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第二話 ウィンニールの銀狼公

 タリン・ウィンニールは苛立っていた。


 黒に近いほど濃い茶色の瞳は、目の前に座る老人に向けられている。

 髪もひげも全て白くなってしまったこの老人は、フルンディル王国の騎士アーサー・エーディング卿であり、王女アシュリン・ヴェラシルの傅役であった。

 そして、ウィンニール城主であり、公爵であるタリンの苛立ちの原因でもある。


「由々しき問題ですぞ、ウィンニール公」


 老人はくどくどと繰り返した。


「王女殿下を無断で連れ出すとは、何かあればご子息だけの問題では済みませぬぞ」

「捜索はさせている」


 今頃は、城の騎士や衛兵が総出で森を探し回っているはずだ。

 この時期外れの早い初雪のせいで、遠くには行かないだろう。

 それだけが心の救いであった。


「アシュリン殿下は、王の娘なのですぞ。フルンディル人とヘルシンヴァル人の王にして神の代理人、王国の守護者たるクスィルス一世陛下の、最愛の姫君だということをお忘れにならぬように」


 くそったれが、とタリンは口の中で罵った。

 そして、わがままで高慢な王女が自分の城にやってきた日を呪った。

 実際、アシュリンがウィンニール城にきたことが、異例の出来事であった。

 娘に甘い王とはいえ、遠い北のヘルシンヴァル人の城にまで少女を送り出すなど、正気の沙汰ではなかった。


 娘のわがままに国王が頷いたのは、アシュリンが公爵の息子と婚約をしていたからである。

 北方の異民族との関係を強固にするため、クスィルス一世は婚姻政策を選んでいた。


「最近の北の地は安全な場所ではありません」


 アーサー卿は頑迷に言い張った。


「グレイシャルで島から来た人々(バドティビラ)の狩人が何人も殺されているそうです。噂では、熊人(ヴェストロス)が出たとか」

熊人(ヴェストロス)などお伽噺に過ぎん」


 頑固さでは、タリンも負けていなかった。

 大体、北のヘルシンヴァル人は頑固で保守的だ。

 昔ながらの習慣を変えたりしないし、新しいものに目を向けたりもしない。

 だからこそ、新しいフルンディル人に敗れて南部を失ったとも言える。


「お伽噺の中には、大抵真実が含まれているものです、ウィンニール公。どんなに荒唐無稽であろうと、何処かに真実はある」


 王女の騎士は立ち上がり、窓に向かって歩いた。

 彼は暫く窓から次第に白くなる大地を見ていたが、やがて城門を通って数騎の騎馬が入ってくるのに気付いた。


「アシュリン殿下です。お帰りになられた」


 それは、まさしく国王の第一王女アシュリン・ヴェラシルと、彼女の愛馬の葦毛であった。

 二人の騎士と、公爵の長子イーヴァルが彼女と一緒にいた。

 どうやら、二人のいたずらっ子が騎士によって捕獲されたようであった。


「ソルサ卿とルーラッハ卿が発見されたようですな」


 タリンも立ち上がると、靴音高く歩き、アーサー卿の隣に立った。

 眼下には、彼の信頼する老練な騎士ルーラッハ・アルピンが、彼の息子に肩を貸しているのが見えた。

 ここからではよく見えないが、イーヴァルは負傷しているように思えた。

 王女は心配そうにイーヴァルに取りすがっていて、彼女の方に心配はなさそうだった。


 イーヴァルが中に運ばれるのを見ていると、足音がして扉がノックされた。


「閣下」


 まだ若い声は、ルーラッハ卿とともに帰還したソルサ・オーバルのものであった。


「入れ」


 タリンが命じると、ソルサ卿が扉を開けて入ってきた。

 騎士にしては細身であるが、彼の剣はタリンの片腕であるルーラッハ卿に劣るものではなかった。


「何があった」


 タリンの問いかけに、忠実なヘルシンヴァル人の騎士は直立したまま答えた。


聖なる樹(クローノマ)に向かう道でお二人を見つけました。彼らは、森で恐ろしいものと出会い、追われていました。イーヴァル様は、王女殿下を逃がすために馬を止め、戦おうとされていました。ですが、そのけだものの爪に肩を抉られ、傷を負われました。わたしとルーラッハ卿が駆けつけ、そのけだものの牙からイーヴァル様を救い出しました。けだものは、ルーラッハ卿の剣で腹を刺されると、森の中に逃走しました」

