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ワールド・スイーパー  作者: 秋谷イル
外伝・箒神新話
142/142

彼女が歩んだ道の果て

「すまない……」


 夫は、死の間際になっても謝り続けていた。もう以前のような明晰な彼ではないのだから仕方がない。本来これは、もっとずっと昔に訪れていたはずの結末。

 だからニャーンは、豪奢な寝台に横たわっている彼の手を握り、軽く頭を振って微笑んだ。


「もう、そんなに何度も謝らないで。私は幸せでしたよ」

「ああ……やっぱり、置いていきたくない……」


 彼は涙する。だとしても、数十年前に下した決断を今さら覆すことはできない。彼はすでに精霊との同化を解いて長く、年老いて、そして今この時にも息絶えようとしている。

 自然の摂理だ。誰を恨むこともしない。

 もちろん彼に対しても。


「ありがとう、あなた。いえ、ズウラ……貴方が一緒に歩いてくれたおかげで、私はずっと人としての幸せを享受できたの。とても幸せだったし、これからもきっとこの思い出に支えられていく」

「ごめん……ごめんな……ごめん……」

「謝らないで」

「別れの時くらい、安心させてやれ、馬鹿兄」


 年老いたズウラを叱責したのは、まだ若い姿のままのスワレ。妹の言葉にようやくズウラはわずかだが正気を取り戻し、目の前にいる妻を見つめて静かな声で語りかける。


「幸せだったよ……君と生きられた時間は、何よりも素晴らしかった」


 ただ、疲れてしまった。千年という時間は、人の精神にはあまりにも長すぎた。どれだけ幸せでも、誇らしくても、摩耗して死を望んでしまうほどに。

 だからズウラは、七十年前に精霊との同化を解いた。それからゆっくりと年老いていき、ついに別れの時を迎える。

 何よりも辛いのは家族を置き去りにすること。特に、永遠に生きるであろう妻から離れてしまうこと。

 後悔と自責の念が押し寄せ、再び謝罪の言葉を口に出しかけた彼だったが、そのタイミングで看取りに来てくれた師が声をかける。


「ようやった。お主はやれるだけのことをやったぞ。誇れ、ズウラ」

「……はい」


 ああ、こんな時にまで助けてくれるのだなと心からの感謝の念を抱く。アイムには助けられてばかりだった。

 でも、おかげで心は少し軽くなった。罪悪感は消えていないけれど、まだ彼がいてスワレもいる。この大地には子孫たちも数多く存在する。

 だから大丈夫だ。きっとニャーンはみんなに支えられていくに違いない。半ば自分に言い聞かせつつ肩の力を抜くズウラ。

 直後、彼の命を支えていた最後の糸がぷつりと切れた。

 静かに息を引き取る、第四大陸最大の国の初代王。救星の英雄の一人にして大地の化身と謳われた偉大な祝福されし者。


 テアドラスのズウラだった彼は英雄となり、女神の伴侶となり、王となって、この瞬間に次の生に向けて旅立った。


「あなた?」


 呼びかけるニャーン。彼女の姿も昔と全く変わらない。神となった彼女は不老で不死だからだ。きっと、この場にいる誰よりも長く生き続ける。

 そんな彼女にとってズウラと過ごした千年は、いつか長い人生のごく一部、一瞬と変わらない記憶になるのかもしれない。

 それでも今は、今この瞬間には千年もの長い時を共に過ごした最愛の伴侶を失ったのである。


 しばらく我慢していたが、それでもやっぱりニャーンは泣いた。昔のように大きな声を上げて、少女のように、駄々をこねる幼子のように泣き続けた。

 行かないで、行かないでと何度も何度も呼びかけ、冷たくなっていく夫の体を揺すりながら。

 彼女はまた、大切な存在を一人失った。




 ――それはズウラが去ってから数十年後の告白。


「ごめんなさい……私も、限界なの……」

「うん……」


 親友スワレの言葉に、ニャーンは驚かなかった。いつか、こうなる日が来ると覚悟していたから。

 今まで耐えてくれたのは、ズウラを失った時の姿を見せてしまったからだろう。だからスワレはさらに百年近くも待ってくれた。

 けれど、やはり彼女も、ここから先を歩むことはできないらしい。

 ニャーンは椅子から腰を浮かせると、泣きながら頭を下げている親友の手を取り、言葉を選ぶ。ここでこちらまで謝ったら、かえって彼女を苦しませるだろう。

