新婚生活は断罪劇のその後に【隼将軍は敵国の小鳥を囲いたい①】
このお話は乙女ゲー主人公のライバルにしてラスボスである伯爵令嬢に転生してしまった女の子がゲームのチュートリアルのボスで。ゲーム本編内で既に死亡している推し(白銀の髪に紫眼。褐色肌に美声で軍服)(性癖欲張りセット)を本編開始前に思いも掛けずに助けることになったら。
数年後、主人公を虐げたという冤罪で婚約者から断罪されたと思ったら推しであるチュートリアルのボスに嫁ぎ。
幸せいっぱいに異国にて新婚生活が始まると思いきや。誘拐されたり。別の乙女ゲームのラスボスをうっかり恋に落としたり。邪神の神官に任命されたりしながら。推しへの愛を叫ぶ物語。
今回は総集編&第二部の序章。
難しい恋ほど燃え上がるものだ。嗚呼、まさにその通りだと不敗将軍と謳われるロスタムは使い古された格言が真実であると知る。
窓辺に腰掛けて憂いを帯びた横顔を晒して。美しい蛋白石の虹彩を持つ瞳を伏せ。遠い郷里の歌を口ずさむ異国の少女。その心は。ひたむきな想いはロスタムではない男に捧げられていることをロスタムは理解している。
だから諦めるのかとロスタムは己に問う。
いいや、諦めることなど自分には出来ないと分かりきった答えがロスタムの胸の中で煌々と燃え盛る炎をより強めた。
嗚呼、ウシュクの獅子王よ。この娘と出会ったのは俺が先だ。この娘を伴侶にと望んだのも。ロスタムは太陽の目と尊ばれるその金色の瞳に苛烈な光を宿す。
故に俺はこの娘を取り戻すと──。
傲岸不遜。揺るがぬ自尊心。なにがあろうとも折れぬ心を持つヌール帝国の太陽にして不敗の男。
それがロスタム。ロスタム・ナリーマンという人間だ。
ウシュクの獅子王よ。お前に負けるものか。生涯唯一。そう定めたこの恋を俺は必ず成就させるぞとロスタムが誓うなか。
(お、お風呂につかりすぎてのぼせた···。久し振りに湯に浸かるタイプのお風呂にはしゃぎすぎた。いやー、それにしても湯上がりに飲む牛乳ってなんでこんなに美味しいんだろうなぁ。)
二人の男に取り争われているし。なんなら自分のせいで国と国同士の争いが勃発しそうなことを知らない少女。
橘すずめはよく冷やされた牛乳の美味しさに湯上がりの一杯は格別だと感動し打ち震えていた。
憂いを帯びた横顔(お風呂につかりすぎたせいでのぼせてるだけ)で。目を伏せながら(眠くなってきただけ)。
郷里の歌(八時に全員集合する番組のお風呂に浸かりたくなる例のアレ)を口ずさみながら。
ところで私は一応新婚なのだけど。何時になったら我が最愛の推し。アスラーン様の所に帰して貰えるんだろうかと心のなかでぼやくのだ。
乙女ゲーム『帝国ニ輝ク月ノ光トナリ、恋セヨ乙女 』の主人公である天羽瑠奈のライバル兼ラスボス。そんな立ち位置に転生してしまった私の名前は橘すずめ。
帝都を守護する聖なる乙女という肩書きを持つ主人公、天羽瑠奈を虐げた極悪非道な悪女。
天羽瑠奈の策略で本気で私が悪女だと信じる婚約者から婚約破棄された上に身分は剥奪され。私は世を儚み周囲を憎む筈だった。
ゲームのなかでは周囲に居るのは敵ばかりだと追い詰められ。所謂、闇堕ちをし。己を愛さなかったすべての人間を憎んで帝都の鬼門の封じを破壊して。
自ら鬼に転じて。疫鬼や魑魅魍魎を従えて百鬼夜行を行って帝都を灰塵に帰そうとする私だけど。
婚約者である西園寺蓮に執着もしていないし。伯爵令嬢という身分にも拘りがなかった私は突如始まった断罪劇にもへこむことはなかった。
けれどもゲームの登場人物になった挙げ句。異世界トリップした現代人の女の子に冤罪を着せられて断罪されるとか。身に覚えのあり過ぎる展開に乾いた笑いが溢れた。
