第五十二話 少し寂しいようですが
俺の朝は──普通だ。少しだけ早起きの一般労働者が目を覚ます程度の頃合いに寝床を出る。ちなみに、上も下も素っ裸である。
背後を向けば、大きめなベッドで角を生やしたキュネイと、狐耳を生やしたミカゲがすやすやと寝息を立てている。毛布で隠れているがその下にある躰はやはり、二人とも一糸纏わぬ裸体だ。
そうでありながら、毛布をこれでもかというほどに押し上げている、二対四つの大山脈。直接は見えなくとも、逆にそれが男の欲望を掻き立ててやまないだろう。
俺も色々と我慢ならなくなってくるので、惜しむ気持ちはありながらも目を引き剥がした。
ミカゲがこの診療所に居候するようになってから、かなりの頻度で俺たちは三人一緒のベッドで寝るようになった。
若い男女が三人一緒に寝ててナニが起こるかは……ご想像にお任せしよう。
「昨晩はおたのしみでしたね……いや、正確には昨晩もだろうけど。やぁ、若いっていいなぁ」
「おっさんくさいぞグラム」
壁に立てかけてあるグラムが発した朝の第一声に、俺は投げやりに言葉を返す。まだ彼女たちは寝ているからか、グラムの声は念話ではなく実体が伴っていた。
「それにしても、相棒も随分と逞しくなったもんだ」
ズボンに足を通したところで、グラムが感心したように声を発した。
「出会った頃に比べりゃ見違えるわな。ガッチガチのマッチョになったつーよりかは、余計な部分が削ぎ落とされて筋肉に変換された感じだ」
「そうか?」
自身の躰を省みる。確かに、村を出た直後に比べれば相当に腕力は上がったとは思っていたが、言われてみて改めて己の躰をみると、確かにグラムの指摘通り以前よりもずっと、躰の各所に筋肉が付いていた。
「自分じゃ案外わからねぇもんだからな。ま、そうなるように俺が導いたんだけどよ」
なにそれ初耳なんですけど。
俺の知らないところで俺の躰がグラムによって弄られていたらしい。やっぱりこいつは呪いの武器なのだろうか。
「物騒なことはやってねぇよ。ただ、相棒が気づかない程度に常日頃から重量増加で俺の重さを調整してただけさ」
つまり、俺の筋力が上がったらそれだけ重量増加を行い、俺が以前と変わらぬ重量を感じる程度に重さを増やしていたのだ。
「……全然気がつかなかったぞ」
「そりゃ気づかれないようにやってたからな」
俺の筋力増加だけではなく、武器の使い勝手を一定に保つための措置でもあったらしい。
「ま、おかげで夜に女二人を相手にしても遅れをとらない程度には体力がついただろ。感謝してくれてもいいんだぜ?」
「やかましい。ほら、いい加減に黙ってろ。二人が起きちまうよ」
「へいへい」と気の無い返事をするグラムに嘆息した俺だったが、上着を取ろうとしたところでふと己の胸元に視線がいく。
以前に比べて厚みを増した胸板……ではなく、首からぶら下げたペンダント──鎖を通した指輪に目が止まった。
俺は何気なくそれを手のひらに乗せた。
脳裏に浮かんだのは夕日に照らされた夕焼けよりも鮮やかな紅の髪。そして、美しい少女の笑み。
──俺はあの日、一人の少女に恋をした。
一目惚れだったのだ。
生まれて初めて、俺は本気で誰かを好きになった。
この王都に来た日に起こった邂逅。
時折、あの日の出来事は嘘だったのではと思うことがある。あまりにも出来すぎていると。けれども、この指輪を見るたびに紛れもない現実であったことを再認識する。
形として残ったのは、指輪だけだ。
相手の素性も立場も名前も、何もわからない。けれども、深く調べようとする気にはならなかった。
大切なのは、心の底から楽しいと思えたあの瞬間と、俺の中に刻み込まれたあの少女の笑み。
「……未練がましいよな」
互いに承知していたはずだ。
本来であるはずならば別の世界にいるような、決して交わるはずのなかった線が奇跡的にも巡り合っただけなの出会いだと。
だからこそ、俺は彼女に問わなかった。彼女も俺に何も言わなかった。言葉を募れば募るほど、別れを惜しむ気持ちが強くなってしまうから。
なのに……あの時の気持ちが今もなお色褪せない。
キュネイとミカゲ。彼女たちへの想いは本物だ。これは断言できる。双方ともに、俺にとってはもはやなくてはならない存在だ。
そうでありながら、俺は未だにあの紅髪の少女に想いを抱いている。我ながら気が多いと反省する次第だ。
今の状態で彼女に会えば──おそらく失望されるに違いない。
「そりゃそうだよ。不誠実極まりねぇ」
普通は男が複数の『相手』と関係を持っていたら、女性は良い気持ちを抱かないだろう。
淫魔であるキュネイの感性が特別であり、それを受け入れたミカゲの柔軟性があってこそ、今の俺たちの関係が成り立っているのだ。
それがわかっているからこそ──この想いが叶わぬと知っていた。
いずれ、この想いは青春の一幕として時とともに薄れていくのだろう。
それが少しだけ……寂しかった。




