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第十四話 逃避行

 南に逃れたイーヴァルたちは、夜通し馬を歩かせた。

 真南に進めばダラム伯の領地だが、タイン城伯の追手が真っ先に向かうのもそこであろう。

 ゆえに、南西の人気のないペンリス山地に向かうこととした。


 五時間ほどで三十マイル(約四十八キロメートル)は進んだであろうか。

 ターウェント川に架かるショトリー橋までたどり着いたイーヴァルたちは、橋の近くに建てられた宿で休息を取った。

 追手も心配であったが、アシュリンやヒルダの体力も限界だったのである。


 傷が回復しきっていないイーヴァルも泥のように眠り、目覚めたときには太陽は中天を過ぎていた。


「お目覚めですか、イーヴァル様」


 従士のマクニールが、イーヴァルの傍らに付き添っていた。

 イーヴァルは体を起こすと、忠実な従士に向けて問いかけた。


「ああ。腹が減ったな──お前は休めたのか、マクニール」

「はい、十分に。それに、ソルサ卿が合流されました」


 マクニールは安堵の色を浮かべていた。

 ソルサ・オーバルは、この一行のヘルシンヴァル人の中では、指導的な地位にある。

 身分でいえばイーヴァルの方が上だが、騎士としての実力や年齢ではソルサ卿には敵わない。

 自然と、ヘルシンヴァル人の行動はソルサ卿が指示することが多かった。


「ソルサ卿が──それはよかった。他の者はどうしたか?」


 イーヴァルの問いに、マクニールは静かに首を振った。

 哀しげな瞳に、イーヴァルははっと胸を突かれた。


「アーサー卿とソルサ卿以外は、タインの長城で亡くなられたそうです。脱出した後、アーサー卿はダラムに向かい、ソルサ卿はペンリス山地に向かったとか。お陰でソルサ卿とは合流できたわけですが」