なにせ前世の私は二次創作の字書き。そのパターンのお話は頻繁に見たし。自分でも書いたりしていたからだ。
前世の私は二次創作の字書きだった。『帝国ニ輝ク月ノ光トナリ、恋セヨ乙女』という乙女ゲームを愛するオタクという注釈付きの。
戦略ゲームの大手がなにを思ったか世に送り出した乙女ゲーム『帝国ニ輝ク月ノ光トナリ、恋セヨ乙女』。通称恋乙。
乙女ゲームとは名ばかりのガチガチの戦略と育成ゲームで。シビアなパラメーター管理を必要とするだけでなく戦略性の高いバトルから乙女ゲームでありながらもコアな人気を博し。
ゲーマーな人々の関心を鷲掴みして『帝国ニ輝ク月ノ光トナリ、恋セヨ乙女 』は乙女ゲームとしては異例の知名度を誇っていた。
そんな恋乙には一人の不遇キャラが居た。それが主人公である天羽瑠奈のライバルである橘すずめだ。
恋乙の物語は架空の世界であり大正時代の日本に良く似た暁光国を舞台している。
恋乙の世界の人々は生まれつき霊力や魔力を持っていて。暁光国では陰陽術や魔法。錬金術から発した魔法科学という学問が国と人々の生活を支えている。
そんな世界で物語は主に帝都。国の中枢である都市を舞台に繰り広げられるのだけど。
帝都には龍脈という自然のエネルギーが地下に縦横無尽に走っていて。その龍脈に惹かれて。悪鬼が。魑魅魍魎が帝国に集まり。支配しようとしていた。
この悪鬼を祓う為に帝都には異能を持つものたちで構成された抜剣隊という組織が日夜奔走しているのだけれども。
物語が始まる前後から魑魅魍魎が起こす騒動が増え。原因を探れば。千年前にも同様に悪鬼が都に溢れ返り。国の存亡が危ぶまれたことがあった。
明日をも知れぬ身であった人々は自分たちを救って欲しいと祈ると。満月の夜に異なる世界から妖魔を退け。穢れを祓う破邪の力を持った一人の少女が降り立ち。悪鬼と戦う人々に特別な加護を与えた。
帝都を守る為に抜剣隊の上の組織の人間が文献に記された聖なる乙女を秘密裏に召喚する。その聖なる乙女というのが天羽瑠奈という大学生。
聖なる乙女は生まれつき瞳が蛋白石のような虹彩を持ち。
身体の何処かに鳥の形をした痣がある。
実は瑠奈の他にもう一人聖なる乙女の印を持つ人間が居た。それが華族に当たる身分である花族の伯爵令嬢、橘すずめだ。
大和撫子という言葉に相応しい。雛人形のような容姿をしたすずめは瞳に蛋白石のような虹彩を持たないけれども。生まれつき鳥の形をした痣があり。
幼い頃から膨大な霊力を持っていたことから攻略対象である抜剣隊の隊長で。
公爵家の次期当主である西園寺蓮の婚約者として厳しく育てられ。物語が始まる頃には自他共に認める令嬢のなかの令嬢に成長していた。
性格は温厚。他者に声を荒げることは滅多になく。分け隔てなく誠実なすずめは召喚された瑠奈。主人公に対しては常に厳しい態度を取る。
現代人であるが故にすずめからすると非常識な態度や行動ばかりを取る主人公にすずめは頭を悩ませていた。
主人公が破邪の力を持つのに対してすずめは治癒の力を持つけれども。これは生まれ付きのものではなく。
西園寺蓮の役に立つためにすずめが努力して後天的に得たものだった。悪鬼を祓う抜剣隊からすればどちらも欠かせないけれど。
武闘派揃いでそもそも傷を負うことの少ない面々は次第に破邪という強力な力を奮う主人公に関心を寄せ、心酔するようになっていく。
そのことを知ってか知らずか。聖なる乙女の自覚のない主人公が意図せず巻き起こす騒動を憂いて尻拭いに同じ聖なる乙女として奔走することになるすずめはどの攻略キャラのルートでも主人公に立ちはだかる壁となる。
