1-052)師匠の訪問です。
誤字報告、本当にありがとうございます!
「フィラン嬢がやる気になってくれたようで、私としては安心しましたよ。」
他の人には聞かせられないような機密事項も出てきそうな話なので、清掃中につき、と書き足してお店を閉めると、騎士団の方を店の外で待機させたままのアケロス様とお話しすることになった。
「いやしかし、びっくりしましたね。 あんな女性がいるなんて。」
私の前に座ってにっこりと微笑むのは、今日は何の飾りもない真っ黒のローブを身に着けたアケロス様です。今日もいい感じで目に下のクマ。 もうそれ、チャームポイントってことにしておきましょうね。
黒衣に身を包んだ痩躯長身で、節はあるけれどごつくない細い指で優雅にお茶を飲む姿は本当に……
うん、これがこう、銀髪赤目とか、金髪碧眼で、もう少し細マッチョだったら推しになったのに!
失礼なことを考えました、ごめんなさい。
そしてそんなことよりも気にしなきゃいけないことがあったんです。
お店の奥にあるテーブルについた私たち。 セディ兄さまが丁寧に入れてくれたお茶に対し、アケロス様が下さったのは王宮の焼き菓子……これはミンスパイとヴィクトリアケーキですね! だれですか!? イギリスの美味しい焼き菓子をこっちに持ち込んだの!
お布施! お布施を払いたいですよ! お布施払わせてください!
おっと、そうじゃなくて。
そんなお菓子の並んだテーブルに乗せられた生首さんみたいに、顔だけのぞかせている……うん、こういうお化け屋敷とかあるんだけど、そうじゃなくて、そんな扱いをされているのは……
テラコッタタイルの床に直接正座させられている、兄さまです。
「に、兄さま、椅子に……」
「セディは反省するまでそこでいいんですよ。」
にっこり微笑まれた顔が、めちゃくちゃ怖いんですよ。聞いてくださいよ、笑顔なのに怖いってこれいかに!?
「まったく、あぁいった残念な頭の相手には一服盛ればいいでしょう? 後始末は任せておけと言っていたはずですが?」
エーっと、すごくさらっと、言ったけど、それは駄目なやつだと思う。
「まぁ、それも思いつかなかったわけではないんだが……フィランの前ではね。」
待って、兄さま、思ってたんかい……。
私の前じゃなくてもやっちゃダメなやつですよ?
「誰にもわからないうちにやるのは、お前の得意技でしょう?」
得意技ってなんやねん。
知られずにやるとか、ニンジャか! スパイか! ……いや、人がいいおっとりした兄さまには無理でしょ?
そうみても兄さま、悪役とか、スパイとか、暗殺とか、そういうの向かないもん。
「今まで実害がなかったから、穏便に済ませたかったんだよ。 フィランに何かあっても困るからね。」
う~ん、かっこいい、素敵。
だけど、かっこよく言ってますが、もう一度言います。 今の姿は床に正座、見ようによっては生首です。
兄さま、ちょっと情けないですよ!
ん? 穏便に? あれ? これは穏便にすまないやつ?
「あの、アケロス様?」
「師匠です。」
「し、師匠、お伺いしたいことがあるんですが。」
「なんですか? 可愛い愛弟子よ。」
猿芝居を乗り越え、意を決して聞きます。
「さっきのお姉さんは一体どこに連れていかれたんですか?」
「あぁ。 そうですね、セディへのお仕置きとしてフィラン嬢に選んでもらいましょう。 どうしたいですか?」
にっこりと、すごくいい笑顔のアケロス様と、真っ青な顔になった兄さま。
いやな予感しかしないよ。ねぇ、何を選ぶはめになるの!?
