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ワールド・スイーパー  作者: 秋谷イル
外伝・英雄懐古
134/142

波を斬る風

 大英雄アイム・ユニティの誕生から千年が経った頃、海上を進む第二大陸の船団では一人の男がケチなこそ泥に成り果てようとしていた。


「あっちへ行っても、こっちへ行っても借金取り……捕まりゃ一生便所掃除だ。ここは一発逆転を狙うしかねえよな、っと」


 名はザンバ。ボサボサの黒髪を適当に後ろで縛った中肉中背の男である。髪型以外も見るからにだらしなく、顔は無精髭まみれ。右手には木剣を持っている。

 彼は灯りも持たずに船団を率いる首長船の通路を歩いていた。ここへは盗みを働くために侵入したわけで、当然見つかるリスクを考えればこれが最適。それにこの男、暗がりでもまるで勝手知ったる我が家のようにすいすい足を進めていく。

 さらに――


「!」

(おっと)


 ――曲がり角を曲がったら、ちょうど便所から出てきた船員に出くわしてしまった。しかし慌てず騒がず右手の木剣であごの先端を掠めるように打つ。船員は驚きに目を丸くしたまま脳震盪を起こしてぐらりと体を傾がせた。

 まだ意識はある。だからザンバは軽く左手を上げて謝っておく。なるべく恨みは買いたくない。


「すまんな」


 コンッと軽く額も打つ。それだけで船員は完全に気絶してしまった。大きな音を立てないように左手で支えてやり、そっと床に横たえる。

 見つかったら侵入がバレるだろう。少しでも時間を稼がなくてはと便所の個室に引きずり込んで隠しておいた。

 そしてまた便所から出て、左右をきょろきょろ見回し、目的地に向かって歩き出す。


「まったく、でかい船だぜ」


 もちろん、だからこそ侵入したネズミ一匹に気付かずにいてもらえているわけだが。狭い船だとこうはいかない。


「頼むから、逃げるまで気付かないでいてくれよ」


 この船だけの話ではない。なんとか船団の他の船にも見つからずに別の船団へ合流する手筈を整えなくては。

 行き当たりばったりのこの男は、今さらながらに逃走経路をああでもないこうでもないと考え始める。終始こんな調子だからこれまでの人生で数多くの失敗を積み重ねて来たというのに全く反省を活かせていない。

 いや、そもそも反省していない。こいつは行き当たりばったりに、その時その時でやりたいことをやっているだけなのだ。

 今回は盗み。しかも、この船団を第二大陸の「国」の一つと考えるなら「国宝」とでも称すべき品。

 それを盗んでよその船団に売っぱらい、一生安泰で暮らせる金を手に入れたい。あまりにも馬鹿な犯行動機で、彼は実行に踏み切ったのである。


(だって、借金なんか返せねえしよう)


 無責任で無計画。なのに行動力と実力だけは超一流。

 ザンバとは、そういう男だった。




 しばらく後、彼の姿は船上でなく陸地の海岸にあった。盗み出した宝と共に。


「チクショウ、こんなことになるたあ思わなかった」


 宝を盗み出せたまでは良かったが、やはり船団の他の船には気付かれてしまったし、逃げてる最中に船は嵐で転覆した。

 おかげで追跡は撒けたものの、気がつけばこんな場所に流れ着いていたわけである。


「困った困った」


 と言いながらも、さほど困った様子も無く立ち上がる。まずは、ここがどこなのか確かめないと。


「島……か? それともどこかの大陸か」


 実のところ陸に上がったのは生まれて初めて。第二大陸の民の大半は船上で生まれ船上で死ぬ。そういうものだからだ。揺れていないのが逆に気持ち悪い。

 しばらく歩き回ってみて、小高い丘の上にも上がってようやく確信する。ここは島でなく大陸の一部だと。


「広いなあ、おい」


 船から彼方の陸地を眺めている限りは「平べったい場所だな」くらいにしか思ってなかったが、上陸してみると船団などより遥かに広くて大きい世界だ。壮観で新鮮な光景の連続で、なんだか楽しくなってきた。

