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右手と左手

 いったい何だ、なんだってんだ!? ぼくはどうしちまったんだ!?


 ミカエルが嵐のような心の内で、獣さながらに惑《まど》うて叫ぶ。


 なんなんだ、いったい何なんだ!? 気がつけば血まみれの神の剣、ぼくに斬られて血まみれの兄さん、髪をふり乱し、真っ赤に濡れて、すがるような目でぼくを見つめて……!


 ミカエルの意識にふっとイエスの白い指が蘇《よみがえ》る。昨夜のあいつのあのしぐさ……ぼくのひたいにひたりと触れた、あの白い指、細い指……!


 あぁあああ何もかもイエスのせいだ! あの女、ぼくにあの時呪(まじな)いを!


「――ミカエル!」

 兄さんが必死にぼくを呼ぶのに、返事も出来ない、勝手に口が笑みを浮かべる、体じゅうがまるで言うことを聞いてくれない!


 止まれちくしょう、この両手! いっそばっさり斬り落とそうか! やめろ雷、これ以上兄さんを傷つけるな!


 そんな願いを打ち砕くよう、無情な雷が兄さんの両目を引き裂いて……とっさに伸ばした左手が、左手に握った神の剣が、兄さんの青い鎧《よろい》の胸を――


 ざりりりりぃ……っ!

 最愛の肉をかっ斬る感触、噴き出る紅《あか》色、生命《いのち》の臭い――兄さんの胸が、ざ(・)く(・)ろ(・)みたいに、このぼくの手で斬り裂かれて。


 死にそうな笑みとくずおれる足、兄さんが遠い処《ところ》に堕ちてゆく……赤く染まった十二の羽、悪しき天使らとまっさかさまに堕ちて墜ちておちてゆく!


「――にぃさああああん!」


 絶叫しながら伸ばした手は、かすりもせずに空《くう》を掴んだ。




 ……生きてるんだな。生きてるんだ。兄さんはもういないんだ。


 手も足も頭もそのままで、心だけがからっぽで。


 右手と左手、今までずっとつないでた。

 兄さんとぼくと、ふたりでつないで生きてきた。


 兄さんの右手はもうないのに。兄さんはもういないのに。


 ここで、こうして生きている。なんで、ぼくだけ、ここにいる……?


 声も出ない。涙も出ない。ミカエルはその場にずっとへたり込み、ただただ深い亀《き》裂《れつ》の底の、ぼっかりとした暗闇ばかり見つめていた。

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