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イエスとユダ

『時は満ちた』。

 神が放ったその一言で、受難の人生が始まった。イエスは人の世に人の子として生を受け、になった年から各地で『布教』を始めた。


 布教を始めてほどなくして、十一人のじきが出来た。

 イエス・クリス・テの信奉者も、きん時のいなごのごとく増えていった。


『イエスは神の子、奇跡の子。

 そのしなやかな手で触れる、それだけでいかなるやまいも癒される。


 イエスは神の子、奇跡の子。

 悪魔にかれた者でさえ「悪魔よ、去れ」のたった一言で癒される。


 イエスは美なるユダヤ人の王、救世主。

 イエス・クリス・テそのお方こそ、我らを憎きローマ帝国の弾圧から、救ってくださる偉大なお方!』


 ……いつからかそんなざれごとめいた歌が、ユダヤ人の間に歌われるようになっていた。


 イエスは今、幼いころから住んでいたナザレを遠く離れ、カリオテという地方で布教している。


なんじの敵を愛せよ』。

『右のほおを打たれたら、左のほおも差し出しなさい』。


 そんな適当な聖愛の言葉をふりまきながら、まるきり()()()()に乾いた心地で、己の信奉者を見やる。


 ――分かっている。

 周りを取り囲むこの者たちは、イエスの言葉など聞いてはいない。


 この者たちは、病を癒してほしいだけ。

 身の内に巣食う悪魔を、払ってほしいだけ。

 ローマ帝国に弾圧されている現状を、打ち破ってほしいだけ……。


(けれども、それもしょうがない)

 内心でぽつりつぶやいて、イエスは天界でよく浮かべた、あのあいまいな微笑を浮かべる。


 自分の言葉は嘘なのだから。

 聖愛など、このイエス本人も理解出来ていないのだから。


 当然だ。誰からも真実愛されたことのない者が、万人への愛など示せるはずもない。


 天界での双子の兄も、自分を愛してはくれなかった。


 ちょうけいルシフェルは堕天前、自分に穏やかに接してくれた。けれどそれは、世間的なお付き合いていどのものだった。けいミカエルに至っては、ひとたびは自分を殺そうとまでした。


 ……ああ、天界で幼いころに、ほんのわずかなあいだ、ミカエルの向けてくれた優しさが、どれだけ自分は恋しかったか。こちらの頭をでてくれた、兄の優しい手のひらが、どれだけ自分は愛しかったか。


 ――やめよう、全ては遠い昔のことだ。彼はもう、自分イエスを憎むことしかしてくれない。


 そうして母なる神さえも、このイエスを『芝居の演者』『ただのこま』としか見ていない。そんな自分が、聖愛などを解せるわけが……、


(ああ、違うか。この世の母のマリア様は、ちゃんとイエスを『愛して』くれた)


 皮肉混じりに考えつつ、イエスは黙って歩み続ける。十一人の直弟子と、多くの信者に取り囲まれ、自分を敬ういつもの歌を熱狂的に歌われながら。


 そう、聖女マリアはちゃんと自分を『愛して』くれた。


『この子は私の子なのだ』と。

『愛しい愛しい私の子ども。少し特殊な能力ちからを天から授かってしまっただけの、単なる子ども。他の誰の子でもない、神の子でもない、私の愛しいいとしい子ども』だと。


 うっとうしかった。

 わずらわしかった。

 天界での記憶を持っている『神の子』に、人間の母の独りよがりな愛など、束縛にしかならなかった。


(だってそうだろう? 自分には天にほんとうの母がいるのに、どうしてばらの母を愛せよう)


