告白しようとしていた幼なじみに「幼なじみ解消宣言」をされたんだけど、俺はこの先どうすればいいですか?
テーマは「肩書きなんてぶっ壊せ」
「——幼なじみをやめさせてっ!」
朝。
布団の中で寝ていた俺の耳を劈いたのは、そんな高らかな絶叫であった。
「…………んぇ?」
「あっ、ごめん……。寝てたよね? もしかして、起こしちゃった……?」
「うん。まぁ……、今の声を聞いたらさすがにね」
夜中に雷が鳴ろうが、地震が起きようが、大抵のことでは起きない俺とて、今のを聞いたら目覚めざるを得ない。
とりあえず体を起こして、ベッドから這い出る。記憶違いでなければ今日は月曜日だったはずだ。昨日はゲームで夜更かししたんだっけ……。おかげで今もあくびが止まらない。——はぁぁ。眠いな。
となると、今の発言……。
寝ぼけた俺の聞き間違いという説もある。
重たい瞼を何とかこじ開けて、それから俺は彼女のことを見据えた。
「おはよう。侑芽」
「おはよっ、和人」
よしよし。どうやら目の前にいる人物は侑芽で間違いないようだ。
これでもし、喋っている相手が知らない人だったらホラーだからね。俺多分殺されちゃってるからね。そうそう。だから一応の確認だ。
——彼女の名前は侑芽。俺の家の隣に住んでいる幼なじみ。
かれこれ十七年間の付き合いになるだろうか。物心ついた頃には、俺の隣に侑芽がいた。
どんなときだって、常に一緒だった。遊ぶときも、勉強するときも、旅行へ行くときも、大抵のことは侑芽と一緒に過ごしてきた気がする。
お互い、マンガを読んだりアニメを見たりするのが好きで、そういったインドアな性格が一緒だったのが、俺たちの関係に拍車をかけたのかもしれない。家族ぐるみの付き合いも相まって、隣人という言葉では片付けられないほどに俺と侑芽の関係は深いのだと思う。
小学校から高校まで、通っていた学校も同じで、クラスさえ去年は一緒だった。もうここまで来ると運命共同体と言われた方が納得できるかもしれない。おかげで学校のみんなからはたまにヤジられるけれど、それでもお互い『良き友人』『良き幼なじみ』として、今日この日まで生きてきたつもり……なのだが。
侑芽は……今、なんて……?
…………。
あ、ああ……。そうだ。寝ぼけていたんだな俺は……。きっとそうに違いない。日曜日なのに夜更かしをしたせいだ。まったく。俺というやつは……。
「起こしに来てくれたのか?」
「うん、ついでにねっ」
「……ついで? ああ。……またうちの朝食狙いだな?」
「えへへっ、バレちゃった?」
「いや、バレるっつーの。そっちの家で朝ごはんは食べたんだだろ? まったく、ご飯何回目だよ」
「だってー。うちのご飯今日は少なかったんだもん……」
「だからって俺の家で食べなくても……。まぁ母さんのことだし、いつもみたく侑芽の分も喜んで作るんだろうな……」
「今日のご飯は何かなぁ……? 楽しみにしてるんだっ」
「そうかよ」
「えへへっ」
「ははっ」
「…………」
「…………」
「————幼なじみ、やめたいの?」
「うんっ、やめたいっ!」
すごい満面の笑みでそう言われた。はっきりと言われた。
——聞き間違いじゃないのかよ!
思わず苦笑いしてしまった。「そ、そうか……」と言う他なかった。
い、いや、落ち着け俺……。冷静になるんだ。
状況を整理しろ。目の前にいるのはどう見ても幼なじみの侑芽だ。異体同心、切磋琢磨してきた仲のはず。
そんな侑芽がこの関係を、幼なじみをやめたいだなんて言うはずがない。他でもないあの侑芽だぞ? 絶対にあり得ない。あり得ない……はずなんだが。
うーん……でも聞き間違いとも思えないし……。だいたい幼なじみを辞めたいってどういうこと? そんな辞めるとかいう制度あるの?
「えっ、幼なじみをやめるって、えっと……なに?」
恐る恐る尋ねた。
侑芽は顎に手をやって、じっくり考えた後に口を開く。
「そうだねぇ……。どういうことかって言うと——これまでの関係をリセットして、新しい関係になる、みたいなことかな……?」
「リセット……」
ははぁ、なるほど。
ということはつまり…………えっ、どういうこと?
