彼が見つけた一等星
英雄は、夜の闇の中を嗅覚を頼りにして歩いて行く。月明かりに照らされるその評定には隠しきれない鬱屈した感情が滲み出ていた。
――誕生から千年の時を生きるうち、さしもの星獣アイムも次第に『疲れ』を感じ始めていた。
肉体的な疲労でなく、精神的な摩耗である。積み重なる記憶が次第に足取りを重くさせ、思考をも鈍らせてきたような気がする。
あるいは、ただの獣のままであったならそれを感じるのはもっと先のことだったのかもしれない。けれど彼は人と同じ姿を得て、人々の歴史と営みに関わりすぎた。人と獣の感じ方は大きく異なる。人に寄ったことで、彼には時間の流れる速度がどんどん加速していっているようにも感じられた。
そして、それでいて何も千年前と変わっていない。その事実が焦燥感を募らせていく。
「あと、どれだけ……」
何体の怪物を倒せばいい? 何人の『祝福されし者』の成長を見守り、自分に成り代わることを期待して待ち続ければいい?
本当に解決策はあるのか? あったとして、見つける前に母星が滅んでしまわないか?
わからない。獣にも人にも確かな未来は見通せない
『無様だなアイム。いったいこれで何度目の敗北かな?』
「……ッ!」
外道の顔を思い出してしまった。いや、忘れたくても忘れられない。アイムにとってあれは心に突き刺さった最も大きな棘。取り除こうにも取り除けずに数百年の時を経た因縁の宿敵。
「奴さえ倒せれば……」
あれを、アリアリ・スラマッパギを倒せれば母星は救われるのではないかと何度も考えてきた。あれだけの力と悪意を持つ存在は他に知らない。ならば神々がズワルタを攻撃している理由はあれにあるのではないかと、そう考えるのが自然だ。
しかし確証は無いし、倒そうにも全く歯が立たない。この千年の間に何度も挑んでいるのに一度も手傷さえ与えられなかった。あれは、あまりにも規格外の化け物すぎる。星獣を上回る力を持つ人間など、いったいどうして生まれてきてしまったのか。
奴さえ倒せれば。倒せたならば――野生の本能が常にそう訴え続けている。けれど、同時に勝ち目は無いことも理解してしまっている。少なくとも今の自分ではどうにもできない。そしてもう、千年も生きたこの老いぼれでは大きな成長を望めるとも思っていない。
やはり、可能性があるとしたら彼らだ。人間は短い期間でもキッカケさえあれば爆発的に成長する。光の精霊に祝福されし者グレンが良い例だ。第二大陸の剣豪ザンバにも可能性はあるかもしれない。もしくは――
次の瞬間、凄まじい音がして視界が一気に明るくなった。空気と地面がビリビリ震え、空から無数の真っ赤に焼けた岩が降り注ぐ。視界が一気に明るくなった。前方の巨大な岩山が火を噴いている。
「相変わらずやかましい場所じゃ」
フンと鼻息を吹いて歩き続けた。彼の目指す場所は、この岩山の地下深くにある。
「アイム様!」
「お久しぶりです、アイム様!」
「おう」
番人の二人に案内されて地下まで降りると、住民たちに盛大に出迎えられた。数年前、怪物に襲われて全滅しかけていた彼らを助けて以来このように慕われている。
ここテアドラスは、アイムですら存在に気が付いていなかった特殊な集落。何百年も前に第五大陸の民の生き残りが天然の洞窟を利用して造り出した隠れ里で、今は数十名の村民が暮らしている。
少し前までは、もっと人がいたらしい。しかし厳重に閉ざされたこの地下空間にも長年の間に少しずつ怪塵が侵入していき、やがて一箇所に集合して怪物と化した。その怪物に大勢が殺され、危うく全滅する一歩手前で怪物の気配を感じ取り駆けつけたアイムが助けた。それが彼と彼らの出会い。
そしてその時、アイムは新たな希望を二つ見つけた。ここまで案内してくれた門番、つまり村の守護者を務めている若い双子の兄妹である。
「アイム様、また稽古を付けてくださいよ」
「構わんが、ちったあ成長しとるじゃろうな?」
「ヘヘッ、今回は結構自信があります」
「なら、確かめてやろう」
黒髪で黒い肌の少年。この、今ではアイムよりだいぶ背が高くなった若者の名はズウラ。大地の精霊に祝福されし者だ。あらゆる鉱物を自在に操ることが可能で、この鉱物操作能力と亡父から受け継いだ鉄剣を武器にして戦う。
「やめとけ兄、どう考えても勝ち目は無い。もっと基礎を伸ばしてからにすべきだ。またへこまされてしまうぞ」
「うるっさいな、オレは実戦で鍛える方が良いんだよ」
「一方的にボコボコにされるだけで成長できるとは思えない。もっと効率良く学んでいくべきだ。アイム様、私には後ほど講義をお願いします。いくつかお見せしたい能力の使い方も見つけました」