 ――たとえその『真実の母』が、自分を愛してくれなくとも……。


 ぐるぐるぐるぐる、穏やかに微笑むイエスの内に黒々とした思いがめぐる。熱狂する群集を眺めつつ、内心でこう吐き捨てる。


 今こそはっきり言っておく。

 イエスは、お前らのことなどどうでも良いのだ。


 原罪の浄化? 聖なるいけにえ? そんな役目はどうでも良いのだ。自分は、イエスは、ただひとりに逢うために、この世に生まれ落ちたのだ。


 ユダ。

 その名の女、自分の妹とめぐり逢うためだけに――。


「他のことなど知るものか」


 思わず知らず、本心がくちびるからこぼれ出る。となりで歩む弟子のひとりが、びっくりしたようにまばたいた。


「……イエス様、どうなさいました?」

「いや、何でもない」


 にっこり笑ってみせた瞬間、ほおをぽつっと()()()が打った。


 ぽつ。ぽつ。

 降り出した雨はみるみる激しくなって、矢のごとく荒野に降りそそぐ。慌てふためく群衆の中で、イエスはひとり冷めた目をして『天からの滝』に撃たれていた。


(ああ、まただ)

 自分が何か、母なる神の気にさわるようなことを考える。聞こえるか聞こえないかの声で、何か一言つぶやくと……とたんにこうして天気が荒れる。


 本来なら、この地方は全体に雨が少ない気候。なのに自分が生まれてこのかた、豪雨の日が異常なほどに増えている。ああ、これが『イエスへの、天からの荒い祝福』という訳か……お笑いだ。


 心の内で吐き捨てたとたん、雨は倍増しに勢いを増す。


「イエス様! 早くどこか、雨をしのげる所へまいりましょう!」


 逃げ惑いながら叫ぶ信者へ、黙ってって首を振る。


(少しだけ反抗的になっている)

 散りぢりに走り去る群集を見ながら、心中でぽつりつぶやいた。


 ……自分が神に対してすさんだ思いを抱くようになったのは、いつからだろう。いや、ちゃんと分かっている。『ユダ』という名を耳に染ませた時からだ。


 イエスはふうっと遠い目をして、ばらばらに逃げ去る群衆を見つめた。見つめながら、生贄になる運命さだめを思った。


 きっと自分が罪人として捕らわれる時も。周りの弟子と信者たちは、こうして逃げ去ってゆくのだろう。


(ひとりだな。自分は、どうしようもなくひとりだ)


 天界にいた時と同じことを、人間界でもしみじみ思う。


 この想いを癒してくれるその人を……。他ならぬ自分の救い主、ユダという名の女を、イエスは死ぬほど求めていた。


* * *


(雨だ……)

 墓場の中で、女はひとりつぶやいた。


 大岩に長年の風が吹きつけ、えぐり抜いた天然自然のどうくつが、この地方の一般的な墓場である。その墓場を隠れ家として、女はカリオテに住んでいた。


「あめ、雨、びちゃ、びちゃ……ぴちゃ、ぴちゃちゃ……」


 女は馬鹿かほうのように、たわいない歌を口ずさむ。むき出しに並ぶひつぎのひとつを椅子がわりに、ひとりっきりで歌を歌う。


 ふいに女が歌をやめ、怯えた様子で顔を上げた。人の声と、水をはねかす音がする。


(――隠れなきゃ。隠れなきゃ! 見つかったら犯される!)


 棺の影に身をひそめ、息をつめて様子をうかがう。若い男どもがふたり、ぎゃあぎゃあ言いながら隠れ家の中に飛び込んできた。


「いやあ、急にひどい降りだな! これ見ろよ、下着の中までびしゃびしゃだ!」

「よせよ、そんなもん見たくもねえや!」


(雨やどりか……)

 男ふたりのやりとりに、頭の中でため息をつく。


 やだな。早く雨がやめばいいのに。

 そんで、ふたりともとっとと出てってくれればいいのに。


 ……内心で毒づく女の耳に、男たちの声が響く。


「いやあ! しかしさ、すげえ美人だったな! 何だっけ、何て名前だっけか?」

「ややこしい名だよな、確か……『イエス・クリス・テ』? だっけ?」

だってよ、たいがい頭イカれてるよな! しかも女だぜ、女。あの細腕でローマ帝国潰す気なのかよ? せっかくの美人、見た目を生かして娼婦にでもなりゃ良いのによ!」


(救世主?)

 聴こえた言葉に、ひとりひっそり首をかしげる。


 イエス・クリス・テ……。女の人なの? 美人なんだ……。見た目じゃなくて、その人の中身が知りたいな。いったいどんな人だろう……?


