普通の悪意
「ドレス代20000カウント」
アメリアは何となく1カウントが100円くらいかと思っていた。安いパン屋で一番安い丸パンの値段がそれくらいだったからだ。
日本と基準はいろいろ違うだろうが、そうした小物の値段で大体の物価を想定していた。
カウントの下にタラントという単位もあるが、たぶんそれが1円ぐらいかと思っている。あまり買い物に出ず、何か欲しいといえば、誰かが財布を取り出す生活をしていると、物価というものがわかりにくくなってしまう。
そして、貧乏で日々食べるものに事欠く家でドレスに20000カウントという値段が結構非常識だということも知っていた。
キャロルの眉も寄せられている。
妙に贅沢品の支出が多いのだ。
「馬鹿じゃないの」
実際に計算してみる前からキャロルの眉間に深いしわが寄っている。
支払い請求書の内容に頭痛を感じているのかもしれない。
デレインは軽く冷や汗をかいていた。
「まさかとは思うけど、エルダー伯爵家が借金を払ってくれるからって安心して贅沢しようと思ってるのかしら」
「まさかはいらないと思うわ」
アメリアは伝票の日付を確認する。妙に贅沢品が増えたのは最近だけで、それ以外は実につつましい生活をしているように思えた。
「それに収入がね、本当にこれだけ?」
キャロルは手製の算盤をはじき始めた。
「住んでいる人から徴収した税金。あと農作物の販売、それと領地内の産業による収益、少なすぎない? 子爵家ならもう少し人口があると思うんだけど」
不意にアメリアの脳裏に思い出されたことがあった。
「あの、ほとんど土木工事関係の支出金ってなかったよね」
「なかったけど」
キャロルが怪訝そうにアメリアを見た。
「ないはず、ないのよ、だって、お父様は数か月に一回か二回そうした工事を依頼されていたもの」
アメリアの父親の領地は酪農や小麦果物の農業をやっている複数の村と、その中心にある小さめの都市部でなっている。そして領主の仕事として一番重要なものが領地のインフラ整備だった。
橋の補修や農地の水源確保、都市部の石畳の補修など定期的に工事をしなければならない。
「普通はあるはずよ、キャロルのところだって、道路整備にお金がかかるはずよ」
「まあ、河川は常に工事しなければならないところがあるのは確かよね」
洪水対策の工事の話題が少し前に家族の間に上ったことを思い出しつつキャロルも同意した。
そしてようやくアメリアの言いたいことを理解した。
「つまり、農地の水源対策とか都市部の道路対策とか、そういうインフラをまともにやっていないから人口流出が起きているんじゃないかってこと?」
アメリアは重々しく頷いた。
「それって、まずくない?」
「まずいではすまないと思うわ」
領主は領地を治めてこそ領主だ、それがまともに機能していないとなると、爵位没収もありうる事態だ。
「多分、道路整備とかに必要なお金を借金返済に使ってるのね」
キャロルがいかにも呆れたという顔で呟く。
「それを含めたら、このお家の借金って、さらに倍になるんじゃない」
キャロルがまとめた金額を見ながら三人は暗い顔でため息をついた。表に出ていた負債額も結構シャレにならない金額で。
「エルダー家、この実態を知ってるのかな」
爵位没収となれば、後に待っているのは野垂れ死にだ。貴族として育った人間が普通に働けるはずがない。
「エルダー家に嫁いだら、速攻実家と縁を切りなさい、たぶん借りた金では足りない」
デレインは無言で頷いた。
証拠隠滅をして、アメリアとキャロルは帰り支度をしていた。
「あとはもうあたしらにできることはないね」
キャロルも憂鬱そうに天を仰ぐ。
「この世界はやっぱり現実なんだな」
アメリアは自分がかつて死ぬ少し前の出来事を思い出した。
この世界も同じ、悪意はどこにでもある。
「典型的な正義の味方も、悪の権化もいない、ただ普通の人の悪意があるだけ」
キャロルは、解ったようなわからないような顔をした。