1-100)全身全霊、渾身の右ストレートを!
はっと、目を見張る。
「え? 寝てた?」
顔を上げて、それから周りを見渡した。
だだっぴろい牢の檻と虫の光だけの、先ほどまでいた部屋だ。
「じゃあ、さっきのはやっぱり夢?」
枕を押さえつけていた両手を持ち上げて……それを見て、あれは夢ではなかったと確信する。
「……大丈夫。」
それが何かはまだわからないけれど、自分がいまするべき最終目標はわかった。
あそこに行くこと。
それをどうやってやるのかは、さっぱりわからない。
けれど。
ぎゅうっと手を握って、ひとつ、深呼吸をした。
「わからないけど、やるべきことをやるだけ!」
うん、と、自分に言い聞かせるように頷いたタイミングだった。
「やるべきことって、なに?」
「……アル君っ!」
自分の手と、光る檻の隙間から見えた姿をはっきりと確認する。
目の前にいるのは、纏う雰囲気は違えど正真正銘クラスメイトのアル君だ。
指輪を手に私を突き飛ばしたときと同じ、オーロラを揺らめかせる極北の夜の空の様な冷たい青い瞳で私を見ている。
ぽすんっと、わたしは抱えている枕に両手をおとして、アル君をまっすぐ見た。
「アル君は、どうしてこんな酷いことをするの?」
「……ひどいな、フィラン。」
すこしだけ。
ほんの少しだけ眉尻を動かしたアル君は、口元を歪めて笑った。
「フィランは僕が君たちを助けに来たとは少しも思わないのかな……僕がやったことだと思っているって事だよね? あんなに仲良くしていたのに……」
「あの時私、力いっぱいアル君に突き飛ばされたのに、そう思ってもらえるって思ってるの? 本気でそう思ってるの?」
探るように、じっと見つめたまま問い返す。
「フィランはよくやるけど、そうやって質問に質問で返すのは感心しないな。」
「今、先にそれをやったのは、アル君だからね?」
いつもみたいに脊髄反射で言葉を返すことのないように、心がけて冷静に、言葉を選んで返していく。
「最初に聞いたのは私。 その質問に質問で返したのは、アル君でしょ。」
くすっと、アル君がすこし嫌だなと感じる表情で笑った。
「いつもと違うね。 まさかこれが、フィランの本性って事?」
私は答えない。
いやぶっちゃけるとものすごくイラっとしたけどねっ!
顔色変えない、答えない、叫ばない……イラっとした顔を見せちゃダメ。
冷静に、冷静に……そう、アケロス師匠のように冷静に冷静にっ! と、心の中で繰り返す。
「私の質問に答えるつもりは、ないの?」
「本当に……いつもの可愛らしい天然は、人を油断させるために作ってるって事? 計算高いね。」
んなこと出来たら、前世も今世ももっと楽勝だよっ!
師匠~。 こっちに来て2年弱、初めて本気でキれそうですー! 私の理性、もう持たないかもですー。
堪忍袋の緒、極細の上に極短だったみたいです―!
心の中でぎゅうっと握りこぶしを作りながら、表情を変えないように心がけてアル君を見る。
「アル君は、どうしてこんなことをしているの?」
ちょっとだけ目を見開いた彼は、表情を隠すように目を細め、ゆっくりと口を開いた。
「僕の、僕たちの未来のため。」
「未来……。」
その言葉に、わたしは首をかしげてしまう。
え? これが未来のため? 逆行してない?
それともあれか?
テロリストとか、権力に抵抗をしたがる地下組織みたいな思想のあれなの?
状況と発言が合わないのはやっぱりあれ的なそれなの?
よし、では、ねごしえーたー作戦じゃないかな!?
「未来のためとかなら、こんなことしてもアル君にも、お仲間の人にも、絶対にいい方には転ばないと思うけど。」
「こんなこと?」
目元を歪めるアル君に、うんうん、と頷く。
「えっと、誘拐監禁。 ……それから、建造物侵入?」
「ん?」
「え?」
今度こそ、呆れたように目を見開いたアル君。
え? これ、説明しなきゃダメなやつ?
