新婚生活は断罪劇のその後に【隼将軍は敵国の小鳥を囲いたい⑥】
牛鬼が今度こそ地に倒れたところで地上に戻るとすずめが西園寺蓮に駆け寄り。治癒術を施すところだった。すずめは祖父である里長から治癒術を学んでいた。その治癒術を持ってしても西園寺蓮の負傷は深く。
これは助からないだろうと誰もが思うなかですずめの髪がふわりと持ち上がり。黒真珠の瞳が蛋白石色に変化する。
額にじわりと汗を滲ませて。すずめが目を伏せて祈るように手を組むと同時に砂金が散るように光が弾け。地面に横たわっていた西園寺が目を開き。
すずめが安堵し。西園寺に話し掛けようとしたところで勢いよく突き飛ばされて尻餅をつく。
「何故、お前が此処に居る···!!お前如きに助けられずともこの程度の負傷、抜剣隊の者なら簡単に治せる!少しばかり俺よりも霊力が強いからといっていい気になるな。お前の助けなどなくとも俺ならば───!」
西園寺の言葉を裂くようにロスタムは帯電する錫杖を鳴らした。
《たかが牛鬼程度で手こずる力量しかない子供がよく吠えるものだな。》
「なッ!?」
《失態を見られたことに対する気恥ずかしさは理解しよう。だがすずめを侮り、罵声を浴びせる貴様に俺は些か。いや、かなり腹を立てている。雷を落としたくて溜まらないのだ。そら、あの牛鬼のように焼け焦げたくなくば疾く去ね──!!》
抜剣隊の仲間に庇われるように去っていく西園寺に鼻を鳴らし。ロスタムは尻餅をついたままでいたすずめを腕に抱き上げ、空に羽ばたく。
余計なケチがついてしまったが。まだ挽回は出来るとロスタムは空高く翼をはためかせ。
街の明かりを眼下に眺めながら目を輝かせるすずめに笑った。
数日後、ロスタムはヌール帝国の迎えと共に兄の許へ旅立った。
その出立の前にべそべそと泣くすずめに言っておきたいことがある。俺は男なのだと打ち明けたロスタムにすずめは泣くのも忘れて驚き。
共に過ごすなかで自分が見せた隙だらけの姿を思いだし。恥ずかしさに顔を真っ赤にして狼狽え。お嫁にいけないと悲しげに呻くのでロスタムはクハッと噴き出し。何時か俺がお前を嫁にするとすずめを翼で囲った。
それから間も無く天狗の里にすずめの父親が訪ずれ。すずめが聖なる乙女という特別な存在であるとして。手元に置き教育を施す必要があると。
抜剣隊の隊士らで里を囲い。有無を言わせず強引にすずめを連れ帰ったことをロスタムが知ったのはヌール帝国に帰還した数年後。曾祖母から送られてきた手紙でのことだった。
常に頭の片隅でロスタムはすずめの安否を気にかけていた。人をやって調べさせたくとも。その時間も。人手もなく。国内が安定したかと思えばウシュクとの戦争が始まってしまい。
ロスタムはヌール帝国の将軍として最前線に身を置くことになり。兵力が拮抗しているウシュクと長い睨みあいが続くなかで。ロスタムは今度は病に倒れた。よもやそれが曾祖父が封じた悪神の呪いであったことも知らずに。
病床にあったロスタムはすずめのことを考えていた。
また誰ぞかに泣かされてはいないか。虐められてはいやしないかと。ただそればかりがロスタムの頭に過る。
《···お前が辛い目に遭ってはいないか。苦しい想いをしていないかとな。もうじき死を迎える身だというのに。暁光国に残してきたお前の身が何故だか酷く案じられてならなかった。》
曾祖母の手紙には不安を煽ることしか書かれていなかったからな。あの西園寺とかいう小倅が。一人の素性の分からぬ女に入れあげて許嫁であるお前を邪険に扱っている。
しかも周囲はそれに同調し。お前が孤立しているというではないか。病床の我が身を口惜しく思った。飛ぶことも儘ならぬ身では窮地にあるお前を拐ってやることさえ出来ぬ。
《そう歯痒さに忸怩たる想いを抱えていると俺の配下がお前を連れてきた。暁光国から。お前を──。》
俺はお前を暁光国に帰す気はない。このヌール帝国で。共に生きてはくれないかと告げたロスタムに。すずめは目を丸く見開き。眉を下げてそれは出来ないと首を振る。
