結婚式は断罪劇のその後に【獅子王陛下と小鳥令嬢②】
自分がまさか橘すずめになるのは流石に予想外が過ぎるし。推しキャラの中身が私なの。かなり解釈違い過ぎて死にそう!
と、頭を抱えたのが七年前のこと。手の甲に鳥の形をした痣があることから聖なる乙女と認められてしまい。
それを理由に名家であり格上である公爵家。西園寺の嫡男。西園寺蓮の婚約者に決まり。
厳しい教育を受けながら私は決意した。私は主人公のライバルにもラスボスにもなるものか。舞台から降りて私は自由に羽ばたく鳥になると──!
そも、前世は筋金入りの一般庶民。貴族のご令嬢など私には荷が重いというものだ。
そうと決まればこの世界で生きていくに必要な知識を蓄えてさっさと出奔するに限る。
それとなく逃走資金に変えられそうな宝飾品を。伯爵とは名ばかりで歴代の当主の散財で多額の負債を抱えた貧乏貴族だったので苦労しながらチマチマと集めて。
平行して出奔後、生活費を稼ぐ手段として治癒術を鍛え。十四才になり。西園寺蓮の婚約者として大々的にお披露目される日に僅かなお金と宝飾品を鞄に詰め込んで出奔した。
転生してあんなに晴れ晴れした気持ちになったのは初めてだった。直ぐに連れ戻されてしまうのではという危惧がなかった訳ではない。でも私の顔は主人公のライバルをするだけあって整っているけれども。中身が私なせいでどこか凡庸な顔立ちで。
腰まで伸びた髪をバッサリと少年のように短くして。服装を和装から洋装にすれば誰も私だと気づかないだろうという目論見は当たり。私は誰にも見咎められず。魔力を帯びた鉱石を動力源に動く機関車に乗り。帝都を離れ。
各地を転々とした末に田中すずめという名前で近くに灯台がある小さな漁村の診療所に住み込みで働くことになった。漁村の名前は小豆村。この村の浜辺は小豆色の石で埋め尽くされていて村の名前も此処から来ている。
その昔、海の魔物に度々村を襲われ。苦しめられていたこの村の人たちはどうか村に魔物が来ないようにして欲しいと都で有名な陰陽師に頼んだのだそうな。
都一と呼び声高い陰陽師はこれを浜辺に撒きなさいと袋いっぱいに詰めた小豆を村の人たちに渡し。言われるがまま小豆を浜辺に撒くと小豆は瞬く間に小豆色の石に代わり浜辺を赤く染め上げた。
小豆には破魔の力があるとされていた。小豆が変じた石にも陰陽師の力だろうか。破魔の力が宿っていて。
それ以来、村を魔物が襲うこともなく。また都一の陰陽師への恩と偉業を忘れまいと村の名前を小豆村としたのだという。
その小豆村の診療所が人手を求めていると。偶々、街で見掛けた新聞に小さく載っていた求人広告を見て知って自分には治癒術の心得があると売りこんで。雇って貰った。
十四才だと雇って貰えないと思い。十七才だと偽り。結婚を誓った相手と死別して身寄りもなかったことから。
治癒術師だった両親から学んだ治癒術を生かして一人で生きていくと決めたのだと嘘の経歴を語ったところ。
小豆村の人々は不憫がって親身に世話を焼いてくれて。頻繁に声をかけてもくれる。
ただ診療所の先生。七十歳と言う高齢ながら治癒術のエキスパートで。その仙人のような見た目から老師と言いたくなるおじいちゃん先生は。私が良いところのお嬢さんだと即座に見抜き。
私の無鉄砲さをそっと叱りながらも。相当な覚悟で生家を出奔してきたのだと気づいていて。
まあ、好きなだけいなさい。此処には喧嘩っ早く。すぐに怪我をこさえてくる患者がごろごろと居るからのぅ。
人手は多いに越したことはないと。クカカと翁面のような皺の刻まれた顔で朗らかに笑った。
(居ないな。恋乙のチュートリアルのボス。居ないのは喜ばしいことではあるのだけれども···。)
私が小豆村に来た理由はもうひとつある。此処に居る筈のひとに会うためだ。
『帝国ニ輝ク月ノ光トナリ、恋セヨ乙女 』では瘴穴というものが各地に点在していて。
悪鬼や魔物。妖怪、魑魅魍魎が瘴穴を封じる石塔を破壊し。噴き出した瘴気で力を蓄え。帝都を襲う。
そこでゲームでは先んじて各地の瘴穴に向かって石塔を防衛したり。悪鬼たちを倒して石塔を奪還するミッションがある。
所謂ディフェンスゲームの要素もあったのだけども。ゲームにおいて序盤も序盤。チュートリアルで倒すボスがこの小豆村に現れる。このボス、実は前世の私が橘すずめに次いで推していたキャラの一人だ。