どの攻略キャラとも縁戚だったり通う学園で共に生徒会を務める仲であったりとなにかしら繋がりがあり。
かつ抜剣隊の一員であるすずめは攻略キャラからの好感度が高い。主人公にとってすずめは最大のライバルなのだ。
なのでゲームでは自分の好感度を上げるだけでなく他人の好感度を上げたり下げたり出来ることを生かして。攻略キャラがすずめに抱く好感度を下げ。主人公の好感度を上げる行為が公式から推奨されていた。
その手段は多岐に渡るがプレイヤーの代行者である主人公はゲームのなかであの手この手ですずめを陥れていくことになる。
主人公はゲームのなかで名門の子息やご令嬢が通う慈光学園の生徒になるが。主人公はすずめに虐められたと。やはり慈光学園の生徒であるすずめに冤罪を着せる。
すずめの無実を信じて冤罪だと訴える人々はいるが。他にも色々と捏造された罪で次第に抜剣隊だけでなく学園でも孤立していき。
すずめは段々と物語のなかで姿を見せなくなっていき。婚約者である西園寺蓮が抜剣隊の面々や名家の人間を多く集めた晩餐会で主人公に行ったという冤罪を信じてすずめを断罪した数ヵ月後。
帝都の鬼門を封じる要石を破壊し。すずめは鬼となって百鬼夜行を引き起こす。
自分を信じもせず。愛さなかった周囲を憎み。鬼に転じたすずめは帝都を滅ぼすべく。
悪鬼を。魑魅魍魎を従えて抜剣隊に立ち塞がる最大の敵に。ラスボスとなる。
けれども最後は主人公に倒されて塵となって消えてしまうだけでなく。
すずめとの戦いを経て主人公の天羽瑠奈と攻略キャラは仲を深めてエンディングへと向かい。表向き行方不明となっているすずめに対して主人公の天羽瑠奈は。
私はもう彼女のことは恨んでいません。何時かまた彼女と手を取り。笑いあえると信じていますと攻略キャラに告げ。そんな主人公に攻略キャラはお前は、お前を虐げた者にさえも慈悲深いのかと感動し。天羽瑠奈への愛を深める。
死んだ後も攻略キャラに好感度を稼ぐ為の道具にされ。誰からも悼まれないすずめに誰が付けたか不遇令嬢の異名。
そんなすずめに肩入れするプレイヤーは多く。前世の私もすずめを不憫に想い。せめて二次創作ぐらいでは幸せになって欲しいと。基本、どの攻略対象のルートでもラスボス化して死亡するすずめの不幸な未来を回避する小説を書いていた身だ。
けれどもまさかその橘すずめに転生するとは予想外過ぎた。私はバッドエンドしか待っていない未来を嘆き。主人公のライバルにもラスボスにもなるものかと決意して。
十四才のとき。西園寺蓮との婚約を大々的に発表する日に僅かな宝飾品とお金を持って出奔し。
帝国から遠く離れた小さな漁村、小豆村に辿り着き。
十七才だと偽って治癒術師として小豆村の診療所で働き始めた。私がなぜ逃避行先に小豆村を選んだのか───。
その理由は小豆村に会いたいひとが居たからだった。
ゲームでは瘴穴というものが暁光国の各地に点在していて。悪鬼や魔物。妖怪、魑魅魍魎が瘴穴を封じる石塔を破壊する。噴き出した瘴気は悪鬼たちに力を与え。より凶悪化した悪鬼たちが帝都を襲うのだ。
そこでゲームでは先んじて各地の瘴穴に抜剣隊を派遣し。石塔を防衛したり。悪鬼たちを倒して石塔を奪還するミッションがある。所謂ディフェンスゲームの要素があり。
ゲームにおいて序盤も序盤。チュートリアルで倒すボスがこの小豆村に現れる。
このチュートリアルのボスというのが前世の私が橘すずめに次いで推していたキャラなのだ。
固有名詞はなく。チュートリアルのボスとだけ呼ばれるそのキャラは物語が始まる前。
海に巣食う魔物に運悪く襲われて難破した外国の軍艦の艦長で。