 だから、あの時のように微笑む。夫と死別した時のように。


「ありがとう」

「ニャーンちゃん……」

「スワレちゃんと友達になれて良かった」

「……うん」


 向こうも、兄への最後の言葉を思い出し、謝り続けても意味が無いと悟ったようだ。顔を上げて笑い返す。


「私も、ニャーンちゃんに出会えて良かった」

「うんっ」


 頷き合う少女たち。

 二人はそれから、さらに数十年の時を共に過ごした。精霊との同化を解き、老いる体に戻ったことでスワレは徐々に弱っていったが、心は逆に落ち着いたままだった。

 彼女は強い。この強い心に、どれだけ支えられて来ただろう。夫に守られ、スワレに支えられ、そのおかげで千年以上の時間を心穏やかに過ごすことができた。


 ――最後のその瞬間になっても、少女たちはまだ互いを見つめて微笑み合う。


「とても楽しかったわ、ニャーンちゃん」

「私も楽しかったよ、スワレちゃん」


 アイムも声をかける。もう、あの時代からの共通の仲間は彼だけ。


「達者でな、スワレ」

「アイム様も、ありがとうございました……」


 ――と、そこにもう一人。正確にはもう一羽、忘れられていた存在が割り込む。


『よろしいのですか、スワレ。ここが最後のチャンスです』

「そうね、キュート。でも、いいのよ」


 今さらだわと微笑むスワレ。彼女は多くの男たちから求婚されたが、結局一度も応じなかった。

 初恋を抱いたまま、ここまで歩いて来たのである。せっかくここまで続いた恋を死の間際に終わらせてしまいたくはない。

 その思いは思考を読み取る怪塵の集合体たるキュートには伝わったようだ。


『そうですか。では、お達者で。貴女の命は、おそらくあと五分以内に尽きます』

「そう……」


 くすりと笑うスワレ。もう五分だけという気持ちと、まだ五分もあるという気持ちが同時に湧いて来る。

 死を待つまでの間、また見送りに来てくれた者たちの顔を見渡した。他のものたちが気を利かせてくれたため、ここにいるのは自分たち三人と一羽だけ。

 兄もきっと、こんな気持ちだったのだろうなと実感した。大切な者たちを置いていかなければならない。でも終わりの見えなかった人生からは、ついに解き放たれる。

 悲しみと喜び。喜びと悲しみ。相反する感情が際限なく膨れ上がりせめぎ合う。

 それでも彼女は、最後まで激しい動揺は面に出さず、笑い続けた。最も大切な親友にこの先もそうあって欲しいと願い、祈りながら。


 ありがとう。

 もう一度、そう言いたかったのに、いつの間にか声が出なくなっていた。抗い難い睡魔に似た感覚に見舞われ、まぶたも重くなっていく。

 けれど、見つめていたい。最後の最後まで彼女の顔を。自分にこれほど幸せな人生をくれた神様の姿を。

 脳裏には次々に思い出が蘇ってくる。そして、そんな膨大な記憶の中で一際強く輝いているのは、あの日あの時の記憶。

 神となったニャーンが、アイムの背中に乗って戻って来た瞬間。再会の抱擁。歓声に包まれるズワルタの大地。

 最も輝かしい栄光。彼女と友達になれたことを、他のどの時よりも強く誇りに思った瞬間。


(ありがとう……)


 ついに耐えきれなくなって瞼を閉ざす。けれど意識はまだあって、頭にそっと何かが優しく触れたのがわかった。


「おやすみ、スワレちゃん」

「よう、頑張ったな」


 ああ……本当に自分は幸せだ。

 親友と、想い人に見送ってもらえたのだから。喜びを噛み締めて、スワレもまた次の生へ向けて旅立って行った。




 スワレが去った後、ニャーンはしばらく自分の屋敷を出られなかった。ただぼんやりと椅子に座って時を過ごす日々。

 やがて、アイムに問われた。

「大丈夫か?」

「……はい」

 強がりではなく、本当に大丈夫。もう少ししたら立ち上がれそう。きっと今までの別れが心を少し強くしたのだと思う。

 あるいは、ただ単に麻痺しただけか。

 親友との別れはスワレが最初ではない。あの時代を共に戦った仲間たち、特に世代の近いヌールやメェピンとの別れの時にはやはり深く悲しみに沈んだし、つい数年前にもスワレより先にプラスタの『記憶』と別れを済ませた。