 が、やはり陸地なので危険も多い。


「おっと、またかい」

「グルァッ!」


 背後の気配を察して振り返ると、四つ足の獣が三匹駆けてきた。全く気配を殺そうとはしておらず、赤くなった目からも『怪塵狂い』なのだとすぐさま見て取れる。

 なら遠慮はいらねえやと、仮にまともな獣であっても遠慮などするつもりの無い男は盗み出した『宝』を抜いた。


 一閃。流れる水のように流麗な太刀筋で三匹をまとめて両断してしまう。

 獣たちは地面に落ち、痙攣しながら赤い塵となって拡散し始めた。


「ほっ、なんて切れ味だい。流石だねえ」


 初めて使ったので驚く。骨まで断っておきながらほとんど抵抗を感じなかったし、しげしげと眺めてみても刃こぼれした様子は無い。どころか血や油まで全く付着していないようだ。刀身に吸い込まれてしまったかのように。

 片刃で、わずかに反りのある刀身。長さはザンバの腕と同じ程度。この刀『オヅノ』こそが元いた船団の至宝。売っぱらって金に替えようとしている品だ。

 詳しい話は覚えてないが、何百年か前の『祝福されし者』が造ったと言われている。その男は剣士で鍛冶屋。自分の腕に見合う最高の刀を欲し、自らの手でそれを作ろうとしたと言われている。

 結果、この最高傑作が生み出された。


「怪物すら切り裂く刃だそうだが、この切れ味ならたしかにそれもできそうだ」


 納得して鞘に収める。この鞘も、こんな刃を収めておけるのだから特別なのだろう。やはり高く売れるかもしれない。

 ただ、そのためにはまずこの大陸から脱出しなければ。買い手の元まで辿り着けなければ金など手に入らない。


「って、待てよ?」


 もし、ここが第二大陸以外の土地ならば、陸地に住む人々がいるはずだ。第二大陸の船団ではどのみち指名手配されている頃だろう。元いた船団と反目し合っている船団と合流できれば匿ってもらえると思っていたが、逆に宝だけ取り上げられて元の船団に売り渡されてしまう可能性もある。

 であれば、海には戻らず他大陸の人々にこの刀を売る方が安全ではないか?


「ははっ、どうして思いつかなかったんだ」


 やはり自分も『船人』ということなのだろう。第二大陸の民は一部の例外を除いて自分たちをそう呼ぶ。生まれた時からずっと船で暮らしているので、船以外の場所で生きることなど想像すらしないのだ。

 よし、人を捜しに行こう。そう思ってザンバは歩き出す。

 途端に――


「うわああああああああああああああああああああああああああっ!?」

「!」


 人の声が聞こえた。なんたる幸運。彼は迷わず走り出す。

 そして悲鳴の主を見つけてがっかりした。


「第二大陸かよ!」

「は!?」


 悲鳴の主も振り返り、目を見開いた。




 回遊魚と呼ばれる一族がいる。第二大陸の民で水を操る能力を持つ『祝福されし者』の一団だ。

 正確には一族の最長老が『祝福されし者』であり、彼が精霊と交わした契約に基づいて力を分与されまがい物の『祝福されし者』になった家系である。彼らは幼い頃の一時期とある程度の年齢に達して引退した後でしか船上に住めない。放棄された第二大陸の外縁部を周遊して船上の民が嵐などにより停泊を余儀なくされた場合のための港と避難所を整備しておく。そういう使命を背負っているからだ。