多くの部下と共に魔物に襲われ、傷つきながら小豆村に泳ぎ着き。
小豆村の人々に助けられるものの魔物の発する穢れによって衰弱し。手当ての甲斐なく。部下と共に亡くなるが。部下を死なせた強い自責の念と穢れによって彼は地縛霊になってしまう。
小豆村の人々はそんな彼と彼の部下の為に供養塔を立てて厚く慰霊していたことから。地縛霊であった彼は物語が始まる頃、半ば小豆村の人々を守る守護神と化していた。
けれども小豆村には瘴穴があり。帝都襲撃を企む悪鬼たちが封じの石塔を破壊し。噴き出した瘴気から小豆村の人々を守る為に。己の身を使って瘴穴を封じるも。
理性を削られ、全身を無数の蛇に咬みちぎられるような酷い痛みに自我を失い。狂い果て。怨霊となって小豆村に駆けつけた主人公によって消滅させられてしまう。
その間際に彼の故郷の言葉で。謝意と感謝を主人公に告げながら穏やかに微笑み。消滅していく。
このチュートリアルのボスが私の好みど真ん中をぶち抜くひとだった。
白銀の髪に紫眼。褐色の肌。異国情緒漂う深い彫りの精悍な顔。
高い上背に引き締まった体躯を包むの軍服というだけで性癖を破壊してくるというのに。声は当時はまだ新人だった洋画の吹き替えで後に名を馳せる有名な声優さんと来ている。
彼はゲームでは殆ど正気を失っているのでバックボーンは設定資料集でしか明らかにされないけれども本来の姿と性格に私は心臓を射抜かれた。
玲瓏な容姿に。冷徹な相貌。そして戦功の多さと威圧感から周囲に恐れられている彼は見た目に反して超絶ネガティブ。
自分の容姿は恐怖を振り撒く程に醜い誤解していて。自分以上に陰険で陰湿。根暗な人間は居ないし人の上に立つような人間ではないと常に後ろ向き。
けれども彼の直属の部下たちには熱烈に慕われているという見た目からの見事なまでのギャップに胸がときめく。そう、このギャップに私の心は撃ち抜かれたのだ。
なので推しである彼に会えるかもという下心で小豆村にやってきたという訳だ。推しとあわよくば親しくなりたいと下心満載で。
でも小豆村に彼の姿はなく。そのことにがっかりしなかったとは言えないけれども。
小豆村に居ないということは彼が生きていることを証明していると気を取り直す。会えないのはすごく残念だけど。
推しが生きている以上にファンにとって喜ばしいことはない。
だから村の人たちが彼を連れてきたとき。絶対に死なせたくないと思ったのだ。
ある日、海に巣食うタツモドキという魔物に襲われて難破した軍艦から放り出されて。荒れ狂う海を泳ぎ小豆村に辿り着いた軍艦の乗組員が村の空き家に運び込まれた。
タツモドキというのは漢字に直すと龍擬き。見た目は海蛇で本来は臆病な性質の魔物だ。普段ならば人を襲うことはない。
だけど幼体で二十メートル。成体になればその十倍となるタツモドキには年に二回発情期があり。
発情期間中のタツモドキは凶暴化して自分たちに近づくモノを見境なく攻撃する。
そしてタツモドキは海蛇に毒があるように強い穢れをその牙に帯びていて。この時はまさにタツモドキの発情期。
冷たい海を長時間漂うだけでなくタツモドキに襲われて穢れに浸食された人たちはぐったりとして動かず。微かに上下する胸が辛うじて生きているのだと示していた。
慌ただしく診療所のおじいちゃん先生と乗組員の救護に奔走する。診療所に常備している回復薬を惜しみ無く使い。穢れを除去し。治癒術を重傷者に掛け回復を促すけれども。
まだ一手が足りない。タツモドキの穢れが存外に深く。傷の回復を阻害しているのだ。
このままでは取り零す命があると唇を噛むなかで新たに重傷者を救助したと船を出した小豆村の人たちが運び込んだ軍艦の乗組員に私は息を飲む。
