閑話25 『檻の中』のバグ修正管理人の『咆哮』
「陛下っ!」
「ラージュ、おかえりなさい!」
魔法陣をくぐったその先で、様々にそう声を掛けられてようやく『一つ目』が終わったことを実感したと俺はほっとした。
「あぁ。 皆、無事か。」
「それなりには、な。」
「そうか……。 みな、よくやってくれた。 『ここまでの献身と尽力に、心から感謝する』、と、じじぃから礼を伝えろと言われている。」
「そんなことより顔色が悪い。 早く座れ。 いま温かい飲み物を用意する。」
「すまない。」
皆に促されるままに椅子に身を投げ出すようにして座る。
目の前に出された、熱めのお茶を手にしようとしたとき、指先が僅かに痺れていることに気が付いた。
長い年月をかけ、その身に溜め込み続けた魔力を、急激に使用しすぎた後遺症だろう。
一度力を抜くために全身の力を抜き、頭も背もたれに預け、目を伏せてからひとつ、大きく息を吐く。
その身を依り代とし、この世界で最高位である『世界の創造主』を召喚したのだ、この程度で済んでいるのなら御の字である。
正直、腕の1本や足の1本を、持っていかれると思っていた。 まぁ、もし持っていかれても、今回の事何もかもすべてがその『創造主』からの押しつけであるのだから、そうなっていたら取られたら取られた分以上のものを取り返すつもりではいたので痛くもかゆくもないわけであるが……。
それにしても、疲れた。 いまはもう、ただそれだけである。
「……すまない、もう少し待ってくれ。」
自分を見守りつつも、自分に説明と結果報告を求めているであろう人数分の視線に苦笑いしながら、重い瞼を開け、頭を持ち上げると茶器を落とさないように気を付けながら手にとった。
全員の顔を見回し、困ったように笑いながら、入れられた甘めの紅茶を飲むと、魔力が回復していくのがわかる。
茶を淹れた幼馴染の花樹人が、気を聞かせて特上の魔力回復ポーションを使用したのだろう。
おかげで、指先のしびれがなくなったし、体感ではあるが、魔力は出発前の半分以下ではあるものの急速に回復したようなので、そのまま皆に気付かれないように注意しながら、目の前にいる全員を『鑑定』していく。
ロギイは……体力魔力共にほぼ回復済、いや、削れていないようだ。 これは祝福があったとしても流石だと舌を巻く。 精神面でやや少し疲れがあるようだが、肉体はかすり傷と打ち身程度。 相手が見習い騎士だったので、魔人が力を貸してもその程度だったのだろう、と、視線を移す。
アケロスも、魔力はさほどに減っていない。 しかし体に受けたダメージが比較的大きいようだ。 メンタル面にもややひずみが大きいのがわかる。 これはすこし、しっかりした休息を取らせる必要があるようだ。 手に、わずかに感じる他者の魔力の残滓は……そうか、彼が持っているのはあいつの最後の証か。 持ち帰ってくれたのだな、後で必ず受け取ろう。
ルナークは前線に出ることが限りなく少なかったため、全盛期ほど柔軟に動けなかっただろう。 魔力も体力も消費が激しいようだ。 特に魔力は底を尽きかけているな……精霊魔法の使いすぎ……ん? 称号が増えていないか? 赤子の母親? ……あぁ、例の娘、葬らずに炎の精霊男神の力で、強制的に転生させたのか。 通りで……魔力がそこを尽きるはずだ。 逆にそんなことをしても立って笑っていられるとは……恐ろしいな。 さて、子供の事は予定外だがこれもさほど問題にはならない、まぁいいだろう……
ヒュパムは……急遽、セスと対峙させたのに魔力・体力共にほぼ無傷……というより魔力の限界値が5倍以上に向上しているのはなぜだ? ……なるほど、花睡病の後遺症を克服し、なおかつその根本を立ったために祝福を受けたか。 根無しではなくなり、精霊を得たな。 基本ステータスも跳ね上がっている。 精神の歪みもほぼ回復したか。 ……これは随分と予定外だったな、本当にいい拾い物をした。