 だから悲鳴の主を含む少数の『回遊魚』のグループも全員が若者だった。金づるかと思って自分から近付き姿を晒してしまったザンバはしまったと舌打ちする。

 かと思うと、踵を返して行った。


「間違えました!」


 片手を上げて去ろうとする。よりにもよって第二大陸の守護者たちに見つかってしまった以上、彼の立場では逃げる以外に選択肢は無い。

 ところが――


【脅威を検知】


 頭の中に直接響くような不気味な声が発せられて、赤い触手が彼を追いかけて来る。惑星全体を汚染した怪塵の集合体『怪塵』の一部だ。


「ああもう、オレのことはほっておけよ!」


 振り返りながら刀を抜き、切り払うザンバ。言い伝え通りオヅノの刃は怪塵をも切り裂いたが、手応えは全く無い。

 斬れているわけではなく、これは素通りしているのだ。細かな塵が集まって形成されている塵なので、そもそも刀が通用しない。


(お手上げじゃねえか!?)


 足を止め、全力で刀を振り続ける。そうせざるをえないほど立て続けに攻撃を繰り出されているからだ。敵は何故か『回遊魚』よりこちらを優先的に狙っている。


「アンタ、早く逃げろ!」


 回遊魚の若者の一人が叫んだ。できるならとっくにそうしてると心の中でだけ言い返す。声に出す余裕は無い。もう腕が鉛のように重くなってきた。


(チクショウ、稽古は続けておきゃあよかった)


 船人らしく船の上で死ぬものだと思っていた。だが、自分の死に場所はどうやらここらしい。怪物に普通の人間が勝てるはずはない。対抗できるのは大英雄アイム・ユニティか一部の強力な『祝福されし者』だけ。

 ここにも『回遊魚』はいるが、一人が大怪我をしていて、他の三人がそれを庇っている状態。そもそも彼らは怪物相手では身を守るのが精一杯だと聞いている。本来の力を分割されている状態だからだ。弱いのである。アテにならない。すぐに逃げ出したのはそれも理由の一つ。

 死を覚悟したザンバの脳裏に、今までの人生が蘇ってくる。




 小さな船で働く貧しい両親の間に生まれた。

 船上社会にも格差は存在する。むしろそれぞれの役割が明確になっている分、陸地より厳格に定められていると聞いたこともある。

 要職に就いている者たちに比べて一般船員の生活は悲惨だ。そんな境遇から抜け出すには、重要なポジションに就くための知識や技術を学ぶしかない。

 身分の差は明白だが、チャンスは誰にでも公平に与えられていた。ほんの少しのミスで船全体が運命を共にするかもしれない。だから船人は基本的に能力至上主義なのである。有能なら一気に成り上がることも可能。

 だから幼い頃のザンバは持て囃された。両親にも期待されていた。何故なら彼は『剣』においてのみ神童だったのである。

 剣でなら誰にも負けなかった。師にも百年に一人の天才だと認められた。

 けれども彼は退屈だった。多分、才能がありすぎたからだろう。


 つまらん。


 いつしかそれが口癖になり、剣以外のことにばかり興味を惹かれるようになった。その結果、次第に彼を称賛する声は減っていった。残念なことに剣以外の才能は無かったからだ。

 何をやっても失敗続き。両親にはしつこく『剣だけに励め』と諭された。船上でも怪塵汚染による危険には晒されている。船団同士の争いも少なくない。だから腕っぷしの立つ人間は重用される。剣の腕さえ磨いていれば安泰だ。

