結婚式は断罪劇のその後に【獅子王閣下と小鳥令嬢①】
結婚は人生の墓場だと言う。ああ、まさにその言葉の通りだろうとアスラーン・ギュミュシュは思うのだ。
少なくとも屍肉喰らいの獅子と揶揄される。陰険で。陰鬱。根暗の自分に嫁ぐことになった目の前の少女にとっては───。
アスラーンは目の前の華奢な体躯を穢れない白い婚礼衣装に身を包んだ。愛くるしい少女に胸中で何度も何度も謝罪を繰り返す。
申し訳無さすぎてまともに顔が見れないけれども。そっとヴェールに覆われた顔を見ると少女はにこりとアスラーンに微笑むものだからアスラーンはビクンと肩を。
いや、身体全体で跳ねさせソワソワと落ち着きを無くしながらも少女を怖がらせまいと笑い返そうと頑張った。一重に少女に嫌われまいと言う。その想いだけで。
「クヒ、キヒヒ。ハーハハッハッ──!!」
悪役みたいな笑い声しかでなかった。しかも正気を失いし者のそれ。心のなかでアスラーンは膝から崩れ落ちた。
いや、少女からしたら自分は故郷から引き剥がして無理矢理妻にしようとしている極悪非道な悪そのもの。
だとしてもどうにかならなかったのかとアスラーンは涙目になるのを誤魔化す為。やたらに周囲を威圧してしまう切れ長な目に力を入れる。
周りから見れば少女を鋭い視線でヒタリと睨み付けて見えるので。参列者がどよめく気配を感じ取り心のなかで頭を抱えながら転がるアスラーンの手を少女は小さく柔かな手で掴み。緊張しているのですねとたどたどしくアスラーンの国の言葉で問う。
アスラーンの国。ウシュクの言葉は少女にとっては難解だ。発音も難しければ聞き取るのも難しいと聞く。アスラーンからすれば少女の故郷の言葉も相当に複雑怪奇で。
ウシュクの言語学者が悪魔の言語としか思えないと頭を抱えていたことを知っているが。
たどたどしくはあれどもアスラーンの国の言葉を話した少女に胸の奥が引き絞られるような感覚を覚えた。
少女は悪戯が成功した子供のように微笑み。私の話す言葉は正しいですかと重ねて問い。
アスラーンが小さく頷くと貴方と話したくて言葉を覚えました。ウシュクの言葉、難しい。
まだちょっとしか話せないです。ごめんなさいと悄気る少女にアスラーンは少女が謝る必要などないのだとボソボソと喋ると少女は微笑みながらアスラーンの手を握り締め。
私、貴方に沢山言いたいことがありますと柔らかに語る。
常に全力で後ろ向きなアスラーンは少女からの罵詈雑言を覚悟して聞く体勢に入る。
どんな罵倒も。自分は受け入れようとアスラーンが身構えるなか。
少女は傷はもう痛くはないですか。痛みませんかと。アスラーンの額から頬に走る傷にもう片方の手で触れて真剣に問う。
アスラーンは少女の投げ掛けた言葉に荒れ狂う巨大な蛇のような魔物に襲われて。
風に踊らされる木っ端のように翻弄され。砕ける軍艦を。
そして投げ出された骨まで軋ませるほどの暗く冷たい海を思い出す。同時に異国の人間。しかも当時は国交もなかった国の自分たちを懸命に救出しようと。暗く、凍てつく海のなかに。暴れ狂う魔物に怯まず飛び込んだ漁村の人々を。
魔物の纏う穢れによって死にかけ今にも掻き消えそうなアスラーンたちの命の灯火を。必死に消すまいと手当てに当たった目の前の少女の姿が今日の出来事のように目蓋の裏に甦る。
少女に助けられたあの日から。アスラーンはずっと少女に恩を返さなくてはと思っていたのに。
彼の国と正式に国交を結ぶことになった。親善の為にお前には彼の国の貴族の子女を妻に迎えて貰うとアスラーンは皇帝の命で見合いの場に引き摺り出されて。
どう断ったものかと悩みながら引き合わされた婚約者が少女だったことに驚愕し。アスラーンは頭を抱えて悩んだ。
自分は屍肉喰らいの鴉と揶揄され、忌み嫌われる身。自分の妻になれば少女に味あわなくて良い苦労を掛けてしまう。
そも自他共に認める陰険で陰鬱な。背丈と戦功だけはやたらにあるが。百人が百人。不気味な男と揶揄する自分に嫁がされるなど少女があまりに憐れだと訴えたが。
お前しか適任は居ないと押しきられて。今日、少女と挙式を迎えることになったアスラーンは罪悪感と多幸感の板挟みで死にかけているということを。