 怪塵に記録された情報。いわば霊のような存在だった彼女も、やはり心は人のままだった。だから耐えられなかった。


 彼女に、もう先へ進みたいと言われた時は、ズウラの時より大泣きしてしまった。

 プラスタとの別れは二度目である。だからか最初の時より悲しく感じた。

 けれど、結局は当人の意志を受け入れて、怪人に記録された情報を消去した。そうしなければ本当の死を与えることはできない。もしも情報を残しておいたら、いつか必ず蘇らせてしまう。

 この手で親友を殺したようなものだと思う。だからあの時は、年単位で落ち込み続けた。神としての使命に支障をきたしたほどだ。


 ただ、おかげで深く反省して、その反省をスワレとの別れに活かせたのだと思う。三度目の正直。今回こそは、本当に綺麗にお別れを済ませられた。


「よし、おしまい」


 悲しみに浸るのはここまで。いつまでもこんなところに座り込んでいたってなんにもならない。プラスタとスワレが愛したこの世界を守るためにも、自分はまた神としてしっかり使命を果たさなければ。

 勢いをつけて立ち上がる。

 立ち上がろうとした。

 なのに立てない。

 どうしても、立ち上がれない。


「アホウが」

『もっとゆっくり休むべきです』


 こうなることを予想していたアイムとキュートがやって来た。そして二人がかりで強く抱きしめてくれる。


「人の心など、そう簡単には強くならん。たとえ神になろうともな」

『泣いていいと思います。貴女はむしろ、そうあるべきだ』


 優しく諭され、ついに堪えていたものが決壊した。

 結局ニャーンはまた大泣きして、泣いて、泣いて、泣き続けて、ずっと長い時間をかけてスワレとの別れを受け入れていった。これ以上の悲しいことが起きませんようにと祈りながら、きっと、その願いが叶わないことも悟りつつ。

 彼女の長い旅は、まだ始まったばかり。




 そして、長い歳月が過ぎた。本当に気の遠くなるような時間が。

 ニャーンは、ここしばらく自分の使命に打ち込めていない。心に空いた大きな穴がどうしても塞がらないから。

 何度も何度も思い返す。今までの数々の出会いと別れを。

 そして、彼の最後の言葉を。


「生きろ」


 ――たった一言。それだけ言って、別れを惜しむ間も与えず、彼女をこの旅に導いた大英雄アイム・ユニティは死んだ。目の前で人の姿の肉体が崩壊し消滅して、同時に狼の彼も消え去ったのだと神の権能で悟った。


 アイムはいない。

 もう、二度と会うことはできない。

 あの別れは、いったいいつのことだったろう? それこそ気の遠くなるほど昔の出来事だった気もする。


「……」


 怪塵を使って一冊の本を再現した。

 アルバルが書いてくれた、あの頃の自分の伝記。この本のおかげでいつでも当時の記憶を鮮明に思い出せる。ずっと支えられてきた。

 けれど、今はこれも読むたびに辛くなるばかり。 

 ずっと働いていない。そのせいで宇宙のあちこちが『悪意』で淀んでいるのを感じる。彼女が落ち込んでいる間、使命はアルトゥールが代行してくれているようだ。申し訳ない。

 このまま消えてしまいたい。使命に背き続ければ、いつかその時が来るのではないかと願ってしまっている。恥ずかしいことだとわかっているのに、そう願うことをやめられない。


