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人魚の怪  作者: 丹部柿太郎
3/3

《後編》くだされる罰

 眺めていてもしょうがない。腹をくくるべきだ。


「入るか……」


 ため息をついて浴室の扉に手をかける。武雄の父親が帰ったあと、編集長と俺、念のために田辺の三人は近くの神社でお祓いをしてもらい、厄除けの札や破魔矢などをたんと購入した。

 悪意のなかった純朴な青年でも罰がくだったんだ。雑誌の記事にする気満々だった俺を人魚が見逃してくれるとは思えない。


 言われなくても入浴はしない。だが体を洗わずに一生を過ごすわけにもいかない。

 浴室に入り室内をひととおり見回してから、蛇口をひねる。

 シャワーなら溺死できないよな?

 そうだよな?

 ビクビクしながら手早く洗い終えて、飛び出すように浴室から出る。

 ひとり暮らしだから自宅で死んだら、みつけてくれるのは社の人間か大家か警察か。絶対に素っ裸では死にたくない。


 大急ぎで下着を着てほっとひと安心する。

 とりあえずビールだ。飲まずにやっていられるかっ。



 ◇◇



 飲みながら持ち帰った原稿をやっていたら、いつの間にかテッペンを超えていた。

「寝るか」

 集中しているときは忘れていたのに、ペンを置いたとたんに人魚を思い出した。

 寝られるかなと不安になりながらトイレに行く。泊まる女もいないから、フタも便座も上げっぱなしだ。

 ズボンに手をかけ――


「ぎゃっ!」


 突然足払いをされ、狭い室内にくずおれる。


「なんだっ!?」


 と叫んだ瞬間、後頭部を凄まじい力で押されて便器に顔をツッコんだ。とっさに縁を掴み必死に抵抗する。

 目前には水。

 人魚だ。

 ここで俺を溺死させるつもりなんだ!

 鼻が水面をかする。

 嫌だ、俺はまだ死にたくない!


「萩さん! 悪かった!」

 叫んだら顎が水面を打ち、水が口に入った。

「ゲホッ、ガホッ……!」

 くじけるな、俺!

「詫びに月命日に最高級の日本酒を備える! それから春は筍、夏は蕎麦粥、秋は松茸、冬はボタン鍋! 好物なんだろ!」


 それは武雄の父親が教えてくれた品だった。巻物によると海に住む萩は、竹吉が与えた陸の食べ物を相当に気に入り逢瀬の度に食べていたそうだ。その中で特に好きだったものを、剥製の萩に備えているという。


「知らなかったとはいえあんたの愛の結果を、好奇心で覗いたのは申し訳なかった。本当にすまん!」

 脳裏に人魚の姿が蘇る。

「あと! 毎シーズンごとに最新流行の服も供える! ブラウスとかショールとか! 丸出しの上半身に掛けるもの!」


 ふっと頭を押さえる力が消え、俺は反動で背後にすっ転んだ。


「……萩さん?」

 返事はない。気配も。


 服のお供えが効いたのだろうか。

 人間世界の食を好み、外見を気にして罰を与えるというのならもしかしてと、とっさに思いついたことだったんだが。


 壁にもたれて、濡れた顔を拭う。

 萩は恐ろしい怪異ではなく、哀しい女性なのかもしれない。


「……っと、編集長に電話しとくか」

 萩が現れたら服を供えると約束するように、と。



 ◇◇



 人魚の怪から半年。俺はまだ生きている。約束どおりに萩の月命日に供え物はかかさない。毎月東北まで行くのは大変だから、実際に足を運んだのは最初の一回だけ。あとは自宅内に作った空の祭壇に供えている。

 編集長も同様にして、元気に日々を送っている。田辺は、そもそも怪異にあわなかった。


 武雄の父親は崎戸家は彼の代で終わりにすると決めたようだ。いずれ萩は、彼が法要を営み自宅の敷地に埋葬するという。そのために仏教の勉強を始めたとか。

 正直、もったいないと思う。

 あれほど素晴らしい人魚はほかにはないだろう。オカルト雑誌の記者としては、武雄と同様に世間に知らしめたい気持ちが強くある。全国民が知るところになれば萩も、罰を与えてまわることはできないだろう。


 だが――


 名主の息子である竹吉は、萩に出会う前から許嫁がいたそうだ。

 だから。自分を剥製にしろと萩が言った裏には愛する人のそばにいたいとか、竹吉の心が許嫁の元に行くのが悔しいとか、そんな思いもあったのではないかと思う。

 もうそろそろ静かに眠らせてあげる頃合い――なんてのは、ちょっと乙女が過ぎる感情だろうか。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 恐ろしさの中に、萩さんの愛しい人の側にいたいという切ない思いが見えてきて素敵なお話だと感じました。 そして上半身に掛けるものを供えると言われて許したところが、乙女でいいなとほっこりしました…
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