ゾディーク2
ゾディークはそこをみすぼらしい家だと思った。だけど後の自分はそれをこじゃれた瀟洒な家だと思っていた。
もう一人の自分は隣にいる愛する人を見ている。
ゾディークの夫ほどの年頃の男はゾディークと同じくらいの年の女、少し変わった顔立ちだ。遠い国にいるという異民族だろうか。と向き合っている。
そしてデビュタントするかどうかという年頃のよく似た娘が女の隣にいた。
いつの間にかゾディークの意識は消え、もう一人の自分と同化していた。
「彼女を愛している。結婚したいと思っている」
その言葉に歓喜に震えた。とうとう私を選んでくれる人に巡り合えたのだ。
目の前の女は不機嫌そうに言った。
「今遊びだった、こんな女とは別れるって言えば、一応なかったことにしてあげてもいいわよ」
何を言っているんだろうこの女は。彼は私を愛している、遊びじゃない真剣に愛してくれているんだ。
「それはできない」
「どうして?」
彼は私を見た。その視線から彼の愛情が伝わってくる。こんなつまらない女では満たされないのだ、私じゃなければ。
「か、彼女は僕の運命なんだ」
そうよ私は彼の運命の女、たまたま見合いで知り合ったようなどうでもいい女じゃないのよ。
「うあ……」
先ほどまで黙りこくっていた娘が呻いた。目を真ん丸にして彼を見ている。
「まんま薔薇の言の葉の台詞じゃん。ハンサムな王子様ならともかく、しょぼくれたおっさんの台詞ならただのお笑いだね」
娘は嘲笑していた、彼と私を。
「何なんだそれは」
訳が分からないのか彼は女に食って掛かる。
「多分少女漫画か何かじゃない。まあ確かにハンサムなヒーローの台詞なら格好がついたんでしょうね」
先ほどまでの不機嫌そうな唇をへの字に曲げた顔から笑顔に女の顔は変わる。
くくっと二人の母娘が笑う。
彼と私を嘲笑する。くだらない男と女だと。その笑い声はしばらく私の耳に残った。
女はあっさりと離婚届に判を押した。だけど私の手に入ると思っていたあの瀟洒な家は手に入らなかった。慰謝料として女に取り上げられ、その家を売った金を自分の懐に入れて女は立ち去った。
彼の貯金のほとんどは取り上げられ、彼は私のアパートに転がり込んだ。
私のアパートは狭い。女の一人暮らし用の部屋に男女二人で住むのだ。狭苦しい、そして彼は職場でも降格と減給、さらに養育費の支払いでほとんど彼を私が養うことになった。
とてもじゃないけれど、この収入では将来私の生む子供を養うこともできない。
何とかと家族に助けてもらおうとした。だけど、なぜ弟の妻が電話に出るのだ。
『だって、義姉様、お義父様はもう貴女に会いたくないそうなんですもの。お金がない? でも慰謝料として支払ってあげたでしょう。あれは貴女への手切れ金だったってわからないんですか』
電話の向こうでクスッという笑い声を聞いた。
『あれ、生前分与として、あなたに遺産は残さないそうですわ。恥をかかされたので正式に貴女がもらえる遺産よりだいぶ少ないそうですけど、ちゃんと弁護士を呼んで書類を作ったので、一切のお金は渡らないそうですわ。だからもう連絡してこないでね』
「どういうことよ、お父さんに代わりなさいよ」
『だから、お父様は貴女と話をしたくないそうですの。だから私が窓口になっているんじゃないですか』
そして唐突に叩き切られる電話、無味乾燥な電子音だけが耳に響く。
「どうして」
本当に愛してくれる人を得たのにどうして私は幸せになれないの。
お父さんのお金、あの人のお金、本当なら私のものだったのにあの女が持って行った。どうしてあの女ばかり。
そんな時見つけたのは『薔薇の言の葉』というゲームだった。あの娘が言っていたのはあのゲームのことだったのだろうか。
私は何かに操られるようにそのゲームを手に取った。
ゲームの中のゾディークというキャラがあの女に似ているようで、むきになって倒そうとした。
ゾディークに憎しみをすべて叩き込んだ。
「おい、仕事」
汚い中年男が何かを言っている。目障りだ、消えろ。
一心不乱にゾディークを倒すまではと粘り続けた。寝食も忘れていたかもしれない。
そしてようやく倒した。あの女はみじめな最期を遂げるべきなのだ。画面の中でもあの女はうちひしがれてすべてを失っていた。
そして我に返るとやつれた中年男が私を見ていた。
それを見ていたくなくてやみくもに飛び出した。そして自分の自動車に乗ってただ走り続けた。
だからそれを見たのはただの偶然なのだ。あの娘が歩いているのを見た。
あの娘が死ねば、養育費が、貯金が、お金帰ってくるんだ。
まっすぐに突っ込んでいくあの娘めがけて、娘はきょとんとした顔で私を見返していた。
長い夢から覚めたゾディークは気づく。
「私はゾディークだ」
伏線回収いたしました。