1-049)過去と現在と後悔と……
淹れなおしてもらった紅茶は、柔らかな湯気を立てていた。
さて、どこから話そうかなぁと目を伏せた兄さまは、気分が悪くなる、面白くもない話で、話せる範囲も限られているんだけど、と前置きした後でゆっくり話を始めてくれた。
セディ兄さまが生まれたのは、西の大国の属国である花樹人だけの、お花や樹木に溢れた美しい小さな集落。
だけどすぐに戦争が起きて集落は火に包まれ、周りにいた人たちは皆、巻き込まれないようにと必死に逃げた。
気が付いた時には、兄さまは妹のセスさんと二人、北の国との国境付近にいたらしいけれど、どうやってそこに流れ着いたのかはわからない。
食事と水を与えてくれ、安全だと思われる一番近くの集落まで連れて行ってくれた獣人の行商集団の男性は、セディ兄さまとセス姉さまに人間の血が混じっていたから燃えずに済んだのかもしれない、不幸中の幸いだった、と言ったらしい。
そこから何度も集落を商人の陰に隠れて通りすぎること十日余り。ようやく届けられた先は、深い森の中にある小さな小さな集落だった。
そこにいる人を見て、兄さまたちは最初、自分たちは奴隷として売られたか、もしくは人身売買をされたと絶望したといった。
そこには、めったに姿を現さないと言われた魔人がいたから。
もちろん、人間も、獣人も、花樹人も、鳥人もいたのだが、戦で大人が信じられなくなっていたセディ兄さまとセスさんの目には、彼らは自分たちを奴隷として買い取った悪者で、これから死ぬまで殴られて働かされているように映ったそうだ。
恐怖の中で引き合わされた、自分たちを引き取ってくれた背丈の大きな一つ目の魔人夫婦は、そんなセディ兄さまが吐き出した暴言を笑いとばし、暖かい寝床と、暖かい食事、それから優しい言葉をくれたらしい。
が、兄さまたちはそれを信じることはできなかった。
いつ食べられてしまうのかと不安に駆られ、どうにかして逃げる方法を考えながらも、そこで暮らした。
そして、いつしか自分たちの考えが凝り固まったものだったと気が付いた。
村の者は皆、仲間であり、家族だった。
お日様が昇ると目を覚まし、暖かい食事を食べ、畑を耕したり、機を織ったりする。
お日様が落ちると家に戻り、やはり暖かい食事をとって、隙間風に震えることなく柔らかな寝床で眠る。
時折……と言えない頻度で火を囲んで酒盛りをし、みなで笑いあう。
そうするとこの生活は、今までの生活の中で一番幸せと感じられた。
集落に来て1年たち、身も心もすっかり落ち着いたセディ兄さまたちは、大人たちに連れられて一人の少年に引き合わされた。
オーガの夫婦の息子である、自分たちよりも少し小さな人間の男の子だった。
村はこの男の子の不思議な言葉や知恵や予言めいた言葉で、森の生き物たちと折り合いを付けながら開墾し、蓄えを増やしていった村だったらしい。
その不思議な少年は、かなり警戒心が強く、人見知りで、兄さまたちも最初は会話をするのも大変だったそうだが、それでもすぐに仲良しになった。
彼は気難しいらしく、傍にいる人を選ぶとのことで、彼といられる人間はごくわずかであったが、セディ兄さまもセス姉さまもその中にいつの間にか入っていたらしい。
ある日、男の子の独り言のような助言で、セディ兄さまは自分に合った武具というものを得て戦う力を付けられるようになった。 同時に一緒にいた限られた数人――虎と白狼の獣人と、翼を失った鵲の鳥人、それから花樹人の男の子に人間の女の子……村の八人の子供たちも同じように、めきめきと力を付けるようになっていた。
特別な8人と言われるそのメンバーで、毎日、夜明けから夕暮れまで一緒に仕事をしながらたくさん遊んだ。
その遊びや仕事が、実は村を襲うためにやってきた野党や侵入者、魔獣を排除していると知っているのは一部の大人だった。
そんなある日、侵略者が来た。
一番近くの獣人の村が、この豊かな地を求めて攻めてきた。
いかに集落に魔人がいても、武装した大勢の獣人を相手に勝てるはずがないと、皆逃げようとしたり、絶望したりした。
しかしあの少年がすべてを覆した。
