第百八十二話 ぼうっとしていたようですが
「随分と気配には敏感だな。今のタイミングでは確実に殺ったと思っていたが」
腕を地面から引き抜いたバエルが、こびり付いた土を払いながらこちらを見据える。必殺を確信した一撃を避けられながらも、バエルは僅かの動揺もしていない。グラムが声がなければ、この戦いだけでも何度か既に死んでいてもおかしくない。
『やっぱり相性が悪いな。これなら多少なりとも小細工を弄してくる奴らの方がよっぽどにやりやすい。馬力で押し返せるタイミングが掴めねぇ』
グラムも打開策を見出そうとしてくれているが、芳しくないのは声色から伝わってくる。それだけ状況が厳しいことの証左だ。
『ヒャハハハハハハハッッッ!!! ミンチにして今晩の食卓にだしてやろうかぁぁぁ!!』
ガツンと、頭の中心部を爪で引っ掻くような不快な声が響いてきた。集中力を掻き乱す騒音に、俺は思わず顔を顰めた。
「おいグラム。あの雑音を黙らせてくれねぇか。いまいち真剣になりきれねぇ」
『分かっちゃいるんだがなぁ……』
視界の端に捉えるのはリードとワイスが戦っている様子だ。
リードは鞭状の蛇腹剣を振り回してバエルを狙うが、甲高い音を響かせながら両腕に弾かれる。剥き出しの腕は人間ではない灰色の肌からさらに変色し黒光りしている。刃を受けながらも火花を散らすだけで負傷は無い。だが、逆にバエルも魔法を放つも、こちらは分割した蛇腹剣の刃にかき消されている。
痺れを切らし、バエルは蛇腹が渦巻く網の中を硬化した腕を使って強引に突破し、間合いを詰める。だが、拳の間合いに入るよりも先に、リードは地面に蛇腹の先端を突き刺し、巻き取ることで素早く離脱する。
リードは蛇腹を攻撃だけではなく動きにも活用していることで、かなり人外じみた動きをしている。聖痕を露わにしスレイが目覚めた影響なのだろう。分割した蛇腹の先端が、本当に大蛇のように動いている。
……にしたって、スレイの声が煩すぎる。
グラムなら、あちら側にも声が届くようだが。
『さっきからちょいちょいと黙るように言ってるが、全っっっ然聞かねぇのよ。感触からして、こっちの言葉が届いてねぇわけじゃねぇんだが……』
まぁあのハイテンションだ、無理もないか。最初のやりとりを見るに普段は黙らされてるから、久々に自由に慣れて大興奮なのであろう。
あちら側は俺たちほど追い詰められている感じでは無いが、攻めあぐねている点では似たようなものだ。リードの蛇腹剣の鞭は素早くキレもあり、的確に相手を捉えている。だが、ワイスの硬化した両腕に対しては軽い。時折に強引に懐に飛び込まれて魔法を打ち込まれている。 蛇腹を絡み付かせるあのえげつない攻撃をしないのは、バエルの両腕で掴まれでもしたら逆に引き寄せられることを恐れてのことだ。膂力に関してはワイスがリードを大きく上回っていると考えて間違いない。
最もこのあたりは、状況を把握しているグラムからの情報だ。俺はといえばやはり、数多に繰り出されるバエルの攻撃に対処するだけで手一杯だ。
そろそろ本当にどうにかしないと、集中力が保たない。ただでさえ耳障りな声で頭がおかしくなりそうなのに。グラムと同じくこれは『念話』であり、おそらく俺とリード以外には聞こえてないのは間違いない。
『見た感じ、バエルの遠距離からの魔法は牽制で、本命は至近距離からの肉弾戦だな。あの感じだとリードよりも相棒の方が相性はいいんだろうが──』
そんなことはグラムだけではなくバエルらも理解している。だからこそ最初に俺たちを引き剥がした。最初にバエルが俺を仕留め、続けて二人がかりでリードを相手にする算段だ。元々リードがカルアーネファミリーへの手出しを躊躇っていたのはバエルとワイスが揃っていたからだ。このまま悠長にしていると非常にまずい。
当初の算段では、もう少し足並みをそろえてバエルらを相手にするはずが、スレイの事に気を取られて主導権をあちらに持って行かれた。せめて蛇腹剣の事は事前に知らせて欲しかったと思うが、それを言ってしまうと俺だってグラムのことを説明していなかったのだ。そもそも、スレイのあの大声量が俺に届いたこと自体、リードにとっても埒外だった筈で。
このあたりは論じても意味がない。
どうにかして俺とリードの『敵』を入れ替えることができればまだ勝算はあるのだろうが、組んだことが殆どない相手と言葉もなく示し合わせることなど不可能だ。声なんて発すればますますバエル達は攻め手を強めて徹底的に潰しにかかってくる。
声もなくこちらの意思を相手に伝える、なんて都合の良い手段があれば話は別──。
「あっ────」
『って危ねぇ相棒!』
「ん? ──んぉぉぉっっっ!?」
目玉を貫く軌道の爪を、ちょっと人様に聞かせるのは憚られる妙な悲鳴を発し首を逸らしながら必死で回避する。考え事に集中しすぎて反応が遅れ、グラムが警告しなければバエルの目玉から脳髄まで一直線に貫通していた。
完全に体勢を崩し後ろに倒れ込んだ俺に、バエルは容赦無く追撃を加えてくる。外聞も何もなくそのまま横に転がり、目を回しながらも地面を容易く貫く爪の刺突をやり過ごし、立ち上がり様で強引に槍を薙ぎ払いバエルを追い払う。
「び、ビビったぁ……」
額に手を触れると、爪が掠っていたようでダラダラと血が流れ出てくる。
『おいおい、勘弁してくれよ。殺意満々の敵が目の前にいるってのに急にぼうっとしやがって。肝が冷えるぜ全く。──俺に肝はねェが』
案外こいつも余裕あるな。肝がある俺はまさしくキンキンに凍りつくくらいにヒヤッとしたが、それどころではない。
この状況を打開する──かもしれない策を今まさに閃いたのだ。
今週の更新は多分ここまで