1-107)説明のないまま事態は進む……。
この世界ははじめ、何にもなかった。
真っ白で、からっぽの世界だった。
ある日、真っ白な世界に、小さな女の子が生まれた。
《略》
最後に、一緒に歌うことのできる鳥人を。
時折失敗作を作り出すこともあったが、往々にして皆、世界に適応し、そうして世界を彩っていった。
そんな少女の傍には、いつも笑顔で彼女を見守る少年と、二人を守ってくれる大きな白い頭の鳥が見られるようになった。
ずっと一人だった少女は、少年と、鳥と共に、神の木の下で今も幸せを願いながら世界を見守っているのである。
『コルトサニア家蔵書・神様の木の物語、より。』
「あれは、この世界が始まった歴史の中の、一番最初の神への反逆者。 神の傍で世界造りを手伝っていた創世の乙女を騙して命の欠片を奪い取り、世界の理を己の欲望のためにねじ曲げた魔女、マリアリアだ。」
ラージュ陛下はマリアリアさんを真っ直ぐ見たまま、彼女たちを指し示していた杖を下ろした。
それを静かにみていた彼女はくすくすと笑いだした。
「そういえば、あの絵本は遠い昔は今と違ってそんな話だったわね。 えぇ、誰かに私とその魔女が同じ名前だと言われたこともあったわ。 懐かしい。 でもそれは私ではないし、それが私だとそう言い切るだけの証拠もないでしょう? 私は貴方のお仲間の魔術の師匠であり、ここにいるアルフレッドの師匠、ただそれだけよ?」
にっこり笑い、あぁ、この間はタイミング悪く教会でも会えなかったものねと、アル君の肩に手を乗せて紹介するようなしぐさをするマリアリアさんだが、そんな彼女たちにラージュ陛下は面白そうに鼻で笑った。
「猿芝居がうまいな。 それの事はアカデミーでよく知っているが、調べたところ、そこにいるのは人の皮をかぶった魔人の出来損ないだ。 確かに貴女はうちの馬鹿二人の師匠ではあるが……それも、こちらの計算の内だとしたら? そしてすべてがわかった上で、うちの馬鹿がお前の出来損ないの人形に『腕輪』を渡したとしたら?」
「只のヒトが、私達を出し抜いてそんなことをできるわけがないでしょう? 私が魔女マリアリアであることも、アルフレッドが魔人であることも、何の根拠もないことよ? ヒトの王は、妄想がお好きなのね。 そんなことでは痛い目に合うわよ。」
暗にそうだと言いつつも、自分たちはそうではない、そう言うのなら証拠を出せと言ってるのはものすごく無茶苦茶で、どうにか言い返してやろうと考えていたら兄さまにシーッとされてしまった。
「そうか……。 では。」
あくまでも自分たちが優位に立っているのだと肩を揺らして笑っているマリアリアさんに、ラージュ陛下はやれやれと肩をすくめると、杖を大きく揺らした。
シャラン。
杖の金属の飾りがこすれあって音を立てた時、私の事を抱きかかえて背中をなでていた兄さまがふわっと光を纏った。
「それでは、お前が納得するように確実に証明するものを見せてやろう。 しかしそこの魔人の出来損ないが邪魔するという可能性もあるからどこかに行ってもらおうか。 あぁ、寂しくないようにうちの馬鹿にお相手させよう。」
もう一度、金属の飾りが音を立てた。
「馬鹿って……相変わらずひどい言われようだな……。」
「兄さまは馬鹿じゃないじゃないもん!」
二人で同時に唱えた反論に笑ったラージュ陛下は、後は頼むぞ、と兄さまに言うと二人の足元に魔方陣を出現させてた。
「期待しているよ、セディ。」
「あぁ、 こちらも見返りを期待しているからな。」
それだけ言い交した次の瞬間には、アル君と兄さま二人が消えた。
どういう仕組みだ? 魔法? 兄さまはどこ行っちゃったの? と、いろんなことを一気に考えてパンクしそうな私を背中で隠しながら、ラージュ陛下はマリアリアさんを見据えた。
「さて。 これでゆっくりとお前を断罪できる……こんな茶番劇、さっさと終わりにしよう。」
「あら、あなたが相手をしてくれるの?」
「そうだな。 相手をするのは俺だが、お前を断罪するのは俺じゃない。」
「あら? 意味が分からないことを言うのね。 ではフィランちゃんが私を? どちらにせよ、私は貴女の言う魔女ではないわよ?」
「いや、フィランには別の役割があるから無理だな。 俺であって俺ではないものが相手をする。 そろそろ此処に来たがってるから登場してもらおう。」
ぶわっと、ラージュ陛下の足元に、淡い緑を帯びた白い魔方陣が現れた。
「木の精霊女神ドリアードの召喚。 ゲームマスター・ラージュ、ワールドクリエーターをこの身を媒介に召喚。」
「クリエーター……媒介?」
それって召喚するのではなく、ラージュ陛下に何かが憑依する、ってこと?
