閑話9)調査報告と残務処理
庶民層の二区画、中央にある大通りよりも外側の中通りは、家族だけでやっているような小さな商店が軒並みに連なるエリアである。
その中の一軒。つい先日までは道なりに畑とも花壇ともつかないエントランスがあった芸術家気取りの鳥人が住んでいたアトリエだったが、突然、鳥人は追い出され、その日のうちに誰かが契約をすませ、その次の日には花壇が消えて建物が道なりに飛び出すという怒涛の展開をみせていた。
突然のことに動揺する近隣住人。
どんな奴が住み着いたんだろうと戦々恐々と見守っていると、金色の髪に紫色の瞳の愛らしい女の子がいることが分かった。
可愛らしくもよく通るデカい声なので、家の中で何かを歌ったり意味の分からない言葉をでっかい声で上げるのが聞こえたりすることもあるのだが、顔を合わせれば人懐っこい笑顔を浮かべて挨拶をしてくれる可愛いその子は、なんと赤子でも知っているような世の中の常識すら知らなくて、まったく、一体どんな田舎から出てきたのだろうと誰しもが心配になるくらいだった。
それゆえ、この通りの人間はとにかく親心をくすぐられ、庇護欲で身悶えし、住民会議の上満場一致で少女健やかな成長と安心安全を見守ることとなった。
ちなみにそれが決まったのは引っ越してきて3日目、騎士団もびっくりの即席にしてはしっかりとした自警団になっていた。
なお、その2日後には『兄』と呼ばれる全く似ていない赤髪に深緑の瞳の美丈夫まで住み着いた事から、また水面下でひと騒ぎおきた。
いろいろ憶測を呼んだが、仲良く買い物をしたり、裏にある畑をいじくっている姿はぎこちなくはあるけれど、まさに兄妹の様子で大変にほほえましく、また、あんまりにも綺麗な顔をした二人だったため、親世代、祖父母世代が多かった通りの自警団には、さらに若くて気合の入った親衛隊なる女性たちと男どもまでもが加わっていた。
しかも貴族層の自治集団より参加率と結束力も強いので、ほかの区画からも自治モデルとなっているとか居ないとか。
そんなことを知ってか知らずか、その2人、次の週からは玄関前に可愛らしい看板を出した。店を開いたのである。
店の名前は『薬屋・猫の手』
そこでようやく、女の子は王都から遠く離れた土地から遠縁で、貴族層で薬師をしていた兄を頼ってやってきた錬金薬師であると知れ渡った。
店の雰囲気はとても柔らかく、交易層や貴族層でもなかなか見ない飛行騎獣の大きな猫が寝転がる暢気な雰囲気であるが、商品は物珍しいものが多く、これがまたよく効くのでその名は口コミで広がり、それに比例するように、なぜか自警団は人数が膨れ上がった。
新しく加わったメンツは、純粋に薬屋のファンである。
そんな自警団にはこの頃から鉄の掟が出来上がった。
対象に必要な距離以上に近づかない。
対象に自警団の存在を知られない。
自警団員は見守ることに徹すること。
損得勘定、恋愛感情などによって、抜け駆けすることは許されない。
差し入れは一日2件までの順番制。
もう一度言うが、お触り禁止、抜け駆け禁止!
もう自警団なのか親衛隊なのかよくわからない。
そんなこんなで今日も、穏やかに、猫の手にはお客さんが行きかい、お店の主人である女の子はちょっと聞いたことがないような歌を歌いながら畑で水やりをしたり、兄と共に草むしりをしたりしているのである。
「だ、そうです。 ……すっかり有名人ですね、お前たちは。」
「……危害はないというか、本当にありがたいことにあの子の事を見守られているだけなので、と様子を見ているんだが……」
ぱさり、と、うっすい報告書を机の上に置いてため息をつく。
「こんなことになっていたとは思わなかった……。」
観察保護対象のあの子だけでなく、まさか自分まで見守り対象だったとは、とソファに体を預けて両手で目を覆う赤髪の青年はため息。
そうだろうよ、と、笑いがこみ上げるのを我慢しながら真っ黒の男は問うてみる。
「そもそも、あの家を追い出された鳥人はどこに行ったんだ?」
「第一階層の大きな農家に雇われて、住み込みで農耕をしている。」
口を開いたのは、大きな執務机に向かってペンを走らせている白銀の髪に琥珀色の瞳の精悍な顔立ちの青年だった。
「一年以上家賃の滞納をしていたから、強制労働に出された。 まぁ仕方がないだろう、自業自得だが、それがどうやら性に合っていたようで、今は次々と新しい食べ物を開発してこの家に財をもたらしている。 雇い主はかなりその鳥人を気に入っていて、我が子のようにとてもかわいがられている。 跡取りがいないようだから、このまま養子に迎え上げられると聞いている。」
「大団円じゃないか。」
「そうだな。」
憮然とした顔で白銀の男がソファに座っている真っ黒の男と赤い髪の男の目の前に、自分の横に並べられていた書類を転移させる。
「後はこれも頼む。」
その量たるや。
紙って高価だったんじゃなかったのか……と疑いたくなるような、両手で抱えきれない量である。
一度体を起こしてそれを確認し、溜息をつきながら再びソファに身を預けた赤髪と、眉間の皺をますます深くした黒い男は地に響くような低い声を出す
「多すぎないか?」
「お前たちが遊びに行っていたあの一日分だ。 そういう約束だっただろう? 頑張れ。」
ぐうの音も出ない正論である。
はぁ、とため息をつきながらぺらぺらとめくり、確認のうえ魔法印を押していく。
「しかしまぁ、空来種っていうのは、幸運をもたらすか、破滅に落ちるか、半々なのだと思い知らさせるな。」
ペンを走らせながら白銀の男はちらりと書類に目を通しては魔法印を押す二人に視線をやった。
「阿呆がご執心のあの空来種が、どのように育つかはお前ら次第ってことだな。 せいぜい国益が出るようにしてくれよ。」
何を面白がっているのか、とイラっとしたところで扉を叩く音がした。
真っ黒の男が目くらましをかけたのを確認してから承諾を出す。
「入れ。」
「失礼いたします。」
入ってきた男性は、深く頭を下げた。
「補佐官殿。 皇妃殿下がサロンのほうでお呼びでございます。」
「皇妃殿下が? 今日は確かコルトサニア商会のサロンに出かけたのではなかったか? 何かあったのか?」
「先ほどお帰りに。 その件でなんでも頼みたいことがあるとか。」
「わかった、身支度を整えたら向かう。 お前は先に行っていてくれ。」
「かしこまりました。」
扉が閉まったところで、椅子にかけていた文官用の上着を羽織りながら、目くらましがかかったところに向かって声をかけた。
「お前ら、それが終わったら帰っていいからな。」
そう言い残し、背後から聞こえる罵詈雑言を軽く聞き流しながら、皇妃が待つサロンへと彼は魔方陣を起動した。