白銀色の髪、紫眼。褐色の肌に精悍な顔。そこには会いたいと願ったひとがそこに居た。
額から頬に掛けて走る裂傷。そこから染みだした穢れが亀裂のように全身に走り、脈打ち。顔からは血の気が失せている。
歩くことさえ難しいだろうに私たちが治癒術師だと気づくと駆け寄り。彼は異国の。遠い国の言葉で部下を助けてくれと懇願した。崩れ落ちるその身体を咄嗟に抱き留める。
直ぐに治療しますと告げれば彼は顔を歪め私の肩を掴み。自分のことは後回しで構わないから部下を助けてくれと願った。
彼は自分の命さえ危ぶまれるというのに。ひたすらに部下を。部下だけは死なせないでくれと言うのだ。自分は死んでも構わないからと───。
高潔なひとだ。優しいひとだ。生きるか死ぬかの瀬戸際で己ではなく部下の生を願った彼に。ならば応えるべきだと力の出し惜しみを止めた。もっとも。出し惜しみするだけの力なんて私には殆ど残っていなかったけれども。
私には聖なる乙女という自覚はなかった。だけど奇跡ぐらい起こして見せろと己を叱咤する。此処に居る全員。誰も死なせたくないならば。今こそ聖なる乙女らしくその力を発揮して見せろと。
途端、右手の痣が。目が焼けつくように熱くなって。身体の中を駆け巡った大きな力を私は迷わず使った。
彼を巻き込むようにしてへたりこむと診療所のおじいちゃん先生や村の人たちが驚きを滲ませ。寄り合い所に運びこまれた軍艦の乗組員の人たちを蝕んでいたタツモドキの穢れが尽く消えたと私に告げた。
悪鬼や魔物の穢れを祓えるのはゲームでは主人公だけだった。だからなぜ私が穢れを祓えたのか未だによくわかってはいないけれども。これで誰も死なせずに済んだと私は脱力し。
ぜえぜえと息を荒く吐き出し。ふらつく私を支えるように腕を添え。美しい紫水晶に似たその目を見開く前世からの推しである彼に。これが火事場の馬鹿力だと眉を下げて笑って私は意識を手放した。
そして数日後。私は彼が何者であったのか知ることになる。彼の名はアスラーン・ギュミュシュ。
大陸の半分を征服したウシュク帝国の皇帝である叔父から。近年、存在感を示し始めた暁光国がウシュクと国交を結ぶに値する国か見定めてくるよう密命を受け。
暁光国の皇帝に親書を届けるという名目で親善使節団として暁光国を訪れたという。
その帰路、タツモドキの群れに軍艦が襲われたことは不運としか言いようがなかった。
一月後、アスラーン様(推しであるので敬称は欠かせない)は迎えに来たウシュクの軍艦で帰国することなり。
私に世話になった礼だと常に身に付けていた指輪をくれた。
指に通したときはブカブカだったというのに。私の指のサイズにあわせて指輪は小さくなり。その指輪がただの指輪ではなく。なにかしらの魔法の掛かった貴重なものだと直ぐに理解して返そうとすればなぜか指輪は指から抜けず。
アスラーン様はこれはもう貴女のものだと美しく微笑み。ウシュクの軍艦に乗り込んで去っていった。
その数ヵ月後。ウシュクの軍艦が難破したことを知った暁光国の上層部が事実確認の為に調査を行い。その過程で私が小豆村に居ることを把握した西園寺蓮に帝都に連れ戻され。私の短い逃避行はあっさりと終わりを告げた。
私がウシュク帝国の人々を助けたことはどこから漏れたのか。
生家から出奔して連れ戻されたこともセットにして大々的に広まってしまい。
概ね、世間の人々は同情的な目を向けてくれていたが。私の両親や西園寺家からすれば面子を潰されたようなものであったので。
連れ戻されて以降、私は常に監視されるようになり一人になることも許されず。
