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ワールド・スイーパー  作者: 秋谷イル
外伝・英雄懐古
135/142

光射す道

 男は灰色の霧の中に、ただじっと黙って座り込んでいた。

 妻を喪い、家族を喪い、故郷も消え果て、引き換えに手に入れたのは光の精霊との契約。

 選ばれ、力を得たが、だからどうだと言うのだろう? ただ眩く輝くだけのこの力で家族を取り戻すことはできない。光など、何の役にも立ちはしないのだ。


「いいかげん、飯を食え」


 目の前の少年が焼いた魚を差し出して来る。男は一言も返さなかった。

 何を言われても、されても、全て頭を素通りしていく。もう何もしたくないし、何も聞きたくない。見たくもなくて抱えている膝の間に顔を埋めた。

 だが――


「いつまでそうしとるつもりじゃ!」


 頭を掴まれ、強引に顔を上げさせられる。この少年は見た目より遥かに力が強い。

 当然だ、獣なのだから。星を守る獣。千年も人類を守り続けてきた大英雄アイム・ユニティ。

 それが自分を、グレンという名の一介の漁師を叱りつける。


「ワシに噛みついてきた気概はどこへ行った!? 忘れるな小僧、お主は生きとる! もうただの人でもない! 祝福されし者なんじゃ! 祝福を受けたばかりで怪物を倒せるようなやつぁ、この千年の間にお前しか見とらん! それだけ恵まれた才を秘めておる! なのに死ぬ気か? 怪物一匹倒しただけで、仇を取ったつもりでひっそり飢え死ぬ気か? それで満足できるのか!!」


 ……無理だと、頭の中でだけ反論した。この胸の中で煮えたぎる怒りと憎しみはたった一度の戦いでは収まらない。けれど、全て失くしたこの悲しみから抜け出せそうにも無い。

 だから自分は、どっちつかずの灰色の中にいる。グレンはやはり無言のまま、何もかもを拒絶して座り続けた。




 アイムは時折どこかへ行く。おそらく別のどこかで怪物が生じ、それを退治しに行ってるのだろう。星獣たる彼はこの星のどこにいても怪物の出現を感知できるらしい。

 だが、必ず戻って来る。そして飯を食えと説教する。生きろ、そして戦えと訴える。

 そんな日々が一月ほど続いた。グレンはずっと座り込んだままで、もう自分の体が岩になったように感じている。きっと、その気になったとしても二度と立ち上がれはしないだろう。

 なのにアイムは諦めない。食え、立て、生きろ、戦え。獣らしくそればかりを要求してくる。

 そう、こいつは獣なのだ。だから人の心の苦しみなどわからない。グレンはそんな風に考えるようになった。




 けれど、さらに幾日か立ち――汚れに汚れ、髭と伸びた髪のせいで元の人相すらわからなくなったグレンの中で思ってもみなかった変化が起きた。

 潮に満ち引きがあるように感情にも波があるのだとわかった。あれだけ激しく渦巻いていた怒りにも、憎しみも、喪失感と悲しみも、今は全て小さく遠くなったように感じる。不思議なほど心が凪いでいて、逆に肉体は活力を取り戻した。

 いや、取り戻そうとしている。


 ぐうと腹が鳴った。これまでずっと沈黙していたのに。

 もう一月以上何も食べていない。水すら飲んでいない。なのに死なない。


「……俺は、何故生きているんだ?」

「久方ぶりに口を開いたかと思えば、哲学者のようなことを言いよる」


 やはり目の前に座っているアイムが苦笑した。今日も飽きずに魚を焼いて食っている。

 これまでずっと、あの日から今日まで忌まわしいもののように見えていたその焼き魚が、急に凄まじく美味そうに思えた。

 だが、妻や両親、失った故郷とそこにいた人々のことを思い浮かべると、悲しみの波がまた押し寄せて来る。

 生きようとすることは罪だと、そんな風に思える。死にたい、会いたい、終わりにしたい。

 なのに、腹はまた空腹を訴える。ぐうと。


「食うか?」

「……」


 心がまた凪いでゆく。きっと、体が明日を欲しているからだ。

 生きろと訴えている。捨てようとした自分自身が魂を生かすべく努力している。

 やがてグレンは屈した。アイムから焼き魚を受け取り、泣きながらそれに齧りついた。


「うぐっ、ぐっ……ごほっ!」

「焦らずに食え。ほれ」


 なにせ数十日ぶりなので噎せてしまったが、アイムはそれも見越して水を用意してくれていた。これは一気に飲み干し、喉を潤す。


「はあ……」

「まあ、食いながら聞け。さっきの言葉、これだけ長いこと飲み食いせずに何故生きていられるのか、という意味でもあろう?」

「……ああ」


 一匹目の残りを瞬く間に平らげ、二匹目の焼き魚を受け取りながら頷く。普通、人間は飲まず食わずでこれだけの期間を生きられない。それに悲しみに沈んでいる間は排泄なども行わなかったし、そうしたいとも感じなかった。