固有名詞はなく。チュートリアルのボスとだけ呼ばれるそのキャラは物語が始まる前。海に巣食う魔物に運悪く襲われて難破した外国の軍艦の艦長だった。多くの部下と共に魔物に襲われ、傷つきながら小豆村に泳ぎ着き。
小豆村の人々に助けられるものの魔物の発する穢れによって衰弱した人々は手当ての甲斐なく。その大半が亡くなり。艦長である彼もまた命を落とすことになり。
部下を死なせた強い自責の念と穢れによって彼は地縛霊になってしまう。小豆村の人々はそんな彼と彼の部下の為に供養塔を立てて厚く慰霊していたことから。地縛霊であった彼は物語が始まる頃、半ば小豆村の人々を守る守護神と化していた。
けれども小豆村には瘴穴があり。帝都襲撃を企む悪鬼たちが封じの石塔を破壊し。噴き出した瘴気から小豆村の人々を守る為に。己の身を使って瘴穴を封じるも。
噴き出す瘴気によって理性を削られ、全身を無数の蛇に咬みちぎられるような酷い痛みに自我を失い。狂い果て。彼は怨霊となってしまうだけでなく駆けつけた主人公によって消滅させられてしまう。
その間際に。彼の故郷の言葉で。謝意と感謝を主人公に告げながら。穏やかに微笑み。消滅していく。
主人公は彼と戦い。倒すことで聖なる乙女の力に覚醒するのだけれども。このチュートリアルのボスが私の好みドストライクだった。
白銀の髪に紫眼。褐色肌。異国情緒を漂わせる深い彫りの精悍な顔。高い上背に引き締まった体躯を包む軍服に。
当時、新人だった洋画の吹き替えで後に名を馳せる有名な声優さんが声を当てたその美声──!!
彼はゲームでは殆ど正気を失っているのでバックボーンは設定資料集で明らかにされたのだけれども。生前の姿と本来の性格に私は心臓を射抜かれてしまった。
玲瓏な容姿に。冷徹な相貌。そして戦功の多さと威圧感から周囲に恐れられている彼は実際のところ超絶ネガティブで。
自分の容姿は恐怖を振り撒く程に醜いらしいと誤解していて。
自分以上に陰険で陰湿。根暗な人間は居ないし人の上に立つような人間ではないと常に後ろ向きに自嘲しているけれども。彼の直属の部下たちには熱烈に慕われているという見た目からの見事なギャップに胸がときめく。
私はギャップにとっても弱い人間だった。
なのでつい。推しである彼に会えるかもという下心で小豆村にやってきた訳だ。推しとあわよくば親しくなりたいと下心満載で。でも小豆村に彼は居なかった。
そのことにがっかりしなかったとは言えないけれども。小豆村に居ないということは彼が生きていることの証左であると気を取り直す。会えないのは残念だけど。推しが生きている以上に喜ばしいことはない。
だから村の人たちが彼を連れてきたとき。なにがなんでも死なせるものかと。私は決めたのだ。
「───ッ先生!すずめちゃん!!沖合いで外国の軍艦がタツモドキたちの群れに突っ込んで難破した!!いま船を出せる連中総出で助けに向かってるが見た限りタツモドキに襲われて負傷者が多い!!」
「先生!」
「うむ。直ぐに手当てする必要がある。タツモドキの強い穢れに長時間侵されたとなれば命が危うい!!手分けして診療所に。いや数が多いのならば村の寄り合い所に運んでくれ!直ぐに用意を整えてそちらに向かう!」
村の寄り合い所だけでは足りず。村の空き家にもタツモドキに襲われて難破した軍艦から放り出され。荒れ狂う海を泳ぎ小豆村に辿り着いた軍艦の乗組員が運び込まれることになる。
タツモドキというのは漢字に直すと龍擬き。
見た目は海蛇そのもので本来は臆病な性質の魔物だ。普段ならば人を襲うことはない。でも厄介なのはその大きさと生態だ。
幼体で二十メートル。成体になればその十倍となるだけでなく。年に二回タツモドキは発情期になるのだが。
発情期間中のタツモドキは凶暴化して自分たちに近づくモノを見境なく攻撃する。そしてタツモドキは海蛇に毒があるように強い穢れをその牙に帯びている。
この時はまさにタツモドキの発情期。冷たい海を長時間漂った上にタツモドキに襲われて穢れに浸食された人たちはぐったりとして動かず。
微かに上下する胸が辛うじて生きているのだと示していた。小豆村の人たちは軍艦の乗組員の為に自分たちの衣類や毛布。そして食料を持ちよった。
慌ただしくおじいちゃん先生と乗組員の救護に奔走する。診療所に常備している回復薬を惜しみ無く使いながら。穢れを除去し。
治癒術を重傷者に掛け回復を促すもやがて回復薬が尽き。更には救護の為に必要な物資が足りないと小豆村の人たちから聞かされておじいちゃん先生と私は頷きあった。
「クカカ──!!趣味で集めた骨董品を売れば多少の金になろうよ。」
