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第四話 ウィンニールの兄妹

 イーヴァル・ウィンニールにとって、アシュリン・ヴェラシルは悩みの多い相手であった。

 何といっても王女であり、しかも自分の婚約者である。

 彼女が何故わざわざ婚礼前に北の僻地にまでやってきたのかはわからないが、会うと喧嘩ばかりなのは確かである。

 だが、婚約者を無視するわけにもいかないし、生意気なアシュリンの言葉を黙って聞き流すこともできない。


 彼女の美しいプラチナブロンドの髪や、煙るようなすみれ色の瞳、形のいい顎や細いうなじを見ると、胸の鼓動が早くなるのは認めざるを得ない。

 実際、彼女はいい匂いがするし、澄んだ声は小鳥のようだ。


 だが、王女の傅役や護衛の兵は全く気に入らなかった。

 傅役の騎士アーサー・エーディングは、明らかにヘルシンヴァル人を見下している。

 護衛の兵士たちも、同じである。

 フルンディル人は元々東の大陸から海を渡ってきた民族であり、ヘルシンヴァル人の王を追い払って王国を築き上げた。

 そのため、彼らの頭の中には、拭いきれない選民思想がある。

 フルンディル人が優れていて、ヘルシンヴァル人が劣っているという思想だ。

 正義感が強く、理不尽なことには全力で抗う気性の強いイーヴァルにとって、アーサー卿たちの態度は許容できるものではなかった。


 父親のタリン・ウィンニールは、ヘルシンヴァル人からは絶大な支持を得ていた。

 だが、アーサー卿は父に度々無礼な態度を取る。

 父やルーラッハ卿は外には見せないが、若いソルサ卿などは時々イーヴァルに不満を漏らしていく。


「あの老人が今朝何回北の田舎は骨まで凍りそうなほどに寒いと愚痴ったか、若君はご存じですか」


 傷が癒えないイーヴァルは、まだ寝台に横たわったままである。

 ソルサ卿は年齢的にイーヴァルと近く、少年にとっては兄のような存在であり、仲がよかった。

 そのため、朝食後に見舞いに来るのは日課のようなものだ。


「んー、五回くらい?」

「三十回ですよ。しまいには、犬にまで寒いと話しかけていました。もう一度寒いと言ったら、尻を蹴り飛ばして血行をよくしてやろうかと思いましたよ。大体、あの老人は動かなすぎるんです」

「さぞかし、いい悲鳴を上げるだろうね」


 くすくすとイーヴァルは笑った。

 厳格で面白味のないルーラッハ卿に比べ、ソルサ卿は機転もきき、舌も滑らかであった。


「駄目ですよ、そんなことを仰っては」


 入り口から入ってきたのは、イーヴァルの妹モイール・ウィンニールであった。

 イーヴァルと同じ茶色の巻き毛は頑固にあちこち跳ねており、性格を現している。

 十四歳の年齢の割には、はっきりものをいう少女であった。


「アーサー卿は、国王の信頼も篤い騎士です。冗談にしていい御方ではありません」


 大人びた物言いは、母親の影響であろうか。

 裁縫も得意であるし、典礼もそつなくこなす。

 そんなしっかり者の妹に榛色の瞳を向けられると、イーヴァルは落ち着かない気分になった。


「失礼致しました、お嬢様。お尻をお蹴りあそばして差し上げるというべきでした」

「もう、ひどい御方ですね、ソルサ卿。お兄様が真似するではありませんか」

「とんでもない。若君もわたしも、常にお嬢様の忠実なしもべでございます。如何なる脅威からもお守り致しますよ」


 妹に非難の視線を向けられるとすぐに降参するイーヴァルであったが、ソルサ卿は飄々とかわし、にこやかな笑顔とともにさりげなく退場していった。

 煙に巻いて逃げるのも堂に入ったものだ。

 モイールは少し頬を膨らませていたが、用件があるのは兄に対してであったので追いかけはしなかった。


「で、何か用かな」

「お兄様にお会いするのは、いつもわたしの喜びですわ」

「そんなことは聞いていない。用事があってきたと、顔に書いてあるよ」


 イーヴァルは、この癖の強い妹と十四年も付き合ってきているのだ。

 何か言いたいことがあるのは、一目瞭然であった。


 寝台の横に置かれた椅子に腰を下ろしたモイールは、瞳に愁いを宿らせると口を開いた。


熊人(ヴェストロス)が出たというのは、本当ですの?」


 妹の問いかけに、イーヴァルは体を起こし、クッションを背もたれにしてから答えた。


「本当だ。アシュリンも、ソルサ卿も、ルーラッハ卿も見ている」

「お父様はまだ半信半疑のようなんですが、アーサー卿が王都に戻ると言い出されて、王女殿下と言い争いをなさっています。でも、本当に熊人(ヴェストロス)が出たのなら、アーサー卿の仰るとおり、殿下はお帰りなされた方がいいですよね?」

「そうだな──確かに危険ではある。でも、モイール。アシュリンが帰らないのは、理由があってのことだよ。彼女にとっては、王都こそ危険ともいえる。だから、この北の僻地にまでやってきたのだ」

「王都が危険──ですか? 何故、王の娘が王都に危険を感じるのですか?」

「モイール」


 イーヴァルはひどく真面目な声を発した。

 その口調の変化に、モイールは体を震わせ、兄のヘイゼルの瞳を見た。


「これは迂闊によそに漏らしていい話ではない。決して他人に話してはいけないよ」

「──わかっていますわ」


 モイールは兄の迫力に抗うように口を開いた。

 そうしなければ、力のこもった兄の双眸に灼き尽くされそうだったのだ。


「アシュリンが急に北に来たのは、王都で毒殺されかけたからだ。彼女が飲むワインのゴブレットの内側に、致死性の毒が塗られていた。たまたまうちの派遣した使者が訪れたから、アシュリンは食事をやめて席を立ったのだ。そして、後で残り物を盗み食った侍女が死んだ」


 モイールは息を飲んだ。

 ヘイゼルの瞳をしばたかせると、両手で肩をつかんで身を震わせる。


「何で──何で殿下が狙われるのです。しかも、ご自分の居城で」

「アシュリンの母親は前の王妃だ。いまの王妃じゃない」


 イーヴァルの声はぞっとするほど低かった。


「ぼくとアシュリンの結婚を喜ばない者がいるんだ。そいつは、アシュリンが都に戻ったら一ダースの殺し屋を送ってくるだろう」

「お兄様!」


 モイールの声は恐怖で震えていた。

 イーヴァルは自分によく似た妹を引き寄せると、頭を抱き締めた。


「アシュリンを帰してはいけない。王都に帰れば、殺されてしまう。モイール、妹よ、父上に言って、アシュリンを引き留めろ。王都に行かせちゃ駄目だ。──わかるな?」


 イーヴァルは妹の肩をつかみ、その瞳の中を覗き込む。

 モイールは小さく頷いた。


「──行け。急がねば、アーサー卿がアシュリンを縛り上げても王都に連れ帰るかもしれない」


 モイールは立ち上がると、小さく礼をして外に出ていった。

 イーヴァルは天井を見上げると、大きくため息を吐いた。

 王女は、庇護を求めて北に逃げてきたのだ。

 あのプラチナブロンドの髪の少女を、必ず守らねばならない。

 それは、イーヴァルに負わされた責務であった。


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