星降る夜
下界の様子を覗くため、窓を大きく開きます。外はいつもと同じ、暗い暗い宵闇の色。至る所にきらきらと星の輝きが見えます。私の目から見てもこの光景は美しく、思わずほう、と息が漏れました。
不意に白いカーテンが揺れ、私の横から小さな火が外に飛び出しました。それは一条の光となって長く長く尾を引きながら、下界へと落ちていきます。私がこうして窓を開けると外へと零れ落ちることのある小さな火の粉たち。あの子は一体、どんな物語を見るのでしょうか。どんな願いを聞き届けるのでしょうか。
***
「星空というのは、こんなにも美しいものだったのだな……」
満点の星空を見上げ、ぽつりと呟いた。こんなにも穏やかな気持ちで空を見たことなど、今までに一度でもあっただろうか。
私は幼いころから、酷く無関心な子供だったように思う。とにかく本を読み、巻物を開き、書物を漁り……。数字が好きで、数やら空間やら、数学に関する知識をひたすら頭に詰め込んでいた。星など、私にとっては天文学の一部でしかなくて、数字の羅列のようにしか見えていなかったのだ。
身体があちこち傷む。服は擦り切れているし、身体は傷だらけだし、髪は乱れているし、と普段では考えられないほどに無様な状態だが、そんなことも気にならなかった。仰向けのまま、ゆっくりと息を吐く。肺を突き刺すような冷たさの空気が、なぜか言葉にできない清涼感をもたらしてくれていた。
私がこんな寂れた荒野で朽ち果てたように倒れているのには、もちろん理由がある。学会のために移動していたところを野盗に襲われ、雇った護衛には逃げられ、命からがら逃げだしたもののここで力尽きたというわけだ。
野盗に襲われたのは運が悪いにしても、護衛に逃げられたのは他人を顧みない私のせいだろう。今になって、分かる。彼らも血の通った人間なのだ。こんな狂人じみた女には付き合いきれなかったのだろう。
彼らには、悪いことをした。護衛とは言え、まともに考えれば雇い主の命よりも自分の命を優先するのは当然のことだ。それを罵倒するなど、自分本位にもほどがある。護衛をしてもらっている最中にも彼らなど物であるかのように無視し、ひたすらに研究しかしていなかった。真摯に守ってもらえるような依頼主ではなかったのだ、私は。
美しい星空を、見つめる。
研究しか知らない私は、まだ三十に差し掛かったばかりだというのに既に学者の中では一目置かれる地位を得ている。とはいえ、それは地位の話であって、気難しい学者の中でも特に気難しい私は鼻つまみ者だった。
女ながらに高い地位に就いていたものだから、当然僻みや妬み、嫌がらせなどもあった。それらを全て、取るに足らないものだと、研究以外に無駄な労力を割く無能な奴らだと切り捨てていた。時には研究室から追い出したことさえもあった。
今思えば、どうだ。人間として当たり前の感情だったのではないのか。私のせいで博士号を剝奪された者もいる。あまりにも、憐れではないか。
「いや、憐れなのは私の方か」
自嘲気味に呟き、小さく笑う。感情を知らない学者。人を顧みなかった私。数字としか向き合ってこなかった人生。その僅かでも周囲の人間に興味を向けていれば。
夜空を見上げる視界の中央に突然、すっと星が流れた。あっと思った時には視界の端で消えてしまう。しかしそれが合図だったかのように、次々と星が流れだす。それはまさしく、星の降る夜という表現がしっくりと来る景色だった。まるで祝福のように降り注ぐ流星たちに、なぜだか胸が締め付けられ、鼻の奥がツンと傷んだ。
私には、似合わない。こんなにも美しいものは、私のような者が見ていいはずがないのだ。目尻から溢れた涙は熱く、こめかみを伝って耳の辺りに流れる頃には氷のように冷たくなっていた。
ふと、流れ星に願いを掛けると叶う、という伝承を思い出した。それを聞いた当時は何を馬鹿な、と鼻で笑った記憶がある。だが、この美しい眺めを前にしては笑う気になどならなかった。寧ろ願うことが自然なのだと、そう思える。
「願わくば――」
零れた声は、涙に濡れている。
「願わくば、彼らに祝福を」
思い浮かべたのは私が人と思っていなかった数々の人達。逃げ出した護衛も、研究室の者も、私が追い出した者も。私に関わった全ての者に、祝福を。
この降り注ぐ星のように、彼らにも祝福が降り注ぎますように。
身体は冷え切って冷たいはずなのに、胸が温かかった。初めて、人間になれたのだと、人を思いやれたのだと、満足感で胸がいっぱいだった。
それは自身の研究にしか興味がなく、他者を顧みなかった学者が死の間際に星空を見上げるお話。