閑話22)コルトサニア蔵書『神様の木の物語』
「フィランちゃん、こっちの布はどうかしら?」
「う~ん、ちょっと肌触りが……もうすこし全体的に、均一にふわふわっと繊維が均一に立った感じというか……もっと もちっ! ふわっ! としているんですよ。」
手に持った、繊維をループにして立たせた試作品の布に手を滑らせながら首をかしげて抽象的なことを言うハニーブロンドの髪の少女に、コルトサニア商会ヒュパム・コルトサニアはこれも失敗かぁ、と、ため息をついた。
「うう~ん、難しいわねぇ。」
「すみません……。 説明がへたくそで……」
「いいのよ! タオル地にボア地にフリース地、といったかしら? フィランちゃんが執着するような素敵な生地、絶対に再現してみたいじゃない!? 見てなさいよ、コルトサニア商会の被服製布部門の名に恥じない、その布地を作って見せるわよ!」
ぐっと握りこぶしを握りしめたヒュパムは、コンコン、と叩かれた扉の音に一つ咳払いをした。
「どうぞ。」
「失礼いたします。」
扉が開き、彼の第一秘書であるトーマが入ってきた。
「オーナー、支店長との会議の時間、10分前です。」
「あら、もうそんな時間!? やだ、すっかり忘れてたわ。 行かない……って選択肢は……ないわよね。 じゃあフィランちゃん、名残惜しいけれど、今日はこれで。 これからコルトサニアの蔵書室に行くのでしょう? お兄様がお迎えに来てくれるのよね? 帰るときに蔵書室の受付嬢に声をかけてくれればいいから、気を付けて帰ってね。」
「はぁい、ありがとうございました。 お仕事頑張ってくださいね。」
「ありがとう、フィランちゃんも受験勉強頑張ってね。」
一緒に会長室を出て、一つ下の階にある会議室に向かったヒュパムと別れたフィランは、コルトサニア商会内の転移門を使ってヒュパム所蔵の本の倉庫にやってきた。
『薬屋・猫の手』が週に2回の定休日を決めてから、そのうちの一日の半分はアカデミーの受験勉強および錬金調薬師の知識確保という建前の下、花睡病の事を調べている。
そんなフィランにとって、コルトサニア商会の医学に関する蔵書はまさに宝の山というべきもので、古今東西様々な蔵書や書付、口伝を書き留めた物まであり、現在はフィランの固有スキルである知識の泉のアップデートも兼ねて、蔵書の本を片端から読んでいた。
さて、今日は先週の続きを読もう、と、受付を通って奥へ進んでいく。
紙ってかなり高価だったはずなんだけどなぁと思いながら、室内の一個人の蔵書というにはあまりにも膨大な書物の合間を縫って歩く。
「今日はE-2-5の棚からだったと……」
上の方につけられた本棚の通し番号を探していくのだが……
「ん?」
ふと、フィランは足を止めた。
「こんなところに、絵本?」
そっと手を伸ばして、分厚い本の中の細く薄い一冊に手を伸ばす。
きつめに入っていたため、静かに丁寧にその本を取り出せば、綺麗な金の箔押しに、繊細なイラスト装飾の入った表紙が見えた。
「えっと……タイトルは……?」
装飾の一部になっている本の題名は『神様の木の物語』
「神様の木、ねぇ……」
表紙を開く。
パラリ、乾いた紙の音がしてページがめくれる。
「……えぇと、なになに……この世界には……」
この世界は始め、何にもなかった。
真っ白で、からっぽの世界だった。
ある日、真っ白な世界に、小さな女の子が生まれた。
女の子はたった一人で、この世界に生まれた。
上も下も、右も左もなく、そこに浮かんでいた。
自分以外何にもない世界。
痛くもかゆくもない、寒くも暑くもない、のども乾かないしお腹も減らない。
自分以外何にもない世界。
足元が心もとないな、と思った。
だから上と下を分けた。
真っ白な世界にも飽きていたので、明るさを調節するために、世界を上と下に分け、太陽と月をつくった。
そうすると光ができた世界は昼と夜が生まれた。
初めての夜、寒かったので、温めるために火を生んだ。 そうすると体は闇を恐れ、安息を求め、穏やかに眠ることを知った。
初めての朝、目が覚めると太陽が燦燦と照り付け、少女は喉の渇きを知った。
その渇きを癒すために産んだ水は、下を埋め尽くした。
水が溢れて溺れた少女は、助けを求めるように木を生み出した。
それにつかまり漂う中で、先に進むために風を生み出した。
前に前に進むが何もないこの世界、水の上に漂うことにあきた少女は木を立てるために土を生み、大きな島を作った。
最初は小さな真ん丸だったその島の形を自分が退屈しないようにこねている間に、手についた乾いたかけらがパラパラと落ち、元々あった大きな島は大陸になり、落ちた砂は諸島となった。
そこからはあっという間だった。
太陽が昇って起き、月が昇って眠るを繰り返す間に、
火が木を焼きつくした。
水が火を消すと、消し炭は大地に落ち、土を肥やした。
肥えた土からは新しい木や花が咲いた。
風が吹き、種を飛ばし、緑をどんどん増やしていく。
そうして、小さな生き物たちが呼吸を始めた。
少女は生き物と過ごした。言葉が生まれ、歌が生まれた。
そうなると、少女は自分と同じものと共にいたいと考えた。
少女は次々と、自分とは似て非なる人を産みだした。
まずは自分によく似た、精霊と話すことのできる人を。
次に、愛する植物と踊ることのできる花樹人を。
次に、仲間を守る力を強くもてる獣人を。
最後に、一緒に歌うことのできる鳥人を。
時折、失敗作を作り出すこともあったが、往々にして皆、世界に適応し、そうして世界を彩っていった。
そんな少女の傍には、いつも笑顔で彼女を見守る少年と、二人を守ってくれる大きな白い頭の鳥が見られるようになった。
ずっと一人だった少女は、少年と、鳥と共に、神の木の下で今も幸せを願いながら世界を見守っているのである。
「……おしまい。」
パタン、と本を閉じる。
「……神様、女の子だったのか、そうか……う~ん、ハッピーエンドの割に後味がよくないっていうか……違和感? せっかく作ったモノを失敗作って書き方良くないよね……神様の女の子、シビアか?」
変なの、と、首を傾げたフィランは、そのまま絵本を棚に戻した。
「それよりあの本はどこにいったのかな……? あ、あった!」
すいっと別の棚に移動したフィランは、お目当ての本を見つけると、机のある方に向かうためその場を離れていった。
『……せっかく作ったモノを失敗作は良くない、ね。 随分と優しくて、甘い……まるであの子のようね。』
その絵本を手にした女性は、面白そうに笑った。
『フィランちゃん、また会えるのを楽しみにしているわね。』
フフッと笑ってその場から消えた女性のいた場所に、真っ黒な羽が一枚、ふわりふわりと舞って落ちた。