 彼女はもうズワルタにもいない。ここは神々の庭園。

 あの星は無くなってしまった。地球のように人類の愚かな行動で消え去ったのではなく、寿命で。膨張した恒星に飲み込まれて消滅した。

 故郷との別れも悲しかった。プラスタとの別れも、ズウラとの別れも、スワレとの別れも今なおこの胸を切り裂く激しい痛みとして記憶されている。

 でも、やはり、アイムを失った悲しみは比べ物にならない。


「限りなき獣じゃ……なかったんですか……」


 終わりはないと思っていた。彼だけはずっと傍にいてくれると。きっと永遠の時を共に歩んでくれると信じていた。信じようとしていた。

 けれど、そうはならなかった。

 彼の精神も摩耗していたのかもしれない。でも死因は『悪意ある者』たちの攻撃による致命傷。彼ほどの力があっても助からなかった。それほどの悪意の存在を見逃してしまっていた。

 幸い、祓うことはできたけれど、もう同じことができるとは思えない。自分は役立たずだ。存在していても意味は無い。


 だから死にたい。そう願っても死ねない。

 神だから。神になってしまったから。


「アイム……会いたい……」


 そう願った時、突然目の前が明るくなった。何が起きたのかわからず顔を上げると、いつの間にか美しい女性が立っている。


「会えるわ」


 優しく微笑み断言した彼女の横で、唯一残ったあの時代からの友のキュートが翼を広げる。


『ニャーン、この方は』

「……様?」


 説明されずとも一瞬でわかってしまった。神となったからなのか、それとも全ての生命は彼女を記憶しているのか。

 ああ、ユニ・オーリの気持ちが痛いほど理解できる。一目でも彼女を目にしたことがあるなら、もう一度と願わずにはいられないだろう。


「マリア……様? マリア・ウィンゲイト様……ですか?」

「ええ、その通り」


 突如として現れた女神は、座り込んでいたニャーンの隣に腰を下ろす。

 そしてまた言い切った。


「必ず会えるわ、願い続けていれば」

「……魂の重力」

「そう」


 神となった時に教えられた概念。魂には重力がある。そして互いを思い合う気持ちがあれば、その力は引力となってお互いの運命を引き寄せる。

 だからそう、アイムともズウラともスワレともプラスタとも、ヌールやメェピンやグレンやビサックともいつかは再会できる。輪廻の輪を幾度も巡り、以前の彼らとは異なる存在になっていても、魂を受け継いだ存在とは再会できる。


「わかっています」


 何度も経験してきた。そして、その再会の数だけまた離別を経験した。


「私たちは、繰り返すのですね……」

「そう。その宿命からは逃れられない」


 正直に認めるマリア。不滅の神に終わりは訪れない。たとえ死しても、いつか元の自分のままで蘇る。

 でも、大丈夫よと彼女は言った。ニャーンの瞳を見つめながら。


「私も不安だったけれど、今もまだこうして生きている。昔ね、最初の生まれ変わりを経験した時にわかったの。何度繰り返しても大丈夫だって」

「どうしてですか……?」

「蓄積される経験と記憶は私の中の世界を広げていく。そこで生きる『私』を増やしていく。私は私同士で寄り添い、支え合える。貴女はまだ貴女だけだから実感できないのかもしれない。だとしても、いつかは理解できるわ」