なんとか言葉の意味を理解しようとするも、それはふわふわとした結論にしかなり得ない。
関係をリセット——侑芽はそう言った。
俺たちが幼なじみという関係であることは言うまでも無いだろう。俺も侑芽も、そこは否定しないはずだ。その既に出来上がった関係を終わらせたいのだと、侑芽は言うのだ。
だから、つまりそれって——
それって——
いやいやいやいやいやいやいやいや。
「お、俺は……辞めたくないんだけどなぁ……」
俺としたことが、声音も台詞も情けない声が漏れてしまった。どこへ行くでもない弱々しい声が、何かに吸い込まれるように消えていく。
いやだって仕方ないじゃん。
俺はこの関係が好きだったんだから。侑芽といる時間が本当に楽しかったんだから。この関係を捨てろと言われて、ああ分かりましたと言えるほど俺はドライな人間じゃないんだ。
それに……。
それに俺は……。
俺は……侑芽のことが好きなんだ。
一緒にいて暖かい気持ちになる。侑芽を見ると鼓動が早くなる。近くにいるけれど、また会いたいと思う。
そんな気持ちに俺は名前をつけられずにいた。ずっとモヤモヤしてきた。ようやく自分の気持ちに気付いたのが二年前だった。それはもう中学校を卒業した頃で。……そうだ。気付くにはあまりにも遅すぎた。
タイミングが分からなくて、悩んで苦しんで、それでも侑芽はいつも通り俺に接してくれて。
だから、早く告白しなきゃって。
そう、思っていたのに……。
「ごめんね、急に変なこと言っちゃって」
「いや……、別に俺は……」
「——でも、わたし本気なんだよ」
そう言う侑芽の瞳は真っ直ぐだった。
嘘偽りなど無いのだと……、幼なじみだからだろうか、聞かずとも分かってしまった。
「そうか……。ははっ……。そりゃ参ったな。幼なじみってどうやって辞めるんだろうな……」
頭が回らない。
なんで今になって侑芽はこんなことを言うんだろうか。
その疑問だけが頭を渦巻いていて……。思考がうまく纏まらずにいる。
どう言う意図なのかは分からないけれど、幼なじみという関係さえ解消してしまったら、俺たちはこれからどうなってしまうのだろうか。
侑芽は俺と、幼なじみでいることが辛かったのだろうか。
一緒にいることが、辛かったのだろうか。
もしこれが、互いに干渉したくないという意味だったら……。
俺が侑芽のことを知らず知らずのうちに傷付けていたとしたら……。
そうだとしたら……。
とても、告白なんて……。
「——うーん、確かに。……そうだっ、和人も一緒に考えてよっ! 幼なじみのやめかた!」
「——残酷すぎん!?」
すごい明るい声で侑芽にそう言われていた。めちゃくちゃ笑顔だった。
えっ、俺も一緒に考えるの……!? 嘘でしょ!?
***
スマホで『幼なじみ やめ方』とか検索してみたけれど、いい感じの答えは見つからなかった。絶交をしたい、みたいな人間関係のガチ相談がいっぱい出てきてちょっと悲しい気持ちになりました。
「——なぁ、侑芽。やっぱり幼なじみってやめられるものじゃないと思うんだけど……」
俺はスマホをポケットにしまって、侑芽の方へと向き直った。人間関係は確かに変わるものだけど……、変わるべきではない、変えることのできない関係だってあるはずだ。
侑芽と俺の関係がそうあって欲しいという願望はある。だから俺は声にするしか無いのだと気付いた。
これまでの関係を失いたく無いから。
そしてこれからも侑芽と一緒に過ごしていくために。
「そっかぁ。やっぱり幼なじみはやめられないかぁ……」
「……そうだよ。そもそもやめる必要なんて、どこにもないだろ?」
そう、声にする。
俺たちは今までもこれからも、幼なじみであり続けるんだ。
「俺たちはこれからも幼なじみだ」
例え侑芽が俺のことを嫌いになったとしても、過去の楽しかった思い出が消えるわけじゃない。
全部を否定する必要なんてどこにもないんだ。だから、俺たちの関係を変える必要もまた無いのだと、そう思えて……。
「——わかった。じゃあ幼なじみをやめるって言うの、やっぱナシだね」
「えっ」
侑芽が立ち上がって、そう言った。
「この関係をやめないと、私たちは前に進めないかなって思ってたんだけど……ううん。そんなことないよね。きっと両立できるもん」
「えっと……侑芽さん?」
「ん? なに?」
「えっと……つまりどういう……?」
侑芽がすごい満足そうな顔をしているけれど……。ちょっと待ってほしい。ついていけてないぞ俺。
両立……? 両立ってどういう……?