 実際に両親の言っていることが正しいのだとはわかっていた。それで、二十歳を過ぎる頃には彼も少しだけ賢くなり、また剣の修行に真面目に打ち込むようになった。


 結婚したのは二十二の時。相手は師の娘。


 こう言っては悪いが、特別好きだったわけではない。醜女ではないし嫌いでもなかったが、相手もこちらをあまり好いていなかったように思う。

 ただ、師は優秀な剣士で、その技を完璧に受け継げたのは自分だけだった。だから彼女は後継者に最適な相手に嫁ぐしかなかった。そんな関係。


 でも、我が子が生まれた後は、その関係も変わった。

 ザンバにとって娘は宝物だった。男児を望んでいた師はまた女かと実の娘の前で嘆いていたが、ザンバは嬉しかった。

 とてつもなく可愛かったからだ。我が子を腕に抱いて初めて両親が自分を大事にしてくれていた気持ちがわかったし、素晴らしい出会いをくれた妻への愛情も抱くようになった。



 そして、全て喪った。



 怪塵など関係無いただの嵐で船が沈み、両親も、師も、妻子も同時に喪ってしまった。

 だからザンバは、また剣を捨てた。




 とうとう腕が限界を迎えた。筋肉が悲鳴を上げて引きつり、太刀筋にブレを生む。

 怪物はその隙を見逃さず的確に触手の先端の鋭い錐を突き込んできた。ああ、ついに死ぬのだと現実を受け入れるザンバ。

 けれども、


「このっ!」


 まだ幼い、一人の少女が割り込んで来て救ってくれた。水を操り幕を作って自分とザンバの身を守る。

 勢いよく駆け込んで来たため、彼女はザンバの懐に体当りするかのように飛び込んできた。胃の中のものをぶち撒けそうな衝撃だったが、同時にザンバは思い出す。

 かつてこの腕に抱いた、小さな命の温もりを。


「逃げろオッサン!」


 少女はそう言って彼を背後に庇おうとする。けれどもザンバは逆に彼女の肩を掴み、後ろへ下がらせながら前に出た。体の奥底から怒りが湧き上がって来る。限界まで追い詰められ酸欠で曇った視界に少女の姿と我が子の姿が同時に映り、重なって見えた。


「ざけんな」


 怒りのままに柄を握り締めると、どういうわけだか風が周囲で渦巻き始める。


「子供に手ぇ出してんじゃねえ!」


 少女の形成した水の膜を切り裂き、前に踏み込むザンバ。驚いた少女と他の回遊魚たちの視線の先で空中に飛散した大量の水が、何故か男の持つ刀に向かって吸い寄せられていく。

 水は瞬時に長大な刃と化し、ザンバの攻撃の射程を伸ばした。

 さらに――


【脅威度、更新】

「うらああああああああああああああああああああああああああっ!」


 再び繰り出された無数の触手を水の刃で切り払うザンバ。そのたびに刀身が赤く染まっていく。その意味にすぐに気付く回遊魚たち。


「取り込んでる!?」

「怪塵まで……」


 そう、今度は斬られて拡散した怪塵が周囲に散っていかない。散ってしまえばまた怪物に吸い寄せられその一部となってしまうが、斬られると同時にやはりその長大な刃の一部と化す。

 ――数百年前、この刀を造った剣士にして鍛冶屋の英雄は今際の際にこう言い残した。剣技を磨けと。


『オレと契約した精霊は選り好みが強い。オレが死んでも他のヤツには力を与えたくないそうだ。だが、たった一つ条件を満たせた場合にだけ、また力を貸してもいいと言ってる』


 その条件とは、彼が造った最高傑作『オヅノ』を使いこなすこと。精霊はオヅノに宿り、彼と同等の腕を持つ剣士にだけ再び力を貸し与える。

 風を自在に操り、怪塵の天敵となる力を。


【脅威度、C+】

「!」


 地面の中から触手が飛び出して来た。辛うじて避けたザンバだったが、次の瞬間に手傷を負う。


「ぐうっ!」

「オッサン!?」


 怪物が少女を狙ったからだ。咄嗟に押し倒して庇ったものの、背中を浅く切り裂かれた。

 しかも怪物は、その瞬間を逃さず大きく広がって頭上から覆い被さってくる。触手を使った点の攻撃より広範囲の面で制圧した方が有効だと判断したらしい。

 体勢を立て直す前の追撃により、なすすべなく飲み込まれる二人。息を呑む回遊魚たち。

 けれども、赤い球体と化した怪物の一部が弾け飛び、少女を抱えたザンバが飛び出してきた。オヅノの刀身は元に戻っている。


「助かった!」


 少女がオヅノの刀身にまとわりついていた水を操り、再び防護幕を作ってくれたおかげで辛うじて生き延びた。振り返り、立ち位置が入れ替わった状態で再び怪塵を睨みつける彼。