「そうか。イーヴァルは大丈夫なのか?」

「急所は外れております。血止めはしてありますので、大事にはなりますまい。暫くは、激痛が走るでしょうが」

「ならば、それくらいたまにはよい薬だろう。またこんな無謀なことをされても困る」


 ウィンニール公の息子には、いささか無鉄砲なところがあった。

 純朴で城の誰からも愛されていたが、自ら危険に飛び込むきらいがある。

 不思議なことに、何故か危険を前にすると過去の記憶がすっぱりと抜け落ちてしまうようにタリンには思えた。


「それで、そのけだものとは何だったのだ」


 この近郊の森には、危険な肉食獣はいないはずであった。

 歴代のタリンの先祖が、とっくに狩り尽くしてしまっていたのだ。

 狼でも流れてきたのか、とウィンニール公は思った。

 だが、ソルサ卿の返答は、彼の予想もしないものであった。


熊人(ヴェストロス)です」


 タリンは言い間違いかと思った。

 ソルサ卿は年輩のルーラッハ卿に比べれば、いささか軽率なところがある。

 だが、この若い騎士は至って真面目な表情をしていた。


「ヴェストロス人です。間違いありません。八フィート(約二百四十センチメートル)もあるあんな怪物は、この森で見たこともありません」


 アーサー・エーディングが、面白そうな顔でタリンを見てきた。

 彼らは、さっきちょうど熊人(ヴェストロス)の実在についての会話をしていたところだった。

 そして、ウィンニール公は自信に満ちてその存在を否定した。


「息子の様子を見てこよう」


 アーサー卿の視線に耐えかねて、タリンは部屋から逃げ出すことにした。

 恐らく、ルーラッハ卿はイーヴァルを自室に運んでいるはずだ。


 イーヴァルの部屋には、すでにタリンの妻と娘が駆けつけてきていた。

 ウィンニール城の奥方ラセール・レムシャイア・ウィンニールは、美しいが意志の強い口許をきっと結ぶと、医師がイーヴァルの治療をするのを見ていた。


「ああ、タリン」


 彼女は夫を見つけると、大きく嘆息した。


「貴方は熊人(ヴェストロス)に一人で立ち向かってはいけないと教えるのを、うっかり忘れていたわね」

「勇敢ではありましたぞ」


 タリンが最も信頼する騎士ルーラッハ・アルピンが、年輪の刻み込まれた顔を破顔させて言った。


「勇敢というより、愚かな行為だわ。ルーラッハ卿が駆けつけなければ、イーヴァルは間違いなくけだものの夕食になっていたのよ」

「雪が降ると熊人(ヴェストロス)の食欲は旺盛になりますからね」


 ソルサ卿の軽口は、沈黙をもって返された。

 公爵の奥方は冷たい深い青の瞳で若い騎士を見つめたし、タリンはそもそも聞いてすらいなかった。


「イーヴァルは無事なのか?」


 父親の問いに、イーヴァルは自分で答えた。


「平気だよ。実際、もう少しで熊人(ヴェストロス)に一撃を加えてやるところだったんだ。ルーラッハ卿にいいところを取られたよ」


 タリンはため息を吐いた。

 息子の剣の腕は、ルーラッハ卿に遠く及ばない。

 自分の力量をわきまえるという一番大事なことが、イーヴァルには欠けていた。


 今回は大丈夫であったが、次に同様のことがあったら、息子は生きていられるだろうか。

 タリンには自信がなかった。

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