1-104)冷徹の魔術師は小さな花を愛していた。
日常であればそれは、どこの道端にも誇らしげに咲いている小さな小さな青い花の名前は、勿忘草という。
『私を忘れないで。』
という花の意味を持ち、庶民や冒険者の間では恋人や家族に贈る花として有名だ。
そして、その花をその身に咲かせる花樹人の青年剣士の名が、自分たちの特別の8人の中にいた。
彼の、名は。
「ミゲト。」
黒衣の魔術槍使いに名を呼ばれたのは、その小さな花を模した髪に、淡い黄色の瞳、涼やかな顔立ちには笑みを浮かべた青年。
王都要塞ルフォート・フォーマの皇帝の右腕を白銀将軍・ロギンティイ・フェリオとするならば、その左腕は彼だと言わしめた漆黒の鎧に身を包む、黒鋼将軍ミゲト・フォーノット。
「僕にあてがわれたのは、君だったか。」
自分の手元にある、自分の名を冠し咲き誇る小さな花を握りつぶしながら、にっこりと笑った彼に、黒衣の魔術槍使いはいつもの感情のこもらない視線を向けた。
「ある意味、当たり前でしょうね。」
「そうだね。」
その問いに、彼は笑顔のまま頷く。
「僕に。 いや、誰に対しても特別な感情を持たない君を寄越したっていう点では、流石はラージュっていうところだよね。 本当に感服するよ。」
握りこんだ手をひらき、ぽんと自分の目元を覆いながら、ははっと笑った彼の、その指の隙間から見える黄色い瞳が、瘴気が侵食されて黒く濁っていく。
「ルナックやスレインでは全てにおいて僕に敵わない、ロギイやセディは僕より断然強いけれど、あれらは味方にとことん甘いから隙をついてやられる可能性がある。 ラージュはこういった場所にはお前たちが出すはずがない。 だから、一番冷静で、冷酷なお前が、裏切者の僕の相手には丁度よかったわけだ。 うん、さすがはラージュだね。 抜かりがないというか、神がかり的というか……ここまで読んでこの100年を行動してきたって事なんだね。」
「大変に胸糞悪いが、そういうことでしょうね。 しかし、ひとつだけ、お前と、彼らのために一つだけ訂正しておきましょう。」
「訂正?」
一部はちゃんと同意しますけどね、とため息をついた黒衣の魔術槍使いは、裂けた口をジグザグに縫い付けられた人形が磔られた槍をくるりと大きく回した。
「彼らは、お前が消えてからもお前の事一度でも忘れたことはないし、100年経ったいまでも、ことある事にお前の入っていない石の下へ、墓参りを続けていますよ。 ましてや裏切り者と言ったことなど1度もない。」
ぴたり、と、ミゲトの首元にまっすぐと槍の先が伸ばされた。
「訂正しなさい、ミゲト。」
「おやおや、これはこれは。お前がそんな反応をするなんて、僕は失言してしまったかな? うん、でも……。」
顔から離した両手を上げ、降参、というようなていの顔をしたミゲトはにやりと口元を歪めた。
「無理だね。」
ちりりと、空気が変わった。
金属のぶつかり合う音。
払いのけられた槍先は、すぐに弧を描いて自分に迫ってきた剣先を叩き落とす。
「随分とお優しいことだ。お前の仕事はラージュの畑を害虫から守る事だろう? 畑の磔人形。」
「いつも言っていますが、私の仕事ではありません。 ついでに、お前は私達の事を優しいと言いましたが、明らかな負け戦に加担するようなお人よしのお前ほどじゃありませんよ。」
はぁ~と、わざとらしいため息をついたアケロウスは、払いのけられた槍をゆっくり構えなおした。
二人の吸い込んだ呼吸が、吐きだすものに転じた瞬間。
地面を蹴った。
武骨ではあるが長さは短めの曲がり剣を、魔術槍使いの懐に入り込んだミゲトは、最短で最高の距離でふるうが、わずか髪一本の差で避けられると、腰につけていた細く短い剣を投げつけられる。
それを素手で弾き飛ばしたときには、槍使いはしっかりと、己の武器に見合う間合いを取っている。