「え? だって、公爵令嬢と、伯爵令息の誘拐にその監禁と、遺跡への侵入でしょ? 確かに! 確かに身代金とか一杯くれそうだし、声明文とか大々的に出せば世間様の注目も浴びるけど! でも完全に犯罪者になっちゃうし、それならアカデミーの討論場を使って、現在の王家とか、政治について理論的にディベートしたほうが絶対建設的ですよ。だって皇てぃ……じゃなかった、他国のお貴族様も来てる場だし、アル君はうんと頭いいし、それから……」
「ふ……あはははははは。」
少しお腹を抱えて笑ったアル君。
「え? 笑うとこじゃ……」
「そうじゃない。 そうじゃないんだよ。 僕たちは考える未来のとらえ方が全然違うんだ。 でもまぁ、天然とか、本性とかいってごめん。 やっぱりフィランはフィランだったね……。」
ふわっと、いつも通りの笑顔に戻ったアル君が、私が檻の隅に置いたデカい蛍のランタンに降りの隙間から手を伸ばすと、蛍が狂った様に暴れてランタンにぶつかり、光を失ってランタンの底に逆さまに転がる。 すると檻の格子が消えてなくなった。
「え? 檻が。」
「あれは魔物で、結界を発動させる拘束蛍……っていうんだよ、フィラン。」
「拘束蛍?」
「そう。 それからひとつ、訂正しておく必要があるんだけど。」
ベッドの、私が座る横に腰を下ろしたアル君は、私の顔を覗き込むように首を動かすと笑う。
「僕の言っている仲間は、フィランの思っているような国に対する抵抗とか、革命的なモノではないよ。 人として生きるにはね、このルフォート・フォーマは本当にいいと思うよ。 身分階級制度ではあるけれど、実力でのし上がることもできるし、仕事に見合った対価をもらえる。 移民にも優しく、僕の様なみなしごでも、国立のアカデミーに入学することができる。 フィランが言うとおり、公爵家の人間と肩を並べて座ることも出来る。」
「じゃあ、なんで?」
「……フィランに面白いものを見せてあげよう。」
皮膚のひきつれた左手を伸ばしたアル君は、手のひらに小さな光を出した。
明かりの魔法? でも、展開詠唱がなかったなと首をかしげると、その光が大きく薄く広がった。
「魔法陣……!?」
そんな出し方、聞いたことがない。
知識の泉からも、アケロス師匠からもだ。
「何……?」
「いいから見てて。」
目の前のアル君の掌の魔法陣は、薄く大きく伸びて止まった。
「召喚『強欲魔獣の瞳』」
魔法陣の中央がゆがみ、海の中で柔らかな卵胞の皮から幼生が飛び出して生まれるように、ぽこん、と、赤黒く丸い人の頭くらいの大きさの何かが飛び出した。
「『願って現れよ』」
そういうと、跳び出した赤黒い丸に亀裂が入り、開くように縦にむき出された赤い玉にぎょろりと、眼球が飛び出した。
「……っ!」
グロっ!
あんまりの気持ち悪さに手元の枕を抱え込んで、口元を抑える。
「……フィラン、これから、だよ。」
横で、そんな私に笑ったアル君は、手の上の魔法陣から飛び出し、ぎょろぎょろと角度をかえる目玉に命じた。
「『映し出せ、その眼に見える今を。』」
ぱしぱしっと、縦にわれた瞼で瞬きを繰り返した目玉は、グるンッ! 一回転すると大きく目を見開いた。
「……映画みたい……!」
目から投影されるように広がる映像は、何に映っているのかはわからないけれどしっかりと動いている。
「これは、今、この目の本体が見ている物を写している。」
ははぁ、これって前世で言うライブ中継ですね! こんな魔法あったんかい!
「神の木に、ルフォート・フォーマ……。」
映っているのは、最初に翼ケンタウロス様で、現在鞍付き試験中のオーネスト・ボルハン様に見せていただいたのと同じ、ルフォート・フォーマの全景なのだけれど、どんどん其処に近づいていっている気がする。
少しずつ分かる、あれは王城のあるエリア側だ。
「これは……誰が見てる映像、なの?」
「フィランも知っているモノだと思うんだけど。」
その映像を見ながらそう言うアル君なんだけれども。
「私が知ってる? え? 誰?」
私にはそんなに『知っている』と言えるほど認識している人はいない。
映像をみながらも、誰だろうと考えていると、アル君が笑いだした。
「僕たちは、いま、何処にいるの? 何をしていて、君はこんな状況に巻きこまれたの?」
「……え? アカデミーの演習で、嘆きの洞窟に……」
視界の中に、手が、映った。
何かをつかむように、ルフォート・フォーマに伸ばされた、赤黒く指先の朽ちた手だ。
あの色、あの崩れ方で思い当たるものはただ一つ。
「まさか……嘆きの洞窟……?」
そう、と嬉しそうに笑ったアル君が、説明してくれる。
「あれの正体はね、はるか昔、創世の神様と女の子に逆らった魔族の死骸だ。 正確には死ぬこともできず、地中に埋もれ、現れを繰り返していた哀れな抜け殻。 僕たちはあれの中の、遺跡と言われるようになった生命の核、……人間でいう心臓の部分にあたる場所にいて、君たちの魔力を使用して無理やり生命活動回路を動かし、これを動かしている。」
中から器を別の力で動かしてるってこと?
