第百八十五話──汝は強欲の化身なり
「ユキナ様、ご無事で何よりです」
「そっちもな。ニキョウの護衛、お疲れさん」
駆け寄ってきたミカゲに労いの言葉を投げかける。
酒場の中には案の定、ナリンキが選りすぐった腕利の手勢が待ち構えていたらしい。しかも、外からの目が届かないこともあり、刃物まで取り出してきた。ここまで聞いて、ミカゲを同行させていて良かったと安堵したが、
「私が手出しをしたのはほんの少しです。ナリンキが雇った手勢のほとんどはニキョウが打ち倒しました。いささか、あの男を侮っていた様です」
ニキョウは剣やナイフを持った相手にもまるで怯まず、むしろより果敢に攻め立てた。武道に通じているわけでもなく、戦術があったわけでも無い。理屈抜きの『強さ』がそこにはあったと、ミカゲは語る。
「その点では、もしかするとユキナ様に近いものがあるかもしれません。人間同士の戦いに限ればですが、二級傭兵にも届きうる逸材でしょう」
きっとそれは、ミカゲなりの最大級の賞賛だったに違いない。
あとはナリンキを拘束し、ジンギンファミリーの拠点に連れていけばほぼ仕事は完了だ。あとのことはリードの傭兵団がしてくれる。俺たちは報酬を貰い、満を持してユーバレストから出ることができる。
「一時はどうなることかと思ったが、どうにか片がついたな。とんだ休養だったぜまったく。王都に戻ってもしばらくは仕事を受ける気にはなれねぇな」
『気持ちは分からんでもない。何だったらもう少しユーバレストの滞在期間を増やしたっていいんじゃねぇの?』
それも悪くねぇな、と思ったところで俺は首を傾げた。
この辺りでリードが割り込んだり騒ぎ出すか場面なのだが、不思議と静かだ。
気になって目を向ければ、リードは先ほど声を交わした位置から一歩も動かず、左目あたりに手を添え顔を伏せたままだ。そういえば、ニキョウらが酒場から出てくる直前に感じた感覚は何だったのだろうか。
「おいリード、どうし──」
「……嗚呼、駄目だ。どうしても我慢できねぇ」
俺の言葉を遮り、リードの声が届く。未だ喧騒が冷めやらぬ空気の中、熱を帯びた音がやけに通って耳に滑り込む。
ゆらりゆらりと、覚束ない足取りでリードが近づいてくる。
「なぁ黒刃。お前、俺の傭兵団に入らねぇか?」
「……急に何を言い出すんだよお前は」
いや本当に。冗談はせめて、戦勝の宴で出てくる酒を煽ってからにしろと。
けれども、その軽口を俺は喉元で飲み込んでしまう。
酔っ払いの戯言を先取りするには、リードの気配が異様であった。
「最初はキュネイちゃんのこともあってまるで気に食わなかった。そいつぁ確かだ。けど、肩を並べて戦ってみりゃぁこれが中々どうして悪くねぇ。お前とその黒い槍の組み合わせは本当に悪くねぇ」
あながち、単なる冗談では無いが言葉から読み取れる。一流の傭兵に実力を認められるというのも悪くは無い気分だ。悪くは無い──筈なのに。
「銀閃が熱を上げるのも分かる。キュネイちゃんやアイナのお嬢さんが惚れ込むってのもな」
胸の奥には不安に近しい感情が芽生え始めていた。
「やめなさいリード。ユキナ様は、お前の下につく様な──」
「テメェには聞いてねぇんだよ、銀閃。黙ってろ」
上擦っていたリードの声に、明確な苛立ちが混ざる。穏やかな波が前触れなく激しく荒立つほどの急変にミカゲが眉を潜めるが、構わずリードは続ける。
「────傭兵団だ何だのってのは、結局のところは建前だ。理屈なんぞどうだっていい。その黒槍も堪らなく魅力ではあるが」
間をおき、万感を込めてリードが紡ぐ。
「黒刃のユキナ──お前が欲しい」
聞こえ方によっては愛の告白にも捉えられる台詞を、情熱的なほどに投げかけてくる。声に込められた感情は熱を帯びているというのに、向けられる俺の胸中には不安が膨れる一方だ。
「まさか人間──しかも野郎をここまで欲しくなるってのは初めてだ。自分でもどうかしてるぜ。だがなぁ、もうこいつは理屈じゃねぇんだ。お前が欲しくて仕方がねぇんだよ」
「お下がりください、ユキナ様。何やら様子が妙です」
同じものを感じたのか、ミカゲは一歩前に出ると俺を守る様に立ち塞がる。
空気に緊迫が含まれる中で、
「……もし断るって言ったら、どうするつもりだ?」
「だよなぁ。ここで素直に首を縦に振る様な雑魚なら鼻から眼中にねぇ。ああ分かるぜ。その槍に認められる奴が、たかだかちっぽけな功名心に釣られるケツの穴が小せぇ野郎な訳がねぇからな」
くっくっくと、俺の拒絶がむしろ喜ばしいといわんばかりの愉悦を漏らす。
「普段は喧しいスレイを黙らせるために眼帯で抑えてるんだが、いざ聖痕を解放すると、どうにも堪え性が無くなっちまう。いつもなら抑え込むところだが、もう無理だ。抑えきれねぇ。抑える気もねぇが」
リードが顔を上げた時、その目にはもはや理性の類は含まれていなかった。
あるのはただ、裡から湧き上がる衝動に身を任せる獣の如く。
「だから、奪わせてもらうぜ。力尽くでなぁぁっっ!!」
ドンっと、リードから発せられる圧に俺たちは顔を覆う。抑えきれない欲望が体から吹き出した様にさえ感じられた。
「貴様ッ──ぐっ!?」
「ミカゲ!?」
いよいよ看過できなくなったミカゲが剣を引き抜くが、リードが無造作に振るった蛇腹に弾き飛ばされる。咄嗟に駆け寄ろうとする俺だが、脳裏に蛇腹剣の高笑いが鳴り響き、足が止まった
『ぎゃははははははっ! そうだリード。抑え込む必要なんぞ欠けらもねぇ!!』
「──ッッ」
リードの左目の聖痕──そして蛇腹剣からも光が放たれる。呼応するかの様に、俺の聖痕にも凄まじい熱を発していた。これはまさしく、リードの高ぶりを示していた。
『汝は『強欲』の化身なり! ただ望むがままに欲し、欲するがままに奪わん!』
歓喜に満ちたスレイが紡ぐと、蛇腹がリードの体を一寸の隙間もなく覆い尽くす。さながら、刃で出来上がった繭。
『我が担い手よ! 余さず全てを掴み取れ! 本能が命ずるままに、欲するがままに! ぎゃはははははははっっ!!』
内側から爆発的に気配が膨れ上がり、決壊寸前にまで及んだ時、リード渾身の叫びが迸る。
「奪い尽くせ──咬滅せし八岐大蛇ッッッッ!」
刃の繭が弾け飛ぶと姿を現したのは八頭の大蛇。否、一つ一つが大蛇を思わせるほどに巨大となった蛇腹の刃が、リードの背中から伸び蠢いていた。
スレイの笑い声は多分、とあるな科学なやつの一方通行さん的なイメージかなって。