「昔みたいに逃げないんだな。」
「……逃げたせいで、大切なものをなくしましたからね。 二度と逃げないと決めたのですよ。」
「……はっ。 お前がか? 自分の宝物だけを大切に隠すだけのカササギの癖に。 なんだ? いつもは澄ましてばかりのくせに、随分人間くさい情けない顔だな! それはなんだ? 実験体か? 自慢の土塊人形か? いってみろ。」
魔術槍使いがスキル付与をするために腕を動かしたスキをついて、ゲラゲラと笑いながら、その情けない顔を見せろとばかりにミゲトは素早く彼の袂に入った。
「俺がぐちゃぐちゃに壊して、お前の澄ました顔、崩してやるよ。」
風魔法を纏わせた自分の拳を、そのまま弱々しくミゲトの胸にぶつけた魔術槍使いは、吐き出すように口にした。
「……お前のことですよ、ミゲト。」
その顔は、ミゲトの脳裏で、今にも泣き出しそうな顔で折れた翼を抱えて泣いていた過去の顔と重なった。
ゆらり。瘴気が揺らぐ。
しかし。
「嘘をつくなっ!」
瞬間、かっとミゲトは目を見開いた。
「僕の事は、見捨てたくせに――あんな戦地に送り込んで!」
ミゲトの切っ先がのど元を狙うが、寸でで発動した防衛魔法によって剣先がわずかにずれ、魔術槍使いの前髪を一房、切り落とした。
髪と一緒に目の上の皮膚まで切れたのだろう、左の視界が赤く染まるが、槍使いは止まることなくそのまま彼の体を拳で突き飛ばした。
全力で突いたにもかかわらず、そのまま床に降り立ったミゲトは剣を構える。
「ラージュは、僕が死ぬことを見越していたのではないか? 今、この状況のように。 あの地に召喚されたのは炎の魔人だった! 花樹人の僕の体はあっけなく燃えて尽きたっ! 燃え尽きる瞬間までお前たちが来てくれると信じていた! しかし誰も来なかった! 1人朽ちていくだけの、あの屈辱の瞬間にあの人が、この力を与えてくれなければ!」
悲鳴のような叫びに呼応して、彼の体から瘴気が溢れ出した。
彼を守る鎧のように凝った瘴気にため息をつく。
「だから、魔人になったと?」
いつもの顔に戻った魔術槍使いはため息をついた。
「そうだ、そうしてお前たちからすべてを奪う。」
「馬鹿なことを。 あんなに大切にしていたセスまで捨てて。 これがお前の本懐ですか?」
「捨てて?」
にやり、と、ミゲトは笑った。
「捨ててない。 セスはすぐに、僕の傍に来てくれる。 もうすぐ……もうすぐだ! 僕は全てを取り戻すんだっ!」
瘴気の剣がクジャクの羽のように彼の背後に広がると、最後の叫びと共に一斉に槍使いに向かって放たれた。
「それこそお前の被害妄想です……。 叶うことならあの後のあいつらの憔悴した様を、お前に見せてやりたいくらいですよ……私ですら、見ていられなかった。」
「口ではなんとでも言える!」
そう答えながら、向かってくる瘴気の剣を避けていくが、ちりちりと、羽を、皮膚を、掠め、じんわりと血が滲むのがわかる。だが、彼に対しては、言わなければならないことが沢山あることも、自分には長期戦が向かないことも、分かっている。
だからこそ。
「えぇ、そうですよ。 でも、お前の知っているあのバカたちが、果たしてそんな奴らでしょうか……風の精霊・カマイタチ召喚。 スキル展開――『風魔法・亡国の首切り台』」
槍を伝うように、しゅるりと表れた風を纏った小さなイタチがクワッと牙を見せるように口を開けると、契約主を守るように巨大な竜巻を吐き出した。
放たれた剣がすべて巻き上げられるのを見て次の一手をと、瘴気を凝らせるために顔を下ろした濁った黄黒の瞳と、黒曜石の様な漆黒の瞳が至近距離で視線を交わしたのはたった一瞬だった。
「これでおしまいです、ミゲト。 せめて楽に殺してあげましょう……いくらわたしが、お前の言う性格の悪い人体実験好きの人でなしでも、親友を切り刻む趣味はありませんからね。」
