1-083)後ろ盾の証に心を重くなる
優雅にお茶をする兄さまと、セス姉さまの養女ミスルート様にニコニコと見守られるという状況にかなり混乱しながらも、次々と渡されるお菓子をモリモリ食べたおかげで栄養の回り始めた脳みそをフル回転して、情報過多になっている本日得た情報を頭の中で整理し始めた。
いつも通りの朝からの、アカデミーの休講から、アル君のミレハに出会って、アル君のおうちに行って、それからアル君の師匠のマリアリアさんと会って、家に帰ったら師匠と兄さまに怒られて、そのままここまで拉致されて、お貴族様に圧迫面接を受けて、そのお貴族様がセス姉さまの養女で兄さまが昼行燈。
……やっぱりものすごい情報過多だ。
今晩は知恵熱が出るかもしれない。
本当、今日はもう胃の容量的にも、おつむと心の容量的にもお腹いっぱいだよ。
ふぅっと息を吐いてから、どんどん勧められるお菓子を断って、少し濃い目のストレートティをお願いしたところで、ようやく兄さまが口を開いた。
「さて、フィランも落ち着いたみたいだし、話を戻そうかな。」
……戻すのかぁ……。
げんなりしながら苦みが爽やかな紅茶を飲む。
「まずフィラン。 いまこの部屋にいるのはイトラ家でも私が信用している使用人だ。 家令……というのは、使用人の中で一番偉い役職なんだけれども、この屋敷の家令のシスルと、侍女達の中で一番偉い侍女長のアスター。 フィランがここに滞在するときは、アスターにフィランの世話を頼んである。 困ったことがあったら、わたしかミト、もしくはこの二人に伝えるように。」
「え?」
紹介されたのはやっぱり家令さんだったシスルさんと、侍女長だったアスターさん。
わたしがそちらを見ると、すごく優しい笑顔でにっこり笑ってくださったけど……。
「ちょっと待って兄様。 お二人とも、私より断然身分が高い人だよね? それなのにお願いするとか絶対無理なんだけど……。」
前世の知識でしかないけれど、侯爵家の使用人さんって一般的にそれなりの教養を求められるから、少なくとも庶民じゃないはず……たぶん、というか絶対! 貴族。
そんな人たちに庶民の私がお世話されたりするとか無理、と反論すると兄さまは困った風に笑った。
「確かにそうかもしれないが、この屋敷の中でフィランの正しい状況を知っている者は、私とミト、それからこの二人だけだからね。 フィランは貴族とか社交界が嫌い、と言っているけれど、これからはそう言っていられない状況も出てくる。 だからまずは最低限、ここから貴族というものや、社交界に慣れてほしいんだ。」
優しく言い聞かせてくる兄さまだけど、ちょっと待って? 聞き捨てならない。
「兄さま。 さっきから聞いてて思ったんだけど、アスターさんやシスルさんにお世話されるとか、困ったら聞くとか、これから先もこのお屋敷に来ることがあるって事? 社交界に顔出すって事? わたしが?」
「そうだね。 その可能性は高い」
「なんで!?」
いやいやいや、無理無理無理!
こんな絢爛豪華なお貴族様のお屋敷で過ごしたり、社交界に出たり!?
貴族層にアカデミー通学以外で来ることが増えるってこと?
それはすっごい避けたい事態なんですけどっ!
目の前の、いつもとは少し違う笑顔をした兄さまに首をかしげる。
「先ほどアケロスも言っていただろう。状況的に仕方がないんだ。 それに、ミトからも話を聞いただろう?」
「……話?」
「書類を見なかったのかい?」
書類?
書類……書類……あぁ!
「あの圧迫面接!」
「あっぱ……? なんだい?」
「いや、何でもなくて。 そういえばなんかいっぱいあったけど、ちょっと私的にそれどころじゃなかったから見てないです。」
ここは嘘をつくよりも言い切った方がいい! と、きっぱり言い切ると、兄さまが困った顔をした。
「確かにフィランが苦手な少し小難しい書類ではあっただろうけど、ミトが説明してくれただろう?」
うんうん、してた。
多分してたような気がする。
だけど。
「怖くてそれどころじゃありませんでした。」
きっぱり、もう一度言い切る。
「ミト……。」
いつもよりもちょっと温度の下がった声で兄さまが名前を呼ぶと、ミスルート様が扇を使って口元を隠しながら視線を外した。
「だってフィランちゃんがぷるぷる震えてるのがあんまりにも可愛くて、ねぇ。」
「シスルとアスターもいただろう? どうしてそんなことに?」
「お嬢様が旦那様がいらっしゃるまでは指示に従え、と仰いましたもので。」
申し訳ございません、と頭を下げるシスルさんとアスターさんに厳しい目を向けた兄さまは溜息をついた。
「フィランは皇帝陛下からお預かりしている子なのだから丁重に、と言ってあったはずだ。 ミト、このことはルナークに報告しておくからな。」
「え!? 皇妃様にお話しされるのですか!? お慈悲を、お養父様。」
真っ青な顔になったミスルート様を、兄さまは切り捨てる。
「自業自得だ。」
「そんな、お養父様、お願いです、皇妃様には……。」
「一度しっかり怒られるがいい。」
吐き捨てるようにそう言った兄さまに、慌てたミスルート様は扇を投げ出して兄さまの方に顔を向けるが、無視されて頭を抱えだした。
……え? あの皇妃様ってそんなに怖いの?
