1-033)精霊に、諭される。
その日の夜。
おやすみなさい、と部屋の前でセディ兄さまと別れて自室に入った私は、エプロンやワンピースを脱いで壁に掛けると厚手の寝間着に着替え、ブーツと靴下も脱いで柔らかなルームシューズに履き替えた。
「さすがにつかれたぁ!」
そのまま、ぽーん! とベッドに飛び込みたいのを我慢して、かわいらしい鏡台の前の椅子に座る。
少し大きめで可愛い鏡台は、おうちとお店を改装をしてくれたドワーフの親方から開店祝いだと届いたものだ。
試作品だと沢山押し付けた傷薬に「本当に気に入った! その礼だ」と伝言がつけられていた。
「お礼のお礼って、おかしいよねぇ……これにお礼を返したら、またお礼が来ちゃうかな? そうなるとこれ以上贈るのって迷惑かなぁ……。 けど差額が怖すぎる……。」
う~ん、と真剣に考える。
鏡台はいつかお金に余裕が出来たら買おうと思っていたから、ありがとう! と、手放しで喜んじゃうほど嬉しかったけれど、そのかわりにやってきたお礼問題。
半返し?
半返しっていくら!?
こっちの文化はどうなの?
と、もらった夜はかなり悩んだ。 いや、正直今も悩んでいる。
そう!
私は気遣いしすぎて胃や心を疲弊してしまう気苦労の国・日本の住人!
これは真剣な問題なのです!
「傷薬を多めに……いや、それだけじゃ……やっぱりお酒とおつまみ? いや、額が違いすぎる……両方!?」
そうだ、もう悩んだときは両方渡しちゃえばいいんだっ! とポンと手を打って顔を上げた。
鏡に映る風呂上りに適当にみつあみにしているけれど、白い肌にバラ色の頬、サクランボのような唇にラベンダーアメジストの瞳、最高に可愛い今の私の姿が映る。
うん! 今日もかわいい!
でも残念かな、お寝間着の恰好は開拓時代?!
地味なキナリのお寝間着ワンピ……かざりなし。
「……もこもこフワフワの可愛い部屋着が欲しいよねぇ。」
今着ている物は洗いざらした綿のように柔らかな素材で作られた着心地は最高のワンピースタイプではあるが、冬場はこれでは寒いだろう。
せっかく自分史上最大に可愛いんだから、向こうでは買うこともできなかった可愛い寝間着に下着も欲しい。
ウィンドウショッピングすら店員に「お前何しに来たんだよ」と言われている気がしてできず、ネット通販でも着た後の絶望感を想像の段階で味わってしまって、ポチることなく眺めてた憧れの可愛い部屋着~。
あ、寂しくなってきた。いかんいかん。
「可愛くなったら、欲が出てきたのかな? いかんいかん!」
入浴後、適当に風魔法で乾燥させた髪をほどいて、鏡台に置いていた例の櫛を手に取ると、絡まってごわごわの髪を梳……けない!
む!
絡まっておる!
素敵な花樹人のお兄様から習ったとおり、毛先からやってるはずなのに!
力を入れてみる。
あ、ぶちっていった! 切れ毛!
ウェーブヘアってお手入れ大変なのね?
「む、こんがらがってる! これは切った方が早いのか?」
かなり絡まってしまっている髪の毛につかまった櫛を、力任せに通そうと力を入れた時だった。
不意に、櫛がしっとりした気がすると、そのままするる~んと櫛が通った。
いい香りのする何かがぽたりと一滴落ちてきたようだった。
びっくりして顔を上げと、宙に浮かぶかわいらしい茶色の小瓶が一つと金色の姿。
「アルムヘイム。」
『もうっ! 無理やり櫛を通すなんて、おバカちゃんですの?』
やや怒った顔のアルムヘイムが、ことん、と、香油の瓶を鏡台に置く。
『乾燥させたままの絡まった髪にそのまま櫛を入れると痛みますのよ! ちゃんと香油を付けなさい!』
横には憮然とした顔のアルムヘイムがつーん、と顔を横に向けている。
「ありがとぉ。 でも精霊も髪をとかすことあるの? よく知ってるね?」
『他の子達が見守っている人間たちがこうしていると聞いたのですわ! まったく、この世界の常識を知らない子には困ったものですわ!』
全く手のかかるっ! という顔をしているアルムヘイムと顔がにやける私。
『何をそんなににやにやしていますの、気持ち悪い子ね!』
怒っているアルムヘイムだけど、だって……ねぇ。
「私のために、誰かに聞いてくれたの? アルムヘイムが? 私のために?」
私の言葉に、むっとした顔をし、取り繕うように腕を組み顔色を整え、すぐにすましたようにつーん! と顔を背けて、イライラしたような声を上げる。