「うむ、構わん」
こちらのズウラと似た顔立ちだが性格の大きく異なる少女はスワレ。ズウラの双子の妹である。無鉄砲なところのある彼とは逆に常に冷静沈着で理性的に物事を考える長所を持つ。実際頭も悪くなく、教えたことはすぐに吸収する。やはり祝福されし者で冷気の精霊と契約している。
アイムは要望通り二人にそれぞれ稽古をつけ、座学で過去の祝福されし者たちのことを教えたり、能力の使い方についてアドバイスしたりしてやった。元々そのためにテアドラスを訪れたのだ。
――さて、アイムに稽古を付けてもらったズウラは、いつも通り仰向けで大の字になって倒れた。息も切れ切れである。
「はっ……はっ……くそう、まだまだかあ!」
そんな少年を見下ろし考え込むアイム。
たしかに成長はしている。この少年もけして馬鹿ではないし口だけでもない。前回学んだことを活かして確実に上の段階へ上っていた。稽古中にも新たな能力の活用法を見出し、即座に使いこなすといった機転の良さもある。
一方、妹のスワレも優秀だ。こちらはあまり実戦形式の稽古を好まないが、それでも着実に成長を重ねている。双子なのに成長の仕方まで違う。
「なるほど、水に怪塵を巻き込んで……」
「うむ。ようは再結合を防げばいいわけだからな、やりようによってはそのまま封印もしてしまえる」
「永久に封印しておくことは可能でしょうか?」
「方法はあろうな。とはいえ、どれだけ上手く封じようと次の凶星がやって来たら無意味になる。千年前のあれと同じのが一つ落ちて来ただけでこの星は滅ぶじゃろう」
「ですよね……やっぱり、怪塵そのものをどうにかしないと……」
「まあ、それを考えるのは学者の仕事じゃ。お主らはまず、怪物を倒せる程度に強くならんとな。いつでもワシが駆けつけられるとは限らん」
「はい」
と、言いつつもスワレはその後もたびたび怪塵を駆逐する方法について意見を求めたり、逆に自分なりの見解を述べたりしてきた。この娘はただ強くなるだけでは根本的な解決に到らないということを理解している。やはりズウラより賢い。
いや、違う。二人は目指す方向が異なっているのだ。
その日の夜、地上に戻っていつものように星空を眺めながら寝そべっていると、ズウラが隣に座って問うた。
「アイム様……オレたち、強くなれてますか?」
「ん? ああ、安心せい。確実に成長しとる」
「でも、まだ怪物一匹倒せません……期待には応えられてませんよね」
「まあ、そりゃあそうだが、お主らはまだ若い。焦るな」
アイムはテアドラスを、いざという時のための人類の最後の砦として使おうと思っている。だからズウラたちには自身の意図と千年前からの目的について全て明かしておいた。その方が協力を得やすいと思ったからだ。
実際、約束は取り付けられた。そしてそれ以来、この兄妹は懸命にアイムが求めてやまない『星の守護者』になろうと頑張っている。
とはいえ、だからこそ焦ってもらっても困る。テアドラスは地上の他のどの場所より安全だが、それでも怪塵の危険に晒されていることには変わりないのだ。特に唯一の出入り口を守る門番のズウラとスワレには死は常に隣り合わせと言ってもいい。
グレンは天才だ。だから育て親にならって厳しく育ててきたが、この兄妹はあそこまで才能に恵まれているわけではない。
祝福されし者としての潜在能力は匹敵するかもしれないが、単純に性格や身体能力という面では大きく劣る。グレンを千年に一人の逸材とするなら、ズウラとスワレはどちらも百年に一人の才能。
そんな二人が同時に同じ場所で生まれたこと自体は奇跡と言っていい。兄妹で力を合わせればいつかグレン以上の戦力にも成り得るだろう。
だが、今ではない。まだまだ二人は成長途中。焦って潰れられては困る。だから怪物が現れなくても時々様子を見に来ている。
期待はしているのだ。彼らに、そして他の若き祝福されし者たちに。
「でも」
「焦るな」
不服そうな顔のズウラに、もう一度言い聞かせる。それは自分自身への言葉であった。
空には数え切れないほどの星がある。なのにズワルタの大地には、百とちょっとの星しか無い。
一人の能力を一族全員に分け与えている『回遊魚』を全体で一と数えるなら、たった五十だ。アイム自身を含めても戦力になれるのは五十。
星空を見上げるたびに考える。押しつぶされそうだと。
いつか、あの星々が全てこの大地に向けて降り注いでくるのではないか? たった一つに千年苦しめられてきた自分たちには、その全てを打ち砕くことは到底できまい。
最初から、この戦いに勝ち目など無かったのではないか?
