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第十一話 トリウスの塔

 尖塔の立ち並ぶ美しい街並み。

 フルンディル王国の王都ベルガリスには、北方の質実剛健な気風とは異なり、意匠にもかなり凝った優美な建築物が多い。

 王の住まうケルグウィン城も、イセン川のほとりに建てられた美しい宮殿であった。


 その美しい宮殿の一角に、ひとつだけ異様に無骨な塔があった。

 トリウスの塔。

 それは、高貴な犯罪者を閉じ込めるための牢獄である。

 窓もなく、全て塗り潰された壁と十階建ての高さ。

 最上階の牢獄からは、未だ抜け出した者はいない。


 暗闇の中、膝を抱えて座り込んでいたのは一人の老人であった。

 名を、エゼリック・ユールズベリという。

 先代と当代の王の宰相として名を馳せ、娘を当代の王に嫁がせた遣り手の政治家である。


 だが、長年辣腕を振るってきたこのしたたかな男が、いま生きて出た者はいないというこの監獄の中で寒さに震えていた。


 窓もなく、扉に設けられた僅かな隙間だけが外界との繋がりである。

 汗と糞尿と腐臭がたちこめる中、喉の渇きに耐えながらエゼリックは座っていた。


(なぜ、自分は閉じ込められたのか)


 エゼリックは宮殿の執務室で、近衛騎士団長のシャトランド伯と王女の暗殺事件の調査について話しているところに、いきなり襲撃を受けた。

 踏み込んできたのは、ウルフヘル・イグリンクスを筆頭とする近衛騎士五人である。

 ウルフヘル卿の無礼をシャトランド伯が咎めた瞬間、王国最強の騎士は近衛騎士団長を両断していた。

 そして、そのまま彼はこのトリウスの塔に投獄されたのだ。


(ウルフヘル卿の個人の判断でこのような暴挙はできまい)


 エゼリックの護衛に付いていたユールズベリ家の衛兵も、六人全てが殺されていた。

 王宮内でこんな事件を起こしたら、ウルフヘル卿が無事で済むはずがない。

 唯一、無事で済むとしたら、それは王の命令で動いていたときだけだ。


 だが、エゼリックには、信頼する近衛騎士団長を殺し、宰相を幽閉するだけの理由が王にあるのか、どうしてもわからなかった。

 メルシャン公なら、エゼリックを蹴落とすためにそれくらいはするかもしれない。

 しかし、国王はエゼリックが幼少時から教育してきた教え子である。

 こんな真似をするような男ではない。


 エゼリックの思考はまとまらなかった。

 痛め付けられるようなことはなかったが、空腹と喉の渇きがひどい。

 閉じ込められているだけで、訪れる者もいなかったのだ。


(アシュリンが王都にいなくてよかった)


