雪よりも真っ白に染まっていくんだ。
ぎりぎり今年中に投稿できたので悔いはありません。
雪が降りそうなどんよりした天気。手袋をし忘れたしで冷えて赤くなった指先に息を吐く。白い息はふわ、と空気中に漂って消えていった。ホワイトクリスマスになったりしないかなぁ、なんて考えながら静かな通学路を歩く。
高校最後の冬は、いつもよりもずっと寒くて静かで、真っ白な世界だった。
「おはよう千夏~!」
「うわっ、苦しい」
席に座って過去問を解いているところだった。突然後ろから飛びついてきた私の親友は、私に抱きついたまま顔を覗き込んできて、へへっと笑う。さらさらのツインテールが揺れた。染めてるな、この茶髪は。
「驚いた? 驚いたでしょ?」
「驚いてなーい」
「嘘、驚いたでしょ、びくってなってたよ」
ねえねえ、驚いたでしょ~? としつこく言ってくるので、私はじっと相手と目を合わせて口を開いた。
「うるさいよ、桃香。あと、離して」
「ええ~? つれないなぁ、千夏は。そんなんじゃ彼氏できないよ? せっかく綺麗な顔してるのにさぁ、もったいない」
そう言って桃香は私の頬をつんつん。ああ、うざったい。桃香を自分から引きはがして、私は小さくため息をついた。
「彼氏なんかできなくていいの。そんなこと言って、桃香こそどうなの? こないだ言ってた彼氏の話、最近聞いてないけど」
「別れた!」
「え、早すぎ……一週間前でしょ、付き合い始めたの」
「だって~あの人すぐキスしてこようとするし~? あたしガツガツしてる人苦手なんだよね~」
彼女は人差し指を唇に当てて、大きなため息をつく。黙っていれば可愛いのに、本当にもったいない。
「ガツガツしてるのは桃香の方じゃないの……」
「ちょっと千夏、ひどいよ~。そんなことないもん、あたしは告白されて付き合ってるだけだし?」
だから大丈夫、となぜか誇らしげに胸を張る桃香は、やっぱり顔だけは可愛い。顔だけは。一生喋らなければいいと思う。
こんなに可愛らしい見た目なのに性格が残念すぎるので、女子からはあまり好かれていないらしい。その人たちの気持ちがすごく分かる。私ですら、なんで桃香と仲良くしているのか、たまに分からなくなるくらいだ。
「まあ、桃香のことは分かってるつもりだけど」
「うん? もちろんでしょ、千夏はあたしのこと大好きだもんね?」
「はいはい、大好きだよー」
「もっと心を込めて~!?」
千夏のバカ、いじわる! と桃香はツインテールを揺らしながら私の背中を叩く。地味に痛いのでやめてほしい。私は黙って過去問を解くのを再開した。
ずっと行きたいと思っていた国立大学の過去問。桃香と一緒に行くって約束もした。ずっと二人で目指してきた。これでどちらかだけ落ちたりなんてしたら、たまったものじゃない。だから頑張らなきゃ、桃香は英語を中心に勉強が得意だし、私だけが落ちることだって大いにあり得る。そんなの、絶対嫌だし。
桃香はいつもテンションが高くて鬱陶しいけれど、心優しい一面もある。私なんかよりずっと人に気遣いができるし、男漁りの癖さえ無くなれば普通にみんなと仲良くやっていけると思う。
だけど桃香にそう言わないのは、私が桃香を独占していたいと、桃香の友達は私だけでいいのだと思っているからなんだろう。ひどいことを考えているのは分かっている。だけどあの子が今更あの性格を直すなんてできないだろうし、そこまでして友達を増やしたいと思っているようには見えない。だからあの子には私が必要で、私にはあの子がいなきゃ――――と、そこまで考えて首をぶんぶん振った。落ち着け、今はそんなことを考えている場合じゃない。
「帰ろ、千夏!」
「うわ、びっくりした……いきなり声掛けないでよ」
「じゃあどうやって声かければいいの」
「……何でもない。帰ろっか」
立ち上がってリュックサックを背負う。桃香は満足そうに笑って「よぉし、いっこーう!」と拳を振り上げた。そのとき私は、いつも通りの桃香だと思っていた。だけど本当は違った、私は桃香のことを全部知っているつもりでいたけれど、それは大きな間違いだったんだ。
帰り道は雪が降っていた。少し積もっている。道理で寒いと思った。こんな日に限って手袋を忘れるなんてついてないなあ、と私はコートのポケットに手を突っ込む。
「千夏、あのね。あたし千夏に言わなきゃいけないことがあるんだ」
二人で並んで歩いていると、桃香は突然そう口にした。なんだかいつもと雰囲気が全然違うように感じて、私は身構える。なに、と聞き返す声が震えていた。
「この間三者面談があったじゃん? そのときに話し合ったんだけど、私留学することにしたんだよね」
「……は?」
嘘でしょ、って声が出そうになる。留学? 留学って、なに。一緒の大学に行くって話は?