婚礼衣装に身を包んだ少女は知らずに。握り締めた手に力を籠めて微笑む。絶対に逃がさない。覚悟してください、旦那様と猛禽類の目をして。
彼女の名はすずめ。大和撫子の肉体に現代人の魂と知識を備えた。ちょっと流行りの悪役令嬢に転生し。
これまたよくある異世界トリップしてきた聖女を虐げたという身に覚えのない冤罪を着せられ。
未遂ではあるがテンプレートに身分剥奪されて貴族から庶民になる筈だった少女であることを。この場に居合わせた人々は恐らく知らないだろう。
花族、橘すずめは帝都を守護する聖なる乙女を虐げた稀に見る極悪非道な悪女である───。
そう本気で信じているのは聖なる乙女の取り巻きぐらいだと。私、橘すずめは把握している。私を心から心配して。味方となってくれている人々が居ることも。
ゲームの橘すずめはそのことを知らずに周囲に居るのは敵ばかりだと追い詰められ。
所謂、闇堕ちをし。己を愛さないすべての人間を憎み。帝都の鬼門の封じを破壊して自ら鬼に転じるや。
疫鬼や魑魅魍魎を従えて百鬼夜行を行い。帝都を灰塵に帰そうとした。ああ、そんなゲームの橘すずめに深く同情し。
他の道はなかったのかと考えに考えて二次創作に走ったオタクとはなにを隠そう前世の私であるので。
晩餐会の場で突如始まった三文芝居の断罪劇を至極冷静に落ち着いて眺めつつ。伯爵なれどもド貧乏暮らしであるので。こんなときにしか味わえない御馳走を食べる手は止めない。
あ、お代わり。ライス大盛りでと令嬢言葉に置き換えて給仕さんに頼みながらも。私は聖なる乙女に行ったというまったく身に覚えのない罪をわざわざ註釈付きで事細かく語る婚約者を眺める。
「瑠奈への数々の悪行はこの西園寺蓮が断じて許さん──。」
「蓮さまっ!」
「瑠奈。いや、愛しき月精。聖なる乙女よ。お前はこの俺が必ず守る。」
なるほど。蓮は蓮でも蓮根だったかと。私は分厚いステーキの付け合わせに添えられていた蓮根のフリッターを口に運んで確り味わう。蓮根。ようは中身はすかすかだ。
うん、今のは上手く例えられた気がする。それはそうと。ゲームの登場人物になった挙げ句。異世界トリップした現代人の女の子に冤罪を着せられて断罪されるとか。
すごく身に覚えのある展開なんだよなぁと。前世、二次創作の字書きだった私は乾いた笑いを浮かべた。
先ずは前世の話をするとしようか。私は『帝国ニ輝ク月ノ光トナリ、恋セヨ乙女』という乙女ゲームを愛するオタクの一人だった。
戦略ゲームと言えばこの会社という程に。有名なゲーム会社がなにを思ったか世に送り出した乙女ゲームこそが『帝国ニ輝ク月ノ光トナリ、恋セヨ乙女』。
通称恋乙は乙女ゲームという名の皮を被ったガチガチの戦略と育成ゲームで。シビアなパラメーター管理と戦略性の高いバトルから。乙女ゲームでありながらもコアなゲーマーな人々の関心を鷲掴みした『帝国ニ輝ク月ノ光トナリ、恋セヨ乙女 』。
恋乙は乙女ゲームとしては異例の知名度。人気を博した。
同時にとあるキャラの不遇っぷりも世間には周知されていた。
その不遇キャラというのが恋乙の主人公、天羽瑠奈のライバルである橘すずめという少女だ。
恋乙の物語は架空の世界であり大正時代の日本に良く似た国。暁光国を舞台している。恋乙の世界の人々は生まれつき霊力や魔力を持ち。暁光国では陰陽術や魔法。錬金術から発した魔法科学という学問が国と人々の生活を支えている。
そんな世界で物語は主に帝都。国の中枢である都市を舞台に繰り広げられる。
帝都には龍脈という自然のエネルギーが地下に縦横無尽に走っていて。その龍脈に惹かれて。悪鬼が。魑魅魍魎が夜になれば帝国を騒がせていた。
悪鬼を祓う為に帝都には異能を持つものたちで構成された抜剣隊という組織があり。
物語が始まる前後から魑魅魍魎が起こす騒動が増え。原因を探れば。千年前にも。同様に悪鬼が都に溢れ返り。国の存亡が危ぶまれたことがあったこと。
自分たちを救って欲しいという人々の祈りに答え。満月の夜に異なる世界から。妖魔を退け。穢れを祓う破邪の力を持った一人の少女が降り立ち。悪鬼と戦う人々に特別な加護を与えたと知り。
帝都を守る為に抜剣隊の上の組織の人間が文献に記された聖なる乙女を秘密裏に召喚。