 耳をすませる女の耳に、男たちの声が響く。


「いやいや、さすがにその言い草はねえだろう! そんな台詞、信者たちの耳に入っちゃただじゃ済まないぜ?」

「ビクビクすんな、オレたちの他にゃあ誰もいねえよ、こんな墓場に!」

「いや、まあそりゃそうだけどさ、万が一ってこともあるし……」


 口ごもった男の方が、仕切り直しに言葉を吐いた。


「いや、でもイエスって方は、実際たいしたお方らしいじゃねえか。どんな病人も触れるだけで治しちまうし、悪魔憑きも『悪魔よ、去れ!』の一言でぽーんと治っちまうって話だぜ?」

「関係ねーよ、オレたちゃ病人でもねえし、悪魔憑きでもねぇんだから。ま、信者になったら抱かせてくれるってんなら、話は別だがな!」


 た男の笑い声を聞きながら、気持ちがすっと波の引くように冷めてゆく。


 ……ふうん。

 じゃあおれには関係ないや。だっておれは、『悪魔の子』だから。


 少し輝いた女の瞳が、またぼんやりと霞んでゆく。


 ……イエス・クリス・テ。救世主。


 でもおれのことは、きっと救ってくれやしないや。悪魔憑きは癒してくれても、きっとおれはあしにされる。『悪魔よ、去れ』って吐き捨てられて、きっとその手で殺される。


 ……だって『悪魔の子』っていうのは、つまりは悪魔そのものだから。


 女はそれきりふたりの話に興味を無くした。ひとりひっそり息をひそめて、くだらない雑談を撃ち叩く、豪雨の音を聞いていた。


 半時間ほどで雨は上がり、男たちはようやく隠れ家を出ていった。


 女はそのまま棺のかたわらに横たわり、よどんだこんじきの目を閉じる。すぐさま夢も見ない眠りに堕ちて、かすかな寝息を立て出した。


 ……棺桶にすら納めてもらえぬ、生まれたての死体のように。


* * *


 疲れたな……。


 満月の輝く夜空の下に、イエスは深く吐息をついた。


 人いきれにまみれて過ごすと、とても疲れる。イエスはいつも微笑して、周りの者に優しく聖愛を説き続けて、でも本当はいつでもひとりになりたかった。


 天界では『神の御子』、この地上では『救世主』……身分ばかりに気をとられ、『敬愛して』くれる連中に囲まれて、気力は削られる一方だ。


 気力を削られ、疲れているのに、横になっても寝つけなくて。夜中こっそり宿の寝床を抜け出して、ひっそり暗い世界を歩く。いつしかそれが習慣になってしまっていた。


「……早く、ユダに逢いたいな」


 ぽつりその名をつぶやくだけで、胸の内にほんのり温い灯がともる。


『ユダ』。

 自分を真実、心の底から愛してあいしてくれる人。


 ……けれど、ユダと出逢えたとして、本当に彼女の手を引いていいのだろうか?


 そんなことをすれば、そこで運命の猶予モラト期間リアムは終わってしまう。イエスが彼女を布教の道に引き込んで、彼女を愛したら終わり。


 それがきっかけとなって、悲惨な運命さだめがユダを襲う。『イエスのまことの妹になる』には、ユダは永く悲惨な試練に、打ちたなくてはならないから。


「……そうか。ユダと逢っても、知らないふりですれ違うことも出来るのか……」


 言葉はくちびるを離れると、きらめくような絶望に変わる。目の裏が白くきらきらするような、胸に氷を抱いたような、不思議な感覚がイエスをつつむ。


 平凡に幸せに暮らしているだろう『妹』と、これきりずっと出逢わないまま。知らないふりで、一目遠くから眺めるだけで、あきらめて……あきらめる? 出来るのか、お前に? 孤独にさいなまれるお前に?


 物思いにとりつかれ、墓から蘇った生まれたての死体のように、ふらふら月夜の下を歩く。ひとりきり、ただただ歩み続ける。


 ……あてもなくふらふら歩くまま、知らぬ間に墓場の近くへと行き着いた。野生のくわの木が道ばたに一本大きく茂っている。


(……あれ?)