そもそもなんで、侑芽は幼なじみをやめたいだなんて言い出したのだろうか。
俺と侑芽は仲良しの関係だ。侑芽がその関係を否定すること自体、やっぱり考えにくいことなんだ。
とすると、侑芽の言っていた「幼なじみをやめたい」という台詞には何か意味があるんじゃないか……?
そう思い付いたのと、侑芽が声を発したのは、ほとんど同時だった。
「——わたしね、和人ともうちょっとだけ仲良くなりたいなって?」
「……侑芽?」
「あ、ううん。なんていうか、その……うまく言えないんだけど……」
侑芽が手をもじもじとさせながら、なんとか言葉を紡ごうとしているのが分かった。
自信なさげな声で、呟くような声量で続きを口にする。
「わたしたちって、幼なじみじゃん?」
「うん。そうだね」
「でも、自分の気持ちはそうじゃないっていうか……。そんな関係になりたいわけじゃないっていうか……。——あっ! 違うよっ? 和人と幼なじみでいるのがイヤっていうわけじゃないんだけど、それでも、違和感はどこかにあるみたいな、そんな感じで……」
「…………」
侑芽の言葉を聞いて、俺は言葉を見つけられずにいた。
侑芽の抱くその感情が何かは俺には分からないけれど、似たような気持ちに自分もなっていたことを思い出した。
幼なじみという関係が、肩書きが——俺にとっては救いであると同時にしがらみでもあったんだ。
前に進むことが怖かった。
言葉にすることが怖かった。
この関係を壊したくはないから。
ずっとこの関係で居続ける方が楽だから。
だから、俺は今日まで進めなかった。前に踏み出せなかった。何もできなかった。
——これじゃ本当に情けない。
侑芽が勇気を振り絞って言葉にしてくれたのだから、俺はそれに応える必要がある。
例え幼なじみという関係をやめることになっても、それでも俺は——
俺は、自分の気持ちに向き合わなきゃならないんだ。
「——侑芽」
無意識だった。
気がついた時には声をかけていた。
勢いだっていい。恥ずかしいままでいい。
今はただ——
この関係から、少しでも前へ進むべきなんだ。
「——俺は、侑芽のことが好きだよ」
***
「わぁ、美味しそうな卵焼きだ!」
「うふふ。遠慮せずに食べてねー」
今日の朝食はだし巻き卵のようだ。
予想通りと言うべきか、母さんは嬉しそうに侑芽にも朝食を振舞ってくれた。
ふわふわの卵焼きからは白い湯気が立ち上り、仄かな香ばしい匂いが鼻腔をくすぐってくる。
「いただきますっ!」
「……侑芽、何度も聞いて悪いけど、朝ごはん食べたんだよね?」
「食べたよ? でもこれは別腹です!」
そう宣言して、侑芽は美味しそうに隣でご飯を食べていた。小さな口にこれでもかというくらい大きな卵焼きを頬張っている。なんだかこっちまでほっこりしてしまいそうだ。
半分は心和む気持ち、もう半分は驚きの気持ちでその姿を見ていると、
「それにしても、侑芽ちゃんとアンタ、本当に仲良いわよね」
母さんが小さく笑いながらそう言っていた。……呆れたような表情も滲ませている。
まあ、そうだよな。もう十七年にもなるんだから、いい加減呆れられていても文句は言えない。
それでも俺たちは、仲の良い幼なじみであり続けると思う。
これからも、俺たちは幼なじみであることに変わりはないし、変わらないつもりだ。
「——はいっ、和人くんとは幼なじみなんでっ」
——彼女の名前は侑芽。俺の家の隣に住んでいる幼なじみ。
そして今日から、俺の恋人になった人だ。
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