第百八十四話 埋もれた才覚
失われた左腕と傷口から噴き出す青い血を、バエルは痛みよりも先に現実を疑うような呆然とした眼差しで見据えていた。腕を折られるところまでは予想していても、押し切られて腕を失うまでは考えていなかった──という具合か。
リードから策を伝えられてから、グラムに指摘されたのだ。
実は、キュネイに掛けられていた弱体魔法を解除せずにこれまで戦っていたのだ。あまりにも違和感がなさすぎてずっと忘れていた。バエル相手には解除したところで当てられなければ意味がなかったというのもあり、あえてグラムも教えなかったのだ。
そこで考えたのが、リードの策に一味を加えること。
弱体状態の俺は、せいぜい人間の力自慢より一回り強い程度だ。そこから繰り出される投げ槍の威力は本来のものからかなり低くなっている。
故に、弱体化した状態での全力投射で、俺の膂力をワイスは誤認させる。追撃を回避ではなく防御ないし迎撃に意識を向けられるのではないか。ある種の油断を誘えると踏んだのだ。
そうした目論見が、見事ワイスの左腕を切り飛ばす結果を導き出した。
『まだだ相棒! 畳みかけろっ!』
言われるまでもなく、俺は黒槍を横に構えると今度は水平に叩き込もうと振りかぶる。だが、直前の一撃によって身体中に痛みが走る。感触から致命的なモノではなく一時的なものであったが、明らかに動きが鈍る。
「──ったれがぁっっ!!」
怒号を発し、目を血走らせたワイスが無事な右腕を振り上げる。
反応が鈍った俺は寸前でどうにか黒槍で受け止めるが、重傷を負った直後とは思えない圧に押し除けられて大きく跳ね飛ばされる。
どうにか倒れない様に踏ん張り体勢を維持し、素早く槍を構え直してワイスを見据える。が、視線の先ではワイスが左肩を押さえてうずくまっていた。今の一発で完全に打ち止めなのは明らかだった。
『相棒の騙しが効いて良かったぜ。もし下手に受け止められたり、逆に避けられでもしたら、魔法でドカンとヤられてたかもしんねぇ』
「マジかよ……いちちち」
俺は回復魔法を自身に掛け傷を治しながら、リードの方に目を向ける。どうやらこちらもちょうど終わったところらしい。俺の目に、バエルの右腕が蛇腹に巻き取られ、ズタズタに引き裂かれるところが移った。俺があれだけ苦戦していた長爪も無惨に砕かれ、地面に崩れ落ちた。
「やるじゃねぇか黒刃。足止めできりゃぁ上々くらいに思ってたが、まさかワイスの片腕を持ってくとはな」
心身ともに格段に消耗していた俺に比べて、やはりリードの方が余裕がある。相手を入れ替えての不意打ちという条件は同じであったが、手際はリードが何倍もよかったということだ。
「しかし驚いたぜ。戦ってる最中にスレイ以外の声が頭の中に飛び込んでくるんだからな。最初は手前の正気を疑いかけた」
「そいつはお互い様だ。おたくの相棒、うるさいの何のって。まぁお陰で思いついたんだけど」
この作戦は、スレイとグラムが無ければ成り立たない偶然の産物だ。こうなってくると、どういった経緯でリードが蛇腹剣を手に入れたのかが気になってくる。ユーバレストに来たばかりの頃よりも幾分かは打ち解けた今なら、聞けば話してくれるかもしれない。
「ってこたぁ、邪竜をぶった斬ったって噂も誇張じゃねぇってことか」
「それ、箝口令とか敷かれてるはずなんだけどなぁ……情報規制ガバガバじゃねぇか」
何で国外で活動してたやつの耳にまで届いてるんだ。この感じだと、二級傭兵やある程度権力のある人間なら噂くらいなら届いていそうだ。
俺の言外の肯定にリードはきょとんとした顔になり、すぐに「くっ」と妙な声を発しながら顔を伏せた。
「……おいおいマジかよ。いよいよ──ってきちまうじゃねぇか」
リードは己に刻まれた聖痕に触れながらブツブツと呟く。覆った手の隙間から覗く眼光を垣間見えると、俺の背筋が震えた。バエルやワイスの時とは違う、まるで蛇が這い寄り足から絡みついてくる様な感覚だ。
その時、大きな音を立てて酒場の扉が開かれた。俺とリードがそちらに目を向ければ、ミカゲとニキョウの姿があった。ニキョウは少しばかり青痣をこさえていたが健在には違いなかった。
ニキョウは最初、倒れているバエルとワイスの肌の色や流れ出る血の色を目に驚く。奴らが魔族だと発覚したのは、ニキョウらが酒場に突入してからだ。だが、それらが倒れ伏し俺たちが無事であることを確認すると、浮かべていた動揺を飲み込みこちらに向けて口端を釣り上げた。
「ほらよっ」
右手に掴んだものをニキョウが放り投げると、壇上から何かが鈍い音を立てながら転げ落ちる。下で止まった時、それが意識を失ったナリンキがわかった。ニキョウよりも遥かに痣をこさえており、ただでさえぶくぶくと肥えていた顔がさらに腫れて膨れ上がっている。
「てめぇら、良く聞けぇぇぇっっっ!!」
大声量があたり一体に響き渡り、喧嘩を繰り広げていた誰も彼もが動きを止めた。この場にいる皆の意識が一点にニキョウの元に集まると、彼はもう一つ大声を張り上げる。
「ナリンキは俺がこの手でカタをつけた!! この喧嘩は、俺たちジンギンファミリーの勝ちだ! 文句のある奴ぁ今すぐ俺の前に出てきな! いくらでも相手してやらぁっっ!!」
敵の親玉と主戦力はすでに倒れているが、人数差は変わらず歴然としている。このまま逆上され一気に攻められればなかなかに厳しいものがある。だが、ニキョウの放った声には素人では敵わないと思える『凄み』があった。
──ォォォォオオオオオオッッッッ!!
勝敗の推移がほぼ決したと見て間違いない。不良どもを相手に戦っていたジンギンファミリーや傭兵団の者達が握り拳を振り上げ、勝鬨を発した。まだ動ける者もそうでない者も含め、この空間にあったカルアーネファミリーの気勢が、ジンギン側の勝利宣言を機に一気に失われていくのが肌に感じられる。
『ありゃぁ中々に粒な才覚だぜ。街のごろつきを束ねる程度で収めるにはちと惜しいくらいにはな』
アイナとはまた違った意味で、人の上に立つには相応しいということか。