1-097)終わりの始まりと獅子王の咆哮(俯瞰視点)
それは、これから何かの始まり知らせる一声のようでもあった。
「始まったか。」
王宮の奥にある後宮の、さらに最奥に位置する入室出来る人が厳格に制限されたエリアにあるサロンの窓から見えるのは、現在、王立アカデミーの一年生が特別演習をまさに行っているその場所であり、こちらからでもわかるくらいに大きく揺れているその場所。
――人が、地面を惨めに這いつくばるような姿を半分地面に埋めた嘆きの洞窟である。
ここまで聞こえるあの音は、この王都ルフォート・フォーマにも響き渡り、国民たちは驚き、怯え、この光景を見ているであろうはずであった。
向こう側の者達の頭の中だけでは。
すでに王宮には要塞外で何が起こっているのか、要塞内で暮らす民には知られないために、日常の世界をスクリーンのように要塞内へ映し出すように呪いを織り込んだ結界が、民たちが眠る夜中のうちから宮廷魔術師たちによって幾重にも張られている。
それが功を奏しているのだろう。要塞内で何かしらの騒動が起きているという報告は一つも上がっていない。
第一階層である交易層に居を構えているルフォート・フォーマの住人、及び他国から集う冒険者たちに対しては、2週間前から『疫病の発生』を理由に王都領への出入国を厳しく制限しており、深夜からは要塞からの外出にも規制をかけていた。
そのため、国政に携わる一部の者を除いた国民は、わずかに『疫病の恐怖』という日常とは違った違和感はあれど、それでも要塞内は安全であると、今現在もいつも通りの平和で退屈な日常をゆるゆる過ごしている。
そしてその計画が一部の狂いもなく遂行されているという事は、騎士団や城下の警ら団からの伝達がないことが証明していた。
万事は、すべて計画の通りだ。
そうして彼は今、目の前で起こっているその異変を静かに見つめていた。
正直、今日この日が来るまで、この日の事は半信半疑であった。
しかしこれを示唆した存在がモノだったため、そして自分が空来種として落ちて来た『意味』を知っている以上は無視することは出来ず、ただこの日のために出来うる限りの対処方法を考え、生み出し、力を蓄え、民を守るためルフォート・フォーマ自体を堅牢な要塞とするために心血を注いできた。
防衛の要となる王宮はもちろん、貴族層、庶民層、交易層までしっかりと魔術を練りこんだ魔石を道という道すべてに埋め込み、守護の術を掛けた建築資材を使用させて建物を作りつつ魔方陣を配し、万が一のために民を安全な場所へ送るための避難経路などの整備をしていたと知る者は本当に少ない。
取り越し苦労であればいい。
小心者が行った過剰な備えで終わってほしい。
自分を慕って集まってくれた民のためにと、建国・即位から今までその努力を続けて来たわけであるが、残念なことに無駄にはならなかったようだ。
それだけ、相手の執着は強いのだ。
正直無駄になってほしかったのだがしょうがないだろう。
目の前で、異変は刻々と進む。
異変の始まりは我らの予想よりもかなり早いものであった。
そしてこの予想のずれは、本来であれば迎え撃つ立場にあるこちら側から見れば圧倒的に不利な状況になるはずの事態だった。
しかし、ここ一年半で、相手を上回るスピードで、こちらは対策を練る事が出来るようになった。
たった一人『空来種』が能天気な顔をして落ちてきたこと、その幸運に感謝するしかない。
まぁ、その幸運の種自体は「自分以外でもよかっただろう、なんで自分だったんですか、ありえないもん、馬鹿―!」と皇帝である自分に対しても助走をつけながら殴りかかってきそうな人物であるのだが。
緊迫した状況であるにもかかわらず、その光景がありありと思い浮かんでしまって、つい、笑ってしまった。
さてこの状況、誤算が誤算で補う形で始まったわけであるが、最後に笑うのはどちらなのか。
「陛下。」
背後に感じた気配に、王都要塞ルフォート・フォーマ皇帝ラージュ・オクロービレ・ルフォートは視線を動かさずに緩んだ口元を一度きっちり引き締めてから、口を開いた。
「状況は。」
「要塞内の結界は正常に作動し、城下は日常と変わりません。 王立アカデミーが特別演習を行っている嘆きの洞窟へは王立騎士団と辺境騎士団および宮廷魔術師軍団がすでに配置が終わり、いつでも迎撃可能です。」
淀みなく報告する声は、第一線を退き『幸運の種』を育てることになった元王家の影である者のそれだ。
窓の外を見たまま、皇帝ラージュは一つ、大きく息を吐いた。
「皆はそろっているか。」