「先ほどの女性ですが、成人女性からの未成年に対する暴行は、基本的に修道院行きなんです。 しかし、あぁいった女性はそういった先でも問題を起こすので、送る先も困ってしまうんですよね。 なので出来れば他のところに送りたいと思います。 で、次の中ふたつから選んでくださいね。」
「はぁ……」
うわー、嫌な予感しかしない。
娼館、とか炭鉱奴隷とか、そんなのだったらどうしよう……。
と思っている私に提案されたのは、そんなにひどいものではなかった。
「ひとつ、わたしが管轄する宮廷騎士団の研究室で実験助手となる。 ひとつ、ロギイが管轄する宮廷騎士団の管轄の辺境騎士団の後方支援隊に入る、です。 どちらがいいと思われますか?」
「え……?」
すっごい眉間に皺寄せちゃった。
想像ほどひどくない……。
いやしかし、ちゃんと考えよう。
アケロス様の実験助手って、なんか人体実験させられそうじゃない?
辺境騎士団の後方支援は命がけのお仕事になるのかな。でも後方支援だからな……
「仕事内容の説明をお伺いしても?」
「かまいませんよ。 私の管轄する魔術団の実験助手は、王宮で管理する広大な薬草園の管理や、薬草採集のフィールドワーク、それから研究補助ですね。 騎士団後方支援は、前線に行くことはありません。 食事や洗濯、けが人の治療や援助をする専門職の方々の補佐。 双方とも重労働な雑用係です。」
あ、何だろう、普通だわ。
しかしここで安心してはいけない。だって兄さまへのお仕置きらしいから、私が何選んでもあれなのか……?
えぇと、真剣に考えても、辺境騎士団の後方部隊って、こう、色事的な物も交じってそうだし……同じ女としてはそういうところに放り込むの、嫌だよねぇ……フィールドワークのほうがまだ……虫とか多そうだけど良い気がする。
嫌味言われて殴られそうになっただけだし、実害は匂い以外はないし。
ちらりと兄さまの顔を見ると、アケロス様のほうから、なんか殺気でも送られているのだろうか。非常に微妙な顔になっている。
「じゃあ、辺境騎士団の後方ってなんかこう、ちょっと女性としてあれな気もするので、師匠のところで……どうですか?」
あ、兄さまの顔色が微妙。
まちがった!? まちがったのか!?
「わかりました。 ではそのようにさせていただきましょう。 いやぁ、最近こう、炎の茸などが嘆きのダンジョンでたくさん出ていたので、人手が欲しかったところだったので助かりましたね。」
素敵な笑顔に、ひゅ! と私の喉が鳴ったよ、鳴った!
こわい、こわい!ちょうこわい!
カエンタケは素手で触ったら大やけどレベルではすまないからね!
「炎の茸……カエンタケですか?……あれは素手で触ってはいけないですよ?」
何とかそれだけを口にすると、察したような顔になったアケロス様は紅茶を飲みながら口元だけで笑う。
「さすがに素手ではさせませんよ、そんなに人道にそれたこともしませんからご安心を。」
一番信用できないお顔で否定のお言葉をいただきましたー!
心臓が暴れてるのがわかります。怖いよー、早く帰ってくれないかなぁ! って震える手で紅茶を飲もうとしたら、そうそう、と表情を和らげてアケロス様が私を見た。
「それよりもフィラン嬢、さきほどの話ですが、アカデミーに行く気になったと?」
微妙だった空気に少し和やかさが出てきました!
今このタイミングで言わないと兄さまの足が死んじゃう、たぶん……。
「絶対入る! ではなく、入るのにかなり前向きになった、と言いますか。 えぇと、その前に兄さま椅子に座ってもらってもいいですか?」
「……仕方ありませんね……。 お前はとりあえず新しい茶を入れてきなさい。」
あ、めちゃくちゃふっかいため息を、しかもあからさまに兄さまにわかりやすいように吐きました……怖い、改めてこの人は絶対に敵に回しちゃいけない人だ。
私、頭に刻み込んだよ!。
兄さまのほうが困った顔をして立ち上がると、普通に顔も歪めずに奥に入っていったんだけど……足、しびれたりしないのかな? 結構長い時間正座してた気がするんだけど。私なら10分が限界なんだけど……。
「さて、フィラン嬢。 あれの事はいいので、こちらを。」
奥に入って行った兄さまのほうを見ていたら、アケロス様に声を掛けられたので体の向きをそちらに向ける。
目の前に出されたのは、綺麗な紋章の書かれた本と、もう一冊はとっても大きくて分厚くて、装丁もとても美しい本。紙ってものすごく貴重だったはずなんだけど、何故に?!