「えっとミスルート様……?」
ソファの上で頭を抱え、あからさまに取り乱した表情で、どうしよう、と絞り出すような声を出しているミスルート様に、そっと声をかけると兄さまが首を振った。
「自業自得だから、放っておきなさい。 アスター、ここを少し片づけてくれ。 シスル、先ほどの書類をもう一度用意してくれるか。」
頭を下げたシスルさん、アスターさんがささっと綺麗にテーブルの上を片付けたのを見計らって先ほど片づけた書類をもう一度広げた。
「わかりやすいように説明しよう。 まずは一枚目、今まではわたしが一応表向きは私的に保護者をしていたが、今後はイトラ侯爵家が公的に後ろ盾につくというもの。 二枚目は今までは商的な部分のみコルトサニア商会が行ってきていた後見だが、今後はピュパム・コルトサニア伯爵がフィランの後見人に正式につくというもの。 三枚目は……」
「待って、兄さま! ちょっと待って。」
私の制止に、兄さまが「ん?」という顔になる。
「何か気になることでも?」
「なんでヒュパムさんが出てくるの? しかも伯爵!?」
「後ろ盾は多い方がいいからな。 質問は後で聞くから、まず書類の説明を聞きなさい。」
ふっ、と笑った兄さまは三枚目を指し示す。
「三枚目、フィランの師匠であることを公的に証明したうえで、後見に宮廷魔術師長アケロウス・クゥが付くというもの。 四枚目、フィランの冒険者としての後見人にロギンティイ・フェリオが付くというもの。 三枚目と四枚目は個人での後見人となっているが、宮廷魔術師長と王立騎士団将軍が付くので、賢い人間はフィランの後ろには王の魔術団と騎士団が付いたと思うだろう。 以上のサインをもって、フィランには各家の紋章を身元の保証として授けられる。 いつも身に着けていなさい。これは兄さまのお願いではなく、皇帝からの命令だ。」
「……重すぎる……。」
「そうだね。でも全属性の精霊との契約者というだけでも狙われていたのに、これから先は希少な日と月の属性を持つ者と判明したわけだから、ますます狙われやすくなる。 フィランを利用したい奴はいるからね。」
「利用? 狙われて……?」
「面倒なことを考える者が多いということだ。 アルフレッド君、だったかな? 彼にももちろん皇帝が付くことになっているんだが……さて、ミト。 あれを持ってきてくれ。」
悶絶なさっていたミスルート様が名前を呼ばれて立ち上がると、一度部屋を出られてすぐに戻ってこられたのですが、その手の中には綺麗な細工をされた木箱がいくつか持たれています。
「お待たせしました。 どうぞ、お養父様。」
「あぁ。」
それを受け取った兄さまは、私の目の前に並べました。
すごく繊細な彫刻をされた艶のある濃い茶色の木箱、白木の繊細なデザインの描かれた物、真っ黒の木箱に銀色で魔方陣が描かれた物に、どこかの看板で見たことがある紋章の書かれた物と、それらよりは少し大きめの銀色の箱。
「これらはフィランの身を守るものになるから、外出時には肌身離さずつけておくようにね。」
「身を守る?」
「そう。 まぁ開けてみなさい。」
護符みたいなものかしら? と、大きな箱から開けていく。
中には手のひらの半分くらいの大きさの、ブローチのようだが盾の形をしていて、下の方に小さな輪っかが何個かついている。
「それは土台。 ロギイが特別に作らせたものだよ。」
「ロギイ様が?」
なるほど、よく見れば盾の形の中に大きく口を開けた虎の横顔が入っている。
「その形は、ロギイがラージュ陛下から下賜された特別な盾の形だから、騎士団の人間ならそれを見れば、すぐに将軍の縁者だと気が付く。 下にある輪に他の箱に入っている紋章を付けていくんだ。」
「紋章?」
一度、盾のブローチを箱の中に戻し、小さな箱の方を開けていく。
銀色の剣の形で、その切っ先から赤い鉱石がぶら下がるもの。
親指の先ほどの丸に宝石であしらわれた赤い百合の紋章の入ったもの。
六芒星の形で、その中央に鉱石の黒い羽が埋め込まれたもの。
もう一つも、ロギイさんの盾の形に似たものだが、少し不思議な形の盾を縁取るように、深緑のイチイの葉が彫り込まれ、中央には二つの短刀と、小さな紫の宝石をはめ込まれているもの。
キラキラで綺麗だけど……。
「待って、兄さま。これ宝石でしょ? こんな高価な物、つけてるだけで悪い人に狙われるのでは? それに落としたら怖いからつけて歩けないよ?」
「大丈夫。すべてに持ち主の元に戻ってくる機能が付いている。 すべてが後見人の証明だから、各国の貴族はもちろん、庶民層でも有力者たちはそれを見れば、フィランにどんな後見人が付いているのかが何となくだがわかるようになっている。 これをブローチにつけて、外出の時は必ずつけるように。」
早く、と言われているようで、恐る恐る盾のブローチを取り上げて、ひとつずつはめていく。
「……悪い人はどんな後ろ盾が付いていようと、絶対に狙うと思うんだけどなぁ……。」
「フィラン。」
名前を呼ばれ顔を上げると、笑ってはいるが目が笑っていない兄さま。
ため息と一緒に思っていたことが口に出ていたようだ。
「何か言ったかい?」
「いーえ、何も言ってません。」
絶対聞こえてたくせに、意地が悪いっ!
それに、どんどん厄介ごとに巻き込まれて行ってるけど、スローライフは!?
私の穏やかな生活、どこ行っちゃったの?
そんな釈然としない気持ちを抱えながら、私はそれを今着ているアカデミーの制服の上着の左胸につけると、重みが心にまでのしかかる。
「うん、よく似合っているよ。 じゃあ書類にサインを。」
「……はぁい。」
兄さまに促されるように書類に名前を書き入れてから、私はもう一つため息をついた。