 宰相は孫にあたる王女のことを思い浮かべた。

 彼女が毒殺されそうになったワインを贈ったのは、ウィンニール公である。

 だが、ワイン自体には毒は入ってなく、ゴブレットに塗られていたことがわかっていた。

 ウィンニール公を犯人に仕立て上げたかったのであろうが、ワインの瓶を回収しなかったのは手抜かりであろう。


 シャトランド伯の調査では、ゴブレットに毒を塗った侍女を送り込んだのは、司法長官であるクランリー侯だという話であった。

 クランリー侯はタルソス部族の由緒ある家柄で、国王の信任も厚い。

 エゼリックとも長い付き合いであり、友人として心を許してきた。

 そんなクランリー侯が、王女を暗殺しようとするなんてエゼリックには信じられなかった。

 だが、その話を聞いた直後にいきなりのこの捕縛である。

 どうなっているのか、全く理解できない。


 そのとき、飢えと渇きで朦朧としたエゼリックの意識の中に、廊下をゆっくりと近付いてくる足音が割って入ってきた。

 規則正しく刻まれた足音は牢獄の扉の前で止まり、そして解錠の音の後、扉が軋み始める。


「ご無事ですか、ユールズベリ公」


 暗闇に慣れたエゼリックには、眩しくて顔は判別できなかった。

 だが、聞き覚えのあるその声は、財務長官のオリヴァー・ネストレイ侯爵であることを示していた。


「来てくれたのか、オリヴァー」


 クランリー侯にせよ、ネストレイ侯にせよ、王は法服貴族はタルソス部族からしか選ばない。

 だが、宰相だけはタルソス部族以外から迎え入れていた。

 長年宰相の地位にいたエゼリックは多くのタルソス部族の法服貴族と交友を持っており、この若い財務長官もエゼリックが多くのことを教え込んだ生徒のようなものであった。


「なぜ、わしが捕らえられたのだ、オリヴァー。これは誰の命によるものだ」

「近衛に──ウルフヘル卿に命を出せるのは陛下だけですよ、ユールズベリ公。あなたは陛下に対する叛逆の罪を問われています」

「莫迦な。わしが陛下に叛逆するはずがなかろう。先王から託され、陛下を守ってきたのはわしだぞ」

「それを、邪魔に思われる方々がいらっしゃったのです」


 ネストレイ侯は後ろに控えた衛兵から水の入ったゴブレットを受けとると、老人に手渡した。

 エゼリックは震える手で受け取ると、貪るように喉に流し込んだ。

 氷のように冷えた水は、凍える身にはきつかった。

 だが、渇きには抗えない。


「クランリー侯は、あなたとシャトランド伯の動きを逐一掴んでいました。彼は司法長官、密偵の長です。王女殿下を害そうとしたことがばれたので、口を封じようと先手を打ってきました。あなたとシャトランド伯が叛逆を起こそうとしているという証人をでっち上げて、陛下を動かした」

「そんないい加減な証言で陛下が動くなど──ありえぬ」

「告発はクランリー侯、証言をしたのは王妃殿下と衛兵隊長、占星術師のダグラス・リーガンです」


 エゼリックは、挙げられた名前からようやく事件の裏が見えてきた気がした。

 王妃のシャーリーン・メルシャンは、アンダイル部族のメルシャン公の娘だ。

 衛兵隊長のヒューバート・メルシャンは、彼女の兄である。

 そして、占星術師のダグラス・リーガンは、聖神教ではなく精霊信仰の異教徒だ。


 いずれも、エゼリックと利害が合わぬ人物ばかりである。


「メルシャン公──アンダイル部族が関わっているのはまだわかる。異教徒の占星術師も同様だ。だが、なぜマイルズがそれに協力するのだ。マイルズは今まで常に、わしに正確な情報と助言をもたらしてくれたものを」


 司法長官のマイルズ・クランリーの裏切りが、エゼリックには最も不可解であった。

 彼はエゼリックと同様、先代から王国を支えてきた盟友だ。

 王女の暗殺を謀ったという話も信じられぬが、エゼリックとシャトランド伯に対する謀略はもっと理解できなかった。


「クランリー侯は、ダグラス・リーガンの星見の予言を信じたようですね」

「星見の予言だと?」


 エゼリックは唖然として萎えた足で立ち上がった。


「わしは異教の怪しげな妄言で捕まったのか」

「王女殿下が王国に禍をもたらすとか、そんな予言らしいですがね。北から来る王の娘が、王国を滅ぼす、と」

「それを聞いたマイルズが王女暗殺を計画し、アンダイルの権力拡大を目指すメルシャン公の一族が乗った──そういうことか?」

「恐らくはそうでしょう。そして、厄介なことに今では陛下ですらその話を信じておられる」


 エゼリックは足下が崩れ去るような思いにとらわれた。

 彼が人生をかけて作り上げてきた王国が、彼自身を裏切ったのだ。

 そして、なぜ自分がシャトランド伯のように殺されず、生かして捕らえられたのかも理解できた。


「わしは──アシュリンを誘き寄せる餌か」

「その通りです、ユールズベリ公」


 にこやかにネストレイ侯が笑った。

 その笑顔を見て、エゼリックはこの若き財務長官も敵の仲間であることを悟った。

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