「──そうか。みながな……」


 イーヴァルの胸には、悔恨が残った。

 ウィンニールから連れてきたヘルシンヴァル人たちを、無事に故郷に帰せなかった。

 ウィンニールで待つ彼らの家族は、この悲報を聞いてどんなに嘆くだろうか。


 だが、のんびりと気落ちしている時間はなかった。

 ソルサ卿がたどり着いたということは、追手もやって来る可能性がある。

 急いで出立しなければならないだろう。


 痛む足を引きずりながら階下に降りると、食堂には見慣れた騎士が食事をしていた。

 血風山河を築いてきたはずだが、血も埃もすでになく、髪も綺麗に整っている。

 洒落者で知られるソルサ卿らしい。


「寝坊ですね、若君。急いで腹ごしらえをして下さい。連中の目はアーサー卿が惹き付けてくれていますが、長くは持ちますまい」

「アーサー卿は、自ら囮になったらしい。我々がこちらに向かうとソルサ卿が読んだようだ」


 ソルサ卿と一緒に食事をしていたバドティビラ人の知恵ある者(ヴィドス)が顔を上げた。

 イーヴァルたちが無事に脱出できたのは、彼と半精霊(ハルヴァイン)の力が大きい。

 彼らの魔法と弓の力は、騎士たちが束になっても敵わないくらいのものである。


「いま、シェルヴェンに偵察に行かせている。追手が来れば知らせに戻ってくるだろう。支度を急げよ、若様」


 ソルサ卿も頼もしかったが、エースティンの魔法と指導力はすでにイーヴァルも認めていた。

 港湾都市グレイシャルで部隊指揮官を勤めていた力量は、誰しも認めざるを得ないものであった。

 だが、本来エースティンがイーヴァルたちと一緒に逃げる必要はない。

 彼とシェルヴェンは、偶然紛れ込んだだけだ。

 いつ敵と通じてもおかしくはない。


 だが、道中エースティンの人柄に触れていたイーヴァルは、このバドティビラ人が義理堅く裏切りを働くような人物ではないことを見抜いていた。

 シェルヴェンは多少浮わついたところがあるが、エースティンに限っては一度親交を結んだ人間を陥れることはすまい。


 イーヴァルが遅めの朝食を済ませた頃、アシュリンとヒルダも支度を済ませて降りてきた。


「おはよう、イーヴァル。もう大丈夫なの?」

「ヘルシンヴァル人は頑丈だ。これしきの傷はどうってことないさ」


 話している間に、マクニールが馬の準備を整えてきた。

 ソルサ卿が宿の主人に金を支払い、一行は再び馬上の人となる。

 もうペンリス山地までは遠くない。

 そこまで行けば、タイン城伯の兵も追ってこないだろう。

 山地は獣や盗賊の巣食う領域であり、まともな頭の持ち主であれば踏み入ろうとはしない。

 危険はわかっているが、いまのイーヴァルたちに残された道は此処しかなかった。


 ペンリス山地の麓で、シェルヴェンが追い付いてきた。

 五十人くらいの兵が追ってきているという。

 宿で聞き込みをし、イーヴァルたちがペンリス山地に向かったのを把握しているようだ。


 五十人程度の兵ならば、エースティンとシェルヴェンに掛かれば蹴散らせなくもないだろう。

 だが、エースティンは歩みを速めることを選択した。

 山に入れば引き返す連中を、あえて殺す必要もないだろうと思ったようだ。


「若様、いささか強行軍になるが、体は持つだろうか」

「無用の心配だ、エースティン。ヘルシンヴァル人はこれくらいのことで音を上げない」


 強情なイーヴァルに、エースティンは僅かに顔をほころばせた。

 まだ若いと思ったか。

 イーヴァルは口を尖らせたが、文句は言わなかった。

 エースティンは自分の家臣ではない。

 義理で付き合ってくれている人間に、失礼はできまい。


 山道は路面が荒れており、出っ張った石や窪みもあちこちにあった。

 イーヴァルやアシュリンの馬は軽やかに路面に対応するが、それ以外の馬は速度が落ちる。

 追ってくる兵もそう速度は上がらないだろうが、一行に焦りを覚えさせるほど歩みは遅い。


 シェルヴェンが先行して危険な獣を排除しているが、それでも警戒は怠れなかった。

 緊張からか、アシュリンとヒルダの疲労の色が濃くなってくる。

 エースティンは、こまめに休憩を入れた。

 それに対してマクニールが不安を覗かせたが、イーヴァルはこれでいいと思った。

 追われる者は、焦るあまり自滅することが多い。

 だが、エースティンはきちんと体力を計算して進んでいる。

 ソルサ卿が何も言わないのは、エースティンの判断が正しいからだ。


「エースティン、この先に飛竜(ワイバーン)がいます」


 先行していたシェルヴェンが戻ってくる。

 その報告を聞いたエースティンが、微かに眉をひそめた。

 飛竜(ワイバーン)は危険な魔獣だ。

 狼や熊とは、危険度の格が違う。

 シェルヴェンといえど、一人では排除できなかったのだろう。


「五十人の兵と飛竜(ワイバーン)。なかなか楽はさせてもらえませんね」


 ソルサ卿がそれほど危険そうでもないように呟く。

 やはり、彼もヘルシンヴァル人なのだ。

 豪胆で戦いを好む。

 フルンディル人よりも、こういう生死の狭間のような状況に慣れているのだろう。


「マクニール、若君と王女殿下を頼みますよ」


 そう言うと、ソルサ卿は槍を構えた。

 エースティンはソルサ卿を見つめたまま暫く思案したが、軽く肩をすくめてシェルヴェンに視線を移した。

 半精霊(ハルヴァイン)は、整った顔に面白そうな表情を浮かべている。

 この才覚ある半精霊(ハルヴァイン)は、自分が死ぬことなど考えてはいないのだ。

 いざとなれば、自分の身だけは何とでもできるのだろう。


「言っておくが、飛竜(ワイバーン)は空を飛ぶぞ」


 諦めの表情でエースティンは言った。


「ヘルシンヴァル人に苦手はないんだ」


 イーヴァルは笑顔で返した。

「フルンディル王国戦記」を御愛読頂き、誠に有難うございます。

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