「「「「こちらに。」」」」
その重なる声に靴音高らかにマントをひるがえし振り返れば、先ほどまでは自分と影しかいなかった空間に揃った者達。
皇帝を含め、8人。
「あらあらまぁまぁ。 なんて趣味の悪い。 貴方の寝言が本当に起こってしまいましたわね、陛下。」
「あぁ。」
皇帝の傍をすり抜けて窓辺に近づき、そんな風に声をかけてきたのは聞きなれた黒髪の女の声。
からかうような口調ではあるが、その端々には緊張をにじませている。
そんな彼女に戻るように促し、皆の方を見た皇帝ラージュもまた、硬い表情で頷くと、それを合図に先ほどの影とは違う、右手側の手前に控えていた青年が手の中の魔法紙を広げて読みだす。
「改めましてわたくしより報告いたします。 嘆きの洞窟にて異変が起き始めたのは30分前です。 すでに王立騎士団、辺境騎士団、王宮魔術師団の精鋭が指示通り配置されております。 王都の幻惑付与の高次防御結界も完了、嘆きの洞窟での演習は中断され、最初の異変の時点で一部生徒を除いてほぼすべての人員の撤退は完了。 撤退した生徒たちもすでに要塞内アカデミーに帰還の上、一部の記憶封じも終了し、保全配置されていた騎士、聖騎士も通常業務に復帰しております。」
ぴくっと、皇帝ラージュの眉尻が上がった。
「取り残された生徒の確認は出来ているのですか?」
女性の言葉にぺらりと魔法紙の次の紙を広げる青年。
「Sクラス一組の四名。 ガトランマサザー公爵令嬢であり、教会公認聖女であるビオラネッタ嬢、近衛騎士団副団長ヴァレリィ伯爵の子息であるマーカス様、コルトサニア伯爵家の子女であるソロビー・フィラン・コルトサニア嬢、この班の班長でありアカデミーからの報告書にもあったアルフレッド・サンキエス・モルガンの四名です。」
皆静かにその報告を聞く中で誰かの名前が小さく呼ばれたが、それを気にすることなく話は進む。
「ここにいる者達のこれからすべき全ての行動は以前説明した通りだ。 認めたくはないが天からの予知夢に従ってこのように物事が進んでいる。 よって、それに対して今日まで何度も話し合っていた行動を我らは取らねばならない。 予知夢を受けた時と顔ぶれは変わっているが……あの時よりも戦力的にもそれ以外にも幅があり、何より勝算を跳ね上げたイレギュラーなことも多くある。 ――勝機は、ある。」
彼がそう言ったところで、窓の方から再び大きな音が、この部屋へも届いた。
二度目のそれは、地に這うような人の絶叫。
「陛下、嘆きの洞窟が彼の地へ向けて動き出しました。」
「あぁ……。」
視線を外に向けた皇帝ラージュは小さくつぶやくと、拳を作っていた空の右手を宙へ伸ばし広げた。
彼の足元が淡く緑の輪を描き、大きく魔方陣が現れると、みずみずしい木蔦が伸びるのとともに美しい女性が大きな杖と共に現れ、彼の手の中にそっと杖を渡すとふわりと舞って、彼を背から抱きしめた。
「木の精霊女神ドリアードの召喚。 『スキル展開――』」
彼女から受け取った大きな水晶を抱き込んだ不思議な形の木の杖を持ち上げると、力いっぱいにその反対の先端を床にたたきつけた。
「――『堅牢なる聖者の盾』、『獅子王の咆哮』っ!」
床から波紋のように室内へ広がる波動と共に、杖の先についていた大きく透明な水晶が光を放ったのはその一瞬。
光と音の波動がこの部屋の中にいた者達を波のように飲み込んで消えると、彼らが身につけていた、貴族またはその職務に対する正装が一様に別の物へと姿を変えた。
「この姿は、何年振りかっ! 血が滾る!」
大柄の虎面が、大きく吠えた隣で、漆黒の翼を広げた賢者は手にした口が裂け歯ぎしりを繰り替えず人形のぶら下がった魔槍を一つ、ゆっくりと大きく振りまわした。
「こちらを所望とは、趣味が悪い。」
「はいはい、ここでは火を吐かないでくださいませ、旦那様。」
隣で白炎を纏う白熊頭の精霊神にそっと寄り添う黒髪の女は、うっすらと微笑みながら皇帝ラージュを見た。
「皇帝陛下がこのスキルを使われたということは、後先考えず、思う存分暴れてもよい、ということですわよね。」
「あぁ。 だが、嬉しいのはわかるが、ほどほどにしろよ、お前ら。」
にやりと笑った皇帝ラージュ達に、影だった男が告げた。
「時間です。」
空気がピンと張りつめた。
「洞窟内に残された3名の救助は必須であるが、しかし厄災の撃破が最優先だ。 その手段は問わない。 では行こうか。」
その言葉に、彼以外の全員が拳を左胸に押し当てた。
「――我が主の御心のままに。」
髪が逆立つ鬣を思わせる黄金の獅子王が、大きく咆哮を上げた。