第二百三十話 るんるん気分で来たらしい
ユキナとロウザの『決闘』まで残り二日と迫る中、ミカゲは一人で公園のベンチに腰を下ろしていた。単独行動自体が良くないのは重々承知していたが、今はユキナたちと顔を合わせるのがどうしても躊躇われていた。
「……私は一体、何をしているのでしょうね」
王都に住まう者たちの憩いの場でありながら、ミカゲは自嘲の笑みを漏らした。剣を振るえば発散できると思っていた胸中は、二日も三日も疲れ果てるまで続けても晴れることはなかった。もはや剣を握る気すら起きずに今はただ、公園の片隅で項垂れるだけである。
「ここまで最悪の気分は──婚約の話を出された時以来ですか」
状況は違うし心境も別物。ただし、胸の中の荒れ模様については近しいものがあった
兄と共に剣の腕を磨き、やがては将軍となるロウザの護身の剣となると思っていた。それがある時に、急に婚約の話を下され、花嫁修行だのと。磨いてきた剣術は邪魔だのと言われ、己が培ってきたものを丸ごと否定されたように感じられた。
将軍に支えることができないのであれば、これまで研鑽を積み重ねて身に宿した剣術はなんだったのか。内心が荒む中で、ふと耳にしたのが異国に現れると言う『勇者』の逸話。鍛えた剣術を捧げる相手はもうこれしかないと、気がつけば身支度を整えて国を飛び出していた。
ミカゲにとってはすでにサンモトの全ては過去の話となりかけていた。
それが今更に、自分を追ってきたのである。
「聞いてた以上に湿気った面ァしてんな銀閃」
果てない思考の渦に囚われそうになっていたミカゲを現実に引き戻したのは、聞き覚えのある声。何も知らなければ男の声に、だが人となりを知れば女性であるとわかる声にハッとなったミカゲが顔を上げれば
「おっと、これからは肩を並べるんだし。ミカゲって呼んだ方が良いか」
「リード!? いつ王都に!?」
「つい先刻だよ」
ユーバレスとで別れた二級傭兵『蹂躙のリード』その人であった。依頼が終わり次第に王都に来ると言う話であったが、今の今まですっかり忘れていた。
「……ったく、面倒だった豚の移送が終わって、やぁっと愛しのユキナに会えるってるんるん気分で王都にきてみりゃ、聞いてた診療所が壊れてんだもんよ。吃驚したぜ」
隣国の政府機関に悪徳商人の引き渡しを終えて、意気揚々にアークス王都にやってきたリード。あらかじめ教わっていたキュネイの診療所に足を運んでみれば、まさかの半壊休業状態。すでに工事は始まっており、作業員に話を聞いてみるが深い事情はわからず、だが傭兵組合から回ってきた仕事であるのは聞き出す事ができた。
「そこから組合に顔を通したり、カランっておっさんから事情を聞いたりと、息をつく暇もねぇんだからまったくよぉ」
曲がりなりにもリードは傭兵の中でも上澄である二級傭兵だ。他国で活躍していた彼女がやってきたとあらば、幹部が対応するのも頷ける。もっとも、ユキナの口からユーバレスとの一件も伝わっていたのもあるのだろうが。
「おっさんから場所を聞いて、ここに来る前にユキナたちが泊まってる宿にも顔は出してきた。一応、姫さんから事情は聞いてる。おっと、今のお姫様ポジションはお前さんだったか」
ミカゲを賭けた戦いについても伝わっているようで。愉快げに忍び笑いをするリードであったが、ミカゲの顔に険しさが混ざり目を背ける。
「揶揄いに来たのであれば帰ってください。あいにくと、あなたの相手をしていらるほど今の私には余裕がありませんので」
「そうつんけんするなよ。これでもユキナに頼まれてんだから」
「ユキナ様が? ──いえ、当然ですか」
毎晩に宿に帰ってはいるものの、それ以外の時間はほとんど一人で過ごしている。己が狙われている自覚はあり本当はよろしくないと分かっていながら、今はユキナたちと顔を合わせるのが気まずく居た堪れないのだ。
ミカゲは、己が仲間を守るための剣であり盾と自負していた。だが今は、己が仲間たちを危機にさらした原因を作っている。たとえ間接的であろうとも、その自責が彼女を苛んでた。
同時に、そんな自分をユキナが気遣わないはずがない。あえて積極的に触れてこないのは、ミカゲにとってむしろ重荷になると分かっているからだ。
「よくココが分かりましたね。ユキナ様たちにも、別に居場所は伝えていないのですが」
「この国じゃぁ獣人は少数だからな。おまけに、独特の服装を着た美人とくる。ちょいと人に聞けば簡単だよ」
リードは笑いながら、断りも入れず隣に腰を下ろした。 ミカゲも黙ってそれを受け入れる。
「俺はお前らの中じゃぁ新参だからな。こういう時には無神経に色々と聞けるってもんだ。あと、これから肩を並べる仲間を、ちょっと慰めるくらいの気持ちも一応はある」
「まったく、無遠慮なのかそうでないのか……」
「これでも傭兵団を率いてるんでね。そのあたりは結構気を遣ってんだよ、いつもな」
リード率いる傭兵団の人員は、傭兵の中でもさらに癖の強いものばかりだ。団長を慕っているものばかりではあるが、団員同士の諍いが起こることもある。そうした者たちの精神的配慮も団長たるリードの仕事である。
「つって、大体はゲンコツ喰らわせてお終いだけどな」
「少しだけした、私の感心を返してほしいのですが」
「お、ちょっとは調子が戻ったか?」
「……ええ、不本意ながら」
腕を組み憮然とするミカゲであったが、先程までよりは声に張りが戻っていた。非常に癪ではあるものの、リードとの会話がキッカケであるのは確かであった。