1-066)アケロス様の授業・前篇
「それではフィラン嬢、勉強を始めましょうか?」
「……はい、師匠。」
私の目の前には、黒衣に長身痩躯、お顔は青白くて健康状態が心配でしょうがないお姿のアケロウス・クゥ王宮筆頭魔導士長様こと私の師匠がいます。
座らされているのは、しっかりした不思議なつくりの机に椅子で、その机を挟んで反対側に師匠は無表情で座っています。
そして窓の外には……大きな湖に美しい手入れの行き届いた林が見渡す限りに広がっていて……。
ここ、どこなの?
本日は、師匠の隠れ家と言われている、なんか知らないところに連れてこられて……ちなみにルフォート・フォーマの城塞の外です。
待ち合わせにと連れていかれた、王宮敷地内にある魔術師の管轄棟の最奥、アケロス様のお部屋から個人所有の転移門でひとっとび! で、こんなところにまで連れてこられました、待ってください、怖いです。
「さて、今日は初歩の初歩、この世界の成り立ちと、四つの国について教えましょう。 いいですか、しっかりと死に物狂いでついてきてください。 絶対にSクラスに合格するんですよ。 首席で入学したらご褒美も用意してあげましょう。 では、始めましょう。」
「し、師匠。」
「どうしましたか?」
にこっと口元だけ笑った師匠。
うん、笑顔怖いです。
「勉強の前に質問してもいいですか?」
「いいでしょう。 なんですか?」
「えっと、なんで王宮の師匠のお部屋のゲートから、城塞外の塔に来れるんですか? 兄さまが各階層を縦にゲート移動できないんだよって言ってました。」
と聞くと、何ですか、そんなことですか、と無表情に戻ってさらっと言った。
「縦に移動できなくても、斜めには移動できるんですよ? では、始めます。」
……え? なんやて?
「待ってください、待ってください、師匠、答えになってません!」
横はいいけど、縦は駄目で、でも斜めはいいんだよーって、何の話やねん。
「もう少し詳しく説明が欲しいなぁって思うんですが……」
「おや、なかなかに神経質な子ですね。」
神経質とか関係ない。世界の不文律を簡単に無視しているのが一番怖い!
「神経質ですみませんが、気になって勉強に身が入りません。」
「仕方がありませんね、簡単に教えてあげましょう。」
ぽん、と私の肩に手を乗せた師匠。
「ルフォート・フォーマ国内、正確にはラージュ陛下の統治下であれば、私はどこにでもゲートを置くことができます。 例外なくどこにでも、です。 皇帝からその権利をもぎり取りました。 それだけです。」
そんな超重要な、国家機密みたいなこと、興味なさげにさらっと言われても……
「さ……最強ですね。」
それしか口から出ませんよ。他になんて言えばいいんですか?
しかしその言葉を聞いた師匠は、面白げもなくため息をつきました。
「いいですか? 何事も、要領よく、抑えるべきところは抑えて、手を抜くところは抜きなさい。 正直者は馬鹿を見ます。いいことなんて何一つありません。特に貴族社会の中ではね。 貴方はセディと暮らしているので、あれに似ているところがありますが、あれは馬鹿真面目過ぎて損な性格なのです。 そう言った点は絶対にマネをしてはいけません。 要領が悪過ぎます。 完璧そうな顔をしていますがかなり抜けていて、気をまわすところが違うのです。人間はもっと合理的に生きねばなりません。」
それはなんとなくわかる気がするけど、兄さまぼろくそに言われているなぁ……。
「質問はそれだけですか? では時間の無駄なので授業を始めましょう。 ちなみにフィラン嬢はこの世界にいくつの大国と、人の種族があるか知っていますか?」
「え? はい。 基本の国は四つと魔界、人も4種と魔人・魔物だったと思います。」
「おや、それはとても良い回答ですね。 こちらの地図を見てください。」
私とアケロス様の間にある大きなテーブルに、綺麗な地図が広げられた。
「『人』は大きく4つに分かれます。」
とんとん、と細い杖の端で5人の人型と地図を指し示す。
姿形が最もシンプルな『人間』は、特に特徴もないかわり精霊に好かれやすいものが多いです。
猛獣と人の姿のふたつ身を持つ、あるいは混ざり合った姿を持つ『獣人』は、高い身体能力を持っています。
背中に翼をもち、時折ではありますが足元には堅牢な鎧鱗と鈎爪をもつ『鳥人』は高い魔力を持ちます。