より厳しく。より苛烈な淑女教育を施されることになって。ゲームのシナリオの流れに沿いながら月日は過ぎていき。
十七才になった頃にとうとうゲームの主人公である天羽瑠奈が召喚されたのだが。この天羽瑠奈という女の子がとんでもなく厄介な子だった。
なにせ中身が私と同じようにこの世界に転生してきた人間だったからだ。彼女はゲームの知識を使って攻略対象のキャラを次々に落としていき私は頭を抱えたけれども。
いや、これは私からすればまたとないチャンスではないかと思い直した。
天羽瑠奈はどうやら西園寺蓮を攻略する気なようで。西園寺蓮も天羽瑠奈に惹かれ。一応の婚約者である私を疎んで邪険に扱うようになっていた。
まあ、元々。顔合わせのときからなぜか嫌らわれていたこともあり。ゲームとは違って私は西園寺蓮に執着していないのだが。
一方で西園寺蓮には婚約者は自分の所有物だという意識があったらしく。自分のモノが勝手に居なくなるのは許せないみたいで。
四六時中、私は二度と逃避行出来ないように西園寺蓮の息の掛かった人間に行動を見張られていた。
その日にどんなことをしたのか。逐一報西園寺蓮に告させているので大変に窮屈。
というより息苦しい日々過ごしている。中身がなにかと図太い私でなければストレスで胃に穴が空いていたことだろう。
でも西園寺蓮が天羽瑠奈に攻略され。西園寺蓮がゲームの通りに婚約破棄をすれば私は監視生活から解放されるのではと閃き。私は天羽瑠奈の思惑に乗っかることにした。
理想は婚約破棄からの身分剥奪。伯爵令嬢でなくなれば私は晴れて。今度こそ自由の身になれるという寸法だ。
という訳で頑張って西園寺蓮を落として貰いたいと。天羽瑠奈が私を蹴落とそうと。あの手この手で。攻略対象のキャラが私に抱く好感度を下げていき。
ついには私を見張る西園寺蓮の息の掛かった人間を弄略し。味方につけて。嘘の報告をさせたときは心のなかでリオのカーニバル並みに心が踊った。
いいぞ、いいぞ。その調子で私をとびっきりの悪女にプロデュースしてくれと。
日曜朝に放送される魔法少女やバイク乗りの変身ヒーローを応援する幼児のように歓声を上げて(勿論、心のなかでだ)。
同時に物の見事に天羽瑠奈の手のひらで転がされていく西園寺蓮を筆頭にした攻略対象たち(いずれも名家の子息で暁光国の未来を背負う立場になる筈の人間)に。
ちょっと暁光国の先行きが不安になったりしながら。ついに来た婚約破棄の日。やってもいない罪で朗々と詰り。西園寺蓮は私に婚約破棄を言い渡し。ついでとばかりに身分剥奪を宣言。
いや、西園寺家は公爵だけれども身分剥奪の権利はないのではと。その場に居合わせた面々が目を丸くするなか。天羽瑠奈を腕に抱き。鼻息荒く。
謝罪の言葉すらないのかと冷笑する元婚約者に。
私は硝子の仮面を被る女優になりきり。全力で婚約者に裏切られた可哀想な女の子を演じ。その場を立ち去ろうとした。
そこで貴賓として西園寺蓮の伯父に西園寺家に招待されたアスラーン様と鉢合わせたのだ。
最後に見たときよりも増えた勲章が多く飾られた軍服に身を包み。
驚きにその美しい紫水晶の目を見開いてアスラーン様は私を見詰め。涙に濡れたままだった私の頬に触れた。泣かされたのかと問うアスラーン様に嬉し涙ですとは言えずに目を伏せると。
西園寺蓮と天羽瑠奈を鋭く睨み付けながらアスラーン様は私を背に庇い。その隣で今度、我が暁光国にとっての貴賓を晩餐会に招くことになったときちんと伝えてた筈だと西園寺蓮の伯父で。
外交官である西園寺紫苑が甥である西園寺蓮に鋭い一瞥を与えながら。此処は私に任せてくれないかなとアスラーン様に告げると。私の肩を抱きアスラーン様は無言で部屋を退出し。