西園寺の小倅が理由かと険しい形相となったロスタムに。すずめはまた首を振って。私はウシュク帝国の皇帝の甥に当たる方に。アスラーン様に嫁いだのですと答えた。
思いもしなかった言葉にロスタムは目を見開く。すずめは楽しいことよりも辛いことの方が私の半生の大半を占めているなかで。あなたと過ごした二年間は何にも勝る心の支えだったと笑う。
「あなたが居たから。私はこの命を投げ出すことなく。前を向いて生きてこれた。だからこそ。私は何時か立派な淑女になって。あなたの前に立ちたいと思っていました。」
あなたに守られていた幼い子供から少しは脱却出来たでしょうかと。大人びた笑みで笑うすずめに。ロスタムは胸に渦巻く想いを笑みの下に隠して。
少しは大人になったらしいが食い意地が張ってるところは変わらないなと返し。膨れっ面をするすずめをより強く翼で囲う。腸が煮えたぎるような殺意を見せることなくロスタムは頭に一人の男の顔を思い浮かべる。
ロスタムは以前まで常勝将軍と謳われていた。だがある男の出現によってその肩書きは無敗に変わった。敗けることはないが勝つことも出来ない相手。ウシュクの獅子王と呼ばれるその男の名はアスラーン。
貴様がまたしても俺の前に立ちはだかるか。ロスタムは奥歯を砕かんばかりに噛み締めた───。
『ハッ!この俺が謀られるとは。俺が目障りになったか兄上。』
『ロスタム。お前はよく働いてくれた。だがこのヌール帝国に太陽は二つも要らぬ···!!なぜ大人しく病で死んでくれなかったのだ!!兄の手を煩わせる愚弟め!!』
二回りは歳の離れた兄と血を吐きながら睨みあうロスタムさん。
どよめき。張り詰めた空気のなかで。私、すずめはアジ・ダハーグ様を腕に抱えながら。木端微塵にした筈の断罪フラグが復活したと息を飲んだ。
ロスタムさんが幼馴染みだと発覚して五日目のこと。何故だか王宮の警備が手薄で。今日が逃げ出すチャンスではないかと隙を見計らっていた矢先に事件が起きた。
快気祝いにロスタムさんの兄である皇帝が宴を催し。当然のようにロスタムさんに宴に連れていかれて。ロスタムさんと皇帝が談笑する姿を眺めながら。
アジ・ダハーグ様とヌール風の焼き飯を食べていたところ。和やかな空気に不穏な気配が漂い出し。
葡萄酒を口にしたロスタムさんが喀血。崩れ落ちたロスタムさんに咄嗟に駆け寄ると。皇帝は弟であるロスタムさんに冷たい罵声を浴びせた。
どうにもロスタムさんの兄である皇帝は。弟のロスタムさんに皇帝の座を奪われることを恐れ。ロスタムさんに毒を盛って殺そうとしたらしい。
血を吐き。汗を額に滲ませながらもロスタムさんは兄を煽るように薄く笑みを浮かべる。
『老いたな、兄上。権力に固執するとは些か耄碌なされたようだ。早急に皇帝の座を退かれては如何か。まあ、跡継ぎがいればの話ではあるが。』
『お前は心配せずともよい。隠していたが私には息子が居る。いずれ立派に育った息子が私の後を継ぎヌール帝国の皇帝となってくれるだろう。お前はその下賤な魔女と共に皇帝たる私に謀反を起こした大罪人として悪名を残して死ぬが良い!』
皇帝の指示の下。兵士が迫るなか。組み伏せようと近づいた兵士の剣を奪い。ロスタムさんが瞬く間に数人の兵士を凪ぎ払い。私の腕を引いてその場から逃げ出す。その合間にも喀血しながら荒く息を吐き。
とうとう崩れ落ちて動けなくなったロスタムさんを必死に近くの部屋に運び込み。治癒術を施そうとするも。
近づいてくる足音に唇を噛んだとき。肩に乗っていたアジ・ダハーグ様がゆったりと宙を泳ぎながら私に問う。
《我が神官よ。覚えているか。吾とそなたは初めて出会ったとき。双六で吾に勝つことが出来たらそなたの願いを叶えると約束したことを──。》
頷く私にアジ・ダハーグ様はその身体を開け放たれた窓に踊らせ。巨大な姿に変貌させながら。吾を楽しませてくれた褒美は与えていたが。
まだ双六に勝ったそなたの願いを吾は叶えてはいないと告げた。
意図を察したロスタムさんが力を振り絞るようにして私を腕に抱き上げてアジ・ダハーグ様の背に飛び乗り。
私が安全なところへ。ウシュクに連れていってくださいとアジ・ダハーグ様に告げると同時に部屋に兵士たちが押し寄せるなか。
