第二百三十一話 切なる願い
「ここは一つ、胸の内を明かしちゃぁどうだい。親しい仲でこそ話しにくい内容ってのもあるだろうし、逆にそうでない相手には口が軽くなることもあるだろうよ」
「あなたに弱みを晒すようで癪ではありますが……確かにその通りなのかもしれません」
──そこからミカゲは、ロウザが来訪する以前から内包していた惑いも含めて、胸中にあるものをリードに語った。ユキナの成長、己の停滞。そこに加えてロウザが現れて、間接的にユキナたちを己の事情に巻き込んでしまった気負い。
一通りを話し終えた後、ミカゲはリードに向けて力無く笑いかけた。
「ユキナ様の成長は著しい。傭兵になられてからわずかな期間で三級。そして二級への昇進が打診されています」
「お、そうなのか。さすがは俺が惚れた男だ」
「なればこそ、己の身を顧みてしまうのですよ」
ユキナと出会ってから己も多少なりとも腕を磨いたという自負はある。しかし、ユキナの歩みに比べれば遅々としたもの。いずれは背を追いかけ、それも見えなくなってしまうのではないか。
「私は心の底からユキナ様をお慕いしている。その上であの方と肩を並べて戦いたい。同じものを見て同じものを聞き、同じものを感じていきたい」
今のミカゲには、同じ男性を慕い、共に支え合い喜びを分かち合える仲間がいる。だが彼女たちはそれぞれの分野でユキナに不足している部分を十分以上に支えているし、彼もそれを心強さを抱いている。
そんな彼女たちを羨ましく思い、まるで一人だけ取り残されたような感覚が襲ってくるのだ。
「…………ここに至り、あなたの単純さが羨ましくなってきました」
「それって遠回しに馬鹿にしてねぇか?」
「普段であればそうでしょう。ですが、今は違います」
ユキナもリードも、己の願いに真っ直ぐだ。形は違えど、胸の奥にあるものの為になら、躊躇もなく全てを懸けて駆け出してしまう在り方が、とても輝いて見えるのだ──それこそ目が眩んでしまうほどに。
「本当に変わったなお前。そこまで深い付き合いじゃぁ無かったが、俺と初めて会った頃のお前だったら、こんなことで迷いもしなかったろうに」
以前のミカゲはただ主に支える一振りの剣であれば良いと考えていた。だが今は、剣を捧げるとと共に、女としても愛し愛されたいと願っている。
「兄にも似たような事を言われましたよ」
きっと良い方にも……そして悪い方にも変わってしまったのだと、ミカゲは感じていた。
このような後ろめたさを抱いたまま、ユキナと──仲間たちと一緒にいていいのだろうか。
「私に、ユキナ様と共にある資格があるのだろうか」
これなら一層のこと、私情を全て廃し、以前の主であるロウザについて行った方が良いのではとさえ考えてしまう。兄と同じように、命ぜられるままに振るう剣として。たとえ剣を捨てる事になってしまおうとも、主君の心に従う方が正しいのではないか。
そうした考えを心の片隅に抱いてしまう事に、強烈な罪悪感すら抱いてしまうのに。
「……誰かと一緒にいたいって気持ちに、資格ってぇのは必要なのかねぇ」
「うーん」と、リードはいまいちぴんと来ないとばかりに頭を掻いた。無神経とも取れる呟きは、どうしてかミカゲの鬱屈していた心にスルリと入り込んだ。
「お前、俺のことを単純つったよな。ぶっちゃけ、これでも色々と考えては動いてんだぜ。団員のこととか、仕事のこととかな。けど、根っこの部分は確かにその通りだ」
──欲しい物があれば手にいれる。
──誰かのものであれば力づくで奪い取る。
リードの行動理念はこれに尽きていた。
改めて聞かされたミカゲは呆れ果てる。
「……つくづく疑問に思うのですが、どうしてあなたが犯罪者として捕まらないのか、不思議で仕方がありません」
「そりゃぁお前。手に入れるにしても奪うにしても、手段はまぁまぁ選んできたからな。最終的に、こいつが出張ることも多々あるが」
リードは腰に刺している蛇腹剣に手を置いた。彼女の蛇腹剣がユキナの持つ黒槍に関わりがある物だとは、両者の反応からしてミカゲも察していた。
そしておそらくは、ロウザの持つ蒼錫杖もだ。
「傭兵って職がなかったら、今頃は山奥で砦でも構えてたかもしれねぇな」
軽く言うリードであったが、ミカゲにはあながち冗談には聞こえなかった。時代が違えば、もしかすれば大盗賊の親玉に成り果てても不思議ではなかった。
「って、俺のことはこの際どうだっていいんだよ。肝心なのはお前の根っこだ」
「私の……根?」
「これだけは譲れない。こいつだけは絶対に手放せないって欲望だ」
リードはミカゲの胸元を指で突く。
「迷いだの悩みだのはあろうが、欲望が定まってりゃぁこまけぇ事は気になんねぇもんだよ。少なくとも俺はそうだ」
欲しい物ができたら、その為に全力を尽くす。欲しいと願った己の気持ちは決して揺れ動いたりはしない。リードにとっての根とは、この『強欲』に他ならなかった。
「形は違うだろうけどユキナだってそうだ。何せ、俺の本気を真正面からぶっ飛ばすほどの我儘野郎だからな。……そういうところに惚れちまったんだが」
語るリードは、恥ずかしげに赤らんだ頬を掻いた。その気持ちを、ミカゲは痛いほどに理解できていた。彼女もユキナの鮮烈な在り方に惚れ込んだ一人なのだ。
「……私は──」
己よりも遥かに強大な敵を前に、大義も利益もなく。
傷を負い打ちのめされながらも、ただただ自身の心意気を貫く為に立ち塞がった。
立ち上がることを『選択』した。
その後ろ姿にミカゲは憧憬を抱いた。
──この『英雄』の行末を見てみたい、と。
「あ────」
ミカゲは不意に、己が涙を溢している事に気がついた。
胸中にある『切望』が、幾重にも絡まっていた苛立ちや不快感を溶かし、雫として目尻からこぼれ落ちるように。その奥底に潜んでいた切なる願いが溢れ出していく。
「どうして……私は……ずっと忘れて……」
自身の胸を掻き抱きながら、ミカゲは声を殺しながらも涙を溢し続ける。
「こんなに……簡単な……事……だったのに……私は……大馬鹿者だ……」
「──見つかったみたいだな。お前の大事な『欲』ってのが」
リードは苦笑しながら、泣き続けるミカゲの隣を見守っていた。
──どれほどそうしていた事だろうか。
やがて溢れる涙も枯れた頃、赤くなった目元を擦りながらミカゲが口を開いた。
「みっともないところをお見せしました」
「傭兵のよしみだ。この事は他の連中には黙っててやるよ」
「お願いします」
短く述べてから、ミカゲは腰の剣に手を添えながら腰を持ち上げた。その立ち姿には、美しさすら宿る力強さがあった。心身ともに、揺るぎない『芯』がある証左だ。
「ユキナたちのところに戻るのかい?」
「その前に一つ、所用が出来ました。興味があるなら、あなたもついてきなさい」
返事も待たずに歩き出すミカゲに、リードはやれやれと肩を竦めてから後を追った。少し前までは泣きじゃくっていた癖にと思わなくないが、その辺りは指摘しないのはリードなりの気遣いであった。
「んで、どこにいくんだ」
「ユキナ様が懇意にされている武具屋です。──以前に少しだけ申されていた『アレ』が、まだ残っていれば良いのですが」
道を進むミカゲの歩みにはもう迷いはなかった。