 彼女は自分の中に構築した世界を見せてくれた。そこは静かな森のような場所で、たくさんの色とりどりの木々が花を咲かせて並んでいる。


「花の一輪一輪が、全て私。今までの私」

「こんなに……こんなに多くの人生を、繰り返してきたのですか?」

「長く神様をやってるからね」

「すごい……」


 自分には、とても耐えられそうにないと思った。現に今、何もかもを投げ出して消えてしまおうとしている。ズウラたちのように消えることを選択したい。

 そんな彼女の横でマリアが立ち上がった。かと思うと、見る間にその姿が小さくなって目線の高さはさっきとほとんど変わらなくなる。

 彼女は何故か白髪の少女になった。服装もどこにでもいる村娘みたい。


「私がいます」

「え……?」

「支え合えるのは、自分自身とだけではありません。もちろん誰とでも手を取り合い、お互いの支えになれるのです。だから、ここからまた始めませんか?」

「また……」

「ええ、今度は私が支えます。だから立ち上がって。再会を待ち望んでいるのが貴女だけとは限らないでしょう。彼らも貴女を待っているのですよ」

「あっ……」


 魂を司る神。その権能を介してニャーンの心に伝わって来たのは、アイムたちの死に際の願いだった。

 強く、強く、強く。何度生まれ変わっても、たとえ新たな人生で機会に恵まれなかったとしても、彼らの魂は常に強く願い続けている。

 また会いたい。共に歩みたいと。


「忘れないで。いつだって、貴女は一人じゃない。その手を伸ばし掴んでくれれば、支え合えるのです。誰とだって、私とだって」

『私もいます』


 精神構造が異なる。だから今なおニャーンに寄り添い続けてくれているキュートがニャーンの隣に並んだ。そして促す。早く手を伸ばせと。


『いつまで、そうしているつもりですか。仕事が山積みですよ』


 久しぶりの厳しい物言い。その瞬間、アイムの最後の言葉も脳裏に蘇った。

 これまで、何度反芻しても理解できなかった真意をようやく理解する。


 生きろ。

 生きて、生き続けて、使命を果たせ。

 己の選んだ道を最後まで歩め。


「……本当に、厳しいんだから」


 母親にそっくりだ。彼もまた最後まで自分の信念を貫き通した。そうあるべきだと示してくれた。

 ようやく納得できた。彼の死を受け入れられたニャーンは、右手を伸ばして少女の手を取る。


「ありがとうございます、マリア様。キュート。おかげで私、また頑張れそうです」

「それはなにより。でも私はマリアではありません」

「え?」

「彼女の生まれ変わりではあっても、私は私」


 よくわからないことを言った後、彼女はまた元の大人の姿に、つまりマリア・ウィンゲイトに戻った。

 たしかに、さっきの少女はこのマリアに比べると神々しさが足りない気もする。その分だけ親しみやすかったけれど。

 まだ手を繋いだままのマリアは、微笑みかけて約束した。


「大丈夫よ、私はいなくならないから。少なくとも貴女より先に滅ぶことはないでしょう。あっ、流石にこの世界にずっと留まるわけにはいかないけれど」

「そうなんですか?」

「魂の重力の法則は知ってるでしょう。力ある者には相応の苦難を――私がここに留まると余計に忙しくなるわよ、貴女も」


 ただ、と彼女はニャーンが何かを言う前に言葉を続けた。


「貴女には一度、直接会ってお礼を言いたかった」

「お礼? 私なんかが、何を……?」

「貴女は『悪意を祓う神』だもの。おかげで、とても助かっているの。私は魂を司る神、つまりは『心』そのものの集合体だからね。数多の世界の悪意が膨れ上がり続けると、私自身の在り方にも影響を及ぼす。全てを破壊する悪神にもなってしまいかねない」


 でも、ニャーンたちの活躍もあって今のところそれは防がれている。そんな意外な事実を教えてくれた。


「私が……マリア様のお役に……」

「本当に感謝している。だから私が貴女を支えるのも、当たり前のこと。もちろん理由はそれだけではないけれど。単純に貴女を放っておけないと思った。そう魅力が貴女にはあるのよ」