信じられなくて、目の前が真っ白になった。なんで、なんで? なんで私に言ってくれなかったの、こんな時期まで。
「……冗談やめてよ、私たち一緒の大学行くって約束したじゃん」
息が詰まりそうになる。苦しい。雪が強くなってきて、手先が冷たくなっていく。
「千夏、それいつの話……そんなの、なんで覚えてたの」
「覚えてるに決まってるじゃん! 私は桃香と同じ学校に行くつもりでいたんだから、だから……必死に勉強して追いつかなきゃって。なんで? もっと早く言ってくれればこんな苦しい思いしなくて済んだのに!」
「あたしだって迷ってたんだよ、留学なんて簡単に出来るものじゃないし。決まるまではそんな軽々しく言ったりできないでしょ?」
仕方ないでしょ、と言うように桃香はそう告げた。全部全部私の思い違いだった、桃香は私と同じ大学に行くつもりなんてなかったんだ。
「最低」
「……はぁ、何それ。なんで千夏、そんなこと言うの。……もういいよ先に帰るから」
そう言って歩き出そうとする彼女が信じられなくて、今まで一緒に過ごしてきた時間も全部無かったことになってしまえばいいのに、と思った。
「なんで、なんでなんだよっ……!!」
ブラウンのコートの背中に雪を投げつける。ぱしゃ、と音がして、だけど彼女は振り返らなかった。
「ばか! ばーか! ……もう知らないよっ、どこにでも行っちゃえば!?」
自分でもびっくりするくらいの大声が出て、私は大きく息を吐く。白いのが出て、ああ、冬なんだなと思った。
「…………親友じゃなかったんだ」
吐き捨てるように小さく呟いたのが彼女に聞こえたかどうかは、分からなかった。
結局、あれから話はしていない。桃香も何も言ってこないし、だから私も声をかけられない。あんなに一緒にいることが楽しかったのに、こんなに呆気なく終わってしまうなんてなんだか信じられなかった。
留学、か。桃香が留学したかったなんて、聞いたことなかった。ずっと一緒だったのに、中学から仲良しだったのに。いつから考えていたのか、何の目的でそうすることに決めたのかも、私は知らない。
私、桃香のことなんにも知らなかったんだ。びっくりするくらいに。どこの国に行くのかも聞けなかった。でも、もういい。桃香なんて、知らない。
「千夏、最近あの子と話してないじゃん。えっと、誰だっけ」
「真田さんでしょ? 真田桃香」
「あ、そうそうその子。なに、喧嘩したの千夏?」
「もうあんなやつと関わるのやめときなよ、ろくな事ないって」
クラスメイトがそう声をかけてきた。前までなら桃香も悪い子じゃないし、とか庇っていたけど、さすがにもう庇う義理もないような気がした。
「……うん、そうだよね」
「やっと分かったの、千夏~? あ、そうだ今日ちょっとカフェ寄っていこうよ、千夏も来るでしょ?」
相手はにこにこ笑っていた。前までなら入試のためにって断っていただろう。だけどもう頑張る必要も無い、落ちたって構わない、滑り止めの私立大学に入ることができれば充分だ。
「うん、行こうかな」
ぎこちない笑みを浮かべると、クラスメイトの二人は高校生らしい笑顔でよし、行こう! と私を引っ張っていくのだった。
放課後、カフェで数人と話したりするのは久しぶりで、楽しかった。いつもは桃香と二人で行動していることが多いから、三人というのは自分にとっては新鮮だった。
「千夏~聞いてよ、コイツまた彼氏作ったんだって! 今月二人目だよ、やばくない?」
「えぇ、まあ……私からすればすごいと思うけど……」
そう答えながら、私は桃香のことを考えていた。桃香の方がもっとたくさん彼氏作ってたなあ、と。まあ桃香のやばさは尋常じゃないし、比べる方がおかしいかもしれないけど。
……ああ、またこうやって私、桃香のことを考えちゃう。気になって仕方ない。……当たり前だよね、ずっと一緒にいたんだから。気にならないわけない。一人で大丈夫かなって、心配になるに決まってる。なんで、なんで桃香は私に教えてくれなかったんだろう。なんで私はこんなに腹が立っているんだろう。桃香が決めたことだから応援してあげなきゃって思うのに、なのに。
「ごめん、私帰るわ」
「えっ、ちょ、ちょっと千夏!」
静止の声も聞かずに、私はカフェから飛び出した。あ、お金払ってなかったな、明日謝ってちゃんとお金返そう。冷静にそんなことを考えながら私は走る。なんで走ってるんだろう、どこに向かってるんだろう。分かんないけど、なんでだろう、足が勝手に動くのは。
「桃香!」
大声で叫んで、目の前のブラウンのコートが風で揺れた。いつものツインテール。
「……千夏」
「ごめん、ごめんね私桃香にひどいこと言った」
駆け寄ると抱きついて、自分の瞳から涙が零れた。なんでこんな都合のいいタイミングで桃香がその辺を歩いてるんだろう。見つからなければ、会えなければこんな気持ちになったりしなかったのに。もう二度と会わなきゃよかったのに。
「千夏が謝ることないよ……あたしが、すぐに言わなかったからだもん」
「……ほんとだよ。なんですぐ言わないんだよ」
「だから、ごめんって」
桃香の笑顔を見て、私も笑った。花びらみたいに、雪が降った。