そんな弱気に囚われそうになると、いつも育て親の言葉を思い出す。
「乗り越えられぬ試練など、無い」
「え?」
「ワシの育て親、試練を司る神が言うておった。試練とは乗り越える余地があるからこそ試練なのだと。その余地を与えずば、それは試練でなくただの殺戮。だが、あやつはワシらのこの苦境をいつも必ず『試練』と呼んだ」
「ええと、つまり……」
「乗り越える余地はあるということだ、馬鹿兄」
スワレまでやって来て二人の間に割り込んできて座った。そしてアイムの顔を見つめ、微笑む。
「ですよね?」
「そういうことじゃ。この試練には必ず突破口がある。ワシらは耐え抜いて、いつかそれを見つけ出さねばならん」
アイムはまた想像する。その突破口を見つけた時、彼にはきっとその輝きが何より眩い星のように見えるのではないかと。
そして、その大きな輝きの周りに他の星々が集まってくる。ズウラとスワレが、グレンやザンバが、ビサックや回遊魚たちが。
夜空に輝く数え切れない星の海に比べれば、あまりに小さく儚い者たち。それでも寄り添い、互いに力を合わせれば天に風穴を空けられる。ズワルタを救う道を必ず見つけ出せる。
彼は、そんな密かに思い描いていた未来も若き二人の戦士に明かした。少しでも彼らの成長を促すことができるのではと考えて。
すると二人は、それぞれ異なる答えを返す。
「本当にそんな道が見つけられたら、全力で守りますよ」
「私は、その道が崩れないように支えたいな」
異なるようでいて、実は同じことを言っているのかもしれない。だとすると、やはり似てないようでいて兄妹なのだなと微笑ましく思う。
アイムも頷き、視線を下げて、自分を生んだ大地を見渡す。真っ赤な溶岩が流れるこの火山の麓は母星が己の命を誇示しているかのような場所だ。
そこから世界を見渡す。そして耳を澄ます。必ず、それはあるはずだと。いつか絶対に見つけられると信じて。
彼がそうしていると、やがてズウラとスワレも同じように彼の見ている方向を見つめた。
偶然か必然か、その方向には第六大陸が存在する。だが彼らは、まだ何も知らない。
そして、それから数ヶ月の後――彼は見つけた。
「ま、まさか……アイム・ユニティ?」
「おう、そういうことじゃ」
鷹揚に頷き、風に乗って運ばれてきた赤い塵を鬱陶しげに追い払う彼。すると、その塵が何者かに操られるようにして彼から遠ざかっていった。
吸い寄せられ、一人の少女の周りに集まる。桜色の髪と瞳。第六大陸の陽母教会の一員である証の夜色の僧服。
その身に宿るは、天敵であるはずの怪塵を操る力。
千年の長い旅路の果て、彼は見つけた。出会った。そして信じた。
ニャーン・アクラタカという少女を。最も強く輝く一等星を。
かくして彼と彼女の『掃除』の旅は始まったのだ。千年生きた獣にすら想像できないほど長く険しい、希望を未来へと繋ぐ旅路が。
限り無き獣は運んでいく。箒の女神をその背に乗せて、彼女が望む、優しい世界を目指し。まっすぐに大地と星空を駆け抜ける。
それこそが、彼の選んだ運命だから。
もし夜空にホウキ星が流れたなら、それはきっと一等星を背負った狼。アイム・ユニティという大英雄が描いた軌跡。