セディは……やはり。 想像通り体力魔力共に跳ね上がりやがった。 足の傷はやはり無理だったか。 しかし、精神のひずみは大きいが、よい方へ反転したな、いい傾向だ。 これなら早めに回復するだろう。 じじぃの予定通り、あの血族だった竜からも、闇の精霊をきちんと受け継いでこれたようだ。 契約も終えている。 やはり亡国末裔同士、闇の精霊との方が相性がよかったようだな。 魔力の巡りも良いようだが、その部分のステータスは見えないように目隠しをしておこう……これで『2つ目』への布石も完遂したな。
それから、フィランは……
視線を動かし、少女を探す。
そしてようやく、そのひと際鮮やかでひと際騒がしい姿がどこにもないことに、気が付いた。
俺は、慌てて茶器から口を離した。
「おい、1人足りないぞ? ……医務室にでも行っているのか?」
じじぃとは、フィランは一見は無傷で先に返したと聞いていたが、なぜここにいないのか。
ポロッと、声をあげれば全員が俺の方を不思議そうに見る。
「……お前が連れ帰ってくると思ったんだが……?」
何言っているんだ? と、言った顔をしてそういったロギイの横で、アケロスも珍しく目を丸くしてこちらを見ているし、ルナークは抱いていた赤子を落としそうになって、精霊男神イーフリートに慌てて支えられている。
殺気だっているのはフィランをねこっ可愛がりしている花樹人二人(プラス2精霊)。
『『なんでフィランを連れて帰って来なかったっ!』の!?』
「ちょっと! 陛下、どういうことですか!? フィランちゃん、何処に置いてきたんですか!?」
「それはお前の役割だったろう……がっ!?」
セディの声に立ち上がり、ひずませた空間から杖を取り出す。
「……バグ修正管理者としての権限をり……っ!」
手に杖を持って、床にたたきつけようとしたとの時、だった。
空間が遮られた気がした。
いや、遮断された。
自分だけ、切り抜いた様にあの空間から離れたところに連れてこられた。
『……何も知らぬ子達の前よ。 気を付けたほうが良いわ……神の養い子。』
遮断された目に痛いほどの光だけが存在を許された空間に、黄金の髪を揺らすフィランと契約している第一位の精霊・現在の名は『アルムヘイム』があらわれた。
俺は静かに、獅子が威嚇するように低く、声を出した。
「日の。 お前は見て、知っているだろう? じじぃが俺に身体を返すよりも、フィランをここに返した方が先だった。 なのになぜ、フィランはここに帰ってきていない?」
『第三位の番。 本来であれば第一位のわたくしに、お前が真実、神の養い子であったとしても不敬よ? けれど。 えぇ、そう言われても仕方がないわ。 フィランはわたくし達が途中で捕まえた。 やる事があったの。』
「やること?」
アルムヘイムの隣に、フィランを抱きかかえたまま現れた第二位の精霊・月のヴィゾヴニルが現れた。
『『『フィラン!』』』
彼の腕の中で、だらりと投げ出されたフィランの腕輪から、今にも泣きだしそうな声をあげて3精霊が飛び出すっと、日と月の精霊、それからフィランの傍をぐるぐると回って泣き始めた。
『ごめんなさい、僕たちが守れなかったから。』
『ごめんなさい、手が届かなかったから。』
『指輪を、見せてって言ったから!』
各々懺悔の言葉を上げる火、水、金の3精霊に、ヴィゾヴニルは首を振る。
精霊たちがそのようなことをする状況の意味が解らない俺は、静かに『鑑定』をし、口元を押さえた。
「どういうことだ。」
首を振るアルムヘイム。