「世迷言を……っ! 堕ちるのはお前だ! 裏切ったのはお前たちだ!」
「そう思うのなら、お前は本当に大馬鹿です。」
槍先についていた磔人形の口を縫っていた紐が切れた。
端まで裂けた口を大きく開き、断末魔の様な絶叫を上げるそこから現れるのは、鎧の様な堅牢な鳥の足の鋭い黒曜の爪。
「ずっとあの地でお前を諦めきれずに探し続け、いまも帰りを待つ馬鹿どもの元に、きっちり連れて帰ってやりますよ。」
大きく、そして素早く振るった槍と同じく動いた黒曜石の爪が、獲物を捕えるために彼の首を鷲掴みにするように捕らえた。
「不服でしょうが、私と一緒に帰りましょう、ミゲト。」
「アケロス……。」
黒曜の瞳に映ったものは、鳥の足に絡めとられた彼の見開かれた黄色の瞳と、願いを言った口元。
そして
こちらに伸ばされた掌。
「あ~あ、三本目も折れちゃった。 思ったよりもあっけなかったな、所詮は花樹人か。」
僅かに微笑む首がころりと転がった。 しかしそれも燃え尽きるように静かに崩れて消えていく。
「……本当に手のかかるやつですね、お前は……」
左の視界を奪う血を拭いもせずにその様を見守っていた魔術槍使い――筆頭宮廷魔術師アケロウス・クゥは、手にしていた槍をどこかの空間にやると、その場に膝を着いて節ばった白い手をそっと伸ばした。
その先にあるもの。
燃え尽きた瘴気の煤の中から出て来たのは、小さな小さな青い花。
「お前、は。」
ぽぽっ……と、白い魔法陣が光を灯し、彼と小さな花を包み込んだ。
「お前は私達の中で一番冷静で、聡明で。 私のような半端者にも初めから優しかった。 お前は無二の仲間としてわたし達を愛してくれていた。だからあの瞬間に狂ったのですね……。 でも……でも、だとしたら、お前はそれ故に私達を正しく理解できなくなっていたのでしょうね……。 お前は、私達を、私達の国を愛していた……かけがえのない存在だと。 ではなぜ……」
吐き出すように問いかけるのは、長い間聞けなかった疑問。
「それと等しく、私達も、私達の国も、お前の事を無二として愛していたと、なぜ気づかなかったのですか。」
形の崩れていくかつての友のかけらを、そっと両の手に握りしめた。
「それに気が付いてさえいれば、お前とこんな別れをしないで済んだ。 いいえ。 お前がいない。 たったそれだけの事だとお前は言うでしょう。 だけどお前の言うそれだけで、どれだけ部屋が寒かったか、お前にはわからなかったのですか?」
もう届かない声。
「私は、寒いのが本当に嫌いなんですよ……。」
青く小さな花を握り締めながら、彼は光の向こうに消えていった。
「みんな、適応能力ありすぎなんじゃないかしら?」
草原を模した空間に落とされた深紅の百合をその身に冠する狂戦士はゆっくりとあたりを見回した。
これから起きること成すべき事を、雲の上の人直々に聞かされた上に、協力して欲しいと頼まれた一貴族の身にもなって欲しいものである。
「しかも王命じゃない所が、お人柄が出ているのよね、まったく。」
やれやれ、と首を振りながら辺りを見回し、自分の周りに漂う精霊に視線を向けて口を開こうとした時だった。
強い風が、吹いた。
たくさんの草をはらんだ風に、顔を腕で覆った彼は、ゆっくりと腕を下ろした。
『来たね』
「えぇ、話通りね。」
自分の後ろに隠れていた、借り物の精霊が嫌そうに声を上げたのに同調してしまう。 どうみたっていい雰囲気では無いのだ。
目の前に立つ、美しい女の顔には見覚えがあった。
正確には、とてもよく似た顔と雰囲気を持つ人間と、最近よくつるむことが多くなったとでもいうべきか。
「兄貴ではない? なぜ?」
「えぇ、ごめんなさいね。 彼には別のお仕事があるそうなの。 だから、代わりに私が御相手するわ。」