 まばたくイエスの栗色の瞳に、動くものの影が映る。


 誰かいる。桑の木から実をむしっては、次々むさぼっているようだ。

(不用心だな……こんな夜中に、人が出歩いているなんて)


 まるで自分を棚上げにして考えて、イエスが人影に歩み寄る。影はこちらに気づいたようで、びくっと大きく身震いした。逃げ時を失ってしまったのか、そのまま動きが止まってしまう。びっしり茂った桑の葉に隠れ、その顔立ちは分からない。


(肌が、黒いな……)

 人影をじっと見つめつつ、思わず内心でつぶやいた。


 黄ばみきったぼろぼろの衣、棒のように細い手足。そのくせ胸と尻回りには、女のイエスさえ()()()とするほど豊かに肉がついている。


 腰の辺りに巻いた縄から、古い革袋が下がっている。水が入っているのだろう。持ち物らしい持ち物は、その革袋ひとつきり……。そうして月の光を受け、桑の葉のあいだからちらちらのぞくその肌は、焼け焦げたように真っ黒だった。


「……お前、名は? こんな夜中に何をしている?」


 そう訊ねると、女は小さな声で答えた。


「食事を、しておりました」

「食事? 桑の実ばかりを、こんな夜中に?」

「……はい。おれは、夜中にしか表を出歩けないんです。おれは『悪魔の子』ですから」


 言いながら女が()()と桑の葉を、黒い左手で押しのけた。月の光にさらした顔に思わずはっと息を呑む。


(――美しい)


 長いまつ毛。荒れてはいるが、桃色のくちびる。

 そうして何よりなつかしい、しろがねの髪とこんじきの瞳! 双子の兄たちを想わせる、美しすぎる髪と瞳のその色合い!


 間違いない、これこそが神の言っていた『見ればすぐ、妹と分かる見た目』なのだ!


「お前が、ユダか……!」


 思わず口にしたその名前に、相手はゆっくりとうなずいた。


「見れば、旅のお方のようですが……あなたもおれのうわさは、お耳にされていたのですね」

「……いや? どういうことだ? うわさなど知らぬ、そも何故だ? どうしてお前は『悪魔の子』などと呼ばれるのだ?」


 せっつくように訊ねられ、ユダは淋しげに苦笑した。うわさを全部知っていながら、なぶっていると思ったらしい。


「よく見てください、この瞳を。この髪を。それにこの醜くくすんだ肌の色を」


 ユダは己の胸もとへしんなりと手を置いて、淋しい歌のように明かした。


「獣みたいな金の目に、老人みたいな白い髪。闇染めみたいな黒い肌。おれは、生まれつきこんな姿をしていたんです。とても人には見えないから、この地方の人は皆、おれのことを『悪魔の子』って呼ぶんです」

「……親は? 家族は?」

「おれはずうっとひとりです。父さんは、おれの生まれる前にやまいで死にました。母さんは、おれを産む時に、お産が重くて死にました。おれは両親のひとり娘……他に身よりもありません」


 一瞬言葉を失って、それを気づかれぬように、イエスは静かな口調で訊ねる。


「……それなら、いったいどうして暮らしているのだ」

「昼の内は、人目をさけて墓場にいます。他の人に見つかると、()()()()()をされるから……。日の沈むまでは、革袋の水だけ飲んで、それで何とかしのぐんです。夜だけこうして外に出て、木の実を食べたり泉の水を汲んだりします」

「……冬には、どうやって暮らしている?」

「……冬は……」


 ユダはぐっと黙り込み、己の胸もとをきつく押さえる。噛みしめたくちびるから血が出そうなほど、激しくくちびるを噛んでいる。


 ――ああ。

 厳しい冬、木々に実もならぬ冬、ユダはきっと。どこかの家の馬小屋に寝起きさせてもらう権利を、わずかなパンくずをもらう権利を、きっと、その体で……、


 ああ、何ということだろう。『一目で妹と分かる』その特別な見た目のために、お前は酷い目に遭っていたのか……!


