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第六話 北からの訪問者

 王女の帰還を止める理由は、ウィンニール公といえど持っていなかった。


 そもそも、王女は王都にいるべきなのだ。

 婚姻さえ挙げればウィンニールで生活することになるだろうが、それまでは王家の者である。

 帰ると言われれば、止める手段はない。 王女の帰還を止める理由は、ウィンニール公といえど持っていなかった。


 だが、王女自身は帰還には反対なのであった。

 アーサー卿と数度にわたる言い争いをし、未だに納得はしていない様子だ。

 それでも、アーサー卿には譲る様子はなかった。


「もう、あの石頭が北部の出身じゃないことが驚きだわ!」


 アーサー卿との口論から逃げ出してきたアシュリンが、すみれ色の瞳を大きく見開き唇を尖らせる。


「彼の先祖は絶対ヘルシンヴァル人の血が流れているのよ。一度言い出したら、絶対に意見を変えないんだもの」

「彼は、フルンディル人にしては珍しく気骨のある騎士だということだね」

「あら、ひどい人ね。フルンディルの騎士の勇猛さを、あなたは一度思い知るべきなのよ。王国最強の騎士ウルフヘル・イグリンガスの槍の一撃は、どんな騎士の盾も砕くわ」

「そりゃ、彼は人間より熊人(ヴェストロス)に近い」


 国王の近衛騎士隊長のことを揶揄すると、アシュリンは唇を尖らせたまま噴き出した。


「もうっ、やあね。イーヴァルたらいつもそうなんだから」

「いやいや。ソルサ卿にはかなわないさ。それより、どうしても王都に戻るのかい? どう考えても狼の口に飛び込むようなものじゃないか」

「戻りたいわけないでしょ。でも、このままだと明日にはアーサー卿に無理やり馬車に押し込まれるわ」

「お転婆な王女にはちょうどいい躾だな」

「イーヴ、イーヴァル。あなたって時々、どうしようもないときがあるのね」


 王女はため息を吐いた。


「わたしが王都に連れ去られてもいいの? イーヴ、わたしと結婚したくないのね」

「その上目遣いはやめろって」


 イーヴァルは閉口して両手を挙げる。


「それより、アーサー卿を止める手段はないんだったら、もう手だてはひとつだけだよ、アシュリン。ぼくも一緒に王都に行こう」


 思わず、アシュリンは息を飲んだ。

 自分を邪魔者だと思う勢力にとっては、イーヴァルも同様に目障りな存在だ。

 王都に行って、無事に済むとは思えない。


「駄目よ、そんな──あなたまで危険になるわ」

「ぼくは大丈夫さ。彼らは、北の武力が君と結び付くのを恐れている。だが、そのためにぼくを殺してしまえば、ヘルシンヴァル人が蜂起して結果は同じだ。だから、連中はぼくを殺せない。ぼくが、君を守ってみせるよ、アシュリン」

