湖
馬車ではなく橇で湖に向かう。
御者はアメリアが勤めていた。橇は二人以上乗れないので、二人だけのお忍びのようなものだ。
馬車で雪の中を進むのはただの無謀だ。馬は小型種であまり大きいと橇を引くのには向かないのだ。
「ワカサギが釣れそうな湖ね」
その湖は夏の間はこの領内の貴重な水源になっている。今は雪で隠れているが、湖から領内に水を引くための水路がある。
今は氷が分厚く張っているため雪を水源としている。そのためのろ過装置もある。
キャロルの言葉にアメリアもうんうんと頷いた。実際にワカサギが釣れるわけではない。ただそんな雰囲気だというだけだ。湖の向こうは山と森なのでますますそんな雰囲気に見える。
アメリアは一抱えほどの雪の塊を叩きつけて氷の強度を図る。これで氷にひびが入ったり割れたりしたら乗ることはあきらめたほうがいい。
「キャロルのところの水源はどうなっているの」
「うちは井戸だね、地下水脈があるみたいで、あっちこっちに井戸があるよ」
水源一つとっても領地が違えばいろいろ変わってくるものだ。
雪の塊を受け止めた感触からして、どうやら大丈夫と判断した二人は湖に降り立った。
雪靴は底に金属のすべり止めが埋め込まれている。
だから氷の上に立つととても滑る。そろそろとアメリアは氷の上を滑り始めた。
「こんな遊び、周りの人は許してくれないだろうね」
「まあ、危ないし」
キャロルがそう言いながら滑っていく。
前世ローラースケートの経験があったアメリアと、こちらは本式のスケートの経験のあるキャロルは危なげなく滑っていく。
しかし、極力岸から離れないようにしていた。
湖の真ん中は氷が薄いところがあるかもしれないからだ。
しばらく二人で滑っていたがアメリアがおもむろに切り出した。
「なんかあったの?」
いくらキャロルが食い意地が張っていたとしても、ここまで雪が積もった後隣の領内にわざわざやってくるほど酔狂ではないと思った。
来るならあらかじめ秋のうちに来るか、それともいきなりでなく事前連絡するくらいの良識のある人間だとも思っている。
キャロルは軽く氷の上で回って見せた。
「婚約破棄しただけよ」
アメリアは眼を瞬かせた。確か、キャロルはエクストラの口利きで婚約したはずだ。自分の意思で婚約破棄などできるはずがない。
「どうやって?」
思わず聞いてしまったが、答えてくれない可能性もあった。
「ああ、大したことじゃないよ、婚約破棄は縁談が決まった時から視野に入れていたし」
キャロルはそう言って再び回る。
「彼ね、侯爵家に入ることになったの、そうなると男爵家の娘と釣り合いがとれないでしょう、どちらが悪いとも言えない、まあ、間が悪かったという婚約破棄だから、多分私の経歴に傷はつかないと思うんだけどね」
「それなら、万人が納得するだろうけど」
アメリアは首をかしげた。
「でも、それでいいの?」
「いいも悪いもないでしょ、男爵令嬢の身丈に合ったこと以上のことはしない、それが私達ですもの」
そう言われてしまうとアメリアは何も言えない。多分こんなことを話し合える人間がアメリアだけなので、キャロルはここにやってきて、この場所に誘ったのだろう。
無言で二人は滑り続けた。うっかり事故のないように細心の注意を払いながら。