彼はセディ兄さまたち7人の子供とともに、不思議な力を使って村を守った。
けして戦うことはできなかったが、彼が祝福と言われるものを7人の子供に授け、7人の子供たちは常人離れした力で、侵略者を撃退したのだ。(実は今までもしていたことだが、襲撃の規模が大きく、村人全員に知れたのはこの時が最初だったそうだ。)
まぐれと思われた一度だけではなく、そこからは何度となく、村を守り続けた。
彼は村の守護神となった。
彼の張った結界のおかげで村は守られ、侵略者は逃げていなくなるか仲間となり、村はぐんぐんと大きくなる。
共に戦ってくれる者も増え、瞬く間に集落は村、街、小国と姿を変えていった。
時折、馬鹿な考えで森を無理に広げようとしたり、守護神の少年を懐柔し村の長になろうとする者がいたが、そんなものはすぐに排除されていった。
そのたびに、こうなりたくなかったから隠してたのに、とぼやいていたのを一部の大人と自分たちで必死になだめた。
そうやって、少年とその親、そして仲間たちを中心として、どんどんと集落は大きくなっていったのだ。
そんな中、おおよそ百年前に何百回目かの侵略から村を守ろうと行った攻防を経て、彼は東の大国を手にすることになってしまっていた。
『うっわ、めんどくせぇ! なんでこんなことになってんだよ。マジありえねぇんだけど! お前らのせいで皇帝なんて押し付けられた! 連帯責任でお前らも重要な役職に就けてやるからな! 逃げ得なんかさせねぇからな!』
が、彼の王座に座った時の最初のお言葉、だったらしい。
「……ラージュ陛下、大人げないです……」
「いや、彼が悪いわけではないからね……どちらかというと巻き込まれたというか……正直、同情を禁じ得ない。」
「まぁ、隠れてやってたのがばれたら、村の守護神って勝手に祭り上げられて、利用されそうになったりして、挙句気が付いたら皇帝になっちゃった? させられちゃった? んですもんね……。」
そりゃ逃げたくなるわな、と真剣に同情しちゃった。
「ちなみにその最初の悪ガキ八人のうち、殿下を抜いたメンバーが、私、セス、アケロス、ロギイと、宰相補佐をやっている白狼の獣人のストレンミル・フォトン。 それからミゲト・フォーノット……だよ。」
……待て待て待て待て、肩書がちょっと想像に追い付かなくなってきたよー!
あと一人! 一人足りない……言えないっていうところかな?
しかしこのメンバー。
「……この国は大丈夫ですか?」
「あぁ、そうだね心配になるよね。 でも、とりあえず百年頑張れているから大丈夫じゃないかな? 私たちの親たちも、以前の集落があった場所で健在だしね。」
「え? 皆さんここにはいないんですか?」
「こちらに来たい者は皆来ているけどね。一部は訳アリだから。 自分たちから、ここには近づかないと決められてラージュの結界の中にいるんだよ。」
ははっと笑ったセディ兄さまは、セス姉さまの顔を見た。
「セスは、宮廷女官長をやりながら、陛下の侍女もやってた。 すごく強いし、彼の身の回りの世話は他人にさせられなかったからね。 それに、八人で気を遣うことなく息抜きをするのには、それなりの地位が必要だったっていうのもあるな。 大変だったよ。 セスは双剣のほかに柔術と棍も使うんだけどね、感覚がわからずにそのままの感じで宮廷の仕事をしてたから、力の加減を間違えて握った瞬間に花瓶を割ったりしてたなぁ。 おかげで色仕掛けで陛下に取り入ろうとする女官や侍女は激減したけどね。」
あー……セス姉さまも脳筋系なのかな、暴れん坊って言ってたもんなぁと、眠っている横顔を見る。
相変わらずの綺麗な横顔に、サラサラの赤い髪……う~ん、脳筋なんて全然想像できない。
「さすがに百年もやってればマナーも、おしとやかさも身につくからね。」
笑ったセディ兄さまは、紅茶を飲んでから、一息ついて私の手の中のペンダントを見た。
「セスはね、5年くらい前に、花樹人だけがかかる『花睡病』という病にかかってから、こうしてずっと眠っている。 この病気の治療法は『そうなった原因を探すこと』と『原因を解決する事』らしいんだけど、それを見つけるのは非常に困難で治癒した人の記録はほぼないんだ。 ただ、幸いなことにセスの場合はその原因はわかっている。」
