第三十二話 天職だったようですが
見ているこちらも蕩けそうになるような甘い顔をしていたキュネイだったが、途中でハッと我に返ったようだ。急激に顔を赤らめると、逃げ込むようにベッドの中に潜り込んでしまった。
──それから少しの時間が経過。
「えっと、もう大丈夫なのか?」
「うん……大変お見苦しいところをお見せしました」
「そっか。まぁ、茶でも飲めや」
「ありがとうございます……」
テーブルの対面に据わるキュネイの前に、俺は淹れ立ての茶を置いた。勝手知ったる他人の家とばかりに、何度もお世話になっているので茶器の位置は覚えていた。見よう見まねで淹れたので味は保証できないが、場の繋ぎにはなるだろう。
キュネイは先程までとは違って、いつもの扇情的な服の上に白衣を纏った格好。裸には慣れているが、さすがに〝素っ裸〟では落ち着きが無いと言うことらしい。
俺としても真面目な話をするときに裸でいられると、嬉しくはあるが彼女の胸元に目が行きすぎてちゃんと会話に集中できる自信が無い。今でも十分にちらちらと視線がそちらに吸い寄せられるしな。
俺の淹れたお茶もどきを啜り、ホッと一息をついたキュネイが、茶器を手で弄りながら上目遣いでこちらを窺う。
「……ごめんなさいね。ちょっと感極まりすぎて抑えがきかなくなって、その……キスまで」
「おおぉう」
改めて言葉にされると口付けと告白を思いだし、俺まで悶えてしまいそうだ。
口から妙な声が出てしまったが、その上で俺は正直な気持ちを伝えた。
「……いきなりなのは驚いたけど、『好き』って言ってくれたのは間違いなく嬉しかったから……謝るなよ」
「はうっ」
「きゅ、キュネイ?」
キュネイは左胸に手を当てて俯き、何かを堪えるように肩をぷるぷると震わせた。
「こ、この子はどうしてこうも無自覚に…………将来が恐ろしすぎるわ」
「いきなり恐れられた!?」
唐突に恐れられて俺はギョッとなった。
少しの間を置き、またお茶を口を含み喉を潤してからキュネイはゆっくりと話し始めた。
「改めて──無事で良かったわユキナ君。あなたが目覚めてくれて本当に嬉しい」
「礼はこちらの台詞だキュネイ。俺が考えていたよりも遙かにヤバい状態だったらしいな。助けてくれてありがとよ」
互いに落ち着きを取り戻したようで、俺たちは揃って笑みを浮かべた。
それから、キュネイは不安げな表情になる。それだけで、俺がこの先に彼女の口から出てくる言葉に察しがついた。
「ねぇユキナ君。もう一度聞くんだけど、この角本当に気にならない?」
キュネイは己の頭から生えている角に触れた。
「俺としちゃぁ、獣人の耳や尻尾と大差ないと思うけどな」
厳密には別物であろうが、少なくとも俺にとってはその程度の認識でしか無い。
「良かった……」
特に深く考えた答えでは無かったのに、キュネイは心底ホッとしたように胸を撫で下ろした。
確かに、獣耳が生えた人間の話はよく聞いても、角が生えている人間の話は聞いたことが無いな。
「……詳しく聞いて良いのか?」
「ええ。むしろ、あなたには聞いて欲しいわ」
キュネイはゆっくりと深呼吸をすると、意を決した表情になった。俺にとってはそれ程では無くとも、キュネイ自身にとっては非常の重苦しい事実なのだろう。その事が表情から窺えた。
「私はね……おそらく淫魔と呼ばれている存在よ」
「おそらく?」
「幸か不幸なのか判断できないけど、私と同じように頭から角が生えた人なんて見たこと無いの。だからこれは、古い文献を頼りに〝そうであろう〟という怪物の名を借りてるだけだの。実際のところは私自身にもよく分からない」
「……そもそも、サキュバスってなにさ?」
「知らなくても不思議では無いものね。何せ伝説上に存在する化け物なんだから」
──淫魔とは、男を惑わせてその精気を吸い取り、挙げ句の果てには死に追いやってしまう『魔族』の一種。
キュネイの口から語られた内容を聞いてから、俺は言った。
「魔族って確か──」
「そう、魔王の眷属よ」
こればかりは俺も驚いた。
『魔族』の名前は魔王に関連するお伽噺によく出てくるので俺も知っている。
キュネイの言うとおり魔王の配下──つまりは眷属として付き従い、世界に災厄をもたらす存在として語られている。そんな者たちの名前を彼女の口から聞くとは思っても見なかった。
魔族の多くは過去の勇者によって討滅されており、魔王が倒されたのを機に世界から姿を眩ませている。実在こそ疑われていないものの、その実態を記すのは古い文献のみだ。一般市民にとっては子供の頃に聞かされるお伽噺が数少ない情報源である。
「私も実際に淫魔を私は見たことが無いから、正確なところはよく分からない。でも私が調べた限りでは、私は淫魔の持つ特徴と酷似した能力を持っているのよ」
魔族と言っても多種多様ではあるらしいが、一番の特徴は人間では持ち得ないような特殊な力を有していることが挙げられる。
──淫魔という魔族が持つ能力。
「あ、それってさっき言ってた」
「人の精気を吸い取る能力。私にもその力がある」
文献で語られている淫魔は男性の精気を吸い取ることに焦点が当てられているが、キュネイの場合は男女隔てなく精気を吸い取ることができるのだという。
「ねぇ、ユキナ君も疑問に思っていたんじゃ無い? それなりの腕がある回復魔法の使い手であり、医者でもある私が娼婦なんて躯を売る仕事をしていることに」
「そりゃぁ、まぁ多少なりともな」
「私が娼婦をしている理由が〝これ〟なのよ」
精気を吸い取る『吸精』行為は淫魔の持って生まれた能力であると同時に、その存在を維持するための食事でもあったのだ。
「淫魔は定期的に吸精を行わなければいずれは衰弱して死に至る。そして吸精が最も効率的に行えるのが──性行為なの」
なるほど。娼婦というのはある意味、自然とエロいことができる職業だからな。やむを得ずといった面もあるのだろう。
「変な話だけど、淫魔としての男の人を喜ばせる方法は本能の部分で理解できていたみたい。王都に来る前にも色々な村や町で娼婦をしてたけど、どの場所でもしばらくすれば引く手数多になったわ」
「娼婦が引く手数多というのも、自慢にならないけど」とキュネイは苦笑した。
失礼かも知れないが、淫魔のキュネイにとって娼婦という職業は天職だったのだ。




