第二十五話 雄叫びが聞こえたのですが
「さて、少し話し込んじまったが、体力はどうだ?」
「十分に回復したよ。今までの話を聞いてたら一分一秒でもここから逃げ出したくなった」
今の俺は犬頭人の餌場にいるのにも等しい。先ほど来た以上の数に同時に襲われたら今度こそ危うい。俺は槍を支えにして立ち上がった。いつ襲われても迎え撃てるように手に携えたままだ。
グラムの説明を聞いていて気がついたことがあった。
「なぁグラム。もしかして厄獣暴走が起きたのって俺のせいか?」
俺がこの森で狩ったビックラットの数は相当な量に上る。異常、と言っていいほどだろう。
厄獣暴走が厄獣の食糧難を発端にするなら、その一端を担っているのは間違い無く俺だ。
「いんや、そうとも限らねぇ」
ところが、グラムの答えは俺の予想に反していた。
「確かに、そう遠くないうちに厄獣暴走は起こるとは踏んでた。けど、相棒の介入があったとはいえこんなに急激に状況が悪化するはずがねぇ。おそらくは……」
──オォォォォォォォォォォォォォォッッッ!!
グラムの言葉を遮るように、森の奥から雄叫びが轟いてきた。そのあまりの音は衝撃すら伴っていそうで、草葉がざわざわと揺れた。
「おっと、噂をすればなんとやらだ」
「おい、今のは──」
「説明は後だ。それよりも逃げるぞ相棒。『アレ』は今の相棒の手には余る。何事も命あってもの物種だからな」
今の雄叫びを耳にした瞬間、心臓を鷲掴みにされたような気分になった。俺の純粋な生物としての部分が警鐘を鳴らしているのだろう。
グラムの言うとおり、一刻も早くこの場から離れた方が身のためだ。
身のため──なのだが。
「……ちょっとまて、あっちって確か」
俺は雄叫びが聞こえてきた方角に目を向けた。
『私はもう行くわ。こんなところで手間を掛けていたら日が暮れてしまうもの』
脳裏に、最後に交わした会話が蘇る。彼女はその後、まさにあの方角へと進んでいったでは無いか。
俺はここで彼女が漏らした『調査』という単語を思い出してハッとなる。
「もしかして銀閃の依頼って」
「こんな森の中に二級の傭兵が出張ってくる依頼だ。十中八九、厄獣暴走の兆候を調査しに来たんだろうさ」
俺は森の奥を睨むように見据えた。
「やめとけ。あの雄叫びの主は、下位の傭兵じゃ手に余る。万が一に備えて腕利きの二級傭兵を派遣した組合の判断は正しい」
「……………………」
「って、ちょっと相棒!?」
俺は森の奥へ──雄叫びが聞こえた方角へと走り出していた。
「今の聞いてたのか相棒!! 下位の──傭兵になりたての相棒が行っても骨まで美味しく頂かれるだけだぞ! 引き返せ!!」
グラムの必死の声が聞こえてくるも、俺の胸中に渦巻く〝衝動〟がその全てを撥ね除け足を急がせた。
「────っ、これは」
俺が〝そこ〟に辿り着くと、まず初めに大量の犬頭人が目に飛び込んできた。
その渦中には予想通りに狐耳の獣人──銀閃の姿。彼女の周囲には躯を両断された犬頭人が打ち捨てられている。
そして、その彼女の側に俺の予想を遙かに超える存在がいた。
単純に外見だけを鑑みれば犬頭人そのもの。ただ、犬頭人が人間の半分程度の大きさとすると、銀閃と対峙している犬頭人は彼女よりも遥かに巨大であった。
「『犬頭王』……やっぱりいやがったか」
グラムは納得するようにつぶやいていた。
「さっきも言ったが、俺ぁ厄獣暴走が本格化するのはもっと後だと踏んでた。相棒が犬頭人の食料であるビックラットを減らしていたとしてもな。だからもうこの森で少し粘れると思ってんだが……」
「けど、実際に起こってるわけで」
「その原因があのデカブツだ」
コボルトキングは犬頭人の極稀に、群れの中に突然生まれ落ちる特別変異種。
通常の犬頭人に比べて遙かに巨大で強大な力を秘めており、生まれ落ちた瞬間にその群れの『王』となる。
他の個体を遥かに上回る巨体に成長することもそうだが、何よりも脅威的なのは異常とも呼ぶべき繁殖能力だ。
「犬頭人の交配は、妊娠から出産まではおよそ三ヶ月。けど、あのコボルトキングと交わった雌は、妊娠してから僅か一ヶ月足らずで出産にまで至る」
つまり、平時と比べて三倍のペースで繁殖が行われるということだ。
その三倍のペースで増える犬頭人の幼体を許容できる餌がこの森の中に溢れていたことがこの事態を招いた。
「下手をするなよ相棒。犬頭人ならともかくあのデカブツに目を付けられたら今の相棒じゃ確実にお陀仏だからな」
「………………奴さんら。隠れてるとはいえ俺らの方に見向きもしねぇな」
「銀閃がぶちまけた犬頭人の血臭で鼻が馬鹿になってるのと、銀閃そのものに意識が集中してるからだろうな。物陰から窺うには好都合だ」
数の上では明らかに勝っている犬頭人が中央の両者を見守るようにして動かない。果敢に攻めた先方が即座に物言わぬ亡骸に成り果てる様を見て、空腹や敵愾心よりも恐怖心が勝ったのだろう。
それにしても、厄獣と相対しているのにどうして銀閃は剣を抜いて無いんだろうか。あの美しい細身の剣は今は腰の鞘に収まっている。彼女は剣の柄に手を置いているだけだ。
草陰に隠れて状況を窺っていると、コボルトキングが動き出した。
先ほど聞いたような雄叫びを発すると、巨体に見合った鋭い爪を備えた腕を振るう。
銀閃は特に焦った様子も無く軽く横に移動して腕の縦一線を回避する。空を切った腕はそのまま地面に追突し、激しく土埃を巻き散らす。爪は深々と大地に突き刺さっており、その鋭さを物語っていた。
厄獣の攻撃を避けた銀閃。
その側で銀の光が一瞬だけ閃いた。
次の瞬間、コボルトキングの腕から血飛沫が待った。よく見ると、腕の半ばに一直線の傷跡が穿たれていた。