イメージは本体を乗っ取っちゃう寄生虫みたいな仕組みで、その動力が……
「私たちの魔力?」
「そう、聖女ビオラネッタ嬢、騎士のマーカス殿、錬金薬術師のフィラン、3人の魔力だ。 僕は、その核を動かせるように手伝いをしただけにすぎないんだけど……途中でね、動かすための魔力量が減って、こいつの活動速度が鈍ったんだ。 だからここに、確認に来たんだよ。」
「鈍って……確認?」
クスクスと笑い続けるアル君は、召喚していたものもろとも、手の上の魔方陣を握りつぶすと、私の方を向いた。
「フィランから、師匠のマーキングが消えてる。 何があったのかわからないけど、無理やりつけた回路も切断されている、しかも二度と施せないように祝福まで……君は、たったこれだけの時間に一体何をしたの?」
先ほどと違い、感情を消した冷たい青い瞳が、私を凝視する。
師匠のつけたマーキング?
回路の破壊?
祝福?
短い期間に、ということは、きっと、あの夢の中での出来事が直結しているのだろうが、でも。
でも、それって言っちゃいけないような気がする!
「な、何も知らないよ。」
気づかれないように少しずつ、アル君から身を離す。
絶対に、気づかれないように、二人を助けながら、逃げる隙を見つけなきゃいけないけれど、今、それを悟られるわけにはいかない。
「正直、今もアル君が何言ってるか、何目的かもわからないしっ!」
「そう……?」
首を傾げたアル君が、口元だけに笑みを浮かべる。
「そうか、目的は告げていなかったね。」
顎に手をやり、少し考えたようなアル君はニコッと、感情のない笑顔を向けてきた。
「僕たちの目的は、この世界の再構築。 中央の神の木の呪いに縛られ続ける同胞たちの開放。 そのために、聖女と騎士は動力としても、駒としても必要だった。 そしてフィラン、君は僕たちの悲願。 君は僕の対なるもの、だから……。」
伸ばされた焼けただれた色の左手に背筋が凍るものを感じて、思わず枕で叩いて払いのけた。
「言われている意味が解らない。 対って、何!?」
「僕は、僕たちは、その昔愛された事実に胡坐をかき、他の愛されたモノ達へ憎悪を向けた結果、すべてを奪われたもの。 今はもう、なにも持たないもの。 神への反逆者であり、冒涜者であり、その結果、神の木にも、精霊にもその存在を嫌われたもの。」
払いのけられた手を、右手でさすりながら私を見るアル君は、嬉しそうに、だけどひとつだけ、頬に涙を落とした。
「何でも持っていて、神から愛され、神の木と精霊に最愛と言わしめる君の胎から生まれ直せば、僕は、僕たちは……」
「いやいやいや……ちょっとま……いたっ!」
後ろに下がりすぎてベッドから落ちて声を上げた私に、もう一度、焼けただれたような左腕を伸ばしてくるアル君の何も映らない冷たい目。
「いや、無理だし! 何言われてるかわからないし! まず話し合おう! 実力行使反対!」
大パニックの中、うわぁん、と泣き出した私は、熱を持った私の左腕にはまるそれに気が付き、向かって叫んだ。
「助けて! アルムヘイム、ヴィゾヴニル、アンダイン、シルフィード、グノーム、エーンート、サラマンドラッ!」
それから、それから……。
首にかかったアル君の左手から、内臓まで冷え込むような浸食を感じて、心の奥底から力いっぱい悲鳴を上げた。
「兄さま!! ヒュー兄様ぁ!」
恐怖と涙でぼやけて滲む視界の片隅に、七色の光が激しく飛び回り、首に巻き付いた冷たさが遠のいたのとほぼ同時に、アル君が遠くへ吹っ飛ばされているのが見えた気がした。