アジ・ダハーグ様は悠々と空に羽ばたき。そなたの願い。しかと吾が聞き届けたぞと高らかに辺り一帯に哄笑を響かせた。
『····そう簡単に兄上は逃がしてはくれぬか。』
「それどころか追手が増えてませんか!?」
凄まじい速度で空を駆けるアジ・ダハーグ様だけど。ヌール帝国の皇帝は是が非でもロスタムさんを殺したいらしい。武装した有翼族の兵士たちが猛追し。
二股に分かれた鉄の鏃のついた矢を弾丸のような速さで射ってくる。それに舌打ちし。ロスタムさんが咄嗟に翼の下に私を隠す。
苦悶に顔を歪めたロスタムさんの翼には矢が刺さり、血が滴り。翼の下に居る私の服を濡らすなか。
ロスタムさんはなにかに気づき。アジ・ダハーグ様南西に直進し海に向かえと告げる。
《海では逃げ場がないが勿論考えがあってのことだな···!?》
『ああ、逃げ場がないのは向こうも同じこと。海には彼奴が居る。ウシュクの獅子王が───!』
そして海に出たところでアジ・ダハーグ様が失速する。
その身体は穿たれた矢で血を流し。鱗は傷付き。剥がれ落ちて肉が削がれているのが見えた。
口惜しい。力さえ戻っていればと呟き。アジ・ダハーグ様は身体を縮めながら落下する。同時にロスタムさんが翼をはためかせ。
私と小さくなったアジ・ダハーグ様を抱える。
艦隊が見えたのはその時だ。漆黒の艦隊のなか。一際異彩を放つ白銀色の旗艦にロスタムさんは滑空し。受け身を取る余裕もなく甲板に崩れ落ちるように着地する。
毒に蝕まれ。負傷まで負い。無理に無理を重ねたロスタムさんは夥しい血を吐くと倒れたまま動かない。
必死に治癒術を掛けるけれども上手く治癒術を施すことが出来ない。
焦りが思考を錆び付かせ。親しいひとを失うかもしれないという恐怖で心が染まりきる間際。
『───すずめ殿!!』
会いたいと願ったひとの声がした。
見開いて閉じれなくなった目から涙がはたはたと落ちる。
駆け寄るその姿は最後に見たときよりもなんだか窶れているように見えるけれど。
白銀の髪を潮風に靡かせて。紫水晶の瞳に変わることのない優しい温もりを宿した軍服を纏うそのひとの名を私は呼んだ。
「アスラーン様ッ!!」
『嗚呼、よく無事でいてくれた···!!辛い目に遭わされてはいなかったか?痛め付けられはしなかったか!』
「私、どこも怪我はしていません。痛いことも苦しいこともありませんでした。守られていたんです、ロスタムさんに!」
『その有翼族はヌール帝国の将軍か──!なにがあったか気になるが。その前にアレを片付けなくては落ち着いて話も出来ないか。すずめ殿、安心してくれ。私は強い。』
座り込む私と目線をあわせて。アスラーン様は私を落ち着かせるように笑い。その背に見える空を埋め尽くすほどに飛び交うヌール帝国の追手に気負うことなく。私は強いと。言葉を重ね。
貴女を脅かすモノすべてを私が捩じ伏せよう。その言葉に。肺に凝っていた冷たい怯えが溶け落ちた。もう、大丈夫だと。素直に信じられた。
小さく頷くとアスラーン様は柔らかに笑い。空を埋め尽くすヌール帝国の兵士たちに向き直り。階段を上るように宙を上り。魔術陣を浮かび上がらせる。その数、千を越える。
アスラーン様は躊躇いなく魔術陣から光線を放った。正確無比に回避しようと逃げる兵士を次々に撃ち落とすだけでなく涼しい顔で更に追撃するアスラーン様に。
治癒術を掛け続けた甲斐があって意識を取り戻したロスタムさんが相も変わらずの人間砲台めと嘆息し、身体を起こすとあの男のデタラメさは敵であれば恐ろしく。されども味方となればこの上なく頼もしいものだなと苦く笑った。
『まさか貴殿と戦場以外で顔を突き合わせることになるとは。』
『意外だったか?俺も驚いているさ。宿敵であるお前をまさか頼る日が来ようとはな。俺とお前は不倶戴天の敵同士。それが揺らぐ日は来ないと俺も思っていた───。』
たった一人でヌール帝国の兵士を追い払い。僅かな汗すら掻かず甲板に音もなく着地したアスラーンは貴殿はヌール帝国の将軍ロスタム・ナリーマンで間違いないかとロスタムに問う。