『たまたま! たまたまですわよ! ほかの子達が契約主と話しているのを聞いただけですわ! あなたのためにわざわざ日の精霊でも高位のわたくしが聞いたりするわけないでしょう……って、聞いているの!? これはあなたのためじゃなくって……何なの! そのだらしない顔は!』
怒っている顔も、とても可愛い。
きっと、精霊じゃなかったら、今は顔を真っ赤にして怒っているのだろうと思う。
精霊なので美しい黄金のままだけれども。
「だって、うれしくって。 ありがとぉ、アルムヘイム。」
『だ、だから! 違うって言っているでしょう? なんなの! もう! 早く寝なさい! フィランのお馬鹿!』
「あ、アルムヘイム!」
『やりすぎだ。』
シュッと消えてしまったアルムヘイムの名前を呼んだところで、今度は後ろから冷静に突っ込まれて振り返る。
ため息をついたような顔をしているのは月の精霊のヴィゾヴニルで、こちらは何もないところにもたれかかって腕を組んでこちらを見ている。
『あれは最初に産みだされた第一位の精霊として気位高くいるのだから、からかうのはやめてやれ。 やりすぎるとほとぼりが冷めるまで出てこなくなるぞ。』
「え!? それは困る、契約切られちゃう?」
そんなことは、と少し表情を柔らかくする。
『こんなことじゃ契約を切ったりはしないが、アルムヘイムで遊ぶのはほどほどにしてやれ。 あれはお前が心配でしょうがないんだ。』
「だって可愛いんだもん……でも、気を付ける。」
『あぁ、そうしたほうがいい。』
フワリと、止まっていた手から浮き上がった櫛が、するすると髪を勝手に梳いてくれる。
『精霊は……』
「うん?」
『精霊は元来、生まれた時は精霊神と限りなく近い存在だ。 神の木とつながり、存在するのに必要な力を供給されているから神以外からは命令を受けることも、影響されることもない。 しかし人と契約することによって魔力の供給源が契約主からになると、徐々にではあるが性格や姿かたちなどが影響を受けていく。 だが我々の大元たる基本は変わらない。神につながる部分がちゃんと残っているからだ。』
ころん、と、手の中に櫛が戻ってきた。
梳き終わった髪をひと房つまむと、先ほどまでの毛のこんがらがりはどこへやら、つやつやさらさらになっていて、香油だけでこんなにも変わるんだ、と感心する。
何しろ朝は朝で、爆発してたのを荒く櫛をかけてみつあみおさげにしてただけだったから。
「ヴィゾヴニル、ありがとう。」
どういたしまして、と、言った彼もまた、日本生まれ日本育ちだった私に影響されているのだろうとふと思う。
「一緒にいると似るってやつだね、ペットも人も。」
『ペットが何かはわからないが……』
人間臭い、あきれたようにため息をつく仕草。
『先ほども言ったと思うが、フィランはもう少し警戒心を持った方がいい。 こちらの世界はお前が住んでいた世界ほど安全ではない。 僕たちは精霊だから、いろんなほかの仲間の見た世界を垣間見ることができるけれど……少なくとも、フィランの記憶の中の世界とは違って、己の身は己で常に守る、という気持ちはちゃんと持っておいた方がいい。』
おっしゃる通り、と思いながらも少しだけ言い訳を試みる。
「別に、この世界を甘く見ているわけじゃないよ? セディ兄さまの件も、ラージュ陛下の命令じゃなかったらちゃんとお断りしてたし。 ……まぁ、きっかけになったギルドの件は、巻き込まれたというか、暴走したというか……。」
『……そうだね。』
にっこり笑ったヴィゾヴニルは、するりと宙を滑るように動くと額に口づけを落とした。
『夜も更けてきた。 これは月の精霊のよく眠れるおまじない。 お休み、フィラン。』
「え? まって!?」
ふぃっと消えてしまたヴィゾヴニルから落ちて消える光を見ながら、私は首をかしげたが、その真意がわからなくて、よし、気を付けよう! と肝に銘じながらベッドに入る。
「……ヴィゾヴニル……もしかしてすごく怒ってた?」
要は気を付けて暮らせってことだよね!
まずは危ないところに近づかないところから始めてみよう!
「知識の泉、検索。 王都要塞ルフォート・フォーマの危険な場所の検索と、錬金薬術辞典の基本を最初から読み聞かせてください。」
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