「そんな……」

「謙遜しない。そういうわけで、私たちは今日から友達よ。今回はもう帰るけれど、よろしくね」

「は、はい!」


 なんだかとんとん拍子で話が進んでいく。歩き出したマリアの後ろに気圧されながらもついて行くと、やがて前方に他の七柱が姿を現した。

 彼らは左右に別れて整列しマリアに対して敬礼を捧げている。神である彼らがそのような姿をニャーンに見せるのは初めて。

 アルヴザインが彼女を叱責した。


「早く並べ、ニャーン。御前であるぞ」

「あ、はい! す、すみません!」


 慌ててマリアを追い越し末席に加わるニャーン。すると正面に立つ女神がニヤリと笑った。しばらく前に復活したオクノケセラである。


「ようやく立ち直れたようじゃな」

「ご心配をおかけしました」


 以前のように光で素顔を隠していないのは、おそらくアイムを失った自分に対する彼女なりの気遣いだったのだろうとようやく察せられた。本当に自分は察しが悪い。

 守界七柱あらため八柱が勢揃いすると、立ち並ぶ彼等の間の中央部分まで進んだマリアはくるりと回転して一同を順に見渡し、最後にニャーンを見つめながら別れを告げた。


「皆、ご苦労さま。慌ただしい訪問になったけれど、次はもう少しゆっくりと滞在できるように努力する。またすぐに来るから許してちょうだい」

「滅相もない」

「いついかなる時でも、ご自由にご来駕を」

「ここは貴女の創りし世界」

「我々はいつでも」

「そして、いつまでもお待ち申し上げます」

「万物の母よ、またお会いできて嬉しゅうございました」

「この世界は我々にお任せを」

「あっ、えっと、その、ありがとうございます!」


 一人だけちょっとずれたことを言ってしまってアルヴザインらに白い目で見られるニャーン。そんな彼女の姿を見て目を細めたマリアは片手を上げて軽く手を振った。


「元気でね。それじゃあまた」


 ――ちょっと出かけるわといった、そんな軽い調子で万物の母、最も貴き女神は去って行った。とても長い長い歳月を経ての久方ぶりの来訪とは思えないくらいにあっさりと。

 でも、また来てくれるらしい。彼女の感覚ではそれは遥かに遠い未来かもしれないが、ニャーンだけはそうではないと確信していた。


「同じ……なんですね」


 さっきまでマリアが立っていた場所を見つめて呟く。その呟きを聞き取ったアルトゥールが頷きつつ振り返った。


「そうだ、あの方も君と同じ『人の心を持った神』だ」

「だから本当にすぐに来るだろうよ。相も変わらずせっかちな方じゃからな」


 オクノケセラもそう言って笑う。ニャーンもつられて笑って、次の瞬間にはその笑顔を引きつらせた。

 アルトゥールもオクノケセラも、そして他の六柱も突然凄まじい圧は彼女にかけて来たからだ。


「とりあえず、それまでにしっかり『掃除』をしてもらうぞ、ニャーン」

「本当に、いつまでサボるつもりかと思ったわい。ついにはあの方にまで心配をかけおって」

「どこで噂を聞いたのか、わざわざ駆けつけてくださったのだ」

「我らにとっては最大の恥辱」

「あまりに申し訳ない」

「この責任、取ってくれるんだろうな?」

「きりきり働きなさい。今回は流石に甘い顔できないわよ、子猫ちゃん」


 いつもは温厚なケナセネスラにすら詰め寄られる。ニャーンは汗だらけになりつつ急いでコクコク頷いた。


「す、すいませんでした……」

『らしくなってきましたね』


 キュートは何故か嬉しそうだった。







 ――そして、さらにさらに遠い遠い遠い遠い遠い未来の、とある惑星での話である。人々が夜空に小さなホウキ星を目にした日、地上に降り立ったニャーンは一匹の獣を見上げていた。

 一見すると平和に見えるこの星だが、実は深刻な危機に晒されているとアルトゥールが予知した。ニャーンも強大な悪意の存在を感知している。

 そして、だからこそ彼は生まれて来た。


 誰?


 この星を守る使命を帯びた獣は、生まれたばかりの無垢な瞳で目の前の女神をじっと見つめる。キュートは鳥の姿のまま器用にため息をついた。


『まあ、口論することになるのでしょうか?』

「仲良くしてね」


 苦笑してから手を伸ばすニャーン。大きな、とても大きな美しい毛並みの黒狼の鼻先に触れて呼びかける。


「あなたをなんて呼べばいいかな? 前と同じ名前? それとも新しい名前がいい? どっちでもいいよ。私は、またあなたに会えただけで嬉しい。すっごく、すっごく嬉しいんだよ」

『……』


 狼は舌を出し、ぺろりとニャーンの頬を舐めた。流れ落ちた涙を拭うように、心配そうな顔で。

 だからニャーンは、めいっぱいの笑顔で感謝する。


「ありがとう! ありがとう、また会ってくれて! おかえり!」


 鼻先に抱きつくニャーン。黒狼は驚きながらも、静かにその行為を受け入れていた。そうあることが当然だと、魂がそう理解している。

 だって彼は、彼の生まれ変わりなのだから。


(大好きなアイム・ユニティ。あなたの魂は、今もまだ一緒にいます。これからも共に歩んでいくでしょう。あの頃のあなたのように、私を背中に乗せ、星空に軌跡を描いてくれる日が今から待ち遠しいです)


 そして、彼と彼女と一羽の鳥の掃除の旅は、これからもまだ続いていく。

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