「え? それじゃあなんで……」
原因がわかっているならば、解決すれば治るというならば、早く治せばいい。
しかし今、セスさんは寝たままということは、解決していないということで……
「解決方法は、解っているんですよね?」
「原因はこれだというものがある。でもその解決は……わかっていても解決するのは不可能なんだ。」
そのペンダント、と、セディ兄さまは絞り出すように言う。
「悪ガキ八人のうちの一人、花樹人のミゲト・フォーノット……彼はロギイと私と三人で騎士団を率いていた。 と言っても、私は表向きの仕事はしていなかったから、ロギイとミゲトが騎士団を率いていた。 ある日、不穏な国境付近で動きがあってね。ミゲトが皇帝の命により制圧に向かった。 表向きは視察と言う形でね……大人数では行けなかったから、騎士団を仰々しく向かわせたうえで、私たちもそこへ向かった。」
ぞわぞわっと、私の中で何かが泡立ち始めた。
よくある展開が来ると、気持ちが悪くなってくる。
嫌な展開、聞きたくない展開。
そう、ここは、『戦いのある世界』なのだ。
「普通の強盗や盗賊の部類だと思ってた私たちは、完全に勘違いをしていたんだ。 居たのは異端の集団で、彼らはいけにえを捧げようとしていた。 村ひとつを燃やしたんだ。」
国境、守りの薄くなる部分。 そこを狙い、村まるまる一つをいけにえとして使った召喚魔法。
現れたのは、高位の魔人だったらしい。
「相打ちだったんだ。 あれがあの場に一人でいたミゲトができる最上の方法だった。 炎の魔人を相手に花樹人の彼ができたのは、あれが精いっぱいだった。 ミゲトの尽力のおかげで、村は燃え尽きたが村の人は助かった。 召喚した集団は自らをいけにえにしたから助からなかった。 こちらの犠牲者は彼だけだった。 焼け野原を探したけどね、どこにも彼を見つけることが出来なくて……彼は純粋な花樹人だったから、魔人の業火で燃え尽きてしまったんだろうということになった。 私たちは身を引き千切られるような思いだったよ。 幼い頃からの唯一無二の友人を亡くしたんだ。 でもセスのそれは私達以上だった。 お互いの愛を誓っていたからね。 わたしは友人を見殺しにし、妹を苦しめる状況を作ってしまったことで身動きが取れなくてね……そこに戻って彼のかけらだけでもと探し続けていた。 だからセスの異変に気付くことができなかったんだ。」
ふぅと、兄さまは眉根を寄せた。
「あの日、私とセスが契約していた精霊が見えなくなった。 同時にアケロスから、セスが花睡病に罹ったと、魔道具伝てで知らせを受けた。 ミゲトの空っぽの棺桶の傍で、それを握りしめて眠っていたらしい……原因はミゲトを失ったため……だと私たちは思っている。 全てはあの日、相打ちを覚悟で残った彼の気持ちを察することができずに一人で死なせ、セスは花睡病を発症した。 すべて私の責任なんだ。 だから私はラージュ陛下に辞職を願い出た。」
すこし深めに息を吐いた兄さまは、セス姉さまを見る。
「騎士団にいたのではセスの傍にいることもできない。 ミゲトの事もセスの事も守ってやることができなかった。 だからせめて、セスの最期を看取ることができるよう職を辞することにしたんだ。」
それだけ言って笑った。
「これが私が背負う罰なんだ。 フィランは自分が私に迷惑をかけている、甘えていると謝ってくれただろう? でも違うんだ。 これは私が、私たちが、フィランを利用しているんだよ。 ここにいれば、私はセスを看取ることができる……フィランには辛いものを見せてしまう可能性が高いのに、私たちはこの世界に来たばかりの君に甘えたんだ。」
立ち上がった兄さまは、私の頭をなでてくれた。
見上げれば、初めて見る顔をした兄さま。
「小さな身に、いろいろ背負わせてしまう結果になってしまった。 本当にすまない。」
私のほっぺにぽつっと落ちた水滴が、顎にかけて床に落ちていった。