「行け!」

「う、うんっ」


 足手まといになると察した少女は仲間たちの方へ駆けて行った。ザンバは油断無く構えつつ、もしやと考える。

 さっきの一連の攻撃は自分が最もしてほしくないことだった。となれば――一か八か、賭けてみたい。


「行くぞ!」


 自分から間合いを詰める。敵はさっきと同じように自身を大きく広げて頭上から覆い被さってくる。もうオヅノの刀身は元に戻っており、水は地面に染み込んだ。回遊魚たちは遠くにいてこの男を支援できない。この攻撃パターンで確実に倒せる。

 怪物はそう思った。否、思わされた。


「かかった!」

【!】


 ニヤリと笑うザンバ。包まれる直前、刀身が届く範囲に敵が近づいた瞬間に足を止め、凄まじい速度で切り払う。同時に風を操って敵を拡散させ体積を削っていく。


「やっぱりな! テメエは頭の中を読んで『してほしくない』ことをしやがる!」


 だから考えた、全く逆のことを。本当はしてほしいことなのに、してほしくないと自分に強烈に思い込ませて対処しやすい攻撃を誘った。


「一度見せた技が、二度通じるかよ阿呆!」


 ここでようやく、怪物はこの男を見誤っていたと認識する。単に強力な武器を持って優れた技能を振るうだけではない。戦闘におけるセンス、洞察力と直観が並外れているのだと。

 しかも、心を読む怪塵の機能すら欺く唯一無二の芸まで見せた。


【脅威度、B――】

「よいしょおっ!」


 バラバラになって怪塵を膨れ上がるつむじ風で押しのけ、完全に拡散させて無力化するザンバ。オヅノの力もこの短時間で完全に使いこなしている。

 回遊魚たちは唖然とするほかなかった。


「な、なんなんだ……あの人」

「怪物を一人で倒した……まるで……」


 アイム・ユニティやグレン・ハイエンドのように。

 直後、彼に助けられた少女がまた大声を上げる。最初の悲鳴も彼女のもの。


「あああああああああああああああああああああああああっ!」

「うおっ!?」


 驚いたザンバの前で少女はポケットから一枚の小さな紙を取り出した。


「ボサボサ頭の黒髪で刀を持ってる目付きの悪いオッサン! あいつ、陸から連絡のあった指名手配犯だ!」

「げえっ!?」


 すでに回遊魚にまで手配が回っていたとは。逃げ出そうとしたザンバは、しかし興奮が醒めたことにより疲れが一気に噴出してしまい、足をもつれさせてその場に倒れ込む。

 少女は急いで背中に乗ると、刀を持つ左腕を捻り上げて宣言した。


「逮捕ぉ!」

「かんべんしてくれえ……」


 命を救ったのに、なんて扱いだ。ザンバは泣きながら許しを請うた。




 その後、彼はなんとか解放された。命の恩人を差し出すのは流石に気が咎めると他の回遊魚たちに説得され、少女が納得してくれたおかげだ。


「本当に船には戻らないんだな?」

「ああ、ほとぼりが冷めるまで陸にいるよ」


 ザンバは陸に留まる。もう各船団に手配書が回っているらしいので、戻ったら確実にお縄だろう。だったら陸に隠れている方がまだいくらかマシだと考えた。


「第二大陸以外の船が通りがかるかもしれんしな。そしたら他の大陸にでも渡るさ」

「ふうん……」


 少女はザンバの持つ刀に視線をやる。あれは第二大陸全体の宝と言ってもいい代物だが、持ち帰ったところでまた新たな使い手を待って保管されるだけだろう。であれば、使い手に選ばれたこの男に持たせておいた方が役に立つ――かもしれない。