「嬉しいわ、イーヴ」


 王女はイーヴァルの頭を抱えると、囁くように言った。


「立ち上がれればもっと嬉しいのだけれど。あなた、自分が怪我をしているのを忘れたの?」

「こんな怪我!」


 イーヴァルは王女を押し退け、寝台から降りようとした。

 だが、血を失った体にはまだ力が戻ってはおらず、ふらついて寝台に腰を落とした。

 アシュリンは腰に手を当てると、指先でイーヴァルの額を弾いた。


「ほら、ご覧なさい。満足に立てもしないで、どうやってわたしを守るの。治るまでは、大人しくしていなさい」

「は、大丈夫。空腹でふらついただけだよ。肉をワインで流し込めば、失った血も取り戻せるさ」

「もう、ウィンニール家の強情ときたら!」


 アシュリンが呆れて首を振ったとき、窓の外から騒がしい人馬の喧騒が聞こえてきた。

 一瞬アシュリンはアーサー卿が出立の馬車でも用意しているのかと思ったが、これはそういう雰囲気ではなかった。

 物音は、外から近付いてきたのだ。


「誰か来たんだ。誰だろう」


 寝台に腰を下ろしているイーヴァルから離れると、王女は窓に歩み寄った。

 二階の窓からは、中庭の様子が一望できる。

 アシュリンが見たのは、肩や頭に雪を積もらせた二人の旅人であった。

 フードをかぶり、顔は見えないが、疲れきった様子で二人ともうなだれている。

 泡を吹いて馬が崩れ落ちると、フードの男たちは地面に下り、馬の首に手を当てて労った。


「何者だ。そして、このウィンニール城に何の用だ」


 ソルサ卿が衛兵たちとともに二人に剣を向けた。

 男たちは両手を挙げて敵意がないことを示すと、雪の積もったフードを取った。


 焦げ茶色の髪に澄んだグレイッシュブルーの瞳。

 すらりとした筋肉質の体つきは、騎士というより船乗りに見える。

 甲冑ではなく、革の胸甲を身に付けているところからも、バドティビラの海賊を連想させた。


 もう一人の男は二十代そこそこに見えたが、長い銀の髪に緑と金の妖瞳、長く尖った耳を見ると、それが誰であるかは名乗らなくてもわかった。


 精霊の民(ルーメン)唯一の混血児、半精霊(ハルヴァイン)のシェルヴェン・グロールリエンである。


「──変わった二人連れだな。バドティビラ人と半精霊(ハルヴァイン)が、王国北部の盟主たるウィンニール公の居城に何の用だ」

「わたしは、グレイシャルのエースティン・グリンドゥール。公爵に伝えねばならぬことがあってきたのだ。そのために、夜を徹して駆け通した。会わせてくれ」


 バドティビラ人はグレイッシュブルーの瞳に疲労感を滲ませていたが、口調はまだしっかりしていた。

 ソルサ卿は警戒を解かず、エースティンの周囲を歩きながら観察した。


「バドティビラ人が、公爵に? 確かにグレイシャルとは交易をしているが、バドティビラ人は海とグレイシャルにしか興味がないものだと思っていたが。街道で起きた揉め事は、いつもウィンニールに回ってきていたぞ」

「──確かに、貴公の仰る通りだ、ソルサ・オーバル卿、ウィンニール公の若き左腕よ。だが、これはグレイシャル公からの使者ではないのだ。わたしとシェルヴェンは、自らの意志でここに来た。来るべきときに、ウィンニール城をグレイシャルと同じ惨劇に遭わせぬようにな」

「そして、精霊の民(ルーメン)の森インヴィルニスと同様の目に、です」


 エースティンの言葉の後を、緑と金の妖瞳を瞬きながら半精霊(ハルヴァイン)が引き取った。


「北からの冷たい風とともに、雪が運ばれてきます。ウィンニールでも、すでに降り出しています。その雪とともに、大きな波が押し寄せてきます。熊人(ヴェストロス)の津波が。そして、その波はそれで終わりではない」

熊人(ヴェストロス)は、このウィンニールの近くでも一体見かけた」


 ソルサ卿は足を止めると、半精霊(ハルヴァイン)に視線を移した。


「だが、それが津波のごとくやってくるだと? 精霊の民(ルーメン)やバドティビラ人は、その熊人(ヴェストロス)の波に襲われたというのか?」

「そうです。インヴィルニスも、グレイシャルも波に襲われ、飲み込まれました。もう、何も残っていません」


 半精霊(ハルヴァイン)の声は美しく、音楽のように響いていたが、その内容は冷たく、聞く者の心を凍りつかせた。


「次はウィンニールです。熊人(ヴェストロス)が目撃されているなら、一刻の猶予もありません。グレイシャルでは、公爵は耳を貸しませんでした。ここでは、公爵が懸命な判断をされることを願います」

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