「これはもう身に付ける必要のない宝飾品と着物です!!質屋に高く買い取って貰いましょう!」
お金に換えられるものは全部、お金に換え。そのお金で必要な物資を買い集め、必死に軍艦の乗組員の人たちを助ける為に駆け回る。けれどもまだ一手、足りない。タツモドキの穢れが傷の回復を阻害しているのだ。
このままでは取り零す命があると唇を噛み。新たに重傷者を救助したと船を出した小豆村の人たちが運び込んだ軍艦の乗組員に息を飲む。
白銀の髪、紫眼。褐色の肌に精悍な顔。会ってみたいと願ったひとがそこに居た。
額から頬に掛けて走る裂傷。そこから染みだした穢れが亀裂のように全身に走り、脈打ち。顔からは血の気が失せている。
歩くことさえ難しいだろうに私たちが治癒術師だと気づくと駆け寄り。その人は異国の。遠い国の言葉で部下たちを助けてくれと懇願する。
崩れ落ちるその身体を咄嗟に抱き留める。直ぐに治療しますと告げれば。その人は顔を歪め私の肩を掴む。
『私のことは後回しで構わない!!頼む、私の部下を助けてくれッ!!』
ああ、このひとは。自分の命さえ危ぶまれるというのに。ひたすらに部下を。部下だけは死なせないでくれと願うのだ。自分は死んでも構わないからと。
「死なせません。あなたの部下は。あなたも絶対に生かしてみせる!!」
ならば応えるべきだ。その切実な願いに。私にはその願いを叶えるだけの力がある──!!
(自分で聖なる乙女だなんて。思ったことはなかったけれど。聖なる乙女なら奇跡ぐらい起こして見せろ、私!此処に居る全員、誰も死なせるな!!)
右手の痣が。目が焼けつくように熱くなる。身体の中を駆け巡る大きな力を私は迷わず外に放出したところで。彼を巻き込むようにしてへたりこむ。
診療所のおじいちゃん先生や村の人たちが驚きを滲ませて。
寄り合い所に運びこまれた軍艦の乗組員の人たちを蝕んでいたタツモドキの穢れが尽く消えたと私を見る。
(····私でも穢れを祓えた。よかった。ちゃんと祓えて。これで誰も死なせずに済んだ。)
私はぜえぜえと息を荒く吐き出し。私を支えるように腕を添え。
美しい紫水晶に似たその目を見開く前世からの推しであるその人に。
火事場の馬鹿力。どーにか出せちゃいましたとへにゃりと笑って意識を手放した。
「此処は···?」
清潔な寝具。部屋に漂う芳しい草の匂いは床に敷き詰められた緻密に草を編み込んだ敷物から香るものだろうか。目だけを静かに動かして。彼、アスラーン・ギュミュシュは思い出す。
大陸の半分を征服したウシュク帝国の皇帝である叔父から。近年、存在感を示し始めた暁光国が国交を結ぶに値する国か見定めてくるよう密命を受け。
暁光国の皇帝に親書を届けるという名目で親善使節団として暁光国を訪れた。その帰路、海蛇に似た悍ましい魔物の群れに軍艦が襲われて。
アスラーンと。アスラーンの部下たちは海に投げ出された上に魔物に攻撃され負傷したことを。魔物によって右目を抉られた上に。
善くないなにかを流し込まれた自分がなぜ生きているのかと包帯が巻かれた痛みが疼く目に触れ。
アスラーンは部下たちは無事なのかとろくに力の入らない身体を無理矢理に起こして。木と紙で出来た窓が開き。一人の少女が駆け寄ってくる。
『ッまだ起きてはダメです。穢れはすべて祓ったとは言ってもあなたの傷は深すぎて治癒術を使ってもまだ完治していないし。消耗した体力は戻ってないんです。今は大人しく寝ていることが身体の回復に繋がります。』
そう、アスラーンの肩を柔く押さえて。また寝具に寝かせてから少女は近くに置かれていた灰と炭を入れた陶器の壺を弄る。
炭がはぜる音がした。アスラーンの視線に気づいて少女はこれは火鉢という暖房器具だと教え。
今日は冷え込みますものと火鉢で手を炙ってからアスラーンの包帯に覆われた目に触れると。右目がじわりと温もると同時に疼くような痛みが次第に薄れていく。
少女が治癒術師であるとそこでアスラーンは思い出す。漁師らしく屈強な男たちに助け出された直後。負傷したアスラーンを。アスラーンの部下を治療していた少女に。
アスラーンは震える息を飲み込み。知ることが恐ろしい。しかし知らねばならないと私の部下はどうなったと。
たどたどしく暁光国の言葉で訊ねると少女はにこりと微笑んで木と紙で出来た窓。
障子を開け放つと賑やかな歓声がアスラーンの耳を打つ。そこには杵で臼を突く人々とアスラーンの部下たちの姿があった。
《三話目に続く》