子犬の家族
生まれた瞬間から彼は使命と能力を認識していた。この身は大きく頑強であらゆる環境と毒への耐性を有す。四肢には空を駆ける力が宿り、咆哮は超振動波と化して敵を微塵に粉砕する。
名は無い。そんなものは不要。一瞬一撃のために生み出された命。今まさに空から母なる星へと落下しつつある彼以上に巨大な赤い凶星を打ち砕くための石礫に過ぎない。あの巨石を覆った灼熱の大気に数秒間耐え抜きながら接近し、確実に当たる位置から超振動波を放つ。そうして敵を粉砕してしまえば役目は終わり。
そのために母星は彼を生み出した。
『ガアッ!』
言葉を知らぬ赤子は大地を蹴り、本能的に空中に創り出した障壁を蹴ってさらに高みへ、高みへ、
高みへ――
向こうも近付いて来る。だから距離はあっと言う間に縮まった。肉薄する距離で咆哮を放とうとした瞬間、敵の反撃が一瞬早く彼を撫で切りにする。
とてつもない高出力の光線が眼下にある大陸に切れ込みを入れた。だが獣の肉体に当たった瞬間それが途切れ、通過した後でまた別の大陸へと当たり今度は真っ二つに切り裂く。
獣の全身を覆う毛皮は灼熱の大気だけでなく大陸すら断ち切る光線に辛うじて耐え抜いた。だが、完全に防げたわけではない。毛皮の下の肉と血管と神経と骨、そして臓器を焼き焦がして確実に致命傷となるダメージを与える。
しかし獣は、その死にかけの肉体で敵に体当たりした。圧倒的な質量と速度の差で弾き返されたものの、それこそが狙い。距離を取ることができた。
体を半分押し潰され、もはや生きているのが不思議な状態。だとしても獣は残された最後の力を振り絞って大きく顎を開く。これを、この一撃を成し遂げなければなんのために生まれて来たのかわからない。
僕は、お前を壊す!
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』
雄叫びが万物を破砕するエネルギーへと変換され、巨大な赤い凶星を粉々に砕いた。これで母星は生き延びる。使命を果たせたことに安心しながら落下して行く獣。
そんな彼に対する認識を当初の想定以上の脅威と改めた凶星の欠片達は『次』のために、ここで確実に仕留めようと無数の光線を放った。だが粉々に砕かれた彼等の放つそれは最初の一撃よりも遥かに出力が低く、また自由落下中で照準が正確に定まらなかったこともあり、惑星の表面に軽微な損害を与えただけで幼き黒狼にトドメを刺すには到らずに終わる。
――巨大な赤い凶星は無数の小さな破片となり、惑星ズワルタに降り注いだ。最も大きな破片は第四大陸の中央へと落下して巨大なクレーターを形成する。
真っ二つになった第一大陸では大規模な地殻変動が起こり、東西で海抜に大きな高低差が生じた。直接的な被害を受けなかった他の陸地や海にも数多の破片が落下し、砕けて、塵と化していく。
この先、母星はどうなるのだろう? あれらの塵は無害なのだろうか?
疑問が脳裏に浮かんできたものの、もはや獣の命の灯火は残りわずか。
眠い。疲れた。休みたい。体が痛くてたまらない。
彼が墜落したその場所は第六大陸の森の中だった。何故か妙に安心する。その安らぎに包まれて息絶えようとした直後、誰かがその鼻先にそっと触れる。
『おい、子犬。まだ眠るな。お主の使命は終わっていない』
誰? 人間のメス? 眩しくてよくわからない。
『あの赤い星はまだまだこの地に降り注ぐ。すぐではないかもしれん。だが、いつかまた必ずやって来る。あれは宇宙の免疫システムだ。この星にある何かを宇宙全体にとっての害悪と判断し攻撃してきた』
言葉は理解できない。でも、何故か死にかけの体に力が湧いて来る。
彼の中に残っていた微かな燻りを、目の前の何者かの声が焚きつける。
『止めようとしないところを見ると、他の六柱はその判断を支持しているらしい。ワシもお主らは滅んでしまってもしょうのない連中だと思う。だが、それでは不公平だ』
不公平。その言葉の意味はわからないけれど、彼は思った。
まだ生きたい。まだ死にたくない。まだ戦える。
戦わねばならない、この星を守るために。
『……グ、ゥウ』
『馬鹿者、無理はするな。そう焦らずとも良い、今は休め。次の戦いのために備えよ』
立ち上がろうとした彼を、まぶしいメスが巨大化して強引に押さえ込む。凄まじく力が強い。しかも大きさが変わった。
驚いた彼に彼女は笑いかける。表情はわからないけれど、そんな気配。
『人間どもはかつて戯れに姿を見せたワシを光の神と名付けた。しかし、ワシの本質は嵐。試練を司る神。試練とは乗り越えられるものでなくてはならん。僅かな可能性であっても希望を残してこそ意味を成す。そうでなくてはただの虐殺。今ここで主を見捨てることはワシの使命に反する』
