第十二話 星読の司
尖塔の都ベルガリスの王宮ケルグウィン城の一室に、数人の男女が集まっていた。
中央に座っているのは、二十代後半の女性である。
長い金髪の巻き毛をかき上げながら、顎を上げて高慢そうに卓についた男たちを俾睨した。
王妃シャーリーン・メルシャン。
アンダイル部族の雄、メルシャン公の三人の子の一人である。
「それで、ハンプフェン公の返事は?」
シャーリーンの視線は、兄のヒューバートに注がれていた。
同じ金の巻き毛の、よく似た兄妹である。
「タルソス部族の兵を集結させ、出陣させるのに一ヶ月はかかると言っていたな」
ヒューバートは衛兵隊長、すなわち王都の治安を守る責任者であったが、血の繋がりのせいか言葉遣いは親しげであった。
「予定通りね。クランリー侯、あの小娘の始末はどうなったかしら」
そう問われたのは、頭髪を剃った脂ぎった中年の男である。
マイルズ・クランリー。
司法長官として、また密偵の長として人々に恐れられる人物だ。
「ウィンニールでは、〈指〉が活動しにくいんですよ」
表情を変えず、クランリー侯は発言した。
「ですが、殿下はウィンニールを出発して南下しております。じきに捕捉できるかと」
「自分から巣穴を出てきたの? まだ宰相捕縛の知らせは耳にしていないはずよね」
「〈耳〉の知らせでは、熊人なる怪物が出たとか。インヴィルニスとグレイシャルが襲われ、壊滅したとの噂もあります」
「熊人? そんなお伽噺を信じたわけでもないわよね」
「──いずれにせよ、何らかの変事でウィンニールを出発したのは確かです。ウィンニール公の息子も同行しております」
その報告を聞き、王妃は愉快そうに笑い出した。
「ユールズベリ公を生かして捕らえる必要もなかったかしら。わざわざ向こうから飛び込んできてくれるなんてね。で、どのあたりまで南下してきているのかしら」
「東の海岸沿いに南下してきておりますので、そのうちタインからヨークバランに出没するかと」
「あら、残念ね。西を南下してくれば、父の領内を通ることになったでしょうに」
「しかし、タイン城伯は、メルシャン公の麾下ですな」
「そうね。有能な男だけれど──」
王妃は白い指を卓の上で重ね合わせ、軽く息を吐いた。
「でも、何を考えているのかわからないのよ。まあ、それでも〈鳩〉を送って王女を捕らえるように命じるべきかしらね、クランリー侯」
「では、そのように」
クランリー侯の抱える〈鳩〉なら、フルンディル王国中どこでも信書を送ることができる。
かつても国境の城塞、タインでも同じことだ。
「王妃殿下」
会話が途切れたところで、まだ若い男の声が割って入ってきた。
財務長官のオリヴァー・ネストレイ。
才知に長けた数字に強い男である。
「ハンプフェン公から、一万の軍の糧食を一年分集めるように言われておりますが、そうすべきでしょうか?」
「三ヶ月分で構わないわ。国庫に余裕がないことはわかっているのよ」
「兵站の計画はハンプフェン公にも提出せねばなりませんが──では数字を改竄し、公には一年分の計画を渡しておきます」
「そうしなさい」
ネストレイ侯は、能面のような表情で頷いた。
クランリー侯と同じく、ユールズベリ公と非常に近しい人物と見られていた彼が、王妃と通じているのはいささか違和感があった。
だが、この場にいる人間は、誰もそんなことは口にしなかった。
「近衛の掌握はできた。おれの命令が聞けないという者が二人いたが、始末しておいた。王宮内部は、制圧したと思ってもらって構わない」
卓の上に行儀悪く足を投げ出した格好のまま、ウルフヘル・イグリンクスが喋った。
この王国最強の騎士の態度は目に余るものがあったが、それを咎める者もまたいなかった。
ちょっとした気まぐれで、この男は誰であろうと斬り刻みかねなかったのだ。
狂犬ハーキュリーズ・ベルニスと並ぶ危険人物である。
「だが、ハンプフェン公に一万もの兵を与えていいのか? 下手をすると、ユールズベリ公の兵と一緒に北上してくるかもしれねえぞ」
「ハンプフェン公がユールズベリ公の軍を潰滅させるまで、こちらは動く予定はないわ」
「その後はどうするんだ?」
「用が済めば──」
口角が上がり、王妃は白い歯を見せた。
「消すだけよ」
ウルフヘル卿は天井を見上げると、大きな声で哄笑した。
「はっ、それでいい。その覚悟じゃねえとな。一度始めた以上、中途半端なところじゃ止められねえ。しっかり面倒見てくれよなあ」
「貴様の望みは全て叶えるわ、ウルフヘル。だから、命令通りになさい」
「くく、妃殿下がおれを失望させないうちは、命令通りにするさ」
ウルフヘル卿の哄笑に、ヒューバートは苦虫を噛み潰したような表情を作った。
クランリー侯とネストレイ侯のように、表情を消せないとことはまだ人間的なのであろうか。
「妃殿下、王女殿下と行動をともにしている少年は、殺さず捕らえるようにして頂けますか」
黒いフードをかぶった痩せた男が、初めて口を開いた。
ダグラス・リーガン。
占星術師として、王宮に仕える男である。
「ウィンニール公の息子よね? ヘルシンヴァル人への人質にはいいわね──でも、他に何かあるのかしら」
「イーヴァル・ウィンニール──大きな宿星を背負った少年です。ここで殺してしまうと、後々王国に災いが及ぶと出ています」
ダグラス・リーガンの低い声に、無表情だったクランリー侯の頬が僅かに動いた。
その表情の変化を、興味深そうにネストレイ侯が見ていた。
「そう。ならば、クランリー侯。〈鳩〉には、そのことも記載しなさい」
「かしこまりました、妃殿下」
密偵の長は、恭しく答えた。
それから、彼は占星術師に顔を向けると、疑問に思っていたことを尋ねた。
「ところで、リーガン殿。貴方の星読では、熊人について何か出ていますかな」
「──北で戦いが起こります。それは確かでしょう。ですが、熊人など──いまは神話の時代ではありませぬぞ」
「ほう、北で戦いが──それは、ヘルシンヴァル人が叛乱を起こすということですかな」
「王女殿下を殺し、公子を捕らえればウィンニール公とは戦いになります。当然の事態でしょう」
メルシャン公は、そのための備えをしているはずであった。
だから、ヘルシンヴァル人が叛旗を翻しても、問題はなかった。
アンダイル部族だけで、ヘルシンヴァル人を撃ち破ることはできる。
ヨークバラン公を動かせば、兵力で下回ることはない。
「では、安堵致しました。精霊の民やバトティビラ人が潰滅したとの噂も入っておりましたが──誤報でしょう。リーガン殿の星読が外れることなどありえない。──そうでしょう、リーガン殿」
「その通りですよ、クランリー侯」
刹那、クランリー侯とダグラス・リーガンが睨み合った。
だが、クランリー侯はすぐに目を逸らすと、椅子の背もたれに寄りかかってため息を吐いた。
占星術師はフードを更に深く下ろし顔を伏せると、薄く笑みを浮かべた。
「フルンディル王国戦記」を御愛読頂き、誠に有難うございます。
ページ下部から、ブックマーク、評価など頂ければ作者の励みになりますので、できましたらお願い致します。
(要ログインです)