最後に花や樹木の力を移し持った『花樹人』は、素晴らしい容姿を持ち、知略に長けた者が多い。 ここで間違えてはいけないのは、花樹人は生まれてすぐに『精霊と契約が完了』しています。これも、花樹人の特徴です。
人としてのこの四種類と、地脈から何かしらの要因で吹き出す魔素を長らく吸い込み、体に取り込んで生まれた魔人を合わせた五種類がこの世界の『人』と呼ばれるものです。
そして、それらの人が作った王国は、大きく四種類。 様々な国の要素として。
全体の平均より秀でている我が王都要塞ルフォート・フォーマは北の大国で、ご存じの通り精霊の祝福を受けた人の王、ラージュ陛下が統治しています。
武術や工業が優れた技能の国であった獣人の王の立つ東の大国、帝国タンアレス
魔術や学問に秀でた空中に浮きあがる鳥人の王の立つ西の大国、才能の国、浮城ルジューズビート
温暖な気候で農耕や畜産、染色や織物などの工芸が盛んな花樹人の王が統治する南の大国、イジェルラ
そして4王国とは魔障壁で隔離された魔人・魔物・魔獣たち闇の眷属の安住の地である、魔王の統治するデバラルアン。
「ここまではよろしいですか?」
聞かれ、とりあえずうんうん、とうなづく。
知識の泉でも検索したことがあるから、そこはなんとなくわかっている。
「人の国の北のルフォート・フォーマ、獣人の国の西のタンアレス、鳥人の東のルジューズビート、花樹人の南のイジェルラ……」
「そうです。 ただ、魔界以外のすべての国で、魔人以外のすべての人の形が住んでいるので、この種族の国というわけではありません。そこは間違えないように」
にこっと笑った師匠にはい! と手を上げる。
「師匠、東の王国に、花樹人の小さな島国があるって聞いたことがあります。」
「あぁ、ありますね。 あそこは東の国から独立した小国です。現在は南の大国であるイジェルラを後ろ盾として独立しています。 もともと島国でしたし、現在は簡単には攻められない場所になっていますが……こんな小さな島国に興味があるなんて、なにかありましたか?」
「いや、攻めたいとかじゃなくて、ライスがあると聞いたので……。」
「あぁ、ライスですか。 コメと呼ばれていて、こちらにも貴族街だけ高級品として流通しています。 確かコルトサニア商会の独占流通ですね。 コメ以外にもミソ、ナットウ、ショウユもあります。」
なんと、そこまであるのか!
「……神の国だ……」
「フィラン嬢も空来種でしたね。 では次の勉強の時に小テストで合格点であれば、ランチに梅とおかかおにぎりを出してあげましょう。」
「ほんとですか!?」
ガタン!と立ち上がってしまった! 大興奮ですよ!
「うわ~、嬉しいです! ライスがあるって聞いてから、本当に旅費を貯めるの真剣に考えていたので!」
「あぁ、高額ですからねぇ……フィラン嬢であれば冒険者を雇わなくてもいいですから、半分以下にはなるでしょうが……あの国に今行くことはできません。 あの国は現在、我が国と国交断絶しています。」
「そうなんですか?」
「えぇ。」
とんとん、と地図上のタンアレスの国を指さしたアケロス様は、すごく嫌そうな顔をした。
「タンアレスの国の王様は、ルフォート・フォーマの前愚王の従弟なんです。 そもそもは民を虐げて領地を広げ、ラージュが率いていた私たちの国を豊かな農地欲しさに潰そうとしたので力いっぱい返り討ちにしたのです。 本当に救いようがないくらいに馬鹿な王で、その戦で民を肉の盾にしたのでその民の前で処刑したんです。 そのことから完全に逆恨み以外の何でもないのですがね。 まぁここの王はそれ以外にも、ことのほか空来種を毛嫌いしていまして、この国に落ちた空来種は例外なく即処刑されます。」
ひゅっと、のどが鳴ってしまった。
「しょ、処刑?」
「えぇ。 ですからほかの二国も最低限の貿易は行っていますが、それ以上の付き合いはありません。 フィラン嬢の言っていた小国が独立したのも、その流れの中で起きたことです。 花樹人がそうして植えた種が、どのように育つかを我が国は見極めているところなんですよ。」
「見極め……」
う~ん、そんな話をここでしてもいいんだろうか? もしかして社会常識的な事? テストに出ます? と、首をかしげていたら、ニコッと師匠は微笑んだ。
「まだここだけの話にしておいてくださいね。」
聞いちゃいけない方の話でした―! ばかー!
