第百八十一話 速いようですが
俺とバエル。リードとワイス。それぞれの戦いが始まって少しが経過したが、正直に告白してしまうと旗色はかなり悪い。
……特に俺が。
「シィヤァァッッ!!」
「ふんぎっ!?」
まるで猛獣さながらの奇声を発しながら繰り出されるバエルの鋭い爪を、これまた妙な悲鳴を上げながら回避する。首筋がヒンヤリとしたのは、奴の攻撃が真っ直ぐに首筋を狙っていたからだ。続けて逆の手から振るわれる爪の斬撃は槍を振るって弾くが、こちらが半呼吸する間もなく更に攻撃が重なってくる。
『相棒、足下げろ!』
頭に響く声に反射的に従い前に出ていた足を引くと、爪の払いが通過した。
上半身へ繰り返し攻撃を行なって意識を向けさせ、注意が逸れた下半身への一撃。グラムの警告がなければ、太もも辺りをザックリと切り裂かれて動けなくなっていた。
昨日に相対した時よりも、バエルの発する凄みが増している。初対面の時点で既に並を超越していたが、今はそれよりも更にもう一段階上に感じられた。
『おそらくワイスが使ってた偽装魔法は、能力をギリギリで人間の範疇内に収める程度に低下させる効果もあったんだろうよ」
その偽装を解いた今が、バエルらの本領というわけか。
「力自慢ながら、器用に捌いてくれるな」
「そりゃどうもっ!?」
お返しとばかりに槍の刺突を繰り出すが、幾度も放ったところで全てを回避される。こちらの攻撃は余裕で避けられるのに、あちらの攻撃を防ぐのはいつもスレスレだ。
圧倒的に速度でバエルに負けているのが嫌でもわかる。俺が一度武器を振る時間で、バエルは三度四度と爪を振るってくる。しかもある程度を回避すると、大きく飛び退き距離を離される。これのおかげで、気勢が乗りにくく攻めに転じにくい。
前に王城で戦った魔族──確かニルスとか言ったか──は、俺を舐めていたからか単純なぶつかり合いに終始していた。おかげで最後は力押しで押し切れたわけなのだが、本職はおそらく魔法戦士。剣と槍の応酬ではなく、徹底的に距離を取られ魔法で攻められていたら危なかっただろう。
『けど野郎は、ここぞという時の底力を警戒して徹底的にぶつかり合いを避けてやがる。やりにくいな』
黒槍を爪でいなし、反撃を仕掛けるタイミングなどいくらでもあっただろう。なのにあえてそれをしないのは、偶発的にでも力勝負になるのを防ぐためだ。
俺がこれまでギリギリでありながらもバエルの攻撃を防ぎ、かつグラムとの念話を継続できているのには理由がある。膂力はともかく、バエルの速度はミカゲのそれに匹敵している。俺はそんな彼女と訓練として普段から手合わせをしているのだ。おかげで本当にギリギリではあるがバエルの動きを目で追うことができている。
もっとも、それが限度。バエルの攻撃にはミカゲにはない明確な殺意が込められており、爪は的確に防具で覆っていない部位を狙ってくる。邪竜の素材でできた防具がなかったら、俺は今頃血塗れになっているに違いない。加えて、時折に攻撃を見逃してもグラムの声でどうにか反応できていると言った具合だ。
『どうすんだよ相棒。このままじゃぁジリ貧で力尽きんのはこっちだぞ』
「なこたぁ分かってんだよ!」
声を荒げながら急所を切り裂かんと迫る一閃を黒槍を構えてどうにか防ぐ。だが、返しで穂先を振るった時点ですでにバエルの体は間合いの外に出ている。
こうなってくると体力よりも気力の消費の方が問題になってくる。今は集中できているが、戦いが長引けば張り詰めていた緊張が切れる瞬間が必ずくる。そしてそれをバエルが見逃すはずがない。
「卑怯とは言うまい、黒刃よ」
「言ったところで殴り合いにでも付き合ってくれるのか?」
「それはどちらかといえばワイスの分野であって、私の担当ではない」
おたくの相方、めっちゃ魔法使ってますけどね。
ともかく、打開策が見えてこないのが本当に厳しい。
速度や技量の勝負に持ち込まれたら、俺に万が一の勝ち目すらない。そいつを理解しているからこそ、バエルは徹底的に直接的なぶつかりを避け削りにきている。どうにかバエルの動きを止めるか、力の土俵に引き摺り必要がある。
かと言って、考えに没頭していられる余裕はない。
──ギィィィンッ!!
バエルが動いたと思った瞬間には、既にバエルが肉薄している。槍を構えてすれ違いざまの爪撃かろうじて防ぐも、頬が浅く切り裂かれる。
そして、見失ってたまるかと振り返った時には既に、バエルの姿は消え失せていた。背筋が凍りつくような感覚が這い寄るのと同時にグラムの叫びが。
『前に避けろ!!』
考える前に、前方に向けて転がるように飛ぶ。直後に、背後から「ズドンっ!」と低音が響いく。体勢を立て直してから見やれば、俺が寸前までいた地点に膝を突いているバエルの爪が腕の半ば辺りまでめり込んでいた。
俺が見失った時点で高く跳躍し、こちらの頭上を取っていたのだ。防具で覆っていない部位に命中すれば、確実にその部位が吹き飛んでいた。自身の頭部が失われる光景を想像してしまい、背筋がもう一度冷えた。