「それは、お主が精霊との同化を果たしていたからだ」

「同化……?」

「祝福されし者のことは、どこまで知っておる?」

「精霊の祝福を受けて、普通の人間とは違う力を使えるようになると……」

「それは第一段階じゃ。力をしっかり使いこなせるようになったら第二段階。さらに極めれば精霊と自身を一体化させ、人の枠から外れた領域に到達できる。これが第三段階。しかし、お主はあの怪物を倒した時に一気にここまで進んだ」


 稀有な才能だと彼は言う。千年間、一足飛びにそこまで到達した者はいなかったと。


「だからか?」

「ん?」

「だから、俺を助けるのか……」

「まあ、そう取ってもらっても構わん。ワシゃ、繋ぐ者じゃからな」

「繋ぐ……?」

「ワシには星を救えんかった。一瞬で消滅することこそ免れたが、砕け散った赤い凶星の欠片は星中に散らばり、今もこの星の生命全てを蝕み続けておる。たった一個落ちてきただけでこれだ。次は確実に滅ぶだろう」


 次、と言われてグレンは驚いた。怪物が生じる原因となった伝説の赤い星。それがまた地上に落ちてくると?


「何故?」

「ワシらは、どこぞの神を怒らせたらしい。その神々が凶星を放った。漁師の小僧、銛を投げて獲物を仕留められなんだら、お主ならどうする?」

「……次を投げる」

「そういうことじゃ。だから必ず次はある。そしてその時、ワシはもうおらぬかもしれん」


 星獣とて不死ではないのだと彼は語った。だから、自分がいなくなった後の守護者が必要になると。


「お主は、それになれるかもしれん」

「ただの漁師だ」

「才能を秘めた漁師だ。生い立ちも生業も関係無い。農夫が優れた戦士になることもあれば、尼が人殺しの才を秘めていることもある。お主はたまたま光の精霊との親和性が高く、戦いの才も持ち合わせていた。そういうことじゃろう。でなければ単独で怪物を倒せん」


 だからと、アイムは急に立ち上がる。


「これからも、しつこく様子を見に来るぞ。今のところは一番の有望株じゃからな」

「行くのか?」


 尋ねてから、世界のどこかに怪物が現れたのかもしれないと思った。であれば引き留めるべきではない。

 アイムはニヤリと笑い、背中を向ける。


「当面はワシの仕事じゃ。代わりが育つまで死ぬ気は無い、安心せい」


 次の瞬間、爆発が起きて砂埃が舞い上がり、頭上に影が差す。闇を固めて獣の形にしたような巨大な狼が目の前に出現した。

 驚きはしない。これまでにも何度か見たから。けれど、グレンには初めてその姿が尊く気高い者に思えた。

 ああ、ようやく実感を抱く。自分たちは、この大きな獣に守られてきたのだと。


『道を決めるは個々の自由。だが、生きろよ小僧。主が死んだとて、誰も喜ばん』

「……わかった」


 まだ悲しみは癒えていない。怒りと憎しみも潮が満ちるようにこの心を満たす時が来るだろう。

 それでも死を選ぶことはしない。目標ができたから。


「あんたが死ぬまでに、あんたより強くなってみせる」

『ハッ、言いよる。そこまで言い切った者もおらんかったぞ』


 振り返り、嬉しそうに笑う黒狼。直後に『達者でな』と言うと、すぐに空の彼方へ駆け上がって去って行った。

 アイムの去って行った方角から光が差す。時間の感覚も狂っていて、一瞬夕暮れかと思ったが、そうではなかった。あちらは東だし太陽は少しずつ昇って来ている。夜明けの時を迎えた。

 また、妻や両親、故郷の仲間たちの顔を思い浮かべる。

 悲しい、のに温かい。ずっと姿を思い出すだけだったのに、今は声も聞こえる。

 そうだ、皆が生き残った者の死を願うはずはなかった。


 生きて。生きろ。生き抜け――思い出の中の人々に励まされ、俯いていたグレンは顔を上げた。こぼれた涙に朝の光が反射してきらめく。


「生きる。そして、超えてみせる」


 アイムは星を救えなかった。だとしも守り続けてきた。ならば自分は守り、なおかつ星も救ってみせよう。

 自分の故郷のような悲劇が、二度と誰の頭上にも降り注がぬように。


「生きるよ……メレテ」


 そして、グレンもまた故郷を離れて歩き出す。次の英雄になるために。人々と星を守護し、歴史を明日へ繋ぐ者となることを目指して。

 だが、彼は光を求めて進む者ではない。彼が歩む軌跡こそ、人々に希望をもたらす光射す道なのである。

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