第二百二十九話 竜が踏んでも砕けないくらいには頑丈かもしれない
さすがにあのまま組合の執務室で始めるわけにもいかず、戦いは一週間後に場所を改めてということになった。加えて、寝床はロウザの宿から組合の息がかかった宿をカランが手配してくれた。事情があるだけに、宿泊費は幾分か割り引いてくれるとか。
なお、診療所の修繕についてはこの『立ち会い』には無関係ということで、改めて費用については負担する事をロウザが改めて宣言した。この辺りはやはり律儀というか真面目である。
「ちょっとらしくないんじゃない、ユキナくん。普段の君なら、ああした申し出とか断固として断るでしょうに」
しばらくの住居となった宿の部屋に映った俺に、腰に手を当てたキュネイが少しだけ不満を露わにした。実際、彼女のいうとおりだ。どんな形であろうとも、身内を賭けて戦うなんて真似は、いつもの俺なら受けるはずもなかった。
「悪いとは思ってるよ。こいつは本当だ。けど、ロウザたちがどのくらい本気かはお前も分かってんだろ。ああしなきゃ、俺もアイツも収まりが付かなかった。下手すりゃぁ、護衛衆とゲツヤをけし掛けられてた。となりゃぁ、さすがに俺たちだけじゃ相手に出来ねぇだろ」
「それはそうだけど……」
ロウザだってこんな手段は取りたくないはず。だからこそ、当初は順当に時間をかけて話し合いで片をつけようとしていた。
だが、状況がそれを許さなくなってしまった。
故郷の話をするロウザは、重たいものを背負っているのが嫌というほど伝わってきた。口だけのものではないのは、理屈ではなく直感でわかった。
信ずるもの、欲するものに違いはあれど、根は同じだ。
俺が見栄や名誉よりも、実利優先で動く時と同じだ。
本当に大事なものの為に、些細な拘りを捨てる。
胸の奥にある本当に譲れないものの為であれば手段を問わない。
そんな者同士が相対下とあらば、白黒はっきりつけなければ収まりきらないに決まってる。
リードの時のように、突発的にやり合うよりかは遥かにまだマシだと言えた。
「……でも、ミカゲの気持ちはどうなるのよ」
「………………」
「ユキナくんが負けたら、ミカゲはこの国から出ていっちゃうのよ?」
思考を引き戻したのは、キュネイの一言であった。非常に痛いところをつかれた俺は、顔に苦味が混ざるのを止められなかった。
当事者であるミカゲはこの部屋にはいない。一人で考えたいと出ていってしまった。状況的にあまり単独行動はよろしくないが、人気のない場所には行かないと言い残してそのままだ。
俺としても、勝手にロウザと取り決めをしてしまった手前、彼女と顔を合わせるのはどうにも気まずかった。
「ユキナくんがあんな決め方したら、ミカゲは従うしかないでしょうに。その辺りのこと、本当にわかってる?」
「やめてくれ。それ以上は俺のガラスのような心が軋みを上げる」
「竜が踏みつけてもびくともしないようなガラスね、それは」
「ちょっとひどくね!?」
『ま、あれだ。普段の行いがなんとやらだ』
俺の悲痛な声に、グラムの冷静なツッコミが返ってきてがくりと肩を落としてしまった。
どれだけ理屈を並べようとも、ミカゲの意思を無視して話を進めてしまった事実には変わりない。この辺りを突かれると、反論のしようもなかった。
「まったく──アイナちゃんからも何か言ってちょうだい」
キュネイに加えてここでアイナに理屈立てで責められたら、いよいよ泣いてしまいそうだ。咄嗟に「勘弁してくれ」と頼もうとキュネイと同時に目を向けるが、彼女からの反応はなかった。思い返すと、部屋に来てからというもの、彼女は無言だった。
今もアイナは小声を独り言を漏らしながらずっと思案を続けていた。
と、俺とキュネイから視線を向けられていたことに気がついたのか、はっと顔を上げたアイナはアワアワと慌てる。
「あっ、えっとその……何の話でしたか?」
「ユキナくんへの説教に加わってもらおうかと思ってたけど……」
「そ、それはまぁキュネイさんの気持ちもわかりますしユキナさんの考えもあって……」
考え事をしていても、一応は聞き耳を立ててはいたらしい。
説教を回避する為ではないが──。
「アイナ。何か気になることでもあるのか?」
「……ええ、まぁ」
曖昧にだがアイナが頷く。
「今回の件は、ロウザさんのお兄さん方が、将軍位の跡取りとして任命されているロウザさんを排除しようとしている事が発端です」