彼女は優しく毛皮を撫でる。肉体の治癒力が活性化され、一撫でごとに傷が癒えていく。
それに伴って、彼の中の小さな炎も大きく燃え上がる。さらに強く、いっそう熱く。
『生きろ子犬。もう一度立ち上がれ。今はまだ人間達には次の災厄を乗り切るだけの力が無い。だからお主が守ってやれ。お主が再び戦えるようになるまでは、ワシがここで看ていてやろう。なんなら多少の知識も授けてやる』
生きろと彼女は言ったが、獣はその言葉を『眠れ』と解釈した。彼自身、今度は死ぬためでなく生存のために睡眠を欲する。
休もう、休んでこの体を癒そう。一瞬一撃のために生み出された命だけれど、きっとまだ使命は終わっていない。
母星を守る。星の上で生きる全ての命を守る。
彼は、そのために生み出された獣。
星獣。名は――
『アイム・ユニティ』
女は彼にそう名付けた。過去と現在を未来へと繋ぐ者。希望の象徴として。
かくして後の英雄アイム・ユニティは嵐神オクノケセラと出会い、本来ならここで死するはずの運命を覆して次の一歩を踏み出したのである。
『イカロス、面倒を見てやれ』
「私がですか……?」
オクノケセラがいきなり『黄金時計の塔』最上部まで連れて来た獣を見上げ、かつて在った惑星『地球』の星獣イカロスは困惑する。頭部や手足が猛禽、背中にも翼があって残りの部分は人間の彼から見ても圧倒される威容。惑星ズワルタが生み出した星獣は想像以上に巨大だ。
大人しく立っているので目測しやすい。頭頂部までの高さは三十メートルほど。つぶらな青い瞳は彼を見つめている。興味を抱いたのか、スンスンと鼻を鳴らして匂いまで嗅いで来た。
「これは何をしているのです?」
『確認作業じゃろ』
直後、巨大な舌がイカロスを舐めた。ぞわりと逆立つ羽毛。まさか食べる気かと危惧したものの、幸いそうではなかったらしい。納得顔で黒狼は伏せる。安心した様子でもあった。
「わかりません……今のはいったい?」
『懐かれたのだ。兄弟のようなものだし、さもありなん。野生の勘でわかるのだろう』
クックッと笑うオクノケセラ。ズワルタは消滅した地球が転生した星だと聞いている。たしかに地球の星獣とズワルタの星獣は親類と言っていいのかもしれない。
イカロスもまた、静かにこちらを見つめる青い瞳を見つめ返すうちに情が湧いて来るのを感じた。なるほど、これが星獣同士の繋がりというものか。
「いきなり、ずいぶん大きな弟ができたものです」
警戒態勢を解く彼。もしこの狼に捕食対象と見なされたら厳しくしつけねばならなかった。想像するだに骨の折れる作業である。できれば今後も大人しくしていて欲しい。
「私より強そうですね」
『今のところは、まだお主が上じゃろう。そやつにはまだ何もかもが足りておらん。才能だけなら誰にも負けんだろうが、それを磨いてやらねば輝くことはできん』
「あなたのように?」
常に全身が発光しているオクノケセラを揶揄する。
女神は機嫌を損ねた。
『珍しいな、お主がそのような冗談を言うとは』
「申し訳ございません。思いついたもので、つい口から出てしまいました」
『まあ良い、珍しいから許してやる』
あっさり機嫌を直すオクノケセラ。あるいは最初から怒ってなどおらず、からかうためにあえて演技をしていたのかもしれない。彼女ならそういうことをする。
イカロスの側は謝意を保ち、改めて深々と頭を下げた。
「ご命令を」
『うむ、察しが良いな。お主にはこれからそやつの師となってもらう。星獣同士、教えられることは多かろう。ワシも関わるが、方針を決めるだけじゃ。直接的な指導はお主が行うがよい。ワシの力では殺してしまうかもしれんしの』
「畏まりました」
免疫システムからの次の攻撃が来るまでに、彼女はこの赤子を一流の戦士へと育て上げるつもりなのだ。皆まで言われずとも察せられる。イカロスはすでに滅んだ星の末裔だから。
もっとも、彼の故郷は神々に滅ぼされたのではなく、その前に自滅してしまったのだが。だからこそ恨む相手もおらず、虚しい気分になることも多い。
「名は、あるのですか?」
『アイム・ユニティ。そう名付けた』
「そうですか、ではアイム」
イカロスは手を伸ばし、アイムの鼻先に触れる。彼の爪は出し入れ可能で今は仕舞ってあるため傷付ける心配は無い。
「これからよろしくお願いします、兄弟としても」
『?』
言葉はまだ理解できないらしい。きょとんと首を傾げる。やはりまだ赤ん坊だ。
舌を出して、またぺろりとイカロスを舐めるアイム。羽毛が逆立つ。やはり味を気に入られたのかもしれない。それとも舌ざわりか? なんにせよ食われないよう気を付けなければ。
かくして生まれたばかりの星獣アイム・ユニティは、しばらく『黄金時計の塔』で過ごすことになったのである。