と、悠長に考えている暇はなかった。
ぱきぱきと、何かが急激に成長していくような高く優しい音とともに、魔方陣からは樹木の枝と共に精霊女神・ドリアードがラージュ陛下の声に呼ばれて現れると、背後から、彼を守るように、抱き抱えるように腕を伸ばし、上を見上げて優しい声を出した。
それは木々の木漏れ日、通り抜ける風、木から立つ新しい命、営みの声。
ラージュ陛下の足元から伸びていた枝は、彼を巻き込むように伸びて絡むと、融合し、太い木の幹に姿を変え、やがて黄金に光ってから解けるように消えた。
消えた樹木の代わりにそこに立つのは、そこにいたはずのラージュ陛下ではなく、夢で話した美しい青年の姿をした神様……だよねぇ、あれ!
「え? ラージュ陛下はどこ?」
きょろきょろとあたりを見回して、気が付いた。
「……まさか……そんなっ。お前は、貴方はあの時……」
その姿を目で捕えたマリアリアさんの顔から、初めて余裕が吹き飛んでいたのだ。
これ以上開かないくらいに目を見開き、小さく震えているようにも見える。
「久しいな、マリア。 創世での戦乱の、あの日ぶりだ。 あの時と違い今回は私は器を持っている、あの時のようにはならない。」
手に持っていた黄金の木の枝の杖で軽く床を一つ叩くと、空気を重く淀ませていた全ての瘴気が吹き飛んだ。
「さぁ、あの日、あの時、あの子から奪ったもの、全て返してもらおう。」
その言葉にとっさに胸元を強く握り押さえたマリアリアさんのそこにむけて杖をふるった神様。
すると押さえていた腕から小さな光がぽこん、と飛び出した。
「いや! それは私のモノよ!」
それを掴もうと手を伸ばしたアリアリアさんは、大きく悲鳴を上げた。
自分から飛び出し、逃げていく光を掴もうとした手が、指が、火を噴いてあっという間に炭化して朽ちて落ちたのだ。
「いや! いやよ! 返して!」
彼女の先のなくなった手首から瘴気が噴出し手の形になってなお、それを取り返そうと何度も掴もうとするが、そのたびに手は朽ちて落ちるのを繰り返す。
「諦めよ。お前には二度と触れぬものよ。」
「いいえ! いいえ、私のモノよ!」
「……っ!」
何度もそれを繰り返していくマリアリアさんが口を動かすたび、手を動かすたび、声を発するたび。
朽ちて落ちる手の回数が増えるごとに朽ちる先は大きくなり、今、透き通るようなきれいな肌だった左の頬が朽ちて剥がれて落ちた。
ベロリと捲れた先には骨と、瘴気と肉と腱が絡みついて動いているのが見えて、あんまりのグロテスクさに私は悲鳴をあげないように口元を押さえた。
「わかるか? お前には、ヒトの器には過ぎたモノを、長きにわたり身に宿し続けた結果だ。」
「いえ、いいえ! これは私のものよ! わたしの!」
もう、再生しなくなった手を動かしているつもりなのだろう、むき出した肩の骨が動いているのも見える。
「わたしの! この力も! 世界の理も! 神の木も! あの子も!」
すでに両腕はおろか首元から両頬や顎の肉も削げ落ちたマリアリアさんがぎょろりと金色の猛禽類の瞳を剥いて私を見た。
「フラン! フラン! 私を友だと、大切だと、何時いかなる時にも共に、世界を創ろうと言ったじゃない! なのになぜ裏切ったの!? フラン!」
叫んだ衝撃で、顎が落ちた。
見開いた力に耐えられなかったのか、ずるり、目玉が片方抜け落ちた。
体が朽ちていく。
もう言葉を吐けないその人は、高く鋭い声で鳴いている。
「……もうやだ……。」
こんなことに巻き込まれたくて異世界転生を引き受けたわけじゃない!
「すまない、フィラン。」
耳をふさごうとした時、神様はそっと私の頭に触れた。
「巻き込んですまないな。そして気にしなくていい。あれ言葉はあれの戯言、あの姿は己の業が身に返った姿よ。 それよりも、巻き込んだお前に頼みたいことがある。 手を出して……これを。」
崩れ落ち、立っていられなくなったマリアリアさんを一瞥し、その姿を見せないように私の前に立った神様は、私の頭から王冠をとると、掲げられていた乳白色の石を外し、マリアリアさんから飛び出した白い小さな光を入れた、と思う。
内側から放っていたほのかな光を少し強くしたその石と、それとは別に何処からか取り出した、見覚えのある青い石の指輪を私の手の中に落とした神様は、小さく息を吐いた。
「わしは、あやつと、あやつの作り出した人形、その二つの後始末を見届ける必要がある。 申し訳ないがその間に、フィランはそれをあの子に届けてほしい。」
「……あの子? 届ける?」
「その道中を、わしも、わしの代行者もお前を助けてやることは出来ん。 頼んだぞ、フィラン。」
そう言い終えた神様は私の眉間にトン、と触れた。
「ねじれた理を正してくれるものを起こしてきておくれ。」
え?
足元が抜けたような感じを受けて、慌てて手に渡されたものを握りしめた瞬間に、一気に落下していく錯覚に私は囚われた。
「え? ちょっとまって。 やります、やりますからとりあえず、放り出す前に説明をしてくださいぃぃぃ!」
ここまで、なんで巻き込まれたのか、なんでこんなことになってるのか まったく説明のないまま、私はまた何かを今回は神様から直々に託されたようで長い長い穴を落ちていった。