閑話21)押し付けられた役割を終わらせるために。
それは、公的な書類に向かってペンを走らせていた夜半。
『小僧よ。 元気かの?』
誰もいない、警護も万全の王宮の中の、王族と一部の使用人だけが出入りを許された後宮にふらりと現れた人影に眉間を寄せた。
「元気もなにも、久しぶりに表れたと思ったら小僧とは何事か、くそじじぃ」
署名を入れ終わった書類を赤い印のつけられた書類箱に入れた青年は、やれやれとため息をつきながら近づいてくる、自分と同じ年頃の青年にペンを投げつける。
「今日は何しに来やがった。」
『おぬし、それが神に対する態度か?』
「厄介ごとしか持ってこねえ、何の願いもかなえてくれねぇお前を、神様と崇め奉る趣味はねぇんだよ。」
投げつけられたペンを指先ひとつで止めた神様と言われた青年は、それを獅子のごとく燃えるような黄金の頭に黄金の瞳の青年の手元に跳ね返した。
「んで? その神様とやらは今日は何しに来やがった。」
『ひとつ、頼まれてほしい事があっての。』
「またか……。」
ペンを受け取った右手ではなく、空いたほうの左手でぼりぼりと頭を掻いた青年は溜息を一つついて、しっかりした椅子の背もたれに力いっぱいもたれかかる。
「今度は何だ? 障壁から抜け出た魔物の制圧か? 新しいダンジョンの発見か? うちの国内ならまだしも、他国への介入は出来ねぇぞ。」
今まで押し付けられてきたことを上げて、さぁどれだ? と嫌味たらしくいってみると、神様はいやいや、と笑った。
『そのように面倒なことではない。 なに、人の子を一人、大切に隠してほしい。』
「……人の子?」
不快げに眉間にしわを寄せた青年に、神様はにこにこと笑みを浮かべて伝えてくる。
『年は14、金色の髪に紫色の瞳の小柄で良く囀る可愛い娘が明日ここへ落ちてくるのでな。その子をお前の手元で大切に隠してやってほしいのじゃ。』
青年をしっかりと見据えて、神様は笑顔を消して言う。
『来たるかの日まで。』
ぴくり、と片眉を上げた青年は溜息と一緒に言葉を吐き出す。
「……お前、駒は全部そろったと言っていなかったか?」
『うむ。 確かに揃った、と、思っておった。』
しかしのぅ、と続ける。
『今日、あの子を見た。 おぬしと同じく変わった子であってな、ほどほどに便利な場所でのんきにスローライフとやらがしたいらしい。 辺境の地や他国にやるにはちともったいないくらいの素直な気質の子での……切り札に、取っておきたいのだ。』
「素直な切り札ねぇ……」
バリバリと、また頭を掻いた青年は、ぎしりと椅子を軋ませながら体を前のめりにし、机の上に手を組むと親指のあたりに顎を乗せて神様をみる。
「じじぃがそういうなら、俺は逆らうことが出来ねぇからそうしてやるが、ひとつだけ教えろ。」
『なんじゃ?』
「来る日ってのは、いつだ。 本当に来るのか?」
ぶつかり合うのは、二つの視線だ。
『……いつ来るのか、と言われたらはっきりとはわからぬ。 だがその日は必ず来る。 そして、明日落ちる種は必ずや、お前の助けになるはずだ。』
呆れたように片眉を上げた後、体を再び椅子の背もたれに投げ出すように動いた青年はハッと鼻で笑った。
「おまえの、だろう?」
『……』
口を閉ざしてしまった神様を、腕を組んでみた青年はややあって、口を開いた。
「明日はその種を迎え入れてやる、安心しろ。 それでこっちが有利に事が終えるなら保護だろうが何だろうが安いもんだ。 馬鹿じゃなければな。 だが爺、お前の悲願が達成された暁の、俺の『解放』の願いは、忘れてないだろうな?」
あぁ、と、神様が笑う。
『忘れておらぬよ。 お前に、お前が言うところのゲームマスターとやらを頼んだ時から、忘れてはおらぬ。』
上等だ、と、彼は笑った。
「俺は、お前から急にそれを押し付けられてこの世界に落とされた恨み、忘れちゃいねぇからな。 せいぜい俺のためにそっちの用意をして待っててくれ。」
あぁ、と頷いた神様と、それから満足げに笑った二人は小さな音に気が付いた。
『あぁ、誰ぞくるの。 わしは、お前は減らず口の多いやつだが心から信頼し、感謝しておるよ。 それでは、またな。』
「お互い様だ。 じじぃも、息災にな。」
にやりと笑った青年に、神様はふっと笑うと姿を消した。
同時に、人影がそこに落ちる。
「どなたかいらっしゃっていましたか?」
「……口うるさいじじぃが一人な。」
「そうですか。」
「それより明日、特別な空来種が落ちてくるそうだ。 空中防衛騎士団第二部隊を配備してくれ。」
「かしこまりました。」
スッと影が消えた自分以外はいない室内で、一つ息を吐いて一番上の、唯一、鍵付きの引き出しの鍵を開ける。
「やれやれ、やっと動く兆しが表れたっていうのは、よかったのか悪かったのか。」
少なくとも、ことが終われば自分は解放されるから嬉しいんだけどなと、紙の束を引っ張り出すとそこにペンを走らせて今日の事を書き溜めると、もう一度、引き出しの中に入れて鍵をかけた。