体を神であるじじぃに貸していた俺は、その間の記憶はおろか意識すらない。
ただ、のこされた残滓から、それを断片的にではあるが知ることは出来た。
フィランが、神の木から大空猫と白銀竜をもらい、離れた時は笑顔だった。
何なら文句も皮肉も言っていた。
なのに、なぜここにいる彼女の器には魂が入っていないのか。
「これは、どういう言う事だ。 じじぃを呼べ。 これでは約束が違う。」
「……これは新しい器……もう一度、ちゃんと鑑定なさい。」
言われて、再度彼女を『鑑定』する。
現れたステータス表示には、彼女の名前、状態などが記載されている。
『****・フィラン・******の新たなる器。 15歳/人間種/雌/』
「身守りと、花樹人の家名がない……。 それに、新たなる器とはどういうことだ。」
彼女に重なり見える『ステータス』は、俺が身守りとして付けた名が、欠けていた。
名前は守りだ。
この世界は前の世界の日本の様な『苗字・名前』ではなく、『名前・旧家名・新家名』、もしくは『名前・名前・家名』となる事が多いが、それを隠す術もある。
『鑑定で塗り替える。』だ。 高位貴族の子供たちを市井に本人にも隠す際におこなわれる手法を使った。
フィランには『ソロビー・フィラン』と名乗らせた。『名前・名前』だ。 そして最初の部分に『身守り』とし、何かあった際にはそこを切り捨てられるようにしてあった。
苗字を付けなかったのは、いずれはこの世界にある貴族制の中で、社会的にその身を守るために『どこかに養子に入る』事があらかじめわかっていたためだ。
だから正式には『ソロビー・フィラン・(空白)』としてあった。
そしてその通り、彼女は『コルトサニア家』の養女になった。 正直、同じ花樹人でも幼馴染の家門に入れる予定だったのだが、意外と世界を満喫している少女だったので、そのうち好きな男でも出来たら変わるしな、と考え、それを許した。
そして彼女には、近いうちに失う見守りの名前『ソロビー』ではなく、此方の世界では最後まで使うことになるであろう『フィランと名乗れ』と言ってあったのだ。
しかしそれは、今の状況ではない。
「これでは次の一手で守り切れない……。 どういうことか……。」
そうつぶやいた俺の眉間を、アルムヘイムが指で触れた。
『これは、第3位の子供たち……いいえ、第一位と第二位の私たちの不手際。 わたしたちがこの子を守り切る事が出来なかった。』
脳裏に流れてくる映像は、誰が見ているモノか……。
あの子がようやく来た、と、水の宮殿の入り口にむかった。
しかし、思っていたのとは違う、目の前に広がる惨劇に、自分は悲鳴を上げることはかなわなかった。
水の神殿の入り口。
腐った木の根元で、石と指輪を握ったまま、彼女は血に染まって倒れていた。
わずかに動く口元は、徐々にその力を失っていく。
彼女から流れ出る血液は、水の床に広がり、滲み、沈んでいく。
神の木への回廊から、彼女はここに、転落したのだと分かった。
この地から回廊へ風が吹かなければ。
彼女の手から石が滑り落ちなければ。
身をひねったフィランが、階段から転落しなければ。
3精霊の力の行使が間に合っていれば。
何か一つでも違っていれば、この結果は違ったかもしれない。
神の木までの回廊は、彼女の黄泉地となった。
神の愛しい娘が守られた水の宮殿に、着いたこの子は瀕死だった。
志半ば、アメジストの瞳は力を失って、ただ虚ろに落ちてきた空を映していた。
震える手で、神殿をその血で穢すこの可愛い娘をどうにかしなければと膝をついた時。
彼女の肉体が、床に沈んだ。
魂だけをその場に残したまま。
魂だけ器となる肉体から切り離し、肉体を水の中へ、魂をその場に残したその人は……。
――神よ……なぜですか?