その聖なる乙女が天羽瑠奈という大学生だった訳なのだけれも。
聖なる乙女は生まれつき瞳が蛋白石のような虹彩であり身体の何処かに鳥の形をした痣があるものらしく。瑠奈の他にもう一人。聖なる乙女の印を持つ人間が居た。
それが花族(華族に当たる身分だ)の伯爵令嬢の橘すずめだ。
大和撫子という言葉に相応しい。雛人形のような容姿をしたすずめは瞳に蛋白石のような虹彩を持たないが。
生まれつき鳥の形をした痣があり。幼い頃から膨大な霊力を持っていたことから攻略対象である抜剣隊の隊長であり。
公爵家の次期当主である西園寺蓮の婚約者として厳しく育てられ。何時如何なる時も高貴であれと己を律する自他共に認める令嬢のなかの令嬢。それが橘すずめという少女だった。
性格は温厚。他者に声を荒げることは滅多になく。分け隔てなく誠実な少女なのだけれども。召喚された瑠奈。主人公に対しては常に厳しい態度を取る。
現代人であるが故にすずめからすると非常識な態度や行動を取る主人公にすずめは頭を悩ませていた。主人公が破邪の力を持つのに対して。すずめは治癒の力を持つけれども。
これは生まれ付きのものではなく。努力して会得したものだった。悪鬼を祓う抜剣隊からすればどちらも欠かせないけれど。
武闘派揃いでそもそも傷を負うことの少ない面々は次第に破邪という強力な力を奮う主人公に関心を寄せていく。
その関心を知ってか知らずか。聖なる乙女の自覚のない主人公が意図せず巻き起こす騒動の尻拭いに同じ聖なる乙女として奔走することになる。
そんなすずめ。どの攻略キャラのルートでも主人公に立ちはだかる壁となる。どの攻略キャラとも繋がりがあり。かつ抜剣隊の一員であるすずめは攻略キャラからの好感度が高い。
なのでゲームでは攻略キャラがすずめに抱く好感度を下げて。主人公の好感度を上げる行為を推奨されていた。
その手段は多岐に渡のだがプレイヤーの代行者である主人公はゲームのなかであの手この手ですずめを陥れていく。
主人公はゲームのなかで名門の子息やご令嬢が通う慈光学園の生徒になるのだが。主人公はすずめに虐められたと。やはり慈光学園の生徒であるすずめに冤罪を着せる。すずめの無実を訴える人々はいるけれども。
他にも色々と捏造された罪で次第に抜剣隊だけでなく学園でも孤立していくすずめは段々と物語のなかで姿を見せなくなっていき。
攻略キャラである西園寺蓮が。抜剣隊の面々や名家の人間を多く集めた晩餐会で主人公に行ったという冤罪を信じてすずめを断罪。
その数ヵ月後。帝都の鬼門を封じる要石が破壊されたことで百鬼夜行が起こるのだが。
その百鬼夜行の頭目は自分を信じず。愛さなかった周囲を憎み鬼に転じたすずめだった。
すずめは帝都を滅ぼすべく悪鬼を。魑魅魍魎を従え。抜剣隊に立ち塞がる最大の敵に。ラスボスとなるけれども最後は主人公に倒されて塵となって消え。
すずめとの戦いを経て主人公と攻略キャラは仲を深めてエンディングへと向かう。ちなみに追加情報として。百鬼夜行の主がすずめであることが分かるのは西園寺ルートのみとなっており。
他の攻略キャラのルートでは姿を消したすずめは出奔し。行方を眩ませたことになっていて。
そんなすずめに主人公は私はもう彼女のことは恨んでいません。何時かまた彼女と手を取り。笑いあえると信じていますと攻略キャラに告げ。そんな主人公に攻略キャラはお前は、お前を虐げた者にさえも慈悲深いのかと感動し。愛を深める。
死んだ後も攻略キャラに好感度を稼ぐ道具にされるすずめに誰が付けたか不遇令嬢の異名。あまりに不憫だ。無駄死が過ぎる。
そんなすずめに肩入れするプレイヤーは多く。
前世の私もすずめを不憫に想い。せめて二次創作ぐらいでは幸せになって欲しいと。
基本、どのルートでもラスボス化して死亡するすずめの不幸な未来を回避する小説を書いていた。書いていたけれども──!
「私、橘すずめ。ピチピチの十歳!!百合も腐向けもバリバリ美味しく頂ける雑食字書き!!ダメだ、解釈違いで死ぬ!橘すずめはこんな末期のオタクな筈がないッ!!」
自分がまさか橘すずめになるのは流石に予想外が過ぎるし。推しキャラの中身が私なの。かなり解釈違い過ぎて死にそう!
《二話目に続く》