「しーちゃん、めっ!」
「むっ」
「ダメだからっ、めっ!」
「ぬっ……すまん」
「ふふーん。いいよ!」
しーちゃんの頭は硬いから軽い力でポンポン叩いて宥める。
古かったのが嘘みたいにピカピカで頑丈な椅子に座る。
あたたかいパンは大きくて、外はサクサクで中がふわふわだった。
出来立てで、バターを塗っただけで美味しくなった。
「ねー、しーちゃん!」
「なんだい?」
「あたし今日お出かけしたい!」
「んー、どこか行きたいところはある?」
「海行きたい! すっごく綺麗な海!」
「海……ああ、ちょうどいいところがある。そこに行こうか」
「うん!」
すぐに準備がしたくてもぐもぐ食べ進めると、「無理せずに食べな」って言ってくれる。
喉を詰まらせたら大変だ。
ゆっくり味わわないと。しーちゃんが作るご飯は絶品だから。
しーちゃん
「ありがと。しーちゃん」
「? 急にどうしたんだい、クロちゃん?」
「えへへ。なんでもなーい」
「……ふふ、どういたしまして」
だいすき
「んぅ……」
いつの間にか眠ってしまったらしい。
泣き疲れて寝ちゃうなんて、昔のようで懐かしい。
本当に幸せな夢を見た。そう確信できる。
顔を上げると、ほら。やっぱり、いた。
大好きな悪魔の顔が。
「あ、あぁ……うっ」
顔を見た途端、また目が熱くなってしまう。
もう、目が熱くてたまらない。
「おーい、まだ泣き足りないのか? 流石にこのままでは脱水状態になってしまうよ?」
「うっ、ううん……違うの」
嗚咽混じりながらも、これは言葉にしないといけない。
「っ……夢じゃないんだって、……本当に……しーちゃん、なんだって……嬉しくて、嬉しくて……つい……」
何度も夢の中で、しーちゃんと一緒に過ごした。
辛く苦しい日々でも、幸せな夢は見れた。いつも、いつも、しーちゃんが会いにきてくれた。
例え死ぬ事になったとしても、永遠に幸せな夢の中で過ごせるなら、それでも構わないって思っていた。
でも。
「……全く、クロちゃんは泣き虫だな」
そう言ってしーちゃんは、ハンカチをどこからともなく出現させて、涙で濡れた顔を拭いていく。
しーちゃんは、今、目の前にいる。
「っんもぅ~。なんか、からかわれてるみたいなんだけどぉ……」
「ははは」
そうして笑い合う。昔に戻ったようで、お互いに嬉しくなる。
夢じゃない。幻なんかじゃない。
「……しーちゃん」
「ん?」
「また一緒にいられて、良かった」
手を伸ばして抱き締めると、しーちゃんはそれに応えるように抱きしめ返してくれる。
暖かくて、大きな呼吸を感じた。
「うん。私も、幸せだよ」
そうして、二人で抱きしめ合って、また眠った。
これでようやく分かった。
彼は、あの頃から変わっていなかった。
優しいままだった。