 どうしようもない思いを抱え、すがる目つきでユダを見つめる。ユダの目には、怯えきった仔犬のような戸惑いがある。


『どうして見も知らぬ旅人さんに、隠れ場所まで打ち明けてしまったんだろう? この人が他の人にしゃべったら、どうなっちゃうか、分かんないのに……』


 そう語る金の瞳には、いまだ清さがあふれていて。


 分かった、もう他に道はない。

 ともかくも今の不幸から、この乙女を救わねば。


(もしもこのまま放っておけば……おそらくユダは不幸におぼれて、清い魂を穢してしまう。『最後の審判』で悪しき魂とされてしまえば、待っているのは永遠の地獄での責め苦……)


 そこまで考えて思いつめて、イエスは分からなくなった。


 腹の底からぽかぽか心地よく温かくなり、みるみる火のついたように痛いくらいに熱くなる。笑いたくて、泣きたくて、天へこの指を突きつけて神へ何かを叫びたい……、


 気持ちがぐちゃぐちゃでめちゃくちゃで、もうどうして良いか分からない。分からないまま気がつけば、両の手で思いきりユダを抱きしめていた。


「……良くぞ、生まれてきてくれた」


『ありがとう』と『ごめんなさい』がごっちゃになって、思わずそんな言葉がこぼれた。


 自分のわがままな願いがきっかけで、そんな苦しい思いをして。

 でも自らの死を選ばず、ひとりっきりで今まで生き抜いてきてくれて。


「……ありがとう……」


 ユダが小さな悲鳴を上げて、絡む腕から必死に逃れる。その場にへたへたとしゃがみこみ、潤んだ目をしてこちらを見上げる。


 ――どうしていいか、分からないよ。『ありがとう』なんて言われたのは、本当にこれが初めてだから……そう語る金の瞳から、透けるしずくがあふれ出る。


「……なんで……?」

「……なんで、とは?」

「なんで、そんなこと、言えるの……? おれ、おれ、『悪魔の子』だよ……? 皆がみんな『何で生まれてきたんだ』って……『生まれてこなきゃ、良かった』って……!」

「それはそう言った奴らの方が()()のだ」


 イエスがふいに表情を硬くして、強い口ぶりで言いきった。


つやのある夜色の肌、はちみつ色の金の瞳、はつしものごとき白銀の髪。その美しい見た目だけで『悪魔の子』などと決めつけるとは。そのような者こそ、真実『悪魔の申し子』だ」


 ユダが泣きながら息を呑む。

 自分の価値観が引っくり返り、醜いと思っていた自分の容姿を美しい表現でほめられる。ユダは金の目を何度もなんどもまばたいて、目の前の白い衣の女を見つめる。


「……あなたは、なんなの……?」

 今さらながらの問いかけに、思わず微笑がほおに浮かぶ。


「――自分は、イエス。ナザレのイエス・クリス・テだ」


 ユダが大きな金の瞳を、これ以上ないくらい見開いた。思わずひれ伏すユダの肩に、ありったけの想いを込めて手を触れる。


「おいで、ユダ。今からお前を、イエスの十二人めの弟子としよう」


 空いた手を優しくさしのべて、神の子は確信に満ちてこう告げた。


「ユダ。お前は『悪魔の子』ではなく、いずれ神の末の子となるだろう……」


 嘘ではない。

 嘘ではない。

 だが、そこに至るまで、お前がどれだけ酷い試練を受けなければならないか、今は言わない。今は、言えない。


 少しだけひずんだ笑みを浮かべつつ、イエスが白い手でユダをうながす。その右手に、ユダが左手を恐るおそる差し伸ばす。


 白い右手と黒い左手が、やわく優しくつながれた。


「……すまない……」


 未来の悲劇を予感して、イエスの口から思わず言葉がこぼれ出る。


 不思議そうに首をかしげた『妹』が、にじんだ瞳で微笑んだ。天上にいたころの兄たちを思わせるような、あまりにも美しい笑顔だった。


 兄たちが互いにたがいを見交わす時の、愛にあふれた笑顔だった。ついに自分には向けられなかった、うらやましくてたまらなかった、あの笑顔……。


『手に入れたのだ』と思った。ついに手に入れた、最愛のひと、その笑顔。


 ――また、もうじきに、失うけれど。

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