幸福とは
ゾディークは最後にと夫と息子に面会を申し出た。
王宮の裏側にある出入り口、表ざたにしたくないものの出入りをする場所。
冷たく荒い石造りの薄暗い場所で最後の家族と過ごす時間がとられた。
夫は無表情にただゾディークを見ている。かつて端正だったその顔は老いて、くすんでいる。何か口にしようとしたが、ただ無言でゾディークを一瞥し、そのままその場を後にした。
言葉は出ない、確かに愛し愛されていると信じていたはずなのに。
そして、自分の姿を見た。絢爛豪華な王太子妃の衣装を脱ぎ捨て、化粧もせず、みすぼらしい飾りのないドレスに身を包んだ自分はただのやつれた中年女に過ぎない。
最後に夫と言葉を交わしたのはいつだったろう。
息子はぽかんとした顔で自分を見ていた。
手を差し伸べて笑いかけたが、言っていることは支離滅裂だ。
ずっと気が付かないふりをしていただけだとようやくわかった。この子はまともじゃない。
自分への関心を全く失っている夫と、明らかに常軌を逸した息子。幸せな家庭など夢幻、いつの間にか失っていた。あるいは最初から持っていなかったのだ。
不幸なまま死んだ自分はこの世界でも不幸なままなのだ。ゾディークは自分を憐れむだけの涙をこぼした。
荷物は先に運び込み、そして冬のドレスはもともとあちらに置きっぱなしなので、最低限の身の周りのものと一緒に馬車に乗り込む。
見送るのはいつもの使用人達と一緒にスティーブンも見送りに来ていた。
「名残惜しいですが、春の楽しみに」
そう言ってアメリアの手の甲に口づけする。
アメリアはにっこりと笑ってその額に口づけした。
「はしたないと思いになって?」
「いえ、私以外にされては困りますが」
「これくらいいいでしょう、永の別れなんですもの」
恋人同士は手を取り合って別れを惜しむ。その片割れの父親であるアガサ男爵がゴホンと咳払いして二人を引きはがした。
とはいえ、アガサ男爵もそこまで野暮は言うつもりはない。
再び春が巡り来るまでこの家に戻ってくることはない。
女中達は、ある者は別の家に転職し、ある者は実家に帰り、ある者は冬限定の別の仕事に就く。
庭仕事をする男性使用人達と、料理女は家に居残り留守を守る。
庭は冬の間もある程度面倒を見る必要があるし、雪が消え次第野菜の植え付けをしなければならない。
すでに先行している使用人と、マナーハウス付きの使用人たちが、マナーハウスの大掃除をしているはずだ。
馬車の扉が閉じられてアメリアは窓からそっと手を振った。
スティーブンも手を振り返す。男性使用人は帽子をとってそれを胸に当て、女性使用人はスカートをつまんで深々と頭を下げる。
それぞれのやり方で去っていく主人に敬意を示し別れの挨拶とする。
アメリアは姿が見えなくなるまで手を振っていた。
その姿をアメリアの母親は微笑まし気に見守る。
思ったより早かったけれど、いずれは来る日なのだ。
そう思えば満足のため息も漏れようというものだ。
そして傍らの息子に笑いかける。息子も彼女に笑い返した。