もっともこれらは、ロウザさんの言葉が全て真実であるのが前提。残念ながら、サンモトの事情はあいつらの口から聞かされた情報しか知りようがない。
「ただ、それが全て事実だと仮定しても、どうしても不可解な部分があるんです」
アイナが部屋に帰ってきてらずっと考え込んでいた内容を語りだす。
「ロウザさんは、昨晩に私たちが襲われた件は、現地に送った刺客の末端ないし、それらが雇った者たちの先走りだと考えていました。ですが、いくら情報の伝達不足があったとして、おいそれと他国の人間を害そうとしますか?」
俺たちは答えられなかった。現に俺たちは命を狙われたのだから。
「本国からの具体的な指示があるまでは様子見を徹底し、連絡を待つのが常道です。万が一に、昨晩に襲ってきた者たちとサンモトとの繋がりが発覚してしまった場合、事は国際問題にまで発展しかねませんから」
ところがアイナはその事実を疑おうとしているのだ。言葉に惑っている俺に、アイナは真剣な表情のまま話を続ける。
「最悪に最悪が重なってしまえば、サンモトからの『宣戦布告』と国の上層部が受け取る可能性すらあります。そのリスクを末端のものとはいえ把握していなかったと考えるのは妙です」
宣戦布告──元王族たるアイナが告げたその言葉に、ゾワリと背筋が震える。
厄獣が蔓延るまで、『国家間の戦争』が多くあった事は俺も知っている。今でこそ何でも屋の側面が強くなった傭兵も、時を辿れば戦争に金で雇われる戦力だったのだ。
「ロウザさんとミカゲさんの話を聞く限り、お兄さんたちは能力的には優秀だそうです。サンモト・アークス間の以降の関係を考慮すれば、少なくとも王都の中で仕掛けるなんて事はしないはずです」
「ちょっかいを出して、単なる冗談で済まされるような話ではないってことね」
「それこそ冗談ですよ」
キュネイの言葉にアイナは声色を強めた。いつになく圧があるのは、それだけに重要な問題であるからだ。
「少し乱暴な表現になってしまいますが、国家間の関係というのは面子が大事です。相手に侮られるような立ち回りはむしろ、負の要素でしかありません」
相手の行動に弱腰を示せば、そこに付け込まれてさらに面倒な行動を起こされる恐れがある。故に、毅然とした対応が求められるのだ。繋がりの薄い相手であれば尚のこと。
『この辺りはユーバレスとのジンギンファミリーも似たようなもんだろ。マフィアってのは舐められちゃぁ終いだ。自他共に恐れられてなきゃぁ支配や統治もままならねぇってもんだ。一度舐められちまえば、そこを徹底的にしゃぶり尽くされるって寸法よ』
アイナの語った国家間の駆け引きにグラムの補足が加わって、とりあえずは飲み込めた。
「この騒動の落とし所の如何で、アークスのサンモトに対する今後の関わり方が変わってきます。もし本当にロウザさんを排するつもりであっても」
ここまで語って、アイナはまたブツブツと独り言と思考に戻ってしまった。
「それがわかっているなら、少なくともロウザさんやミカゲさんが王都にいる間は様子見に徹するべきなのに……」
話が国家間にまで広がり規模が壮大になってしまったが、グラムが語ったマフィアの関係に落とし込むと、俺の中でふと一つの考えが浮かんだ。
が──。
『おっと相棒。そこから先は今は無しだ』
喉奥までデカかった声を、いつになく真剣なグラムの念が制止した。
『これ以上はロウザとケリを付けてからだぜ。余計な考えは一旦無しにして、気合いを入れな。愛しのミカゲを奪われたくなけりゃぁな』
胸中に抱いた一つの可能性は、軽い気持ちの思いつきに反して重たく俺にのし掛かった。
『広範囲を巻き込む氷結能力。あれを相手にするには中々に骨だぜ』
油断ならない相手であるのは最初から分かりきっている。その点では、あの氷結を見れたのは本当に幸いだった。初見で氷漬けにされていたらその時点で勝負が決まりかねない。ただ、氷結云々を抜きにしてもロウザ当人の実力も計り知れない。
ミカゲが認める実力の一端は、初めて出会った時に味わっている。最大の全力ではなかったとはいえ、俺の一撃を受け止めた動き。防がれたこそもそうだが何よりも、前触れなく俺の前に現れた動き。まるで虚空から出現したような感覚だった。
あれがロウザ当人の実力であるのかあるいはそうでないのか。
「……ミカゲには悪いが、今回ばっかりはそいつに気を向けてる場合じゃねぇな」
ロウザと矛を交えるまでの一週間にできる限りをしておく必要がある。
その果てに待ち受けているものに後悔をしないために。