ああ、そうだと。ロスタムはそれをこの場で肯定することがどれほど危険なことか分かっていながら。自分がヌール帝国の将軍であることを認めたのは。死ぬ気でいたからだった。
長年に渡って敵対してきたヌール帝国の将軍を生かしておく程目の前の男も。ウシュクも甘くはないだろう。
まして愛しい妻を拐った男を許しはしまいと理解していた。
それでもすずめの身を己だけでは守れぬと悟った時。ロスタムは迷うことなくウシュク帝国の艦隊がある。アスラーンの居る海を目指した。
すずめを生かす為に己の命を捨てる覚悟を即座に抱いて。宿敵たるアスラーンにすずめを渡さねばならないのは業腹であれど。この男ならば如何なる者からもすずめを守り抜くだろうと宿敵だからこそ分かるのだ。
ロスタムがアスラーンに首を差し出すよりも早くお待ちくださいと凛とした声音が。アスラーンとロスタムの間を遮った。
「私はヌール帝国に拐われましたが。その指示を出していたのはヌール帝国の皇帝です──!!」
長年に渡る膠着状態にあるウシュクに業を煮やしたヌール帝国の皇帝が人質として私を拐ったのだとすずめは口を開きかけたロスタムを目線だけで黙らせ。それに憤り。人質であった私に対して親身に接していたこの方は皇帝の反感を買うだけでなく。
皇帝の座を脅かす存在であると謂われなき罪。冤罪を被らされながら私を逃がそうとしてくれた恩人なのだと事実と嘘を交えて訴えた。
目を見開くアスラーンとロスタムに。すずめは誘拐はヌール帝国の皇帝が犯人だと冤罪を着せ替えした。真実を知るロスタムでさえもそうだったかと信じてしまいそうな程に堂々とした態度と言葉だった。
『···貴女の命の恩人を死なせる訳にはいかないな。ロスタム殿。貴殿の身柄は私が預からせて頂くが。提案がある。いい加減なにも生まない意地の張り合いを終わらせる為に協力しないか?』
『意地の張り合いか。言い得て妙だな。俺を担ぎ上げて見返りになにをウシュクは望む。』
『何にも脅かされることのない平穏を。』
『確約出来るのは俺が存命の間だけだが。ヌール帝国はウシュクに手を出さないと誓おう。我が誇り、この翼に懸けて。』
翼に懸けて誓う──。それは有翼族の用いる最大級の誓いであると知っているアスラーンはロスタムに手を差し出す。その手を掴み。ロスタムは立ち上がり渾身の力を籠めてギリギリと握り。アスラーンも不吉な笑みを湛えながら握り返した。
ふふふ、はははと。協力を確約した者同士とは思えぬ殺気を漂わせ。ロスタムとアスラーンはすずめを間に挟んで睨みあう。
『生憎だが彼女を渡すつもりはない。』
『諦めるという選択肢が俺にはあると思うか?』
同時に言い放って。アスラーンとロスタムは火花を散らす。この後、綿密に打ち合わせて。ウシュクの兵を借り。反皇帝派を率いて。ヌール帝国の皇帝の座を奪取し。
皇帝となったロスタムは講和を経て約定通りに百年続いたヌールとウシュク間の戦争を終わらせた。両国の蟠りが解け。物と人が盛んに往き来するようになる頃。ロスタムは息抜きと称してウシュクのギュミュシュ邸に頻繁に顔を出し。
すずめを巡ってアスラーンとちょっとした小競り合いをしていたのだけれども。
「わ、私!おじ様のことが世界で一番好きなんです!私をおじ様の番にしてくださいませっ!!」
『····悪いが子供は守備範囲外だ。』
「では立派な淑女になっておじ様を必ず振り向かせますわ!へこたれません!おじ様の番になれるまで頑張りますわ!!」
「アスラーン様が膝から崩れ落ちた──!?」
すずめとアスラーンの七歳になる一人娘に逆プロポーズを請け。十年後にまだ俺のことが好きだったらなと遠回しに断るも十年後。
おじ様に見合う立派な淑女になったという自負があります。今度こそ、私をおじ様の番にしてくださいますねと輝かんばかりの笑顔ですずめとアスラーンの一人娘に迫られ。
その頃にはすっかり絆だされていたロスタムが受け入れ。ヌールとウシュク。両国の歴史書に刻まれる程に仲睦まじい夫婦となるのは。まぁ、蛇足というやつである。