 そう思ったので、とりあえずは取り返さないことにした。一旦、この話は持ち帰るべきだろう。自分たちだけでは判断できない。

 そもそもこの男が本気を出したら勝ち目はゼロだ。なにせ怪物まで倒せてしまうのだから。


「じゃあなオッサン、死ぬなよ」

「ありがとうございました」

「ミルル、もう少しの辛抱だからな」

「うん……」


 回遊魚たちは船に戻るらしい。負傷者の治療をしなければならない。他の面々はすぐにまた陸へ戻って来るのだろうが、その間にザンバはどこへなりとも逃げられる。

 なのに、ザンバは名残惜しそうに引き留めた。


「待ってくれ、嬢ちゃん」

「ん?」


 全員をでなく、自分を名指しで呼び止めたらしい。仲間と共に去りかけていた少女は、そう気付いて振り返る。

 青い髪で水色の瞳。気の強そうな顔立ち。背丈から察するに十歳かそこらだろう。こんな子供まで危険な陸地で暮らさなければならない。回遊魚たちの想像以上に過酷な生き方を目の当たりにした彼は、ついつい申し出てしまう。


「困ったら、いつでも頼っていいからな」

「ああ、うん。考えとくよ」


 結局、とっ捕まえるこにとなるかもしれないけど。そう思いながら手を振り、背中を向けて、今度こそ去って行く少女とその仲間たち。

 でも、思い出したように振り返って告げた。


「ヌールだ」

「ん?」

「アタシの名前。こっちだけ知ってるのも、なんか不公平だろ」

「あ、ああ。なるほど。オレぁザンバだ」

「知ってる」


 手配書を取り出し、ヒラヒラさせるヌール。ザンバは「そりゃそうか」と笑う。


「じゃあな!」

「ああ、またな」


 そうして別れる彼ら。重大で過酷な使命を背負った少年少女の背中を見送りつつ、ザンバは生き延びたいと願う。


「……ヌールか」


 死んだ娘が生きていたら、ちょうどあのくらいの歳。目元も似ている気がする。


「ヌール……」


 あの子の成長を見てみたい。だから、もう少し生きるのも悪くない。

 自分は死にたかったのだと、今さらになって自覚した。家族のいる場所へ旅立ちたい。でも勇気が無い。だから自堕落な生活をして、無茶も重ねて、誰かに殺してもらえることを心のどこかで期待していた。

 だけど、当面は死なない。目標ができたから。


「アンタ、だから力を貸してくれたのかい?」


 伝説の英雄に並ぶほど腕が立つとは自惚れちゃいない。きっとこれは精霊の温情だろう。そう思った刀に宿る風の精霊に感謝を捧げる。

 いつかは、この刀もあるべき場所へ返さなければと、そう思った。金に替えていい代物ではない。


「でも、それまでは、もうしばらく付き合ってくれ」


 とりあえずは、この危険な第二大陸で生存しなければならない。勝手に野たれ死んだらヌールたちを困らせてしまうだろう。


「まずは飯でも探すか。肉の食い物なんて、船じゃあ貴重品だったからな。腹がはち切れるほど喰ってみてえ!」

【そっくりねアンタ、あの馬鹿に。だから選んだんだけど、やっぱり聞こえないか】


 精霊の声は『祝福されし者』にしか届かない。だから彼の耳には届かない。

 けれども、使い手としては相応しい。腕前も性格も、かつて共に戦ったあの剣士に瓜二つなのだ。

 上機嫌で歩き出すザンバ。刀に宿りし精霊も、久方ぶりに現れた使い手と共に風をそよかぜながらついて行く。


 彼女の力を借りた彼は、後にこう呼ばれることになる。ニャーンとアイムの不在期間、第二大陸を脱出して第四大陸へ避難しようとする人々に迫った大津波。

 それを斬り裂き、希望を繋いだ偉大な剣士。

『波斬りザンバ』と。

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