私まで国の貴賓が使用する高級車に乗せられたところでわたつき。このままでは私の悪女計画が破綻してしまう。でも会いたくて堪らなかった推しに会えてしまったと焦りと喜びで目をぐるぐるするなか。私は迎賓館に連れて行かれて。
数日間、賓客であるアスラーン様と何故か同等の扱いをされて迎賓館で過ごし。
アスラーン様がウシュクに帰国した後。西園寺紫苑殿から暁光国の為にウシュク帝国の皇帝の甥に嫁いで欲しいと告げられることになる。
断ろうとする私に間髪入れずに紫苑殿はウシュク帝国の皇帝の甥はこの方だよとアスラン様の写真を見せるものだから。私は喜んでその大役。引き受けさせて頂きますと即座に答えしまっていた。
そして翌日にはウシュクに向かう船の上に私は居た。紫苑殿にウシュクの言葉を学びつつ。心を弾ませて。ウシュクにやって来た私はあれよあれよとウシュク側が用意した美しい婚礼衣装に着飾られ(なぜかサイズがピッタリだった)。
あっという間に婚礼の場に連れて行かれ。ウシュクに着いて数時間後にはアスラーン様と結婚式を挙げていた。ウシュク側の逃がして堪るかという鬼気迫る思惑をそこはかとなく感じるのは気のせいだろうか。
もっともアスラーン様にとってこの婚姻は完全に青天の霹靂であったらしく。終始戸惑う姿がそこにあった。
アスラーン様から話を聞けば自分が結婚式を挙げることすらまったく知らされていなかったのだそうで。ウシュクの皇帝である叔父にお前の婚約者だよ。
あ、違うね。今日婚儀を執り行うからお前の妻になる子だと笑顔で私を紹介され。絶句なされていたものなぁと結婚式から一時間後。
ウシュクと暁光国の要人を交えた宴もそこそこにアスラーン様所有の屋敷に連行され。身体の隅々を磨かれ(婚儀を挙げるときにも入念にお肌の手入れを施されたけれども)。
寝所にぽいっと放り込まれ。ただいま深い沈黙のなかアスラーン様とベッドの上で見詰めあってます。沈黙が重い。どこから入手。いや、十中八九出所は紫苑殿だろう襦袢の襟を落ち着きなく直して。視線に耐えきれずに下を向く。
きちっと露出のない。でも鍛え抜かれた体躯であると分かる夜着を纏う推しであるアスラーン様の色気に心のなかで合掌する。どこにお布施を払えば良いのだろうか。
あ、もしや直接アスラーン様に貢ぐ絶好の機会では。でも手元にお金がないな。くっ。推しに直に貢ぐ機会が来たというのに私は不甲斐ないファンだと心のなかで血涙を流しながら微動だにせず言葉も発しないアスラーン様におずおずと顔をあげ。射抜くような鋭い眼差しに思わず肩が跳ねた。それを怯えと見てとったのか。
アスラーン様は今日はなにもせず共に眠るだけに留めようとギクシャクしながら告げて後ろを向いて。頑なに私を見ようとはしない。
『私、そんなに貧相な体つきでしょうか。女性としての魅力がない?』
「ッ貴女は魅力的な女性だ···!!だからこそ私は直視出来ないのだ!!」
暁光国の。母国語で問うと思わずというように振り返り。存外、近くに居た私に狼狽して直ぐに前を向き。背中を見せるアスラーン様に。アスラーン様の叔父であるウシュクの皇帝が言っていたことを不意に思い出す。
うちの甥と来たら初心でねぇ。女性経験はほぼ皆無だ。だから君が押せばイチコロだよと。
あのときはそんな馬鹿なと思ったけれどもアレは正しかったのかと薄暗がりのなかでもハッキリ分かるアスラーン様の耳の赤さに胸の辺りから人体が出してはいけない音がした。
うずっと悪戯心が顔を出す。元から膝詰めで向かい合っていたこともあって近くに居たけれども間を詰めてせいやと背中に抱き着いた。