――フィランが目を覚ます。 お前は戻り、あの娘を目覚めさせる手助けを。
その声に、魂だけになったフィランが、むずがるように顔をしかめたのがわかり、言われた通りその場から番と共に離れる。
後ろ髪をひかれながら。
主は、魂の彼女に、己の死を悟られぬように術をかけ、あの娘の眠る奥宮へ続く木の根の扉へと導いた。
彼女は、神が望むまま、導かれるままに出会った。
自分にそっくりの、眠る女に。
命のしずくを彼女へ返した少女は、コタロウと上空へ戻り、その地を去った。
知らぬ間に、新しい肉体と名を与えていた。
遠い昔、切り捨てた種族に気まぐれに与えた竜体と感情を、そのまま新しい身守りに利用した。
帰る途中、新しい体と魂の定着にずれがあったのだろう、コタロウから落ちたところを二人が助けた。
「……。」
あれは、日の精霊の見たまま、なのだろう。
だとしたら……自分とフィランの状況に、吐き気すら覚える。
「俺たちは……駒か。」
手が白くなるまで、強く杖を握る。
「俺はまだしも、フィランは二度までも生死を弄ばれた。 俺たちは、ただただ、じじぃとお前たちの駒であり、あの娘のための大切な箱庭で、人形劇を繰り返すしかないのだな?」
それを聞いていた日の精霊は、首を小さく振ると静かに口を開いた。
ヴィゾヴニルがそっと、フィランをラージュに渡すと、二人で頬にキスをした。
『わたくしとヴィゾヴニルは、真実、この子を誰よりも愛しているわ。 この子はわたくし達の最愛の子。 あの方に創られたわたくし達だけれども、それでも、わたくしたちはフィランが一番大事なの。 だからお前に真実を見せて、託すの。』
二人が離れると、フィランの唇からふぅっと息が漏れ、すこし早めの呼吸が始まった後、顔に赤みが差し始めると穏やかな寝息を繰り返し始めた。
再び鑑定を使えば、視たとおりに、この世界での彼女の名前が変わる。
――***・フィラン・モルガン
命運の腕輪にも刻み込まれてしまえば、自分の力では修復は不可能だ。
その名に、本人も、周りも、どれだけ心を乱されることになるか、じじぃであればわかるはずの。
これを皮肉と言わず、なんというのだろう。
挑発しているのかと勘ぐらずにはおれぬような身守りの名の部分を隠し、また、苗字となった部分を本当に苦々しく思いながらも、しかし、圧倒的な物の前に、自分は今は、飲み込むしかなかった。
『この子を、お願い……』
再び飛ばされる間隔にラージュはフィランを離さないように強く抱えながらそれに抗うことなく身を任せた。
つかみ損ねた杖が、床に転がり、高く騒がしい音を立てた。
「……ラージュ!」
「陛下っ!」
「フィランちゃん!」
「フィラン!」
名を呼ばれ、立ち尽くした俺は、その腕の中ですやすやと、かなりいい夢を見ていそうな暢気な寝顔を見た。
顔色もすっかり元に戻っていて、周りに集まった大人たちは俺の顔とフィランの顔を何度も見比べながら何やら騒いでいる。
「……アケロス、お前たちにフィランは? と聞かれてから何があった。」
「お前が立ち上がり『ゲームマスター』とやらのスキルを使ったら、フィラン嬢が現れた。 だが?」
「……そうか。」
皆が慌てている中で、一番冷静そうなアケロスに問えば、静かにそう言う。
そしてその解答に、なるほど、気づかれぬようにため息をつく。
精霊たちとの会話の時間は、自分の中にしかない。
腕の中にすっぽり収まり、何にも死なされないままに暢気に眠る彼女にはこれっぽっちも罪はない。
あんまりにも暢気な顔で寝ているという点では何も知らないで、とむかつきはする。 が、どちらかと言えば、何も知らないままに巻き込まれるよりは、すべてを知らされ、自分の意志で選択する方が断然に方がいいに決まっている。
しかし話すことも、知らせることも許されないのだ。
この子は、手のひらで踊り囀る駒鳥だ。
そしてこの子の管理を任されているだけの自分に今できるのは、最大限に守ることだけなのだ。
一度、フィランを後宮内の別室へ休ませている間に、セディに茶を用意させ、皆を席に着かせる。
各々席に着いた全員の顔を見、俺はひとつ、溜息をついた。
「国内や各国への対応は、現在スールが行っている。 これから忙しくなる、今のうちに大まかな説明をする。」
全員が静かに頷く中、俺は静かは頭の中にある話を『話せる範囲』で組み立て、説明する。
「少々計画を変更する。 ここまで支えてもらっていて悪いが、俺はこのまま『魔物の強襲』の責任を負って退位する。 皇帝の座はスールに譲る。 まずは退位を公表し、その混乱に乗じて貴族層の泥攫いを行ったうえで、スールを皇帝位につかせ、あの隠れ里をよその国へ移動し、魔物の強襲研究専門の旅団を立ち上げる。 ほかの奴はついてくる、ここに残る、どちらでも好きにしていい。」
いずれ、神に届くよう。
「これは『神託、決定』である。 各々がどうするかは、明日中に聞かせてほしい。」
この咆哮が、いつかこの檻を壊す一撃となるようにと、心から祈りながら。