「今日はこれを届けに来たのですが、ちょうどいいタイミングでしたね。 上の薄い方はアカデミー案内です。 行くと決めたのであれば、こちらをきちんと読んで、どこの学科にいくかを選ぶといいでしょう。 試験もありますが、それに関しては私達がしっかりとこの世界の基礎から勉強を教えようと思いますのでご安心を。 ひとまず、君が空来種という事情を知ったうえで教えられる家庭教師を選定します。 その間、こちらの本を中心に勉強するといいでしょう。」
「あ、嬉しいです。ありがとうございます。 それで、学科の件なんですけど。 入るのであれば医学薬学系に入りたいんです。」
「もう決めたのですか?」
はっきり言いきった私に おや? っと少しだけ眉根をひそめたアケロス様。
セディ兄さまと同じ反応されたら困るなぁと思ったけれど、ここは譲れないからしっかり言い切っておく。
「そもそも錬金薬師ですし、このお店も持っているので、今更ほかの分野に、とかいう選択肢はないです。 それにセス姉さまの病気を治すって決めたので。 この件に関しては私、巻き込まれた形なので譲るつもりはないです。 これが許してもらえなかったらアカデミーにはいきません。」
それを聞いてしばらく沈黙してしまったアケロス様は、軽く握った手の指を自分の顎に当てて私の方を見る。
「……医学薬学系があるというのはなぜ?」
「スキルで、ですかね。」
眉を寄せてじっと、私の方を見ていたアケロス様。
「知識の泉ですね。」
「ですね。」
にこっと笑って答える。
なるほど、アケロス様も鑑定スキルもちなんだ。 多いなぁ、鑑定スキルもち、便利だもんなぁ。
後天的にスキル手に入らないかなぁ……。
「そのスキル、入試の時には一時的にですが魔法具で封じられます。」
「でしょうね、ただのカンニングですから。」
「あっさりしていますね?」
「不正って良くないと思うのと、落ちたらアカデミーに入れって言われないでしょう? ……落ちないようには勉強しますけど。」
えへっと笑って言うけれど、こんな分厚い参考書持ってこられたら、是が非でも受かれって言われてるんだろうなぁって察したけどね。
「なるほど。」
「アケロスからも、別のところでもいいって言ってもらえないかな? もし入るなら医学薬学系一本! と、まぁ今朝からこの調子なんだ。」
お茶を持ってきた兄さまは私の横に座って、アケロス様の茶器と、私の茶器に温かいお茶を注いでくれる。
「ここまでしっかり考えた上で言われたら、反論できるはずがないでしょう。 わかりました。 では、医療系で最高のクラスを目指しましょう。 最高クラスとなれば、クラスメイトになる者の身元の保証もしっかりできますし、警護が入ってもおかしなことにはなりませんからね。」
ふっ、と笑ってお茶を飲むアケロス様は、半分飲んだところで立ちあがった。
ローブの中に手を入れると、懐中時計を出して、ぱかっとふたを開ける。
「さて、時間なので私は戻ります。 後日、家庭教師について使者を立てさせていただきますので、よろしくお願いしますね。」
「はい、ありがとうございます!」
にっこりと笑ったアケロス様は、そうそう、と、懐中時計を懐に戻した手で小さな箱を出してきた。
「これを、フィラン嬢へ。」
「なんですか?」
開けてごらんなさい、と言われて開けると、中は綺麗な青い石のネックレスだった。
「綺麗ですね!」
「先日のアクアドラゴンの『希少部位』で作ったネックレスですよ。 師匠から弟子へのお守りです。 それでは、失礼いたしますね。」
お店を出ていくアケロス様に手を振って、私はネックレスを手に取った。
「綺麗!」
「変な付与魔法もついていないね。 魔力を上手に使える回路が刻まれているのか……いいものをもらったね、フィラン。」
「はい。」
セディ兄さまに着けてもらったそれを懐に入れ、そのままいただいた素敵なお菓子で腹ごしらえをすると、私とセディ兄さまのぎこちなさも消え、ようやく一息。落ち着いて再度開店をすることができたのでした。