「そういう受験に関係ないお話は、あんまり聞きたくないです。」
はっきり拒否してみると、おや? とアケロス様は意外そうな顔をする。
「君が率先して落としてくれてもいいんですよ?」
「そんな恐ろしいこと、さらっと冗談でも言わないでください!」
とんでもない大人がいました、こんなところに!
やだやだ、気を付けなくちゃクーデターの首謀者にされちゃうかもしれない!
ぶんぶん首を振って強くお断りして、話しを変えるために真ん中の国を指さした。
「この魔界は、どうなっているんですか?」
素直に気になったから聞いただけだったんだけど、師匠は片眉をひそめて私を見た。
「なぜ?」
「いや、世界の中心なので……。 ちなみにこの世界って、地球みたいに真ん丸なんですか?」
「真ん丸ではなく、平面世界です。 海がどのように水を循環させているか問う不思議なこともありますが、世界の果てはあり、その果てに行くと反対の果てに飛ばされます。 しかし円形ではない。 日付の変更や時差などもなく、この世界の中央に神の木があり、この世界を支えています。」
紙に書いてくれるのだが、まずは丸が一つ、それに根を張るように大きな木があって、その木の中ほどから平面世界として私たちの世界が張り付いているようなイメージだった。
と、なると。
「魔界に神の木の幹があるってことになりますよね?」
「そうです。」
「それは、魔族が神の木を所有しているってことですか?」
「魔界は天をも貫く高い謎の障壁に囲まれた先にあるため、こちら側からは誰も行った記録がありません。 ですので神の木がどのようにそこにあるかわからないのです。 こちらと魔界を遮断しているのと同じく、障壁で魔界とも遮断されているかもしれないし、魔界に普通に生えているかもしれない。」
「根本的なところですが、そもそも神の木はあるんですか?」
「あります。 それは精霊たちがそう言っていますので断言しておきましょう。 そして神の木の根元、この丸にあたる部分の王宮に、神は住んでいる、と言われています。」
「……なのに魔素を吐き出しているとか……変な話ですね。」
「こればかりは、真実は神しかわかりません。 しかしわれらは神を疑うことはしません。 何故なら神の木の恩恵は国に確実に豊かさを与えており、精霊たちを遣わしてくださる方です。 それに……」
アケロス様は私をじっと見た。
「貴方も会ったでしょう? この世界に来る前に。」
「……はい。」
「それが答えです。 この世界には確実に神はいます。 そしてすべての生きとし生けるものに恵みを与えてくれている。 戦うすべも、生きる糧も同様です。 しかし神は魔素を生み、魔物や魔人を産み落とし、苦しみももたらす。 神もまた、人と同じで万能ではないのかもしれませんね。」
「……そうですね。」
アケロス様の話に、あの水晶の神様は、いったいなんでこんな世界にしたんだろう。
そもそも空来種は神様が落とすのに、処刑されても文句言わないとかも何なんだろうって思う。
「神様、自分勝手ですね!」
「全くです。 しかしそもそも未完成極まりない人間なんてものを作った神ですから、完璧を求めてはいけないのかもしれませんね。」
そう言って地図を巻き戻したアケロス様は、ではここからは、精霊の話をしましょう、と新しい本を出してきた。